第5話 三軍ベンチ。オレ。一軍のマウンドに緊急招集──!


「ぉ、はようございまーす……」


 今の俺に出せる手札は知らんぷりして通り過ぎる一択。


 ピンチヒッター。三軍ベンチ。オレ!

 影の薄さなら一級品! いけっ! いっちまえ!


 が、しかし。通り過ぎ様に手首を掴まれた。……ひぃ!


「みたの……?」


「い、いえ、なにも」


 精一杯に涼しい顔で十回ほど高速で首を横に振った。


「あなたは……誰、なの?」


 その言葉はおかしかった。


 俺は夢崎ゆめざき恋夜れんや! そんなのわかりきってること。


 同じクラスの隣の席だし。知らないとは言わせない。


 まさか、この瞬間を覗き見るために送り込まれた探偵やエージェントとでも誤解しているのだろうか?


 なら、普段通りの当たり障りない俺で接する!


「ぇぇっと、同じクラスの夢崎ですょ……!」


「同じ……クラ……ス?」


 不思議なことに驚いた顔をしていた。……あ、これ。察し。察しちゃった。


 俺は真白色さんにとって、通り過ぎる景色のような存在──。


 認知されてなかったんだ。

 隣の席なのに……。


 考えてみるとあながちなくはなく。

 なくなくなくない? ってやつで。ありよりのありだった。


 俺はクラスの背景のひとつ。ロッカーや黒板に等しき存在。……影の薄さなら一級品。


「はい……」


 もはや、意気消沈。

 掠れる声で返事をする。


 そんな俺の様子を察したのか、


「う、うんそうそう。同じクラスのね、知ってるわよ! えっと名前は……」


 わかる。わかるよ。

 俺を傷つけないために、気を使ってくれてるんだよね。でも名前はさっき、言った……。


 同じクラスと聞いた時点で驚いちゃって、聞こえてなかったんだろうな。


 それでも、怪しい者ではないとわかったからなのか、割と柔らかみのある表情に変わっていた。


 不思議なもので、THE・ゾーンとでも言うのだろうか。あの学園のマドンナ。真白色さんが俺の手首を逃さんとばかりに握っている、この非現実に俺の心は若干のトキメキを感じていた。


 ちょっ、待てよ?

 とは程遠いシチュエーションだとしても、本来、触れることすら許されない神々しい存在。


 神の御膳に、触れた──。


 だからこうして、答えてしまう。


「夢崎です!」

「そうそう。夢崎くんね! おはよう」


 花のような笑顔に視線を奪われる。

 さすが校内No1のS級美少女。気の使い方がお上手! 知ってたッ! みたいな相槌! 


 ちょっとドキッとして嬉しくナッチャッタヨ!



「ここじゃなんだし、向こうで話しましょうか」


 しかし、問題はそこではない。

 何を隠そう俺は見ちゃったんだ。乙女のスリーコンボを。


 普段であれば、学園のマドンナからのお誘いに手放しで喜ぶ場面。


 だが。これは行ってはいけない。

 俺の中の危機管理センサーが大警報を鳴らしている。


「は、はい」


 とはいえ、同じクラスの隣の席。

 逃げ場なんて学園中どこを探してもない。


 今もなお、握られている右手首に幸せとは程遠い恐怖を感じながら──。


 ……それと同時に、遅刻した上に授業までサボってしまうのかと、不安が脳裏を過ぎった。



 ◇ ◇

 案内されたのは校内にあるカフェテラスだった。一般開放されているテラスだが、一部の上位種しか立ち入れない暗黙のルールがある、神域的な場所。


 初めて入っちゃった……!


 ほんの少しだけ心が踊った。

 でもこれからなにが始まるのかを考えたらどんよりした。俺は見てはいけないものを見てしまった。……その男の顛末を飾る、最後の場所……?


 もはや怯える一匹の子うさぎ。



「紅茶の一杯でもご馳走したいのだけれど、あいにくティーセットの持ち合わせがないの。自動販売機でいいかしら?」


「い、いえ! お気遣いなく!」


 ど、ど、どういう展開なんだ……これ。

 というか真白色さんって缶ジュースとか飲むのか。似合わなさそうだけど……。


 とは思うも華麗なスリーコンボを見た今なら、割とあり。ブラックコーヒーとか似合いそう。


 などと思うくらいだから、俺の中の真白色さんのイメージは確実に崩壊していた。


 で、スマホをピッとして奢ってくれた。


「はい。好きなの押して」

「で、では、お言葉に甘えて……」


 とはいえ、あの真白色さんだ。

 恐れ多い気持ちと恐怖心からか、敬語でしか言葉が出てこない。


 だからなのか、気付いたら俺は紙パックのいちごみるくを押していた。ピンクパッケージのお可愛いやつ。


 これには真白色さんも驚いた顔をした。


 若干、気まずい空気が流れる。


 しかし──。


「じゃあ私も同じので」


 あぁ、すごいなと思った。

 こういうところがきっと、彼女の魅力なのだろう。


 そしてそれが、結果的にあのスリーコンボなのかと思うと、なかなかに感慨深い。



 そうして──。

 テラス席に座ると、おもむろに話を始めた。


ああいうの・・・・・多いのよね。どう思った?」


 壁蹴り舌打ち死ねのスリーコンボのことか? それとも田中の告白のことか? 


 いずれにせよ、俺なんかが誰かにゲロっても信憑性はないし、落書きレベルのものだ。


 そんな俺を諭そうと言うのだろうか。


 真白色さんの日常を脅かすことは一切ない。


 これは断言できる。


「えっとですね。さきほど見たことは誰にも言わない前提でお話しますが、仮にもし俺が誰かに喋ってしまったとしても、信憑性はないですし、トイレの落書きレベルの話ですので! 心配には及びません!」


「チッ」


 ええええええ。で、デチャッタ舌打ち!

 真白色さん本日二度目の舌打ち!!


「あのね、私がそんなことであなたを此処に招いたと思っているの? 心外だわ」


「す、すみません……」


 違うのか……?

 でも確かに、あの真白色さんだ。それこそまさにあながち、なくなくなくないってやつだ。


 そうだよ。学園の絶対的マドンナとして君臨する真白色さんが、俺みたいな三軍ベンチの口止めに手をかけるわけがない。


 ……じゃあ、いったい。俺はどうしてここに?



「もういいわ。めんどくさくなっちゃった。私ね、ああいうわずらわしいのが嫌なのよ。そんなときに現れたのが君。どうしたらいいと思う? これは相談よ」


 ほ、本性!

 花のようなイメージの真白色さんも所詮は人の子ということか!


 でも確かに、あれはちょっとないかなと思う。


 この言いぶりから察するに、さっき見た田中のような告白が多いってことか。そんな日常は震えるな……。


 でも、真白色さんに告白する場合、ただ「好き」という気持ちを伝えたところで、確実に実らない。


 田中の行動を全面的に否定するかと言えば違う。葉月の告白に割と立ち会ってきたから、この手の事には肯定的にならざるを得ない。


 だからといって、答えが同じわけではない。

 葉月の場合は葉月が悪いけど真白色さんは違う。


 相手に誠意を見せた上で、お断りしている。

 ちなみに葉月は即答だ。「無理」とな。


 どちらが正解かと言われれば答えなんてない。


 ここにはきっと、複雑な感情が交差しているのだから──。


「ずいぶんと真剣に考えてくれるのね。顔に出ているわよ?」


 ない頭を振り絞って考えるのは必然。

 だって此処は、死ぬか生きるのかの戦場!


「……すみません。えっとですね、恋する気持ちというのは時にブレーキが効かないものだったりします。無理に押さえ込もうとすると、その勢いは増し、やがて防波堤は破裂。止めどない想いが溢れてしまいます。それが恋で、それがおそらく田中だったんです」


「あなた、何を言い出しているの……?」


 うん。

 オレナンデコンナコトイイダシテルンダロ。


 恋する気持ちについて語っちゃった……。


 先ほどの田中の告白が頭にこびりついて離れない。しつこい油汚れのように脳内を汚染する……うううう。


 しかもなんか夏恋のこと思い出しちゃったし。

 だけど、どうにもならない状況が人を前へと進める。諦めるという、新たな道へと。


 恋愛経験はないけど、片思いならそれなりにしてきたから──。



「真白色さんに告白できない状況を作るのはどうですかね。たとえば、彼氏を作るとか」


 苦し紛れに出た言葉は、割と当たり前のことだった。


 現代社会のタブー。人の物は取るべからず!


「なるほど。あなたも爺やと同じことを言うのね」


 じ、爺や?!

 じ、い、や……。爺や?!


 ま、まぁいいか。話の流れを止めるな。今ならまだ、授業サボらずに済むかもしれない。


「はい。俺も爺やと同じ考えです!」


 真白色さんはクスッと笑った。


「あぁめんどくさいなー。早くこの場から立ち去りたいなーっていう本音が漏れてるわよ?」


 そんな馬鹿な?

 俺は両手で口を塞いだ。


「ふふっ」


 するとどういうことなのか? 今度は嬉しそうに笑った。そして──。


「そうね。じゃあ私、彼氏作ろうかしら」


 乗り切った……のか?

 何を考えているのかよくわからない人だな……。


 授業開始のチャイムはまだ鳴っていない。肯定一択!


「はい。その意見には賛成です。真白色さんなら引く手数多! おそらく誰とでも付き合えると思いますよ!」


「本当?」

「ええ、もちろん!」


 良かった。一時はどうなることかと思ったけど、いい感じに話がまとまった!



「じゃあ私、あなたを指名するわ」



「……え?」



 えぇぇぇえええええ?!


 全俺が、おったまげた瞬間だった──。


 三軍ベンチ。オレ。


 一軍のマウンドに緊急招集──!



 ◇ ◇ ◇


 いやいや! 違うでしょ!

 これは何かの間違い。絶対そう。ただ先発に指名されただけ。あれ、でも……ってことは、交際を申し込まれてるのか?


 真白色さんはまたしてもクスッと笑った。


「そんなに険しい顔して考えなくてもいいのに。本当の彼氏になってくれとは言ってないわ。偽装カップルってわかるかしら?」


 あ。なぁんだ! だよね! そうだよね!


 そう、だよね?!

 それでもやばくね? えっ。どうしてこうなった?


「無理にとは言わないわ。もしよければ、お願いします」


 そんな馬鹿な……。あのマドンナが! あの絶対的学園のマドンナが……頭を下げてきた……!


 三軍ベンチの俺に……?


「もちろん、お礼は相応にするわよ?」


「はい。喜んで!」


 あ。気づいたときには即答してた。お礼・・という言葉に脳内が無意識にガッついてしまった。


 あれ。本当にいいのか、俺。……大丈夫か?


 その役目、俺で大丈夫なのか……?


「喜んでと言ってる割には、まったく嬉しそうな顔してないけれど、本当に大丈夫かしら?」


 いや。真白色さんが三軍ベンチの俺に頭を下げてお願いをしてきたんだ。断ったのなら、三軍ベンチの名が廃る!


「ええ! それはもちろん! 精一杯に彼氏を演じさせていただきます!」


 うん。言っちゃった。もう後戻りはできない。


 さよなら。俺の日常──。俺の青春──。

 

 ◇


「ありがとうね。では今後について話しましょうか」


 そう言うと真白色さんは紙パックのいちごみるくにストローを刺した。


 俺も続くように、ストローを刺す。


 そうして「いただきます」と軽く頭を下げて、吸うと──。


   「「甘っ!」」


 ほぼ同時に同じ言葉を発した。

 

 真白色さんは俺の様子をみてクスクスと笑いだした。


 猛烈に恥ずかしい……。



「そうね……やはり、紅茶を淹れましょうか」


 スマホを取り出し誰かに電話を掛け始めた。



 ──『爺や? 今空いてるかしら? 紅茶が飲みたいのだけれど。うん。うん。悪いわね。ありがとう』


 状況が授業をサボる方へと加速していく。

 

「五分ほどいいかしら?」


 と、真白色さんが言ったところで、


 ──キーンコーンカーンコーン。


 授業開始のチャイムが鳴ってしまった。


 鐘の音に合わせて悲壮感でも漂わせてしまったのか、真白色さんが驚くべきことを口にした。


「安心しなさい。私たちは遅刻もしていないし、授業にも出ているのよ? ひょっとしてなにか、誤解しているんじゃなくて?」


 なっ!

 リアルを捻じ曲げるのか……?

 インビジブルビジョン? 権力か? 権力なのか? それとも魔法使いか?


 この際なんでもいい!

 無遅刻が守られるのなら、こんな素晴らしいことはない!


 今この場における最大の気掛かりが解消され、俺の心は天にも登る思いだった。


「そうでした! 俺はいったい何を勘違いしていたのか! 今のは忘れてください!! あはは!」


「ふふっ。ええ。わかりました」


 また、笑った。

 こんなにもよく、笑う子なんだなと思った。


 俺は隣の席からよく見ていた。

 彼女が頬枝をつき、空を眺める姿を──。


 そのフォルムは儚さを帯びているようにも見えて、それでいて美しい。


 誰かに話しかけられれば笑顔で答える。


 でも、今こうして楽しそうに笑う彼女の笑顔を見て、それらが作りものだったことを知る。


 才色兼備のお嬢様で、誰もが羨む絶対的存在。


 意外と大変なのかもしれない──。



 ◇ ◇ ◇


 程なくすると、少し遠くからキキーッという物凄いブレーキ音が聞こえた。


「来たわね」


 爺やか!

 てか、え。黒くて高そうな長い車だよね? そんな乗り方しちゃうの?


 非日常の連続で驚いてばかりだった。


 貴族のお屋敷に迷い込んてしまった野ねずみのような気分。


 馳せ参じましたという出で立ちで登場したのは、もちろん爺や!

 真白色さんの送迎で後部座席を開けてるところは何度かみたことがあった。


 白い手袋にメガネからチェーンが垂れてる系のイカす爺さん。


「お嬢様。これはまた珍しいご学友ですね」


 メガネをクイッとした。やっぱりこの爺さんカックィィ!


「ええ」

「ということはつまり」

「彼がの交際を受けてくれました」

「おめでとうございます。お嬢様。では、お二人のこれからと祝杯を兼ねて、最高の紅茶を淹れましょう」


 取り出されたのはアンティークっぽいデザインのティーセット。


 貴族の茶会かな?

 というか、貴族の茶会だな!


 異世界に迷い込んでしまったような夢見心地。


 くるくる回る電気の傘みたいなやつにクッキーが供えられていく。


「ではお嬢様。ごゆっくりお楽しみくださいませ。御用の際はなんなりと」


 茶会のセットが終わると、爺やは風のように去っていった。


「お口に合うかわからないけれど、良かったら食べてね。これとか結構美味しいのよ?」


 クッキーをひとつ手に取りお上品に口へと運んだ。


「は、はい。ではお言葉に甘えて……」


 パクッとモグっと、その瞬間に口の中に感動が広がった。


 うまい! これもうまい! あれもうまいしこれもうまい!


 これが、お嬢様がたしなむおやつ!

 紅茶は普段飲まないから、ぶっちゃけよくわからないけど。このクッキーはやばい!


 いくつか持って帰れないだろうか。食後のデザートとして夏恋にも食べさせてあげたいな……。


 そう思ってしまうのはきっと、お兄ちゃんあるある。


 ……そういえば、お礼してくれるって言ってたな……!


「お気に召したようで良かったわ」

「めちゃくちゃ美味しいです! それで、先ほどのお礼の話なのですが……! このクッキーをいくつかもらえたりしますかね……?」


「え……? いいけど。ぜんぜん構わないけど。こんなのでいいの?」


「はい!」


 これ絶対、夏恋喜ぶぞ~!

 

「では……。そうね。あとで爺やに伝えておくわ」

「ありがとうございます!!」


 見えないようにテーブルの下でガッツポーズをした。夏恋の喜ぶ顔が目に浮かび、嬉しくなっちゃって!


 そんな様子は顔にも出てしまっていたのか、


「もうっ。本当にあなたって、おかしな人ね!」



 そうして俺と彼女はお喋りをした。


 全生徒が一限目の授業を受けるこの時間に、優雅な茶会の幕は開けた。



 後に始まる、波乱の幕開けとも知らずに──。

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