第1章 霊獣ノ巫女

2 勧誘する男

 橋の上で出会った女性は義一ぎいちが手を引いて歩き出したとたん立ち止まった。


「私やっぱり、もう少し時間が欲しいです……」


 そうだ。それでいい。思わず口を突いて出そうになった言葉を飲み込んで、義一は考えあぐねるついでにあたりを見回した。闇夜よりも濃い影をまとった木々は、渓流から吹く風にざあざあと揺れている。その水音に混じって時折、虫たちのかん高い声が跳ね回っていた。


「悪いが、この場で決めてもらわねえとこの話はなかったことにさせてもらう」


 結局、口にしたのは会社に教えられたマニュアル通りのセリフだった。戸惑う女性を見て義一は、そりゃそうだよなと首裏を掻く。相手に利点しかない甘言を並べておいて、突然時間制限を設けて焦らせ判断を鈍らせる。まるで詐欺師の手口だ。


「今、ここで、ですか」

「ああ。無料が有料になるとかじゃないからな。チャンスそのものが消える」


 義一は橋の欄干らんかんに手をかけた。


「なあ、おたくがここから飛び下りても世間のやつらは明日ものんきに笑って生きていく。せっかくのその一大決心が無価値に終わるより意味あるものにしたいだろ?」

「……本当に、本当に、痛みはないんですよね」

「保証する。あんたはただ眠りにつくだけ。それだけで救世主と称えられながら永遠の安らぎを手にすることができるんだ」


 頭が痛いセリフだ。死に意味などないというのに。薄ら笑いを浮かべる自分を気持ち悪いと思いながら、義一はゆっくりと女性に手を差し伸べた。熱心な口調と誘う仕草とは裏腹に義一は冷ややかに女性を映していた。

 だが女性はうつむいて自分の世界に閉じこもっている。自殺を考える人間を何人も見てきたからわかる。女性は最初から義一など見ていない。ただ自分にとって聞こえのいいことだけに耳を傾けている。

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