少年奇譚 数珠繋ぎ
小山雪哉
序
幼少期を懐古するといつも、何故こんなものが怖かったのだろう、と莫迦らしくなる。
ある盆の棚経のときのこと、家の仏壇に読経している坊さんの後ろで、数珠玉をぶちまけてしまったことがあった。子供用の腕輪念珠で、ゴムの耐久性も乏しいのに、あまりの退屈さに両手で引っ張って遊んでいたからだ。私はその場で泣き喚いただけでなく、翌日に高熱を出して寝込んだ。まさに自業自得、因果応報である。
今となっては罰が当たったなどとは思わない。紐と玉が擦れて数珠が切れることは、僧侶にとって珍しくないことだと分かっているから。しかし当時、その不吉な先触れに苛まれた結果、心だけでなく身体にも影響が出たことは、紛れもない事実だ。
熱を出さないまでも、肝を冷やす恐怖は多い。学校ならば理科室の人体模型、音楽室の肖像画、美術室の石膏像――これらは学校の七不思議系の本を読んでいればなお恐ろしいし、墓地、森、溜池などの遊び場にも、行くのを躊躇わせる怪しさがある。といって自宅が無条件に安心できるわけでもなく、仏間、押し入れ、夜のトイレ等、子供はその無知と純真さから、息つく暇もないほど恐怖に曝されている。
とはいえ大半は、年を取るにつれて克服できることが多い。トラウマとして残ってしまうこともあるが、訳も分からず恐怖していた幼少期とは違い、自分が対象のどういう点に恐怖を感じているのか理解している分、恐怖の種類が違っている。
だからこそ、未だに理解できない体験は骨の髄まで恐ろしい。世に擦れた、理知的な頭で顧みても、説明のつかない不可思議な体験――。
私は、それらの物語を、この場に書いていきたいと思う。――飛び散じた数珠玉を拾い集め、ひとつ、ふたつと繋いでいくように。
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