第30話 亀裂
「ついにこの時がきたか……」
召喚獣が封印されているという塔を見上げ……もとい、駅直結タイプのマンションを見上げて俺はそんな言葉を呟く。右手には制服やら履き古したスニーカーが入った紙袋。そして今の俺の姿は西川大先生によってフルチェンジしたスーパー筒乃宮。
大丈夫、今の俺なら愛のかめはめ波を撃てる。とわけのわからない気合いを入れて、俺はマンション一階の入り口をくぐり抜けた。そしてエレベーターに乗り込むと、家の扉を開けた時のシュミレーションを頭の中で考える。
「川波、君の為に俺は生まれ変わったよ」
「筒乃宮様っ! なんて素敵なお姿に……」
「ふ、君の為ならこれぐらい朝飯前さ。だから……」
「い、いけません筒乃宮様。いくら何でもこんな場所で」
「大丈夫、この家はもう俺たち二人の『愛の巣』なんだから」
ぶちゅーと一人妄想の世界でファーストキスを成し遂げた瞬間、ちょうど目的地に着いたエレベーターの扉が開き、隣人のおばさんが小さな叫び声を上げていた。
もしかしたら自分の唇を奪われると思ったのかもしれない。
そんなわけないだろ! っと俺は心の中で勢いよく突っ込むも、まさかこんな恥ずかしい姿を見られると思わなかったのでそそくさとエレベーターを降りた。そして急いで我が家へと向かう。
「よし……」
重厚感抜群のいつもの扉の前で、俺はゴクリと唾を飲み込む。そしてドアノブに触れる前に髪型から足元まで整えた。……うん、靴の裏にガムついてるな。
勘弁してくれよ、と俺は買ったばかりの靴の裏をゴシゴシと地面にこすりつけた。すると不審者が家の前にいるとでも思われたのか、『誰ですか?』とインターホン越しに川波の訝しむような声が聞こえてきたではないか。
「お、俺だよ。筒乃宮だよ!」
何故か自分の家の前で正体を必死に主張する俺。すると『失礼しました』とすぐに返事が返ってきて、川波が駆け寄ってくる足音が扉越しに聞こえてくる。
落ち着け、ここからが本番だ……
もはや何一つシミュレーション通りにいっていないとはいえ、生まれ変わった自分をついに愛しのマイハニーにお披露目する瞬間、俺は静かに目を瞑る。
大丈夫、あの姫様西川だって今の俺のことをカッコいい(髪型は除く)と言ってくれたのだ。だからきっと川波だって……
バクバクと心臓の鼓動を耳の奥で感じながら、俺はゴクリと唾を飲む。
すると閉じた瞼の向こう側からカチャリと扉が開く音が聞こえた。そしてーー
「筒乃宮様、お帰りなさいま……」
扉が開いた直後、いつものように俺のことを出迎えてくれた川波の言葉が不意に止まる。そして時間が止まったような沈黙が辺りを包む。
やはり思った通り、ケタ違いにオシャレになった自分を見て、あの川波でさえも驚いているのだろう。
そう思った俺は閉じていた瞼をゆっくりと開けながら、「川波、実は俺……」と決めゼリフを口にしようとする。
だがその瞬間、先に相手の声が耳に届いた。
「筒乃宮様……もしかして川にでも落ちましたか?」
「……へ?」
カッコいいでもなく、似合っているでもなく、まったく予想もしなかった川波の第一声に俺は思わず目を見開いた。すると目の前では、自分の姿を頭の先から爪先まで何度も観察している川波。
ああ、なるほど。おそらくこの流れは……
「いや……べつに川に落ちたから服を変えたわけじゃないよ」
「そうですか。それなら良かったです」
俺の言葉を聞いて安堵するかのように息を吐き出す川波。……って、ちょっと待って。まさか俺が服を変えた印象の感想ってこのまま終わっちゃう?
さすがにそれだけはマズイ。と思った俺は、西川の協力が無駄にはならないようここは自分から感想を求める。
「その、ちょっとイメチェンっていうか、服装を変えてみたんだけど……ど、どうかな?」
「……」
本当なら「君に似合う男になる為にイメチェンしたんだ」とサラッとカッコ良く言うつもりが、まったく様にならないほどの挙動不審さで尋ねる俺。
すると再び俺の姿を観察した西川が、ぽつりと声を漏らす。
「……良いと思います」
何やらいつもより少し小声でそんな言葉を呟き、すぐに目を逸らす川波。
それが恥ずかしさからなのかそれとも興味がないからなのかはとても気になるところだが、とりあえず彼女の口から「良いと思います」とお褒めのお言葉をもらうことができたなら良しとしよう。
なんてことを無理やり思いながら、「そ、そっか。ありがとう」とぎこちない口調で返事をした俺は、そのまま玄関へと入るといつも通り靴を脱ぐ。そして鞄やら紙袋を持ってくれた川波と一緒に真っ直ぐにリビングへと向かう。
「今日は大森さんとお買い物をしていたのですか?」
「いやアイツはドタキャンしだから代わりに西川と買い物してたんだよ」
あの野郎、と再び大森への怒りを感じながらそんな言葉を口にした時、なぜか一瞬川波の足が止まった。
「……そうですか」
何やら少し気まずい間を作り出してから川波は言葉を漏らすと、そのまま再びリビングへと向かって歩き始める。そんな彼女の後ろ姿を見て、俺は「あれ?」と一瞬違和感のようなものを感じたのだが、気のせいだと思い川波の後に続く。
「筒乃宮様、何か飲まれますか?」
リビングに入り俺の荷物を一旦部屋の隅へと置いた川波がそんな言葉を掛けてくれてので、「いつもので頼む」と俺はバーの常連客のような台詞を言った後、ソファに腰掛けた。
川波、やっぱ今の俺の姿に驚いたのかな?
いつもとはどこか違う雰囲気を感じる彼女の後ろ姿に、ついそんな自惚を抱いてしまう。
そして服装を変えて少しは自信を持つことができたからか、俺は彼女との距離を縮めようと頑張って話しかけることにした。
「いやー西川のやつが俺の服を選んでくれるって言うから色んなお店に行ったんだけど、あいつの無茶振りがけっこう凄くて……」
相手との距離を縮めるならまずは世間話しが大切だと教えてくれた西川先生の教えを守り、そっくりそのまま彼女を話のネタに使って言葉を始める俺。
そんな自分に対して川波は黙って背を向けたまま、いつもと同じように飲み物を作っている。
「これが良いとかあれも良いとかいっぱい試着させてくるから店員さんも困っちゃって……」
「……」
まあ予想通りとはいえ、特に川波からの返事はなく少し焦りを感じ始めた俺は、何としてでも会話を広げようと言葉を絞り出す。
「しかも西川のやつ俺をイジったら面白いとか言ってちょっかいかけてくるし、挙句の果てに冗談で『付き合っちゃう?』みたいなことまで言ってくるんだよ。マジでありえな……」
ガシャン。
突如リビングに響いたガラスが割れる音によって自分の話が遮られた。
その音に驚いた俺は、「どうした!?」と言って慌ててソファから立ち上がる。
「し、失礼しました……」
珍しく動揺した声でそんな言葉を口にする川波の足元には、無残にも中身が飛び散り粉々になったグラスの姿が。
「大丈夫か!?」と俺はキッチンにいる川波の元まで急いで駆け寄る。
「申し訳ありません……すぐに片付け……」
「いいってそんなの後でも。それより川波の怪我が」
俺はそう言うと彼女の綺麗な指先から滴り落ちる赤いものを見る。おそらく割れたグラスを拾おうとして切ってしまったのだろう。
それでもまだ床に散らばったグラスの破片を拾おうとする川波に、「俺がやるよ」といって声をかけるも、彼女はなかなかどこうとしない。
そんな彼女の姿に、「川波は先に怪我の手当てを」と再び声をかけた時だった。
「だから大丈夫です!」
突然鼓膜を強く震わせるほどの怒った声がキッチンに響いた。
その瞬間俺は驚きのあまり、「え?」と声を漏らして固まってしまう。
グラスを割るようなミスをするのも、こんな大声を出して怒る川波のことを見るのが初めてだったから。
「か、……川波?」
動揺する俺が何とか彼女の名前だけを絞り出すと、川波はハッと我に戻ったような表情を浮かべる。
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