第21話 ラストアトラクション②
ガチャンと扉を閉められロックまでされた狭い室内で、俺は思わぬ形で川波との超密接密室時間を経験することになり頭が真っ白になる。
けれどももちろんそんな自分のことなどおかまいなしに、主人と家政婦を乗せたゴンドラはゆっくりと回転を始める。
「……」
早くも酸素を吸い尽くしてしまったんじゃないかと思うほどの息苦しい沈黙の中で、俺は姿勢良く座っている川波を真正面にして茫然と立ち尽くす。すると……
「筒乃宮様はお座りにならないのですか?」
「え、いや……」
不意に川波の方から声をかけられ、俺はぎこちない口調で返事をする。そしてゴクリと唾を飲み込むとほんのばかり逡巡する。
……さすがにいきなり隣に座るのはマズいよな?
川波が腰掛けている隣にできた小さなスペースを見つめながら、俺は思わずそんなことを考えてしまう。
夕暮れ色に染まる観覧車の中で、好きな女の子と二人っきり。これはもう男ならば隣にスッと座ってサッと肩を回してチュッとするぐらいの度胸が試されていると言っても過言ではない。
だがもちろんそんな度胸もスマートさも持ち合わせていないポンコツな俺は、「ど、どこに座ろっかなー?」なんて意味不明な独り言を呟いて川波からのお誘いを期待するも、彼女はいつも通りノーリアクションだったのでしぶしぶ真正面に座ることにした。そしてさっそくお得意の挙動不審さっぷりを発揮してそわそわとしながら口を開いた。
「か、観覧車とかすげー久しぶりだよな!」
「……そうですね」
閑話休題。
いや早いだろ。ってかまだ始まってもねーぞオイっ!
勇気を振り絞って発した俺の第一声は、氷柱のような鋭くクールな一言によってものの見事に撃ち砕かれてしまった。
が、しかし。こんな夢のシチュエーションが俺が生きている間に再び巡ってくるかどうかなんてわからない。
そんなことを思った俺は何としてでもこのチャンスを活かそうと、深海のような重苦しい沈黙を払拭するために必死になって頭を働かせる。
そんな自分とは対照的に、川波は特に沈黙を気にする様子もなく、何やら少し考え込むような表情で窓の外を見つめていた。
やっぱまだ気にしてるのかな……
どこか悲しげにも映るその横顔を見て、俺の脳裏によぎったのはやっぱりあのチャラ男たちとの一件だった。
普段感情を滅多に表に出すことがない川波だが、だからと言って彼女が何も感じていないわけではない。
むしろ感情を出さず口数の少ない彼女だからこそ、その心は俺や他の人たちよりもずっとずっと繊細で傷つきやすいことだって十分にありうるだろう。
俺はそんなことを思うと、再びムカムカと腹の底からこみ上げてきた感情を吐き出すように小さくため息をつく。あのバカでクズなチャラ男達には決してわかることはないが、川波の良い所は数え切れないほどあるのだ。
そう思った俺は無意識に下げていた視線を上げると、目の前に座っている川波の姿をもう一度見る。
そして彼女を励ますために喉の奥に用意した言葉を伝えようとゆっくりと唇を開きーー
「……」
あれ? おかしいな……言えないぞ。ではスッと息を吸い込んでもう一度、
「…………」
やっぱり言えない。ってか何だよこの超重苦しい雰囲気は! やめてくれよ、精神的な圧力が強すぎて声出ねーじゃねーかよオイっ!
川波に伝えたいことは山ほど込み上げてくるのに、悲しいかな、沈黙の重圧のせいで何一つ声にはならない。
そうこうしている間にもゴンドラは俺たちをどんぶらこどんぶらこと上空へと持ち上げていく。
このままでは会話なく観覧車が終わってしまうという最悪の展開を恐れた俺は、ここは切り口を変えて最強の助っ人の力を借りることにした。
「か、川波あのさ……これ」
俺がぼそりと呟いた言葉に、「え?」と川波がこちらを振り返る。その瞬間俺は真横に置いていた袋を手に取ると、それを彼女へとそっと差し出す。
「その、良かったら……」
受け取ってほしくて。という言葉は緊張し過ぎの為にほとんど声にはならなかった。
けれども俺が言わんとすることは伝わったようで、不思議そうな表情を浮かべながらも川波は両手で袋を受け取る。そしてゆっくりと中を覗き込んだ。
「これって……」
袋の中からおサルの人形を取り出しながら川波が驚いたような表情を浮かべる。その瞬間重苦しい空気にほんのわずかな亀裂が入ったと感じた俺は、ここがチャンスだとばかりにすかさず口を開いた。
「そ、その俺さ……あんまり上手くは言えないんだけど」
先ほどよりもさらにたどたどしい口調で話し始める自分に、川波は手に持っていたキーモンから視線を上げて俺の顔を見つめる。
「川波って頭も良いし運動もできるし、料理だって上手いし何でもできるだろ。だ、だから俺とは違っていっぱい良いところ持ってるから他の人間に何を言われても別に気にすることないっていうか何というか……」
「……」
ゆっくりと回転を続けるゴンドラの狭い室内に、俺の不格好な声だけが響く。夕暮れが色濃くなっていく中、川波は静かに俺の言葉に耳を傾けていた。
「俺はその、愛想が良い奴が良い人間だとは別に思わないし、むしろ川波みたいにいつも落ち着いてて冷静な人の方が信頼できるというか……だからその……」
頭の中では論理立てて川波に伝えるべき言葉をまとめているものの、それは唇から溢れれば溢れるほど何故か思い通りのセリフになってはくれない。
それでも俺は川波に伝えたい気持ちを、川波に理解してもらいたい彼女自身の魅力を、何とかしてでも声にしようと必死になって言葉を紡ぐ。
「無理に愛想良くしなくても川波は良いところをたくさん持ってるし、川波が本当に笑いたい時に笑えばいいと思う」
それに、と言葉を区切った後、俺は覚悟を決めるようにすっと息を吸う。
そして黙ったままの彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「川波が笑えるようになる日まで、俺はずっと待ってる」
「……」
込み上げてくる想いがそうさせたのか、俺はいつになく力強い声音でそんな言葉を口にした。
その告げた言葉の意味を吟味するかのように、ゆっくりとまつ毛を下ろして目を閉じる川波。
自分たちしかいない小さな世界を、先ほどとは違う意味を持つ沈黙と鮮やかなオレンジ色の光だけが満たしていく。
「なんだか……懐かしいですね」
「え?」
不意に聞こえてきた川波の言葉に、俺は思わず間の抜けたような声を漏らす。視線の先では、そっと瞼を上げて窓の外を見つめる川波の姿。
ちょうど頂点を迎えたゴンドラの窓から差し込む夕陽が、彼女の綺麗な横顔を撫でるように縁取る。
その光景を見た時、俺は何だか不思議な既視感に包まれた。
「……川波?」
どこか懐かしい景色でも見つめるかのように目を細めて窓の外を眺める川波。心なしかその口元は、さっきよりも随分と柔らかくなっているような気がした。
俺は彼女が何か大切な話しでも始めそうな気がしたので静かに耳を傾ける。
すると川波が小さく息を吸った後、ゆっくりとその潤んだ唇を開く。
「筒乃宮様は……」
何やら決意めいた声音で、川波が俺の名前を呼ぶ。
夕陽がそう見せるのか、その頬はいつもより朱色を帯びているような気がした。だからだろうか。
俺はそんな彼女の姿を見て、思わず顔に熱が集まっていくのを否が応でも感じてしまう。
これは……もしかして……
自分たちの関係が何か決定的に変わりそうな予感がする中、俺は無意識にゴクリと唾を飲み込む。
今日まで一方通行だと思っていたこの気持ちは、もしかするとこの幻想的なシチュエーションの中で奇跡的な展開を迎えるのかもしれない。
普段の俺ならば真っ先に否定してしまいそうなそんな可能性が、何故かこの瞬間だけは本当に起こってしまいそうに思えた。
そしてその答えを告げるかのように、俺に真っ直ぐな瞳を向けながら川波が再びゆっくりと唇を開いてーー
ガコン。
「…………へ?」
突如俺の耳に届いたのは、川波の甘い声音ではなく、どこか不気味な機械音だった。そしてその直後。俺はわずかに揺れたゴンドラの窓から見える景色が、何故か静止していることに気づく。
……まさか。
一瞬にしてロマンチックな世界からパニック映画のような世界に叩き落とされた俺は、とりあえず少し冷静になろうと大きく深呼吸をする。目の前では川波も珍しく目をパチクリとさせて辺りを見渡していた。
俺は今自分の頭の中に浮かんでいる最悪の可能性を自ら否定する為に、そっと立ち上がると窓の外に映る景色に視線を移す。
……うん。間違いなく止まってますね、この観覧車。
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