第2話 伽婢子


 初めてこの部屋に連れ込まれた人が怯えるのは仕方が無いと思う。埃っぽい部屋にモップや壊れた扇風機やいつのか知らないカレンダーが雑居する中、人の形をした紙や、御幣や陰陽五行説の図が描かれた紙が散乱し、至るところに怪しいものが落ちている。いかにもな水晶からよく分からない御札まで、見慣れてしまえばそれきりだが、初めての人は「危ないところに来てしまった」がまず最初の感想だろう。

「なぁ、藤原、これ……」

「いや分かるよ。言いたいことは分かるけど、本当に一瞬でいいからさ、ちょっと話し欲しいんだ」

 今すぐ荻原某を呼んでおいで、話がしたい。早く!と珍しく急かされ、慌てて講内を探し回り、連れてきたものの、本人もさっぱりだろう。

「名前は?」

「あ、俺のですか?荻原新(あらた)と申しますが……。いきなり連れて来られて、用も分からないのですが。なんでしょう」

 荻原は癖毛のある茶髪をゆるゆると撫で付け、背負っていたリュックを下ろした。先輩もまあまあ背丈はある方だが、荻原は先輩よりも長身で、180cmはあるだろう身体をガラクタの中になんとかして収めていた。

「ああ、用と言うのは、君の想い人は死人だと藤原が言うものだから、確認したくてね」

「安倍先輩!」

 先輩は単刀直入にそう切り出した。が、まだそのことは自分の口から言ってない。

「は?」

 荻原が怪訝な顔をする。そりゃそうだ。

「ちょっと待ってくれ、荻原!ごめん、ちゃんと説明するから!」

「あれ?言ってなかったのかい?まどろっこしいな、全く。これだから藤原くんは気が効かない」

 どんどん荻原の顔が強張る。

「は?何?お前、藤原。変な冗談はやめろ」

「待って」

 誰が面と向かって「お前の彼女死んでるのでは?」とか言えるか! 困って横目で先輩を見ても「はよ、説明しろ」と澄まし顔だし、目の前の荻原はキレる寸前である。    

 はい、分かりました。説明します。


「昨日、荻原に彼女の名前聞いただろ?それで二階堂弥生って。もしかしたら同姓同名なだけかもしれないけど、その子と高校が同じで、交通事故で亡くなったって聞いたことあるから。荻原の話を聞く限り、年齢も同じ同級生で高校も一緒、の確率が高いと思う、から。確定したわけじゃないけど」

 なるべく顔を合わせないように、握った手を見ながら恐る恐る話した。誰だって、いきなり彼女が死んだ人なんて言われても理解し難い。むしろ激昴する可能性の方が高いだろう。「けど弥生は俺に会いに来て」

「そうなんだけど。うん、単に同姓同名の可能性もあるから、なんとも言えないけど、年も同じだから、なんとなく。あ、でも、親しくはなかったし、あんまり話したことなかったから、噂で知っていたというか」

「なら確定じゃないか」

「先輩黙って!」

 慌てて先輩の口を塞ぎながら、荻原の顔を窺い見る。荻原は可哀想に顔を青くして、胡乱な目をしていた。

「でも弥生は、自分のことは弥生って」

「だから、まだ決まったわけじゃなくて」「ほぼ決まりでしょうに」「じゃあ弥生は誰だって言うんだよ!」

「先輩黙って!荻原ごめん」

 先輩はわくわくしながら聞いているし、荻原はさっきと打って変わって顔を赤くしている。真ん中にいる僕はどうしようもない。

「とりあえず確かめることだね。相手の住所は知っているんだろう?」

「まぁ、近くまで送り届けたことがあるから……」

「よし、そうと決まれば行くしかない」

  先輩は周りのガラクタを丁寧に踏み越えながら、荻原と僕の手を引いた。荻原は明らかに嫌な顔をしていた。あとで額に跡がつくほど深い土下座をしようと決意した。


 電車に乗って三十分、そこから十分ほど歩いたところに、二階堂という表札が出た小さな一軒家があった。

「見つかったものの」

「弥生さんは生きていますか?なんて聞けないし」

「とりあえずものは試しだよ」

 そう言って先輩は躊躇わずにチャイムを鳴らした。閑静な住宅街にピンポーンと間延びした音が響き、不自然に緊張する。 しばらく沈黙が続いたかと思うと、不意にドアが開いた。思わず息を詰める。

「あの、どなた様ですか?」

 おずおずと、婦人が顔を出す。小柄で小綺麗な格好をしているがその顔は心無しか、疲れて見える。

「いきなり不躾にすみません、近くに引っ越してきたもので、とりあえず挨拶回りに、と」

 先輩は平然とすらすら嘘をついた。荻原の前でのどストレートな物言いとは大違いだ。

「ああ、そうなんですね」

 しかも前述した通り、先輩はそれなりに顔が良いのである。普段はばさばさと箒のように振り乱している髪も、いつの間にか纏めていたようで、さっぱりした好青年の印象を与える。何でだ。

「大学生なんですけど、周りにいなくて不安になっていたのですが……」

 さらに先輩が仕掛ける、とふと婦人の顔が曇り、

「大学生くらいの娘はいません。ああ、でも今年高校生になる娘が……」

 婦人はそこまで言って、喋り過ぎた、というように口を閉ざすと、すかさず先輩が「では会えたら挨拶してみます。ありがとうございました!」と切り上げる。先輩が他の人と話しているところなどほとんど見たことないが、思いのほかテンポよく上手く話すもので、関心してしまう。

 婦人の「大学生くらいの娘」という発言は分かりやすくダウトで、わざわざ「娘」と限定したのは、過去にいたことからだろう。それにしても、先輩は詐欺師になれそうだ。本当に今後壺を買わせられるぁもしれない。

 そのときちょうど、婦人の後ろで「お母さん、誰?電話鳴ってる」と呼ぶ声が聞こえた。あれが、今年高校生になるくらいの娘だろう。婦人はそれに気づき、またおずおすとドアを閉めかけ、後ろにいる僕らに目を留めると、手を止め眉を上げた。

「あらたちゃん……?」

その視線は荻原に向いている。つられて荻原も声をあげた。

「やぁちゃんのお母さん……」


この奇跡の再会は何を意味するか、僕も先輩も何も分からなかった。ただ、その後弥生さんのお墓に案内されたときに見えた、花柄の灯籠と白い奇妙な人形が頭から離れなかった。


「荻原くんはつまり、幼い頃に二階堂弥生と会っていたと」

 再び大学に戻り、事情聴収だ。

「情けないことに今まで忘れていたんですけど、家が隣同士だったんです。それで三年くらい一緒だったかな?幼稚園児の間くらい。そのあと引っ越してしまったんですけど。名字も変わって境遇も変わったみたいで気づかなくって、名前を聞いてもピンと来なかった」

 そもそも、やぁちゃんって呼んでたから……と荻原は口ごもった。

「けれど、本当にやぁちゃんなら、見れば気づいたと思う。あと、声聞けば分かるよ」

 そこまで言って、荻原は目線を落とした。知っている人が亡くなったという事実を認識するのは、気が重いだろう。

「君と、弥生さん、ではないから、なんと言おうか、今一緒にいる女?の馴れ初めを聞かせて欲しい」

 先輩はずばずば行く。口は上手いんだろうけど、デリカシーが無いのだろう。

「今会っている女」

  荻原はやっとことの事態を飲み込めたらしく、肩を小刻みに震わせながら話始めた。

「会ったのは、たまたま学寮に帰るときの道で、綺麗な人がいるな、と。たまたま元カノと別れたばかりだったので、心惹かれて。酔った勢いもあって話しかけました。八月のお盆あたりだったような」

 荻原はゆっくりと整理するように、話した。

「耳が不自由みたいであまり喋らない子なんですけど、かわいくて、あっそれでその日は夜遅かったから学寮の部屋に泊まってもらったりして。ちょくちょく会うようになって。今では毎日のように」

 そこまで言って固まった。そりゃそうだ。毎日部屋に通ってくる女が、死んだ幼馴染みの名を名乗っていることを知れば、あまりの気味悪さに耐えられないだろう。

「しばらくはうちにいなよ」

 あまりにも可哀想で助け舟を出すと、荻原はしおらしく頷いた。ここまで来ればさすがに同情する。

「そうだね、とりあえずはドアの壁に張り紙でも貼っておけばいいよ。しばらく留守にします、とか。あとは携帯で消息辿られないように」

 先輩はまだ何か考える素振りをしながら、そこら辺にあった紙に適当に五芒星を書いた。

「これも役立つから貼っておきなさい。安倍晴明の生まれ変わりが書いた五芒星だ。効かないことは無い」

 そう言って、荻原の手元にぎゅうと押し付ける。しばらく真面目に見えたので忘れていたが、先輩はこういうところがあった。放心状態の荻原は素直に受け取った。


 荻原は貼り紙と一応五芒星を壁に貼り、一切の連絡を断ち、しばらく僕の部屋に篭っていた。すると、隣の荻原の部屋に立ち寄る足音が消え、気配も全く無くなった。僕はついに一度も会わずに済んだ。


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