第54話 最終話
長い冬が明け、ミモザの花が咲き始める頃、フランネア帝国の社交シーズンは始まる。自身の領地に戻っていた貴族たちは帝都のタウンハウスへと居を移し、各々社交を始める。
春を迎え、社交シーズンの開始を告げる最初の舞踏会は毎年アドルファス宮殿で催される。シーズンオフの間に大きな出来事が二つあったため、今回の舞踏会への参加はほぼ全ての貴族にとって特別なものになるだろうと予想された。
まず、皇帝のリチャードの退位が決まり、皇太子であったウィルバートが皇帝として即位した。元皇帝はルスネリア公爵の専横を許し、友好国との軋轢を生む危険を孕んだ事件を誘発した責任を取って退位。国民の中でも可もなく不可もなく、という印象しかなかった皇帝であったので、大きな波風が立つこともなく、国民は喜んでウィルバート皇帝の即位を歓迎した。
次に、皇帝が退位する原因ともなった三大公爵家であるルスネリア公爵家が領地を取り上げられ、当主一家は不毛の地が広がる北の地へと幽閉された。一人、難を逃れた形となった元義娘のティアナは、亡くなったとされていた実母であるプロスペリア王国のマリア女王の即位と共に王女としての身分が正式に認められ、名はティアナ・プロスペリアと改められた。ブランシュの専属デザイナーとして才能を発揮する一方、今や貴賤問わず大人気となっている小説「神恋」の実在する女神としても人気を博し、一躍時の人となっている。
皇帝の退位やルスネリア公爵家の没落というセンセーショナルなできごとがあったのに、そこまで国中が震撼しなかったのは、ひとえにティアナの存在があったからという一言に尽きる。難しい政治的なできごとはお上に任せておけとばかりに、多くの国民の関心は新皇帝と女神の恋模様に注がれていた。
一挙手一投足が大注目されているティアナであるが、今一番の話題は彼女が将来の伴侶に誰を選ぶかということである。幼馴染みの隣国王子、ずっとそばで守ってくれた美形護衛騎士、ダークホースの皇太子側近二人、そして大本命がフランネア帝国現皇帝である。解消されたと思われていたティアナとウィルバートの婚約であるが、なんとウィルバートの必死の抵抗で最後の書類の受理だけは差し止められており、したがってアマンダとの婚約も最初からされていなかったことが正式発表された。
「神恋」ファンの中では「女神と皇帝カップル推し」が大多数を占めるが、女神と他のメンバーとのカップリングを推すファンも根強くいた。それは、ウィルバートが一度女神との婚約を解消していることが引っかかっており、そんな軽率な男に女神は渡せない!と言って憚らないファンが多数いたからだった。だが、実際はティアナとウィルバートの婚約は彼の意地で解消されていなかったことがわかるや否や、一気に形勢は「女神と皇帝カップル推し」の独壇場へと傾いていった。内心、国民の多くが自国の皇后に女神を欲していたためである。それほどにティアナのカリスマ性はフランネア帝国に影響を与えていた。
また、なんだかんだで皇太子はフランネア帝国の多くの国民に愛される皇子であったことも特筆すべき点であろう。国民感情とすれば、皇太子には愛のある結婚をしてほしかった。たまたま彼が恋した女の子が隣国の王女で、自国の三大公爵家の血も引いている、美人で気立もよく、才能にも溢れる女神であった。血筋は高貴だが長年平民として暮らしていたので平民と同じ目線で物事を考えてくれる、国民からすると文句のつけようのない素晴らしい女性だった。つまりは反対する理由がないのである。女神には是非うちの皇帝陛下に嫁いでほしい。世論はその方向へまとまりつつあった。
そんな状況の中、フランネア帝国の社交シーズンは幕を開ける。シーズン初めのアドルファス宮殿での舞踏会でエスコートを務める人こそがティアナの選んだ相手であるともっぱらの噂である。
世間の関心を一身に集める女神は、他人のドレス作りに奔走していた。シーズン初めなのでブランシュは一番忙しい時期なのである。一心不乱に受注を受けたティアナモデルと名を冠するドレスの仕上がりを最終チェックする傍らで、ミリアーナがティアナのドレスの最終チェックをしている。混沌とした状況がそこにはあった。
「もうー! ティアったらまた痩せてるじゃない! これじゃいくら調整しても終わらないじゃないのー! 当日までもうこれ以上痩せないでよ! 今がベストなシルエットなんだから」
「そう? ちゃんと食べているのにね? なんでだろう? ごめんね。気をつけます」
「頼むわよー。これ以上はちょっと不健康に見えちゃうわ。なんか顔もやつれてない? 一生懸命お手入れしているシルビアたちが泣いちゃうわよ」
ティアナは元ルスネリア使用人連合とブランシュの有志(ほぼ全員)によって身体と装飾品のすべてを徹底的に管理されていた。それでも、ティアナが働き者すぎる弊害は防ぎきれていなかった。ちなみに、シルビアたちというのはティアナの肌担当の使用人たちのことである。
「これが最後のドレスだから。大丈夫! お肌もこれ以上悪くなることはないわ」
ティアナはギリギリまで調整していたドレスを名残惜しそうに撫で、納品担当の従業員に引き渡した。
「当日が楽しみね」
「ええ」
「誰にエスコートしてもらうかそろそろ決めた?」
「……うん。決めた」
「へえ! やっと決まったんだ!」
フランネア帝国では、会場までは親族にエスコートしてもらい、親族以外の婚約者などにエスコートしてもらう場合は会場で落ち合うことがマナーとなっている。
ティアナをエスコートしたいと申し出る男性がたくさんいたため、嫉妬にかられたウィルバートが「公平を期すため」と称して、当日、会場でティアナにエスコートを申し出て、その場でティアナに選ばれた人がエスコートできることにしようと勝手に取り決めてしまった。前代未聞である。
***
舞踏会当日のティアナは完璧な美しさだった。アイボリーの繊細な刺繍がされた生地に、上半身からドレスの裾に向かって紫色の花が咲き乱れている様子は圧巻の一言である。この花はうさぎ耳のアイリスという名の花で、花言葉は「幸せはあなたのもの」なのだと今回デザインをしてくれたアンジェリーナが熱弁していた。とても美しいドレスを仕立ててもらって、ティアナは感激して泣いた。ドレスの最終調整兼化粧担当のミリアーナが焦りながら化粧を直してくれた。ごめんなさい。
会場までエスコートしてくれるのは、このためだけに来国してくれたマリウスである。
「ティア、本当に綺麗だ。このままプロスペリア王国に連れて帰りたいくらいだ」
「それもいいのですが、今日はちゃんとみなさまにご挨拶すると決めてきましたので、また今度」
「そうか。残念だな。でも、こんなに美しい姪をエスコートできるなんて叔父冥利に尽きるよ。さあ、お手をどうぞ」
大勢の人の視線を一身に集めながらアドルファス宮殿の中の舞踏会会場にたどり着くと、ティアナのエスコートを希望する男性たちが並んで待っていた。周りの招待客たちが固唾を飲んで見守る中、ティアナは彼らの目の前まで足を進める。
「ティア、俺を選んでくれ。幸せにすると誓う」
幼馴染みで兄のように慕っていたレオナルド。
「ティアナ、これからも私にあなたを守らせてほしい。どうか、私の手をとって」
いつもそばで見守ってくれたサミュエル。
「ティアナ嬢。もしこの手を取ってくれるなら、私はあなたをもう二度と離せない。よく考えて選んで」
今やフランネア帝国の皇帝となった元恋人のウィルバート。
ティアナは一歩踏み出して、その中の一人の手をとった。
「
Fin.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます