第8話妖魔退治1回目(2)

 紅茶文俊ホンチャ・ウェンシュンが村長と話をつけ陰摩羅鬼おんもらき騒ぎが起きている村に向かったのはそれから三日後のことであった。


 仙洞門から徒歩で四時間ほどかかる山の谷間に集落はあった。仙洞門に比べればこじんまりとした集落である。

 村の入り口で、数名の村人がマリエッタ達を出迎えた。


 村人達の中心に立っていた初老の男性が進み出て拱手した。


「村長のホンです。このたびは我が村のために仙洞門の方々がわざわざいらっしゃりありがとうございます」


「調査団の長をしている紅茶文俊ホンチャ・ウェンシュンと申します」


 紅茶文俊ホンチャ・ウェンシュンはマリエッタたちよりも少し年上といったところの穏やかな顔立ちの青年だ。

 楽紅夏氏の門弟で普段は本拠地である紅鳳凰で妖魔退治の任務に当たっているが今回はマリエッタ達の任務の補佐としてしばらく仙洞門に滞在する。

 もっとも、マリエッタはいつ紅茶文俊が来たのか知らない。いつのまにか仙洞門にいたのだ。


 文俊に並ぶように一歩前に進み出て、炎輝は拱手した。


「さっそくですが、村の調査をさせてください」


「もしや、羽黒辰氏の若様ですかな?」


辰炎輝チェン・イェンフィと申します」


 紅村長が嬉しそうに炎輝に話しかけているのをマリエッタは隣に立っている桃高長に小声で尋ねる。


「炎輝ってそんなに有名なの」


「羽黒辰氏の若様といったら兄共々有名だな」


 高長は不機嫌そうに答えた。マリエッタは複雑な感情があるんだな、と思ったが口には出さずさらに問いかける。


「みんなが炎輝の顔を知っているわけじゃないでしょう。……あ、服装か」


 マリエッタの気づきに高長の逆隣にいる思月娥が答える。


「そ。私たち仙洞五氏の直系が着る服と、仙洞五氏の門弟では色は同じでも造形が違うからね、すぐにわかっちゃう」


 マリエッタ達の前に立っている文俊は楽紅夏氏の門弟であるので紅色を基調とした服ではあるが家紋である鳳仙花紋の染めが小さい。

 逆に、羽黒辰氏の直系である炎輝の服装は黒を基調として家紋である椿紋は大きく染め抜かれていた。


「なるほどね。だから『羽黒辰氏の若様』か」


「とはいえ、炎輝や私たちの服装はまだ『子供の証』なんだよね-。仙洞門で一人前になったらまた着る服が違うの」


「え?そうなの?」


「もうちょっと華美になるかな」


 藍天李氏の直系であり、修行中の仙洞門門弟からは「師父」と呼ばれている李書維は、藍色を基調とした服装に小手毬紋を染め抜いていて、甥っ子である李芳明よりは華美な服装をしていた。

 華美とはいっても、マリエッタからしてみれば素敵な大人の装いに見えた。


 マリエッタ達が小声で雑談をしている間に村長との話がまとまったようだ。

 炎輝が不機嫌そうな表情でマリエッタを見据えた。雑談していたことが筒抜けのようだ。


「マリエッタ、俺と山を駆ける。他の三人は村の調査だ」


「山を駆ける?!」


「あーあ、一番きっついのに当たったね。ま、頑張ってよ」


 月娥達は自分が指名されたら、かなわないとでも思ったのかさっさと三人で村の有力者達に村内を案内してもらっている。



 山を駆けるというとんでもない提案にマリエッタは恐る恐る炎輝に問う。


「本当に山を駆けるの?」


「駆けるというか飛ぶ」


「え?」


 マリエッタが『何を言っているんだこいつ』という表情で驚くと、炎輝は不思議そうに首を傾げた。


「え?」


「空を飛ぶとか普通にできませんけど」


 マリエッタは「人間が空を飛ぶ」ことが常識だとは思っていない。


「天笛を持っていないことを失念していた。来い」


 炎輝はマリエッタの右腕を取り引き寄せる。マリエッタの腰に手を回した。


「えっ……ちょっと!」


 急に引き寄せられてマリエッタがうろたえていると、足の裏に地面の感覚がなくなった。マリエッタが足下を覗くとふわり、と中に浮いている。


「うわ。空を飛んでいる」


 肩より短いマリエッタの金髪がふわふわと揺れる。物珍しそうにきょろきょろするマリエッタを微笑ましそうに炎輝は見つめる。


「そのうち飛べるようになる」


「天笛があれば飛べるの?」


「天笛とは羽黒辰氏一門なら持っている横笛だ。術を使うための補助道具の役割がある」


 マリエッタは炎輝がいつも腰からぶら下げている横笛に視線を移した。一見すると単なる横笛だがそんな秘めた力がある。


「五氏一門になれば何かしらの補助道具がもらえるはずだ」


「どうやったら一門になれるの?」


 マリエッタは炎術に開花したが相変わらず灰色の服を着ている。


「実力を示すしかないな」


「で、何を探せば良いの?」


 村の裏手にある山を飛行しているが、炎輝が降りる気配は無い。


「呪術を使った跡だ。人が人為的に陰摩羅鬼おんもらきを呼んだのか確認する」


「術を使った跡なんてすぐにわかるかしら?」


「不自然に妙に規則的に石や枝が並んでいるとか、たき火の跡でも良い」


「なるほど」


 マリエッタは炎輝に支えられているのを良いことに覗き込むように身を乗り出す。


「あまり身を乗り出すと落ちるぞ。お前が自力で飛んでいるわけではないから」


 炎輝が慌ててマリエッタを引き寄せる。炎輝に注意されマリエッタは身を起こした。ちょうど抱きしめるような状態になり炎輝は慌てた。炎輝の耳は赤い。


「あまりくっつくな!適正な距離を保て」


「何言ってんの。離れると落ちる、近づけば離れろとか」


 マリエッタはにやにや笑いながら炎輝に抱きつく。


「しがみつくな」


 炎輝がマリエッタを引きはがす。


「あ、見てあそこ!」


「たき火の跡に……何かの術式の行使した跡か?」


 炎輝は飛行術を解いてゆっくりと地面に軟着陸した。マリエッタが興味津々でたき火の跡に近づこうとするのを炎輝が腕を引いて止める。


「待て。何か発動するかも知れない」


 炎輝は地面に転がっている石を拾い、たき火の跡に向けて投げる。何も起きない。続いて何かの儀式の跡に向けて石を投げた。


「大丈夫そう?」


「なにも無いようだ」


 マリエッタと炎輝が術式の跡の方へと歩いた。規則正しく同じような大きさの石が並べられている。地面には文字が書かれている。枝で書いたようだ。

 マリエッタには何と書かれているかわからない。炎輝にはわかるようでどんどんと眉が寄せられていく。


「これは何の術式の跡?」


「最近の術式の跡だが……あまり良くない物のようだ」


 炎輝は袖から小さな石を取り出して術式跡の近くに放り投げるとマリエッタの腰に手を回した。二人で宙に浮き上がる。


「紅茶老師に相談しよう」


 来たときよりも速い速度で飛行しあっという間に二人は集落に戻った。




 マリエッタ達が山を駆けている頃、月娥達三人は村の有力者に村内を案内してもらっていた。小さな集落ではあるが村の周囲に畑を作り、自給自足の生活をしているようだ。何度も手入れをしている用水路が畑の横にある。

 土地は細いようで、稗や粟などの雑穀を育てているようだ。


「のどかな良い村だね」


 水車から流れる水しぶきをみながら、芳明は言った。


「李家の若様にそう言っていただけるなんて光栄です」


「この間は断られた妖魔が出始める直前に亡くなった者の家に案内してもらおう」


 高長が威圧的に言うと、以前来たときは案内を渋っていたのが嘘のようににこやかに微笑んで、案内を始めた。


「それでは、こちらに」


 村の集落から少し奥まったところにある一軒家だ。すぐ裏手がマリエッタと炎輝が駆けている山である。



 平屋の一軒家で二間だ。村人達の平均的な作りの家だが、生活用品がなくがらんとしていた。空き家物件の見学に来たような感じだ。


「中に何も無いわ」


 月娥が部屋の中に入るなり言った。本当になにもないのだ。人が生活していたようには見えない。


「ここで確かに生活をしていたんだな?」


 高長が村人に念を押すが、返ってきた答えに驚く。


「もちろんでございます。村の規律に従って亡くなった者の持ち物はすべて焼きました」


「焼いた?」


「それが、何か?」


 村人は不思議そうだ。持ち物をすべて焼くことに疑問を持っていない。


「手紙や書の類いも全部?」


 月娥の問いかけに、村人は恭しい態度をしながらも馬鹿にしたような返答をする。


「思家のお嬢様は貧乏人など相手にしたことは無いのでご存じないでしょうが、我々のような者は浅学で文字を読むことも書くこともできません。書は持っていませんし、手紙など来るはずもありません」


 村人の回答に怒ったのは、月娥ではなく高長である。剣を抜かんばかりの剣幕で言った。


「思月娥を侮辱することは我が桃家を侮辱することと同じと思え」


 高長の隣にいた芳明も同じように剣に手をかけている。

 村人は大して悪びれた風でも無く拱手しながら言った。


「申し訳ありません、そのようなつもりは」


 高長も事を荒立てたところで解決する問題でも無いので話題を変えた。


「主上からのお触れはどうしている?」


「お触れを配る役人が詠み上げます」


「書や手紙の類いが無いのならば、何を燃やした?」


「衣服です。死者の衣服を残しておくと衣服に霊がつくと申しますし」


 実際に衣服に霊が取り憑くと言ったことはあまり起きないが、そういう噂は民衆の間では根強く信じられている。


「他には?」


「箸と椀ですね」


「彼が死ぬ前におかしな様子だったとかは?」


「さあ?どうでしょう」


「……わかった。あとは我々だけで調査をする」


 高長は村人を追い出した。また余計なことを言って不愉快な思いをしたら問答無用で切り捨てそうだったからだ。

 村人は拱手して出て行った。


「どうするの?この後」


 月娥は何も無い部屋をぐるりと見渡して言った。


「この家は二間だけ。そのどちらにも生活感が無い。……墓はどこにあるんだ?」


「野辺送りだそうよ」


 野辺送りとは、村で葬送の場を決めてありそこでまとめて葬る方法である。個人の墓は存在していない。


「ますます陰摩羅鬼おんもらきが出てもおかしくはない……か。ここで生活していた男は生計を何で得ていたんだ?」


 村人からは、他の農民達の農作業の手伝いをして生計を立てていたと説明を受けている。自給自足でなんとか生活しているような村でそのような方法で生活が成り立つのか、高長は疑問である。


「みんなと同じように田畑を耕しているのなら、鍬や鋤などの農耕具があっていいはず。まさか燃やさないよね?」


「普通は村内の誰かが引き取るだろうな。こんな山の中なら農耕具も貴重だろう」


 芳明の問いかけに高長が答えた。家の中にいてもこれ以上新しい情報は出てきそうに無いので三人は家の外へ出た。


 すると、ちょうど山の方から空を飛んで炎輝とマリエッタが帰ってきた。


「あら?炎輝達が戻ってきた。何かあったのかしら?」


 空を見上げた月娥が言った。炎輝がマリエッタを支えながら飛んでいるので「相変わらず仲が良いわね」とつぶやいた。

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