第5話
その後もダレル様とキャロルさんの噂はたびたび耳に入ってきた。
もちろん気安く王太子に話しかけるのは、身分関係なく学べる権利を全員に与えられた学園の中といえ常識知らずというかマナー違反の行い。
けれどキャロルさんは平民育ちのためか、そういった常識の外にいるのだ。
自由奔放で無邪気。そんなところが高貴な家柄の男子たちには響くようで、彼女は一部の男子生徒たちの間で天使と呼ばれ人気を誇っているらしい。
それがまた女子生徒たちの反感を買うという悪循環だった。
「可愛いよなぁ、キャロル嬢」
「だよなぁ、でもダレル殿下のモノだからなぁ」
「彼女が追いかけてるだけだ、まだおれにもチャンスはあるさ。キャロル嬢がいくら望んでも殿下にはエリーザ嬢がいるんだから」
男子生徒たちがヒソヒソと廊下の隅で噂話をしている。
あまり耳に入れたい話ではなかったけれど、そこを通らないと次の移動教室へ行けないので、気まずくならぬよう私はなるべく気配を消しながらそこを通ることにした。
「それがさ……違うらしいぞ。熱をあげているのはむしろ殿下のほうだって」
「えぇっ、つまり殿下がキャロル嬢に夢中ってこと? じゃあ、キャロル嬢は未来の側室かぁ」
「結婚前から別の女が寵愛を受けてるとか、エリーザ嬢も不憫だなぁ」
「ちょっとあなたたち! 失礼なデタラメ言わないでくださる!」
こっそりと通りすぎたかったのに一緒に移動教室へ向かっていた友人の一人が眉をつり上げ男子生徒に噛みついた。
「げっ、エリーザ嬢!? す、すみません!」
「いえ、お気になさらず」
「エリーザ様! 根拠のない噂を流す者たちを放っておいてはなりません」
「別に根拠のない噂ってわけじゃ。一応本人が言ってたのを聞いたんだし」
「っ……」
本人が? つまりダレル様はキャロルさんを望んでいるの?
ぐわんと一瞬視界が歪む。
「殿下がそんなことおっしゃるわけないですわ!」
「違うキャロル嬢が言ってたんだよ」
「まあ、あの子の言うことを信じるなんてバカじゃないの!」
「なんだと!」
友人たちがなにやら言い合いをしている声もすでに私の耳には届いていなかった。
それからはどうやって移動教室に行ったかも覚えていないし、気がつけば放課後になっていた。
ダレル様と私の婚約は家同士が決めたもの。けれど貴族の間ではそんなの当たり前の事ですし、それでも夫婦になり愛し合っている方たちを私はたくさん見てきたから。
いつかは私もダレル様に愛されるに相応しい女性になりたいと願ってきた。だから王妃教育も淑女としてのマナーも、完璧を目指して頑張ってきたのです。
けれど、ダレル様が求めていたのはそんなことではなかったのかしら。
無邪気で笑顔が愛らしくて、そんなキャロルさんのような女性を彼は求めていたのかもしれない。
「ふあ~」
寮からの登校中、淑女らしからぬ大きなあくびが思わずでてしまい、私は慌てて口を閉じる。
最近、寝付きが悪い。原因は分かりきっているのだけれど。
あの噂を聞いてから数日。私は一人でもんもんと悩むことしかできていなかった。
情けない、です……
「でっかいあくびだな。気抜きすぎ」
「きゃっ」
驚いて顔を上げると意地悪な笑みを浮かべたオスカーがいた。
見られたくない人物に見られてしまったわ。
彼は学園でダレル様の側近を任されている騎士として名高いベルナップ家の次男で、私の幼馴染みでもある。
幼馴染みといっても幼少期をべったり共に過ごした訳ではなく、幼い頃からの顔見知りという表現がしっくりとくる間柄なのだけれど、彼は誰に対しても遠慮がない性格をしているから。
「眠そうだな。夜遊びでもしてたのか?」
「まさか! 貴方じゃあるまいし」
オスカーはダレル様の側近のくせになかなかのプレイボーイだ。狼みたいにワイルドな雰囲気と、それでいて人懐っこい笑顔が女性を惹き付けモテるらしい。まあ、第一優先はダレル様で、上手に空いた時間を使い遊んでいるだけみたいだから私がとやかく言うことはないけれど。
「少し……最近寝付きが悪くて。それだけよ」
「ふーん」
「そういう貴方はなぜ一人なの? ダレル様の護衛は?」
この学園は警備が行き届いているのでそこまで心配することはないのだろうけど、彼は意外と真面目なので登校時はぴったり護衛していることが多いのに。
「いつもの時間に部屋に行ったらいなかった。ありゃ、女のところだな」
「えぇっ!?」
やはり噂は本当で……お二人はもう朝まで共に過ごす仲、なの……?
「ハハ、ていうのは冗談できっと花園だろ」
からかわれたわ。女のところと言われて一瞬悲壮感いっぱいの表情を浮かべてしまった私を見てオスカーがケラケラ笑った。
もう! これだからオスカーには弱味を見せたくないのです。
「昨日、殿下がよく行く花園に怪我した子猫が現れたみたいでな」
「まぁっ、可哀想に」
寮はペット禁止なので連れ帰ることは出来なかったみたいだけれど。動物好きなダレル様の事だ。きっとほうっとけなくて、朝早くから様子を見に行ったのだろう。
「行ってこいよ!」
「わっ!」
ポンと背中を押され私はよろけ戸惑う。
「悩んでんならハッキリ言ってやんないと、あの方には伝わらないぞ。超絶鈍感男だからな、色恋沙汰限定で」
オスカーは「お前も人のこと言えないか」と失礼な事を言いながらも人懐っこい笑顔をみせたのだった。
最近はダレル様と二人きりでお話する機会が全然なかった。
主にいつでもキャロルさんが現れるから……
だってニコニコ笑顔で会いに来てくれたら無下にはできないでしょう。
でも朝一番に花園へ行けば久々にダレル様を独り占めできるかもしれない。そう思ったら自然と足取りも軽くなってきた。けれど……
「ダレル様、猫さん元気になってきてよかったですね!」
私の考えは甘かった。花園に着くとまず聞こえてきたのは、嬉しそうなキャロルさんの声。
こっそり様子を伺ってみれば、二人は木陰に座り込み子猫を見守っていた。
「お前の手際が良かったおかげだ。感謝する」
「そんな……下町では自分で怪我の手当てなんて当たり前でしたから。慣れてるんです」
キャロルさんは控えめに照れ笑いを浮かべる。
ああ、昨日も二人は一緒に過ごして子猫を二人で手当てしていたのだなと思った。ギリッと胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。
私はと言えば昨日も学業と両立させている王妃教育に追われていたというのに。
(花園になんてこなきゃよかったですわ……)
一歩、二歩、私は音をたてないように後ずさった。
これ以上二人の姿を見たくない。
『えぇっ、つまり殿下がキャロル嬢に夢中ってこと? じゃあ、キャロル嬢は未来の側室かぁ』
『結婚前から別の女が寵愛を受けてるとか、エリーザ嬢も不憫だなぁ』
思い出したくない噂話が頭に響いて耳を塞いだ。
遅刻ギリギリの時間に戻ったので人気のない三年生の廊下をトボトボと歩く。
「よう……って、お前。なんでさっきより暗い顔して戻ってきてんだよ」
途中なぜか壁に寄りかかっているオスカーに会った。
「……こんなところでなにを? 貴方、遅刻するわよ」
「お前もな。 ……で、なにがあった?」
さすがプレイボーイだわ。いつものふざけた口調をやめて、急に優しく聞いてくるから、私の涙腺が緩む。
「あ、貴方のせいですわっ。貴方が、余計なことを言うからっ、朝から見たくもないものを見るはめにっ」
「はいはい~、ごめんな。胸をお貸ししましょうか、お嬢様」
「いりません!」
「じゃあ、背中は?」
私が泣き顔を見られたくないのを察したのか、彼はくるりとこちらに背を向けた。
その瞬間、ぽとぽとと我慢していた涙がこぼれ落ちる。
「……ごめんなさい。ただの八つ当たりよ。オスカーはなにも悪くないわ」
「知ってる。何があったのかもだいたい察した……弱気になるな。お前は婚約者だろ」
「……ありがとう」
堪らなくなって、私はオスカーの背に額を預けお礼を伝えた。
「エリーザ? ……っ、オスカー。なぜ二人が」
そんな私たちの姿を離れた場所からダレル様が見ていた事には気づかずに。
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