君は春風のようだった。

ユキ

第1話

高校1年の春。

これは僕と彼女の出会いと別れの物語。


凍えるような寒さも過ぎ去って、春の芽吹きを感じるようになった2月の終わり。僕は学校の校門前にいた。

グラウンドでは野球部やサッカー部などが朝練に励んでいる。

時間は午前7時を少しまわったところだ。

僕のような帰宅部の冴えない人間がいるような時間帯ではない。

朝はやく目覚めてしまったので、屋上で風にでも当たろうと思い、家を出たのだ。

屋上は僕のお気に入りの場所だった。


最近は眠りが浅く、ここ1週間は朝はやく学校に行き、「春の暖かい風に吹かれながらヘッドフォンで音楽を聴く」みたいな少し気取った朝を送っていた。

楽器が弾ける訳ではなかったが聴くことは人並み以上に好きだった。

校門をくぐり30mくらいの桜坂を抜け、自分の下駄箱のある1年用の入口に入った。門から校舎への坂は桜並木になっており[春の名曲]の名前で生徒たちに慕われている。所々、木に混じってスピーカー付きの柱が立っており放送室からBGMが流れる仕組みになっているのだが、予算の都合か、流れているところを一度も聞いたことがない。


靴を下駄箱に押し込み、油性ペンの黒で「桜井」と殴り書きされた上履きに足を突っ込んだ。そして階段を駆け足で登り、屋上の扉の前まで一息で駆けあがった。

さすがに息が切れたので、少し休もうかとしゃがみこもうとしたそのとき、扉の向こうから声が聞こえた。

思わず僕は驚いてしまい尻餅をついた。


「桜 舞う 季節」


聞こえてくるのは歌声だった。女子の声だ。透き通るような優しい声。こんな時間に屋上に来るなんて物好きが、僕以外にもいたとは…と、戸惑いつつも一節で聞き惚れてしまいドアノブを手すりにして、耳を扉に当てこのまま盗み聞きすることにした。

趣味が悪いのは百も承知だ。


「花びらに 触れて 自分の中の

何かが 少し溶けた 気がした。

冬の終わりの 冷たさに晒されて

からっぽになった 私の胸の氷かな

空は青すぎて どこか私を 不安にさせるよ

ちっぽけな心を あなたに預けたい


心と 心を 重ねて

遠くへ 飛べたらいいな


会いたい 会えない さみしさが

いまも わたしを 締め付けるけど

心で 君を 抱き締めたなら

春の 風が 再会を 告げるよ 」


聞いたことのない曲だった。だが切ないメロディと何より、声の主の歌唱力の高さが僕の耳を夢中にさせた。

しかし夢中になったことが仇となった。手に力が入っていたのかドアノブをひねってしまったのだ。そして雪崩れ込むように屋上へと突入してしまった。

彼女は屋上の真ん中に深呼吸するようなポーズで立っていた。後ろ姿だったが佇まいは凛としていて、春の穏やかな風になびく髪がハラハラと舞う桜を思わせた。僕が後ろ姿に見とれていると、誰かいることに気づいたのか、彼女はチラッと顔を振り返らせた。

くりっとした目、小さい鼻、白桃色の唇が均等に卵形の輪郭に収まっており、いわゆる日本人的な美人だった。

もう少し見ていたいと思ったが彼女は顔を手で隠してしまった。

そして顔を赤らめて言った。


「あの、いつからいたの、かな?」


僕はなるべく早口にならぬよう慎重に答えた。緊張すると早口になる癖があった。


「ごめんなさい、全部聞いてました…」


嫌われたと思った。盗み聞きのような形になってしまったし仕方ないか。

しかし、彼女の反応は僕の想像とは違うものだった。


「ごめんね、下手くそな歌、聞かせちゃって」


へたくそ?冗談じゃない、逆に聞き惚れてしまったくらいだ。咄嗟に否定しようとしたが、聞き[惚れた]というところに恥ずかしさを感じて、僕は少し早口になった。


「そんな…とても上手かったです。その、聞き入ってしまったくらいだし」


すると彼女の赤みを帯びた頬は徐々に淡いピンクに変わっていき、指の間からは柔らかい笑みがこぼれた。すると彼女は言った。


「よかったらさ、少しお話でもどうかな?」


突然の誘いに思考が凍りついたようだった。

だが彼女の柔らかい笑みがそれを溶かした。

気づけば口が動いた「ぜひお願いします」


校舎の影に二人並んで座った。太陽が当たらないせいか壁に当たった背中がヒヤッとした。「冷たいね」彼女が僕に言いながら笑った。

僕は顔を縦に動かすのが精一杯だった。


「そんなに緊張しなくてもいいのにー」


「あんまり女の子と話したことがなくて…」


「慣れてないんだねー」


彼女はまた笑った。自分が笑顔になる度、僕の顔が紅潮していることには気づいていないようだ。

僕は少し勇気をだして聞いた。


「どうして僕と話そうと思ったの?」


すると彼女は顔だけをこっちに向けてニヤニヤしながら言った。


「君、毎日ここ来てるでしょ、だから少し気になってたんだー」


「え、知ってたんですか!?」


驚いた。まさか見られていたなんて、

彼女は僕の腕をツンツンしながら続けた。


「朝早くから屋上で物思いにふける…変わってるね~」


僕は恥ずかしさに負けそうになりながらも答えた。


「あなただって変わってるじゃないですか!歌まで歌って…それに比べたら僕なんて休憩しているだけだし、綺麗な歌声だとは思ったけど」


すると彼女はまた嬉しそう笑みを浮かべて言った。


「綺麗な歌声だ。なんてちょっと照れるな~

私、歌うの好きなんだよね!音楽ってなんかパワーをもらえるって言うかさ…それに」


彼女の声はまるで機関銃如く、僕の鼓膜を刺激した。


「でもあなたって言い方は仰々しくて嫌だな!名前教えてよ!あ、私から名乗るのがマナーだね。」


そういえばまだ名前を聞いていなかった。僕も緊張で名乗るのを忘れていた。


「私はさくら!咲く桜で咲桜だよ!君は?」


咲桜か、彼女にぴったりのいい名前だと思った。

僕は息を整えて答えた。


「僕ははると、春夏秋冬の春に人間の人で春人です。」


変なところに「です。」を付けてしまった。

するとさくらは間髪いれずにそこに突っ込んだ。


「敬語も堅苦しいから禁止!」


僕は彼女の方を向き答えた。


「わかった。よろしくね、さくらさん」


彼女の明るくちょっと強引な態度に僕の緊張は少しだけ軽減された。

それと同時にとても恥ずかしく悲しい記憶が頭によぎった。

彼女の歌声を聞いたからだろうか。胸がズキッと傷んだ。

しかし、それをかき消すように朝のホームルーム5分前を伝える鐘がなった。


「たぶん明日もここにいるから!」


さくらはそう言うと勢いよく扉を開けた。

そして「またあした!」のワンフレーズとともに僕に少しの楽しみを残して階段を下っていった。


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