山内という家【天正13年12月上旬】

 山内一豊とその妻の千代。



 って、言っても一般人の知名度はといえば心許ないか。

 教科書に載るような功績を立てていないし、とびきり目立つ個性があったわけでもない戦国武将とその妻だもんね。

 昔に某大型時代劇で主役を張っていたから、ぎりぎり現代でスポットライトを浴びたことがある程度の知名度かな。

 それでも間違いなく伊達政宗や真田幸村、明智光秀ほど有名ではない。

 かくいう私も、あの夜に大型時代劇の総集編を見ていなかったら、どこの誰だかわからなかったと思う。

 山内家はそういう、無名ではないけど有名でもない、良く言えば素朴、悪く言えば地味な感じのお家なのだ。


 だが、だがね。


 だからといって、この山内家、お先が暗いわけではない。

 天下人に立った秀吉レベルには到底満たないけど、父様──山内一豊は戦国の世で大出世しているのだ。

 彼が最終的に輝くのは、天下分け目と呼ばれる関ヶ原の戦いの直前。

 今までの人生で培った人脈と、賢い妻の機転と、巡り巡った強運を味方に付けて、上杉討伐軍をまるごと家康に味方する東軍へと変えるきっかけを作る。

 そしてその功績をもって、土佐一国二十万石の国持ち大名となるのである。


 つまり、父様は戦国有数の勝ち組大名。

 今の私はその娘、与祢姫。山内夫妻唯一の実子で、大地震で夭折した少女だ。

 まあ、ご覧のとおり死んでないが。

 崩れた屋敷の瓦礫に埋まったものの、運良く救出されて生き延びた。

 ちょうど私が覚醒した夜が、運命の大地震の日だったらしい。

 だからね、確実に死ぬまで食いっぱぐれない。

 住む場所も衣服も、この時代で最高とまではいかなくとも、かなり良いレベルが保障される。

 現時点でも侍女が側に付く生活だ。今後も家事は使用人に任せきりで、肉体的に辛い仕事はほとんどしなくていい。

 しかも勝ち組大名の一人娘だから、将来はおそらく婿を取ることになる。

 つまり結婚しても実家で暮らせる。

 政治や経済などの難しいことは父様や未来の夫に任せ、嫁姑問題に煩わされず気楽に生きていけるに違いない。


 最高じゃん。夢のセレブ生活じゃん。


 素晴らしいの一言に尽きるぞ、山内家。揃えられた条件が良すぎて笑えてくる。



「ふ、ふふふ」



 本当に私───与祢の人生は、正真正銘のハイパーイージーモードだ。

 それも、戦国最強クラス。日本中を見渡してもこれ以上の安全圏はないと言い切れる。

 高笑いを何度しても足りない。そのくらい、気合の入った幸運だ。



「急ににこにこしてどうしたの、与祢?」



 声をかけられて、ハッと我に返る。

 顔を上げると、不思議そうな母様がご飯茶碗を差し出していた。

 おっと、油断した。



「ううん、なんでもないよ。ご飯、ありがとう」



 急いで表情を無邪気な笑顔に変え、茶碗を受け取る。

 いけない、いけない。私は今六歳の子供だ。

 アラサーの中身を覗かせたら怪しいにも程がある。子供らしく振る舞わなくては。



「さて、いただくとしようか」



 配膳が済んだ頃合いで、父様が家族を見回す。

 みんなでいただきますをして、朝食が始まった。

 今日のメニューは麦と白米の混ざった炊き立てご飯にしじみのお味噌汁、小鮎の佃煮と根菜の煮付けだ。

 みんなでわいわい話しながらいただく。味付けは素朴だけど、とても美味しくて暖かかった。

 食後には菜っぱのお漬物が出されて、白湯が配られた。

 デザートの代わりかな? しょっぱくて、これも良いお味だ。

 温かい飲み物で一息つくと、ゆるい空気が広間に漂った。



「やはり家族で食べる飯はいいなあ」



 お漬物をかじりながら、父様がしみじみと言う。



「都や大坂での飯はこう、味気なくてな。お役目大事とはいえ堪えるものだ」


「まあ旦那様ったら」



 くすくすと母様が笑って、父様の湯呑みに白湯を注ぎ足した。



「旦那様、こたびはいつまで長浜に居てくださりますか?」


「そうさなあ、七日ほどはおるつもりだよ。

 被害の様子を見て、指図をひと通りしたらまた都に戻る」


「まあっ! 七日も居てくださるのですか!

 そんなに一緒に居られるなんて嬉しい!」


「はははっ、儂もだ。ゆっくりはしておれんが食事は一緒に取ろうな」



 感極まって飛びついた母様を抱きとめて、父様が満面の笑みを浮かべた。

 祖母様はそれを目を細めていて、独り身の叔父様はチベスナ顔でお漬物を齧っている。

 山内家、仲が良いな。父様が強権的に振る舞わない人のようだからだろうか。和やかで、暖かい関係をそれぞれが繋いでいる。

 オーソドックスな亭主関白や、嫁姑や兄弟間でギスギスしたお家ではなくてよかった。

 おかげで現代人感覚を強く持つ私も、無理なく受け入れられそうだ。

 安心して小さな息を吐く私を、にこにこ眺めていた父様が口を開いた。



「長浜にいられるのは七日だが、もうしばらくすればまた共に暮らせるようになるぞ」



 私と母様は、目をぱちくりさせて顔を見合わせた。

 父様は確か、何かわからないが都で大切なお役目を仰せつかっておるはずだ。お役目が終わるのだろうか?



「まことにございますか」


「まことだとも。三人で都へ引っ越しじゃ」


「都に?」



 きょとんとする私たちに、父様が説明してくれる。

 この引っ越し話の発端は、大坂城におわす関白秀吉の指図なのだそうだ。

 羽柴家に仕える諸大名は、折々のお役目を果たすため、都と大坂に屋敷を構えろ。そしてそこへ、妻子を住まわせよ、とのことらしい。

 要は、大名の妻子を人質として手元へ集めたいってことか。

 確かに妻子を押さえられたら、大大名であっても謀反をしにくくなるものね。この時代の定石の政策だ。

 なるほどなーと私が頷いている側で、父様と母様が話を進める。



「旦那様とまたともに暮らせるのは嬉しゅうございますが、急なお話ですね」


「すまんな。だが、長浜の城はあのありさまだ。引っ越すにはちょうどよいだろう?」


「そうでございますけどねえ。都の屋敷は、今建てている最中だったでしょう?」



 今回の地震で被害は無かったのか、と母様が心配そうに言った。

 すぐ隣の近江でこれだけの被害だ。都が何一つ被害を被っていないはずがない。

 私もそっと父様を窺う。不安げな私たちを安心させるように、父様は福々しい顔に笑みを浮かべた。



「まだ建て始めたところだから被害はあまりないよ。ただ、大坂屋敷の方が崩れてしまってな。都へ行ってもしばらくは仮住まいをしてもらうことになるが……」


「仮住まい? どちらへです?」



 母様が困ったように首を傾げると、父様は悪戯っぽく目を細める。



「案ずるな、仮住まい先はそなたの叔父殿のもとだよ」


「叔父、と申しますと、もしや丿貫へちかんおじさんですか!」



 母様が声を弾ませる。心当たりがある、それも心象の良い親戚らしい。



「さよう、先頃偶然お会いしてな。今は山科にある勧修寺かじゅうじの側にお住まいだそうだ」


「なるほど、おじさんの元ならば安心ですね」


「だろう? どうだ、まいるか?」


「もちろんですわ!」



 母様が即答する。その顔は喜びでいっぱいだ。

 よほど父様の側近くへ移れることが嬉しいのだろう。父様も父様で満足げに母を見つめている。



「ま、儂の帰京とともに行く必要はない。ゆるりと引っ越しの準備を進めなさい。叔父殿にも、その旨をお伝え申しておくから」


「はい、旦那様!」



 ずいぶんと仲の良い夫婦だ。うきうきとした様子の母様と父様を眺めていると、私も心が暖かくなる。

 本当に、与祢は家族に恵まれている。きっと死ぬまで幸せに、平穏に過ごせるだろうな。



 そんな嬉しい予感を抱えながら、私は頬を緩ませて、白湯をすすった。

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