第33話 誠意
持ち運び用の燈火と、もう片方の手には替え用のものなのか白い包帯を持っていた。
「月…」
薄暗い中でもはっきりとわかる月の燃え盛る赤い髪。少しも弱まらない紅玉の瞳が身体を起こしているアヤメを捉える。
「ああ、起きましたか」
「僕はどのくらい…?」
「半日とちょっと、くらいですね。さっきちょうど日が落ちたところです」
言いながら、月はアヤメの寝台の横にある椅子に腰をかけた。
なんだか妙な既視感を覚える。
「具合はどうですか?熱が出ていたので魘されているかと思っていましたが…今回は大丈夫だったみたいですね」
『今回は』という言葉に、そういえばつい先日も倒れたのだと思い出し、アヤメは苦い気持ちになった。
「め、迷惑を、かけました」
「まったくです」
「スミマセン…」
「…あなたには色々言いたいことがあるんですが」
いつもの呆れ声ではない。
その声に怒気が孕んでいることに気が付きアヤメは居たたまれなさに俯いた。
「ちょっと…」
横に座る月が動いた。
何かと思っていると、スッと、長い指がアヤメの視界に入ってきた。それは引いた顎を掴み、少し強引に上を向かせ、アヤメは至近距離で、それも真正面から月を見ることになった。
「ちゃんと見て」
ぐいと引き寄せられる。
…近い
夕焼けのような熱い眼差しに目を合わせていられず再び下を向きかけるが、顎を押さえられているためにそれは叶わなかった。
せめて…と目を伏せるとすかさず強い口調が飛んできた。
「背けないてください」
聞いたことのない声にびくりとアヤメの肩が震える。
有無を言わせぬ迫力があった。
ーー怒ってる
それも、かなり
観念して息を吐く。
親に叱られる子どものような気持ちだ。まあ、色々と相談せずに勝手をしたのだから仕方ない。
アヤメはそろりと窺うみたいに目を合わせた。
そして、月の瞳を見た瞬間、考えるよりも早く口に出ていた。
「ーーごめん」
眼鏡越しに見えるのは、いつもの自信に満ちている色ではなかった。
アヤメは自分の認識違いを恥じた。
月は、この冷静な部下は自分に何があっても動揺することはないだろうと思っていたのだ。呆れることはあっても心配することはないだろうと。
しかしそれは違っていた。
できるなら、過去に戻って自分自身を殴り付けたい。
その瞳は、怒りより何よりも悲しみを映していたから。
「…あなたはわかってない」
何に対する謝罪なのかと問われ、自分でも明確にわからず閉口した。とにかく謝らねばと思ったのだ。
月はそれきり口をつぐんだアヤメを何も言わずに見つめていたが、ふと顎から手を離した。
掛けていた眼鏡を外しゆっくりと寝台脇にある机に置き、固まったままのアヤメと向き直る。
「…私には隠していることがあります」
アヤメは唐突に始まった告白にさして驚かなかった。
なんとなく、そういう気はしていたのだ。…この場で打ち明けられるとは思っていなかったが。
月はまっすぐにアヤメを見る。
アヤメはそれに応えるように今度は逸らさずに答えた。
「…そうだろうなとは思ってた」
そう言って、アヤメは机の引き出しを開けるように言った。
中には一枚の折り畳まれた紙が入っていた。
月の目が僅かに見開いたのを見て、アヤメは確信を持った。
「ーーそれ、月のだろう」
紙に書かれているのは一見子どもが遊びで書いたような記号の羅列だった。
しかしそれはアヤメにとっては覚えがありすぎるほど身近に知っているものだった。
「…白杏にはいない種類の鳥がいたから、不思議に思って捕まえたんだ。そうしたら、それを持ってた」
そこに書かれているのは、白杏で過ごす空木に関する詳細な内容だった。
「兄上への報告書」
「…読めたんですか」
「読めたも何もその暗号、昔兄上と僕で考えたものだから、見ただけでわかるよ」
子どもの頃、遊びと訓練の一貫でアヤメと藤馬にだけわかるような暗号を作った。規則性がなく、かつ自分と兄にしかわからないような暗号を。
「…裏で僕の知らないやり取りがあったんだろ」
「……」
「よく考えてみたら、『軍事施設』のための『視察』だっていう噂があることを僕に教えたのも月だしな。兄上と月が何を隠したがってたのかまではわからないけど、『何か』を隠してたっていうのはわかる」
話しながらも月からは目を逸らさない。
眼鏡をーー恐らく度が入っていない眼鏡をわざわざ外して素顔を晒したということは、月は自分に誠意を見せているのだ。
その誠意にこちらも中途半端な姿勢でいてはならない。
「…でも、僕の前では月は部下として働いてくれてたし、僕も…上司として相応しい振る舞いをしなくちゃならなかったんだ」
そこでアヤメは一度言葉を切った。
自分の思いをどう伝えて良いのかわからなかった。
ーー今までは…
アヤメは一月前、銀葉に言われた言葉を思い出していた。
『きみはもっと人付き合いの仕方を覚えるべきだ』
その意味が、今になってようやくわかる。
今までは、幼なじみである紫苑や立浪が傍にいてくれた。自分の無茶に黙ってついてきてくれ、一緒になって危ないことをするのも多かった。
『ーー何も言わなければ伝わりませんからね』
月の言う通りだ。
自分が無意識に甘えていたことにアヤメは気がついた。
「…頼らなくてごめん」
何が月を一番傷つけたのかわかった。
「信頼を、無下にした」
藤馬と裏で何かやってるとかは、関係なく、アヤメはそれに応えるべきだったのだ。同じ、いわば仲間として月をもっと頼るべきだった。
信頼を蔑ろにしてしまった。
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