第73話

 私達は椅子に座り直すと、心臓を大きくドキドキと鳴らしながら、イーサン様が口を開くのを待った。緊張した空気が流れる。無事に聞き入れてもらえたのか。海は救われるのか。心配と同時に、期待が込み上げる。

「……一応、協力的な返事をもらえた」

 わあっと私達は声を上げた。喜びを分かち合い、手を取り合ったのは私たちだけではなく、周りに控えていた兵達も嬉しそうに笑い合っている。安心したようにも見えるその表情は、ことの大きさを物語っていた。

「だが、これで全てが解決したわけではない」

 私たちに釘を刺すように、イーサン様は低い声で私たちを睨んだ。一斉に静まり返ったこの部屋の中は、驚きを隠せない人たちがほとんどだ。

 けれど、貴族として育った私からすれば、別におかしな話ではなかった。イーサン様は、一応協力的な返事をもらえた、と言っていたのだから。一応や、協力的と、曖昧な表現がいくつも出ている時点で安易に喜んではいけない。

 もちろん、前回王様が掛け合った時には話すら聞いてもらえなかったそうだから、協力的な返事をもらえただけでもいいことなのだろうが。

「これからまた詳しいことを決めていくようだ。数ヶ月もしないうちに、新たな法律でもつくられるだろう」

 なるほど、まだその内容さえも決められていないから、安心はできないということか。言って仕舞えば、今は口薬草の段階で、いつでも約束を反故にできるということだ。

 それでも、前進した。私達は確かに、前に進んだ。いや、私達だけの問題じゃない。この世界は、この世界に住む生き物達は、確かに前に進んだのだ。背けてはいけない問題に、目を向けた。それだけでも、誇るべきことだ。

「うまくいくといいですね」

 冬菜も年の功なのか、それをなんとなく理解しているようだ。前世の学校で受けた教育の賜物だろうか。冬菜がイーサン様に笑いかけると、イーサン様は黙ったままそっぽを向いてしまった。態度の良い人ではないのは確かだが、だんだんとイーサン様の優しさが伝わってきた私達には、なんだか微笑ましく思えて仕方がない。

 世界は誰かのためのものであってはいけない。全ての生き物が幸せに暮らせる世界でならなければならない。けれど、結局それは理想論で、そうではないのが現実で、当たり前だ。それを一つずつからでも立ち向かう。それだけでも、この世界は成長したと言えるだろう。

 何もできないかもしれない。これからも海は汚れ続けるかもしれない。それでも、理解してもらえただけでも、前進したと思わずにはいられないのだ。

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