第45話 悪趣味王子

「サガミ商会の権利譲渡の契約書だ。サインをしろ!」


 無駄に大きな館に案内されて立たされ状態で伝えられた言葉は私の予想通りのものだった。


「馬鹿馬鹿しい。そんな義務が私のどこにある?」

「貴様は私の領地の領民を奴隷のごとく使役した。それは到底を許されぬこと。拒否しても無駄だ。中央の司法省に直ぐにでも損害賠償として権利移転を請求してやる」


 まったくキュロス公といいどうしてこうも門閥貴族の低能どもはワンパターンなのだろうな。


「今までそうやって司法を抱き込んで美味い汁を吸ってきたんだろうが、それはもはや叶わぬ夢だぞ」

「それはどういう意味だ?」

「司法長官を始め、お前たち門閥貴族派の司法官たちは次々に罷免されている。もう中央にはお前たちの無法に加担する司法官はいない」


 ノバル伯爵は当初せせら笑っていたが、私の余裕な様子に伯爵は眉を顰める。


「それは真実か?」


 もちろん、真実さ。あの帝都第二区――シバリエで、門閥貴族と盗賊集団ラグーナとの癒着の事実は決定的となった。そして同時に門閥貴族どもと司法省の癒着も。

 現在、内務卿が陣頭指揮をとり、汚職や罪を犯した司法官の罷免とルカ司法官を始めとする若くて有能な司法官による世代交代を加速させている。


「どうせ私の言葉など信じられまい。試しに損害賠償とやらを請求してみればいい。

 もし、お前の主張が嘘偽りなら、我が商会はお前の不法行為を理由に、損害賠償として5000億を請求するつもりだ」

「ご、五千億ぅ?」


 頓狂な声を上げるノバル伯爵。部屋中の伯爵の側近たちも顔を見合せている。あまりの巨額さに今一ピンときていないのだろう。


「当然だろう? お前たちは私から虚偽の事実を提示して全ての富を奪おうとしたのだ。だから、私も奪おうと思う。お前から全てをな」


 私は席を立ちあがり、ノバル伯爵の目と鼻の先までいくと笑顔をつくる。


「ひっ!?」


 小さな悲鳴を上げて、即座に私から視線を避ける。まったくもって失礼な奴め。


『年を追うごとにマスターの笑顔、凶悪になっているな。今や、悪魔も回れ右して逃げるほどやし』


 ムラがそんないらん主張をしてくる。


「そんな世迷言、誰が信じるものかっ!」

「信じるさぁ。何せ証人は沢山いる。例えば、共に治療を当たっていたオリヴィア殿下とかな。あーそうそう、彼女は領主のお前がコロリと知りつつも、領民を見捨てて逃げたことに大層お怒りだ。帝都に帰ったら問題にするだろうよ」


 てっきり、オリヴィアの名を出して狼狽でもするかと思ったが、一転して余裕の表情となる。


「オリヴィア殿下はフランコ王子の正室となる御方。そして、フランコ王子の側室には私の娘も入る予定だ。つまり、私はビットスレイ王国の王族と親類関係となるということ。

 そして、フランコ王子は貴様の越権行為を問題にすると仰っておられる。もしフランコ殿下の主張を無視すればビットスレイ王国との関係が著しく悪化する。生意気な小僧一人を守るために、ビットスレイ王国を怒らせるなど、帝国政府がそんな結末を望むものか」

「……」


 ふむ、なるほどな。こいつらまだそんな甘い幻想の世界にいるのか。

 確かに、その理論は数年前の帝国なら当てはまっていたろうよ。だが、帝国政府は既に世界とドンパチをする覚悟を決めている。ビットスレイ王国? 三大強国ならいざ知らず、中小の国の顔色など今更窺うわけなかろうが。

 いや、だとするとなぜ帝国政府は私をこの地に差し向けた? 私が犬猿の仲であるノバル伯爵領を訪れれば、こうなるくらい予想はつくはず。だとするとこれは――。


「だからだ。これは悪い話ではない。サガミ商会を私によこせ? な? そうすればこの領地でしたお前の愚行、全て水に流してやる」


熟考して無言になった私が絶望に打ち拉がれているとでも勘違いしたのだろう。ご機嫌に席を立ちあがると私の顔を覗き込んでそう提案してくる。


「うむ、その王子様の姿が見えんようだが?」


フランコ王子の意思を問いたい。この馬鹿は思い至っていないのかもしれんが、もし、奴が帝国内のいざこざまで口を出すつもりなら、それは内政干渉。到底許されるものではない。少なくともゲオルグたち現政府の首脳陣からすれば、その時点で排除は確定するはずだから。


「王子は……」


 ノバル伯爵はほんの一瞬、眉をしかめると、部屋の片隅に視線を向ける。そこには、屈強で顎が二つに割れている男がいた。あいつは確かバジオを蹴っていた男だ。その愉悦で歪んでいる顔に、強烈な悪寒が走り抜ける。


「王子はどこだ!? 直ぐに会いたい! この場に連れてこい!」

「フランコ王子を呼びつけるなど何たる無礼! 国際問題になるぞっ!!」


 目じりを険しく吊り上げてノバル伯爵の胸倉を掴むと、


「いいから、私は奴を連れてこい。そう言っているのだっ!!」


 高く持ち上げる。一斉にノバル伯爵の部下が抜刀して剣先を私に向けてくる。


(グレイ様、いかがなさいますか?)


 スパイが姿を消したままで私に耳打ちしてくる。


(まだ待て)


 ただ、そう指示を出し、私は奴を睥睨する。


「お、おい、グレイ殿、一体、何が?」


 私の突然の変容にチョビ髭文官、アーノルドが躊躇いがちに尋ねてくる。


「こいつらは、もしかしたら統治者としてもっともやってはならぬことに手を染めたのかもしれん」


 もちろん、私の最悪ともいえる予想が当たっていたらの話だ。

 丁度そのとき、金色の髪の優男、フランコ王子が陽気な態度で部屋に入ってくると、不快そうに眉をしかめる。


「おいおい、下賤な奴が仮にも僕の義理の父となるものに何してくれっちゃっているわけ?」

「お前、その拳についているの誰の血だ?」

「あー、バレちゃった」


 フランコ王子は、しまったと舌をペロリと出す。クソクズが‼ こいつは私の最大の禁忌を犯した。


「まさか……」


 アーノルドは、真っ青な顔でフランコ王子とノバル伯爵を見ると、


「ノバル伯爵、お聞きしたい。貴方はまさか我らの領民を売ったのですか?」


 震えてはいたが、有無を言わせぬ強い口調で尋ねる。


「アーノルド! 貴様、領主たるこの私に――」

「いいから、お聞かせくださいっ!!」


 金切り声を上げるアーノルド。アーノルドのただならぬ態度に私に向けていた剣を下ろす兵士たち。


「貴様ら、何をしておる! 早くこの無礼ものを切り捨てんかっ!」


 ノバル伯爵の部下たちがその命令に従わずに剣を鞘に治めると、


「そうだよ! そいつを殺せ! 僕の命令だ!」


 馬鹿王子の部下の騎士たちも顔を見合せるだけで微動だにしない。 


「貴様ら、本国に帰ってから――」

「今は私がノバル伯爵に尋ねているんだ! 少し黙っていろ!」


 アーノルドは悪鬼の形相で馬鹿王子に制止の言葉を吐く。


「私は知ら――」


 私はノバル伯爵の胸倉を締めて


「吐け」


 笑顔で自白強要する。ノバル伯爵は頬を引き攣らせて部下に助けを求めようとするが、その己に向けられるあまりの冷たい視線に喉を鳴らす。


「ひ、貧民街の連中はコロリを持ち込んだのだ! 殺処分しておくべきだし、ずっと我が領地ではそうしてきた。こいつはその領地の領民を勝手に使い――」

「それじゃない。貧民街の子供を攫ったな? イエスかノーだ。答えろよ。簡単だろう?」


 さらに胸倉をゆっくり締めていく。


「帝国では領地の領民は領主の所有物。特にあんな汚らしくも卑しい貧民街のクズなど生きるも殺すも私の自由。それを少し有効活用させてもらっただけだぁ!」

「貴方はなんてことを……」


 アーノルドは両膝を突いて顔に両方の掌を当てると小刻みに震えだす。それもそうだろう。この数週間必死にその命を救おうと私と奮闘してきたのだ。それをこんなあっさり奪われれば絶望くらいする。

 ノバル伯爵を放り投げると、私はフランコ王子に近づく。


「お前が玩具にした子供の元まで案内しろ」

「嫌だよ、なぜ僕が――」


 騒々しくさえずる馬鹿王子の髪を掴むと、床に叩きつける。


「ぐげっ! 何を――ぐぼっ! た、助け――ぐがっ!!」


 奴が大人しくなるまで何度も叩きつける。

 馬鹿王子の騎士たちは私を制止しようとするが、ノバル伯爵の部下たちに囲まれる。

 その側近を含めた伯爵の部下たちの顔は皆、鬼のごとく歪んでいる。どうやら、この領地の全てが腐っているわけではないようだ。まあ、だからこそ救えないわけだが。


「いいか、もう一度だけ言う答えろ。答えねばお前の骨を一本一本折っていく」

「わ、わかったから、ひどいことしないでっ!」

「くずが!」


 私は奴の左腕を捩じり折る。


「ぐぎゃあああっ!」

「いいか。喚くな。直ぐに案内しろ。その子供が五体満足でいる限り命は助けてやる。もし、そうでなければ、わかるな?」


 数回平手打ちをすると何度も頷き、馬鹿王子は走り出した。


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