第四章 帝国内乱編
第1話 帰郷と援助
現在、数か月ぶりに、マグワイアー家を訪問している。
直ぐ戻る指示を無視し、長い間、実家に顔を出さなかったせいか、母上殿から泣きながらの説教を受けてしまった。
以降、母上殿は、私が離れるのに強烈な拒絶反応を示すようになってしまう。結果この二日間、こうしてマグワイアー家にやっかいになっているわけだ。
既に生徒達の運命を決めるテストが間近に迫っていることもあり、この二週間は生徒達の授業を休みにしている。
案の定、生徒達からは無言の批難を受けたが、ガン無視してここにいるわけである。
「グーちゃん、良く噛んで食べなさいね」
「うん」
素直に頷き、スープを口にする。懐かしい薄い塩加減に、ざっくりと切られた具は、ゆで過ぎで噛むと溶けてしまっていた。
「おいしい?」
頬杖をつき、にこにこと嬉しそうに私が食べるのを微笑みながら眺めている母上殿に、
「はい!」
元気よく肯定する。
お世辞ではなく私の本心だ。きっと、技術的にも味的には【銀のナイフ】で出される料理の方が、遥かに完成度は高いのだろう。なのに、どういうわけか、この素朴な味が、私には涙がでるほど美味かった。
『マスターも一応、人の子やったんやね』
ムラがしみじみとそんな失礼な感想を述べる。
(ほっとけ)
頬が発熱するのを自覚しつつも、どこか気まずい雰囲気をごまかすように、私はスープを口にしたのだった。
食事が終わり、デザートを取りにキッチンへと姿を消したアンナ・マグワイアーと入れ替わるように、祖父ダイマー・マグワイアーが部屋に姿を見せると、
「グレイ、今から少し話がある。いいか?」
提案してきた。
「私は構いませんよ」
確かにこの地を訪れた理由の半分は、母上殿に会うためだが、もう半分は、祖父に呼び出されたからに他ならない。
祖父――ダイマーに促され、応接室へ入ると、現当主であるバルト・マグワイアーも席についていた。
祖父やバルトの対面の席に座ると、
「やあ、グレイ、君の活躍、社交界でも噂になっているよ」
バルトが、右手を上げて弾むような声色で述べてくる。
「ありがとうございます」
社交界か。基本、門閥貴族と地方豪族はまったく別の組織だ。当然に、社交界も別となる。
地方豪族のパーティーでは、門閥貴族と対立している私の存在はそれなりにポジティブに評価されているはずだし、それはそうだろう。
「それで用件とは?」
まどろっこしい駆け引きは好きではない。だから、単刀直入に尋ねる事にした。私の予想だと融資の件だろうしな。
バルドは神妙な顔で、私に向き直るとテーブルに額を付けるほど頭を下げて、
「今まで済まなかった」
謝罪の言葉を述べてくる。
「は?」
バルトの奇行に面食らって目を白黒させている私の様子など気付きもせず、謝罪の言葉を述べ始める。
「言い訳はしない。私達が君をミラード家に追いやったのは紛れもない事実だから。
もちろん、無理矢理母親のアンナと引き離したのだ。到底許されることではないことくらい理解している――」
「ああ、それなら気に為されなくて結構です。今、こうして母様とも自由に会うことができますし、ミラード家の暮らしで掛け替えのない体験もできましたしね」
別に虚勢を張っているわけではなく本心からの言葉だ。
粗方の事実は、祖父――ダイマーから聞いている。貴族社会において、血統が最重要事項。私という存在がマグワイアー家内の紛争の元となるならば、それは組織の長としてはその争いの元を断ち切るのは当然とるべき選択だ。でなければ、貴族という社会は維持し得ないだろうしな。
「その言葉、幾分だけでも救われるよ」
バルトは不快ため息を吐くと、疲れたような微笑を浮かべた。
「ええ、それでは本題をお伺いしましょう」
「いや、これだけだぞ。今回は、どうしてもお前にバルトが謝りたいというので来てもらったのだ。まあ、アンナにせがまれたのもあるわけだが……」
ダイマーがそうばつが悪そうに、無精髭を摩る。
この様子だと、私が呼ばれたのは母上殿の意向が大きそうだな。どうにも、二人には心労をかけてしまったようだ。
ならば、丁度良い機会だ。商談の話をしよう。あの噂が真実ならば、今この地はかなり面倒なことになっているはずだしな。
口を開こうとすると、玄関口が騒がしくなる。
どうやら、ある意味絶妙なタイミングらしいな。
勢いよく扉が開かれると、大層眼つきの悪い顎に髭を蓄えた長身の紳士が部屋へ入ってくる。
ほう。この者は御前会議で一度見たことがあったな。会議室で、喧しく喚いていたから覚えていたのだ。
長身の貴族は勧められてもいないのに、テーブルの席に腰を下ろすと、背後の御つきの兵士から葉巻を受け取り、火石により火をつけ、口に銜える。
「どうだ? マグワイアー卿、決心はついたか?」
ふむ、私と気付いておらぬようだな。半年前の爵位授与式には呼ばれていなかったようだし、無理もないか。
「ノバル卿、期限にはまだ幾分時間があると思いますが?」
バルトが彼らしくない敵意剥き出しの冷たい声色でそう告げる。
予想通りの展開だな。あの長身の男はノバル伯爵。だとすると、あの肥満気味のセンスのかけらもない服を着た男は、ウエィスト商会の商人だろうか。
「期限はまだだが、利子は今も発生しているのだよ。これも私の親切心というものさ」
ノバル伯爵は、フーとバルトの顔に葉巻の煙を吐き出す。
「……」
バルトは、屈辱に全身を震わせてノバルに射殺すような視線を向けていた。
彼の今の境遇を鑑みれば至極当然の反応だ。
商人は情報が全て。既に、マグワイアー家が置かれている情報は私の耳にも入ってきている。
マグワイアー領の西には広大なノバル伯爵領が広がっている。その丁度境界のマグワイアー領に、マグワイアー家が代々所有する鉱山があった。この鉱山、まだ一定の鉱物の採掘量が見込まれるマグワイアー家にとっての稼ぎがしらだったが、この度、これが最大のアキレス腱となる。
突然、この鉱山は元来ノバル伯爵の所有であると主張し、鉱山の引き渡しと今までの莫大な使用料を請求してきたのである。
元より、ノバル伯爵の所有権の根拠は古ぼけた文献のような資料にあり、公に認められる類のものでは断じてない。
当初は、バルトやダイマーも勝利を疑ってはいなかったことだろう。
しかし結果は、碌な証拠も無いままノバル伯爵の全面勝訴となる。結果、マグワイアー家は、200億Gもの莫大な負債を負ったわけだ。
「この地は中々いいですねぇ。空気は美味いし、自然も豊かだ。何より、いい女が多い。歓楽街としてさぞかし繁盛することでしょう 」
商人らしき男が、舌なめずりをしつつも、たるんだ頬肉を揺らして下品な笑い声を上げる。
私達と同じ商人の発言とは思えんな。どちからというと、この男、【ラグーナ】のような裏社会の住人特有の匂いがする。
もしかしたら、ウエィストは、商会と銘打ってはいるが、【ラグーナ】のような裏の組織の繋がりが深いのかもしれん。
「ふむ、君がノバル伯爵の債権を買ったウエィスト商会の職員だね?」
肥満の男は、私の言葉に僅かに眉を潜ませ暫し、私の全身を凝視していたが思い当たったのか、表情を険しいものに変え、
「サガミ商会会長――シラベ・サガミっ!」
そう喉の奥から絞り出す。
「何ぃっ!?」
私に鋭い視線を向けてくるノバル伯爵。
馬鹿が、ようやく気付いたか。
ここで、現在私は母上殿の拵えた衣服を着用している。この衣服、センスは抜群に良いがいかんせん幼すぎるのだ。外見上は冗談ではなく、数歳幼くみられてしまうことだろう。大方、私を親戚の子供とでも思っていたんだろうさ。
もっとも、私は門閥貴族である奴らからすれば仇敵だ。私の実家の一つがマグワイアー家にあることくらい調べればすぐにわかる。私がこの場にいることくらい少し頭を働かせればわかることだろうに。
「初めまして、門閥貴族と通商連合の
「……」
二人は、憎々し気に、私を睨み歯ぎしりをする。
帝国通商連合会――通称、『通商連合』は、最近結成されたウエィスト商会を始めとする帝都に本店を構えるいくつかの巨大商会の寄合組織だ。その経済規模は商業ギルドを除けば、世界最大といってもよかろう。
奴らは金銭の捻出に苦慮する帝国の領主たちに高額の利率の貸し付けをして、その債権を元に帝国領地を実質的に支配し、連合以外の商人達の締め出しを行っている。
現在、急速に連合へ加盟する商人が増大しているらしく、対連合への対策につき、ライナを始めとする商業ギルドの幹部から最近度々相談を受けていたのだ。
「ふむ、叔父様、その契約書とやらを見せてください」
「おい、貴様、何勝手に話を進めているっ!?」
ノバル伯爵の鎧姿の護衛者が、ムッとした顔つきで鼻の穴を膨らましつつも、私に近づくと腰の剣の柄を握り、刀身を鞘から引き抜こうとする。
馬鹿が、この私に敵意を向けたな!
「やめろ!」
私の鋭い制止の声が部屋に反響し、護衛者の額の薄皮一枚をハッチの長くも鋭い爪が食い込み、一筋の血が流れていた。
「姿を消していろ」
「はい」
大きく私に一礼すると、姿を景色に溶け込ませる。
母上殿たちは現在、私の身内ということでもっとも危うい位置にいる。だから、ハッチにこのマグワイアー家の護衛についてもらっているわけだ
血走った両眼から察するに、ずっと姿を消していることにストレスが溜まっているようだし、今度ドラハチと交代してみるものいいのかもしれん。一応あいつも【覚者】持ちだし、弁当さえ与えて置けば基本、満足だしな。
「申し訳ないが、私の部下は少々短気でね。これ以上は、君らの安全を確保し得ない。黙っててもらおうか」
護衛者が、脱力したようにペタンと腰を床に降ろす。ノバル伯爵とウエィスト商会の商人も幽鬼のような血の気の引いた顔で一言も口を開かず、私達を眺めていた。
『絶対に、少々やないように思うんやが……』
うんざり気味に呟くムラをガン無視しし、
「叔父様!」
今も茫然としているバルトへともう一度強く促す。
「あ、ああ、わかったよ」
弾かれたように、バルトは席を立つと部屋を退出してしまう。
程なくバルトは二つの書簡を抱えて戻ってくると私に差し出してきたので、受け取り中身を確認する。
書簡は二つ。一つは、司法府の発布したノバル伯爵のマグワイアー家に対する200億Gの債権の確認と支払い命令書。
もう一つは、ウエィスト商会への債権の譲渡の契約書。
「よろしい、私がマグワイアー家に融資いたしましょう」
万物収納から、紅貨100枚の入った布袋を2個取り出すと、テーブルへと置く。
同時に、ある人物をこの場に早急に連れてくるように、ハッチに小声で指示を出す。
「どうぞ、お確かめください」
バルトは震える手で布袋に手を伸ばし覗き込むと、阿呆のように大口を開けて硬直化する。
「バルト!」
ダイマーが、いつになく厳しい口調で、叫ぶと、
「し、失礼。で、でも、これ以上、甥の君に迷惑をかけることは……」
口籠り、頓珍漢な言葉を吐くバルトに、
「バルト、グレイに任せなさい」
ダイマーが有無を言わせぬ指示を出すと、無言で大きく頷く。
「ウエィスト商会の使者殿、約束の200億Gです。この場で返済しますのでこの契約書にサインを」
「り、利子はどうしたっ!?」
血相を変えて立ち上がり、ウエィスト商会の使者は喚きたてる。
「君は債権の譲渡契約の30日ルールをしらんのかね?」
債権譲渡30日ルール――債権譲渡から30日以内は、利子が発生しないルールのことだ。
基本、債権譲渡は債務者側の了解は必要としない。故に譲渡された場合、債務者側の認識を担保するため、30日に限り利子が生じないこととしたのである。
これは、商業ギルドが決定し、帝国を始めとする各国も法規として制定させている。こんなことは商人ならば、一々説明するまでもないだろうに。
「そ、そうか! ウエィスト商会への譲渡は司法判断が出てからすぐになされている。そして、現在、譲渡がなされてから25日目。まだ利子は停止したままだっ!!」
歓喜の声を上げるバルトに、ウエィスト商会の使者はしばらく歯ぎしりをしていたが、
「我らは用事を思い出しました。ノバル伯爵、今日のところは、帰りましょう!」
隣のノバル伯爵に言い放つ。
「受け取らないというのかっ!!」
ダイマーが批難の声を上げるが、
「別に君達が受け取る必要はないさ」
それに答える背後から聞こえる陽気な青年の声。
間に合ったか。面倒なことは、この男に任せるに限る。
振り返ると、金髪の美青年が悪質な笑みを顔に張り付かせ佇んでいた。
「ラ、ライナ卿っ!!」
直立不動で立ち上がるノバル伯爵と、今度こそ、絶望一色に顔を染めるウエィスト商会の使者。
「ライナさん、ご足労をお掛けします。これがマグワイアー卿からの供託金です」
「ふむ、確認するよ」
ライナはテーブルに紅貨をぶちまけると数え始めた。
「確認した。返済契約書はここで私が手配しよう。
ところで君、本当に返済金を受け取らなくていいのかい? 供託がされたら、君の商会や通商連合とやらが恥を晒すことになるけど?」
供託とは、債権者が不在又は不明などで返済金を受けとれなかったときにやむを得ず行使する方法だ。故に、供託をされること自体、債務を受領する力もない三流商人の烙印を押されてしまうことになる。
特にこの度、返済契約書を作成したのは、商業ギルドの総長ライナ・オーエンハイムだ。その文書の信用性は相当なものだ。そのうえ、理由に受領拒否が公示されれば商人としての評判は地に落ちる結果となる。
「そ、それは困るっ!!」
泣きそうな顔でウエィスト商会の使者が叫び、こうしてこのくだらぬ茶番は終了した。
◇◆◇◆◇◆
返済契約がなされ、ノバル伯爵とウエィスト商会の使者は部屋に入ってきた時とは一転、借りてきた猫のごとく、逃げるように去ってしまう。
「ライナさん、どうも感謝します」
「いやいいさ。これで君に少しでも恩が売れるなら安いものだ」
カラカラと笑うライナに、バルトはガチガチに緊張し、あのダイマーさえも顔が若干強張っている。
「で? 今度は何をするつもりだい?」
身を乗り出して悪戯っ子のような表情で、ライナは尋ねてくる。
「例の件について打開策の検討がついたのですよ」
「それは興味深いね。まっ、大体の予想はつくわけなんだけど。通商連合の締め出しだね?」
「ええ、その通りです」
やはり、気付いていたか。
確かに、私が助けた理由の一つに、こんなクズどもに仮にも母上殿の故郷を土足で踏み荒らさるのが我慢ならなかったという気持ちもある。
しかし、私は商人。母の実家の親類というだけで、融資をするほど御めでたくはない。利益にならなければ、見捨てている。
私が手を貸した真の理由は、効率の良い通商連合の締め出しのためだ。
最近、通商連合は門閥貴族と通じ地方豪族を狙いこのマグワイアー家の場合のように、強引に債権を取得し、商業ギルドの締め出しを狙ってきた。ならば、我らはそれを逆手にとればいいのだ。
「だとすると、我らは静観すべきだよね?」
ライナの悪質な笑みがさらに深まり、鬼さえも逃げす様相へと変わる。
「ええ。もちろんですとも」
その方が多大なメリットがあるし、当然の結論だ。
この封建制の帝国では、領地はいわば一つの小国に等しい。領税率の決定から、特定の商売の許諾など様々な決定が領主の意思一つでできる。
もっとも、特定の商売の許諾を対価に金銭を要求するなど、商業ギルドに喧嘩を売るに等しく、そんなことは一部の門閥貴族でもなければ、やりはしない。あの最悪のミラード家ですら、商業については一切の制限はない。
このような本質的な強権を持つ領地の領主たちは、概して保守的であり、領地の急激な変遷は決して望みはしない。それが未来に富を生む唯一の方法であったとしても、立ち止まって他の領地を眺めるだけだ。
それ故に、ラドルのような急激な発展ができず、帝国出身のライナたち商業ギルドは頭を抱えていたところではあったわけだ。
通商連合という俗物は、この領主たちの尻に火をつけるという悪役になってくれるってわけだ。これを利用しない手はない。
さらに、通商連合に加入する裏切り者の踏み絵にもなるまさに一石二鳥ってわけだ。
「怖いねぇ。本当に君は恐ろしい」
直ぐに私の意図に気付いたあんたにだけは、言われたくはないがね。
「では計画を可能な限り、詰めていきましょうか」
「そうだね。そうしょう。君らにも協力してもらうよ」
「は、はい!!」
バルトが何度も頷き、
「ふふふ……」
「ははは……」
私とライナから笑みがもれ、それは次第に高くなり、部屋中に響き渡っていく。
『マジで似た者同士で怖いわ。この二人……』
心の底から、ドン引きしたようなムラの独り言が、頭に響きわたったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます