閑話 病院にて

 恒例になった週に一度の診察のためクリューガー公爵殿の屋敷を訪れている。


「ふむ、調子はいいようだな」


 半年近く経過し、全員の顔付きも生気を取り戻し、咳をするものもいなくなった。

 あとは、念のための週に1回の筋肉内注射に切り替えるだけで、彼女たちは大丈夫だろう。この程度なら副作用も十二分に抑えられるはずだ。


「まったく、驚きです! あの治療法で、不治の病――【労咳】が治るとは! これはすごいことですぞっ!!」


 家御つきの医師が、もう何度目かになる感嘆の声を上げる。

 日々、調子を取り戻していく患者に彼は嬉しそうに毎週報告してくれていた。

 

「治療も一段落したことですし、ラドルにある医科学研究所で学んではみませんか? まもなく、後期の研究生の募集が始まりますし、もしよろしければ紹介状を書きますよ」


 彼の医療に関する情熱は本物だ。医学を積極的に学ぶべき人材といえる。


「ほ、本当ですかっ! 知り合いの商業ギルドの役員のつてで紹介してもらってはいたのですが、何分すごい倍率ですのであと数年は絶望的だったのです」


 医科学研究所の入所資格は、ラドル領民か、サガミ商会もしくは商業ギルドの紹介を受けた医師という要件がある。

 研究生が日々の研究所での研究内容やラドルでの生活を商業ギルドの商人達へ報告し、忽ち噂が噂を呼び、応募が殺到するという事態となる。


「ええ、直ぐにも書きましょう」

「ありがとうございますっ!!」


 歓喜に顔一面を染めながら、御付きの医師は私に深く頭を下げたのだった。


 病室を出ると、屋敷の執事の案内のもと応接間に通される。



「グレイ卿、この屋敷を代表し、感謝します」


 ホルス・クリューガー軍務卿殿が改まって私に会釈し、それに他の屋敷の使用人たちも習う。

 彼女達の治療は私にとってもメリットがあってのことだ。だから、謝意など必要ないが、否定するのもかえって無礼。

 だから――。


「いえ、それで例の件、見つかったそうで?」


 話題を本日最大の話題へと変える。


「ええ、フォール・キュロスは、この首都の商会で住み込みの仕事に従事しているようです」


 没収がなされたのは、キュロス家の領地のみ。損害賠償として相当もってかれはしたが、数年は今まで通りの生活ができる程度の金銭の保有は許されているはず。

 物価の安いストラヘイム付近の田舎街にでも引っ込めば、裏切り者のキュロスであるとは知られることもなく十数年は隠遁生活できるだろうに、この首都を離れないか。

 多分、その理由は――。


「ミルルとミアのためですか?」

「そのようですね。キュロス家の中では唯一帝都の豪商の一人が身元引受人となりました」


 キュロス家は帝国の裏切り者。その一族を雇うのだ。相当な覚悟がいるはず。外聞を気にする帝都の商人ならば、こんな面倒なことは絶対に御免なはず。


「恩義からですか?」

「なんでも、破産しそうなところをフォール・キュロスに援助してもらったことがあったとかで」


 皮肉気にホルス軍務卿は肩を竦める。

 まったく同感だ。他者に援助するくらいなら、ミルルとミアに援助してやればよかろうに。当主であったベイル・キュロスの意に背くことがそれほど恐ろしかったのだろうか。


「彼と一度話をしてみます。ミルル・キュロスにはこの件はまだ話さないでいただきたい」


 彼女がそれを知ればきっとフォールのもとに直ぐにでも飛んで行ってしまう。

 それでは、きっと彼女達にしこりを残す結果となるような気がするのだ。


「その方がよいと思い、まだ本人には伝えておりません。これが彼の現在の住居です」

「ありがとうございます。それでは私はこれで」


 立ち上がり一礼すると、クリューガー公爵殿の屋敷を後にする。


            ◇◆◇◆◇◆


 フォール・キュロスにつき細かな調査を開始する。

彼はフォーとの仮名を名乗り、商会の仕事に従事していた。

荷下ろしから、荷物運び。先輩商人たちの商談の補助などの雑用を熱心にこなしているようであり、同業者からの受けは悪くなかった。少なくとも彼らはフォールを同じ商会の同胞と認めていたのだ。


「ここか……」


 帝都レムリア中央区の郊外の老朽化した建物にフォールは暮らしていた。

 ここはフォールの雇い主の商会から斡旋された建物であり、基本、家賃はあってないようなもののようだ。この帝都はキュロス家の者には生きにくい状況となっている。そんな中、わざわざこの帝都に留まり、彼が稼ごうとする理由くらい検討はつくがね。


(ハッチ、ミルルを私のもとまで連れてくるように)


 ハッチに指示を出し、時間を潰す。

暫くすると、すっかり顔色がよくなった金髪の女性がハッチに連れられ姿を現す。


「今から、君が一番会いたい人物に会わせる。彼の心のうちを理解して実際に会うか否かを決めなさい」

「……」


彼女のまるで運命に取り組むような神妙な顔で頷くの確認し、建物に入り、フォールが住む部屋の扉を叩く。

扉が僅かに開くと、金髪の青年が顔を覗かせる。この気弱そうな青年がフォールなのだろう。


「君、誰のお使いだい?」


 子供姿の私を目にし、警戒を解くとそう優しく尋ねてくる。

 数か月の付け焼刃の態度ではない。この自然な立ち振る舞いからも、この謙虚な態度はキュロス家にいた頃からと大して変わっちゃいまい。


「私はミルル・キュロスの保護者からの使者だ」


 急速に顔色が変わると扉を閉めようとするので、足を滑り込ませてそれを防ぐ。


「いつまで逃げているつもりだ? 君がこの地にいるのもミルルとミアが気になっているからだろう?」

 

 そうでもなければ、フォールの顔を知る者が多いこの地にとどまる理由がない。


「……」


 私の言葉にフォールは、下唇を噛みしめると俯き全身を小刻みに震わせていた。


「悪いようにはしない。話を聞かせなさい」


 ゆっくりと扉が開き、


「どうぞ」


 消え入りそうな声でフォールは私を部屋内に招き入れた。



「なるほど、君としては捨てたつもりはなく、ベイル・キュロスに妻と子が危害を加えられるのを恐れて逃がしたと?」

「兄上は逆らったものは決して許さない。あのままミルルとミアを私の元に置いておけばきっと殺されていた」


 今にも死にそうな悲壮感溢れる顔で、フォールは頷きつつも独白する。

 まあ、私も一度実害を被っているからそれには同意する。


「ではなぜ、ミルルがあんなになるまで放っておいた? 彼女たち、一時期、身体を壊して物乞いまでしていたそうだぞ?」

「調べることすら、できなかったんだっ! 周囲のメイドも執事も兄上の操り人形。もし私がミルルたちに会おうとしたら兄上にばれる。そうなれば……」

「殺されていたと?」

「……」


 大きなため息を吐く。まったくどうしょうもない男だな。


「君の言っていることは全て彼女達の立場を鑑みないただのいい訳だ。それは理解しているかい?」

「……」


 俯くと身体を震わせ涙を流し、大きく頷く。


「どんな言い訳をしようと、僅かな金銭のみを渡して放り投げればどうなるくらい少し考えれば予測くらいつくだろう?」

「は……い」


 何度も頷くフォールの目を見据え、


「君は彼女達を最悪の形で裏切った。そのせいで母は長年病に侵されてしまった。娘のミアは君を絶対に許さない」


 断言してやる。

 今のミアが置かれた状況なら、フォールをベイル以上に恨んでいてもおかしくはない。現に、父につき尋ねてもミアは決して口を開かないのだから。


「わかってます。顔を合わせることができないことくらい。だからこそ――」

「クリューガー公爵家に毎月届けられる仕送りだね?」

「……」


 頷くフォール。

 やはりか。毎月、クリューガー公爵家にはミルル宛に名前が伏せられた金銭の入った布袋が運搬業者から届けられているらしい。


「君のやり方は全く的外れだ。確かに今のミアは君を絶対に許さない。だが、今後ずっとそうとも限らない」


 恐る恐る見上げてくるフォールに、


「そして、君の妻ミルルまで恨んでいるかはまた別問題だ」

「で、でも私は――」

「あなたっ!!」


 部屋の扉が勢いよく開かれて、金髪の女性が入って来ると、フォールに抱き着く。


「ミルル……?」


 己の胸に顔を当てて抱きしめているミルルを見下ろし、フォールは震える声でその名を呼ぶ。


「もういいの。また家族で一緒にやり直そう!」

「で、でも私は――」


 フォールの反論の言葉はミルルの唇により塞がれる。

 ミルルとフォールは、一応の決着は見た。あとはミアの気持ち次第。あの頑固娘のことだ。簡単にはいかぬだろうがな。ともあれ、これ以上の長居は野暮ってものだ。

 

「いくぞ」


 ハッチを促し、私達はフォール宅を後にした。


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