第50話 回想と決意と決着 テオ

 部族グリューネ――元ラドル王朝王族の末裔まつえい。それが、テオ・グリューネが生を受けてから与えられた肩書かたがきだった。

 テオには、ラドルの祭儀さいぎり行う母とラドル軍総大将たる父、そして、妹であるルチアがいた。

 母――ユーリは温和で誰にでも優しく、美しい人。小さい頃からテオとルチアは当然、幼馴染のカロジェロも、とても可愛がってくれた。

 父――テッシンはとにかく厳しい人だった。幼い頃から、礼儀作法や武術、戦術、馬術など、部族の長に必要な技術を徹底的てっていてきに仕込まれる。

 思い返せば、生傷なまきずが絶えない日々だったが、このときがテオの幸せの絶頂だったのだと思う。

 帝国との不和。その不協和音ふきょうわおんは30年以上も前からしばしば耳にするようなっていた事実。

 その争いの炎が現実化したのは、ラドル民の青年の死。より正確にいえば、その死を発端とするいくつかの村の武力衝突。

 その紛争で帝国の高位貴族が戦死せんしし、ラドルの村が三つ滅んだ。両者とも引くに引けなくなってにらみ合いや小競り合いが続く。

 その均衡が崩れたのは、ある村の突然の消滅からだ。

 その今はなき村の名は――エルム。エルムは初代ラドル王の故郷とされた地であり、儀式場として用いられていた。

 エルムはあくまで儀式場。故に、通常の日なら大した犠牲はでなかった。しかし、その日は偶然にも各部族から巫女が儀式のため訪れていたのだ。

 エルムの虐殺――金品を強奪するわけでもなく、女を犯すわけでもない。ただ殺し、壊しただけ。村はそんな惨状だったらしい。唯一その地の中心には帝国の旗が突き刺さっていた。

 当然のごとく、ラドルの世論は帝国との開戦へむかう。その虐殺で母を失ったテオも同様だった。このとき、帝国人に対するこらえようがない憎しみに囚われてしまっていたように思える。

 もっとも、総大将たるテッシンは帝国との戦をかたくなに拒絶し、一切の争いを禁止した。

 この父の決定は徹底されたが、不満もつのっていった。

 そして、13歳になったあの時、あの事件が起きてしまう。テオ自身がラドルの破滅の引き金を引いてしまったのだ。

 この時のテオ達は、カロジェロ達とともに山王隊という自衛団を組織し、周囲の見回りをしていた。

 そんなとき、テオは偶然、山の中を移動する帝国民を見つけてしまう。即座に同胞に知らせようとするが、一人の男に捕まってしまった。

 男は、自身を同じラドル民であると名乗り、『このキャラバンは、流行り病のための一時的なもの。通過するだけだから、決して誰にも話してはならないよ』とだけいうと、テオを解放した。

 当時のテオは世の中の道理すら知らぬのに理想だけが高い愚か者だった。

相手は同胞といっても帝国側についている裏切り者。その同胞の青年の言葉の真意すらも、ろくに検討すらせずに、何の葛藤かっとうもなく軍に報告してしまう。

 結果、一部の軍が父の命を無視して、当該キャラバンを襲う。数割の無辜むこの市民と護衛をしていた傭兵達を殺害し、ラドルの圧勝となる。

 ラドル中が勝利に浮かれるなか、テオは得意げに父に事の顛末てんまつを報告した。

父は、『大馬鹿者が‼ お前は戦人として決してしてはならぬことをしたのだ!』、そういうと、テオを殴った。何度も、何度も父は殴った。

 その泣きながらテオを殴る父――テッシンの姿を目にして、テオは己の犯した罪の重さをようやく理解した。


 このキャラバン襲撃により、帝国とラドルの不和は決定的なものとなった。今まで不戦論者だった帝国の貴族達が次々に戦意を表明したのだ。

 当然のごとく武力衝突に向かい、二者は衝突し、テオ達ラドルは帝国に敗北し、従属することになる。

帝国はラドルが二度と反抗心を起こさぬよう、様々な方策をとってきた。

 一つは、武闘派で知られた部族を分断すべく、他の領地へ移住させ農奴、鉱奴へとして使役すること。ラドルの恐ろしさは団結力だ。だからこそ真っ先にそこを狙われたのだろう。

 二つ目が、ラドルの首都――キャメロットからのラドル人の追放だ。ラドルの首都を奪い、最後の抵抗心と反乱分子を根こそぎ削ぎ取る。それが目的だったのだろう。

 父テッシンは一切の抵抗を禁じていたが、案の定、屈辱にこらえられなくなった部族が反乱を起こし、鎮圧ちんあつされる。其の後、関わった者はもちろん、女子供まで処刑され、その恐怖を骨の髄まで叩きこまれた。

 おまけに、武器となるものの没収と密告システムの構築により、名実ともにラドルは帝国の属国となった。


 最悪ともいえる状況の中、転機が訪れる。それは北部のルドア大森林から出現したアンデッドの大量発生。アンデッドは、キャメロットを瞬く間に飲み込み、ダビデ領は事実上一晩で消滅してしまう。

 あれだけラドルを苦しめてきたダビデ子爵が一夜にして滅んだことについて、ラドル人の間で様々な憶測が流れたが、全て神罰のような他力本願的なものであり、次第に新領主の話題へ興味は移っていった。

 おそらく、ラドル人の抵抗の意思はこの時、既に消滅してしまっていたのかもしれない。

 

 悲劇は続く。アンデッドによる帝国内の混乱のせいか新領主はいつまでたってもやってはこなかった。

 代わりに、最悪がやってきた。アムルゼス王国の侵略である。

 元々、アーカイブ帝国とアムルゼス王国はラドア山脈の頂上を国境としていた。より正確には、ラドア山脈の東側にある森林地帯もラドル領だったが、帝国との戦争のどさくさで王国に奪われてしまったのである。

 父テッシンを総大将として王国に対し、決死の抵抗をするが、帝国に武器は奪われ、何より、戦う意思をなくしたラドルは実にあっさり敗北し、王国の支配下に置かれることとなる。

 王国は最高戦力であるテッシンの処刑、各部族からの人質、そして、貯蓄している食料の六割の提出を求めてきた。

 六割の食料を失えば、大量の餓死者がししゃが出る。なのに、各部族の長達を始め、ラドルの一般国民はやはり素直に人質と食料を差し出してしまった。

 テオはこのとき、ラドルが文字通りの奴隷と化したことを肌で感じていた。


 そして、このラドルにかかった深い暗雲は、一人の怪物によって吹き飛ばされる。

 その怪物はキャメロットの王国兵を実力で排除し、テオ達、部族長達を招集した。

 その場で、怪物は自らをグレイと名乗り、脅迫のようなやり口により、王国とのいくさを宣言する。

 キャメロットに駐留ちゅうりゅうしていた軍が全滅したのだ。近い将来、王国は大軍を率いて攻めてくる。新領主たるグレイが直接の戦闘には加わらないと宣言せんげんしている以上、テオ達が対処するしかない。それにどの道、食料が底をついている以上、グレイの言う通り、奮起しなければラドルに生き残る術はない。

 だから、テオは一世一代の賭けにでることにしたのだ。

 もちろん、グレイは帝国人。あの同胞に悲劇をばらいた帝国の領主ダビデ子爵の後任の新領主に過ぎない。テオがいくら説明しようと、信用などされまい。

 何より、今のラドル人は既に奴隷根性が骨の髄までしみ込んでしまっており、王国との戦争の名目で兵隊を募集しても応じるはずない。

 そう説明すると、領主殿は悪魔もはだしで逃げ出すような悪質な笑みを浮かべて、一言、任せろとのみ答える。

 それから、各部族の腕に自信のある若い衆の代表者を集めて、あのイカレた二日間の研修が開始された。

 その研修の終了後、部族の若い衆は例外なく、領主殿を山賢王の生まれ変わりと本気で信じ、心酔するようになる。

 それはテオも同様、あの領主殿が決めた計画なら、必勝以外の結末などありえない。そう思うようになっていた。

 勝利の道筋が立ち、物事を冷静に考えられるようになったからだろう。領主殿がアークロイの砦に食料があると断言する理由にも、朧げだが見当がついた。

 確かにこのとき、テオ達は奴隷という見えない鎖から脱し、元の山の民ラドルとしての一歩を踏み出したのだと思う。


 訓練が始まる。

 若い衆の代表者だけではない。訓練に新たに参加したラドルの民も、その非常識極まりない奇跡を幾度となく見せられ、目に光を取り戻していく。

 開戦の日が近づく頃になると、ほぼ全兵士が領主殿を山賢王と呼び、絶対の忠誠を誓うようになる。

これは別に領主殿に求心力を求めて故意に広めたものではなく、自然と口にし、兵士達の間で広まった認識だ。

 そう考えざるを得ないほど、領主殿という人物はただの人間と呼ぶにはあまりに常軌を逸していたのだ。

 一つ、マテリアルに匹敵する兵器を多量に作り与える。

 二つ、魔導書と呼ばれるマテリアルにより、本来魔法が苦手であるはずの多くのラドル人に魔法の才を習得させる。

 三つ、たった二週間でラドア山脈の頂上に難攻不落の要塞を建設してしまう。

 どれも、少し前のテオならば一笑に付していた事柄ばかり。おまけに、あの幼い容姿は、ことごとく人間味を薄れさせる。

 こうして、領主殿の名のもとに、王国との戦争に最も必要な団結力をも備え、遂にアムルゼス王国との戦争が開始される。

 開始は苦戦すると誰もが思っていた。その予想をことごとく裏切り、ラドル軍はおよそ10倍に及ぶ王国軍を壊滅させ、元のラドア領域全土を取り戻してしまう。

 もはや、領主殿をただの帝国人とみなしている者はラドル軍の中では一人たりともいない。

 注意しなければならないのは、これはラドル人の帝国人に対する憎しみが消えたわけではないということ。軍内部での認識が、領主殿は、帝国人ではなくラドルを救うべく地上に降臨した天人。その認識に置き換わったに過ぎないのだ。

 そして、それは実のところ、テオにおいても同じだったのかもしれない。

 領主殿は、数十年から続くラドルの悪夢を終わらせてくれる救世主メシア。そう信じ込んでしまっていた。

 テオ達が飢えていれば、食料を与え、要塞がなければ建設する。領地を奪われれば、その御業で取り戻す。いかなる悪にも負けぬ絶対的な存在であり、信仰の対象。確かに結果だけみれば、それはある意味正しかろう。

 しかし、果たしてその扱いは領主殿が望んでいることなのだろうか?

 第一、そもそもなぜ領主殿はテオ達自身に武器を取らせたのだろう。領主殿の力の一端を見れば、王国軍などあの御方の魔法により一瞬で壊滅できたはず。わざわざ、テオ達に武器を取らせる必要などないのだ。

 もしかしたら、あの御方はラドル人自身が、自ら自由を勝ち取ることに意義を見出していたのかもしれない。

 それはなぜだ? 簡単だ。ラドル人に蔓延する奴隷根性を払拭させるため。

 なら、なぜ領主殿は王国との開戦前、『その殺戮の罪は命じたこの私が全て負ってやる!』と宣言したのだ? 奴隷根性を払拭させるためなら、ラドル人自身の手により、勝利するという事実が最も重要であり、そんな余計な配慮をする必要はない。


(何かつながったような気がする)


 過去に殴られたとき、親父殿はテオに何を伝えようとしていた?


(あのとき、確か……)


『大馬鹿者が‼ お前は戦人として決してしてはならぬことをしたのだ! 

此度こたび死んだ帝国の無辜むこの村民の命の責は、誰かが背負わねばならん。その罪の重さがお前にわかるか? 一生、いや、死んでもつぐなえぬ大罪なのだ。お前は卑怯ひきょうにもそのせきを他人に押し付けた。それがどれほど許しがたい裏切りかお前にわかるか!』


 そうか、だから領主殿はあのとき、殺戮さつりくの罪は全て自分が負うと言ったのだ。

 領主殿の不思議な力のみに目が行き、全く見えていなかった。領主殿があれほどザップに激怒したのも、多分親父殿がテオを殴った理由と同じだ。

 この度の戦でラドル軍は数千の王国兵を殺した。敵にも家族がいて、恋人、友がいる。その悲劇の連鎖の規模は想像するに容易い。そしてその責任は誰かが負わねばならない。

 あの御方は十二分にその重責を承知し、その上で家族を含めた万にも及ぶ惨劇さんげきの責任をあの小さな身一つで取ることを選択していたのだ。それがどれほどの重責で、その心をむしばむものかは語るまでもあるまい。

 それでも領主殿はその責を受け入れた。おそらく、それは過去のテオの抱いていた安っぽい正義感や偽善などからではなく、領主殿が人間同士の戦争というものを魂から熟知し、誰かがその責を負わねばならぬことを知っていたから。


(山賢王? 神の使い? 笑わせてくれる! 結局、俺はまた逃げていただけじゃないか!)


 救世主は超人として、全て都合よく解決してくれる。それは彼らがその行為によって生じる功罪全てを引き受けることと同義だ。

対して君主は明確に違う。家臣は君主に寄りい罪の一部を分担し、功を君主と共に享受きょうじゅする。なるほど、両立はする性質のものではないな。

どちらを選ぶかだって? 決まっている。これ以上あの御方に全ての責任を押し付けるわけにいかぬ。


『テオ・グリューネの称号『――――に救われし者』が、『――――の忠臣』へと変化いたします。同時に、【覚者――闘将】が完全解放いたしました。その結果、【剛力】は【金剛力】へと進化いたします』


 女性の声が頭の中で反響すると、体のしんから爆発的な力と熱があふれていく。

その制御困難な力で、今もテオを押さえつけている馬頭めずの右足首をつかむと、放り投げる。

 馬頭めずは凄まじい速度で一直線に吹き飛ばされていくが、器用にも空中で一回転し地面に着地する。


「どうやら、道は定まったようじゃな」


 起き上がるカロジェロを視界にいれ、馬頭めずは口端を上げてつぶやく。


「あんたのおかげでな」

「よいよい、ならばそろそろ始めるとするか」


 馬の顔でさも愉快ゆかいそうに笑うと馬頭めずはその態様たいようを一変させた。

 どうやら、この馬頭めずがどんな存在なのかテオにもっすらと予想できてきた。


「ああ、我が至高のあるじ――グレイ様のため、馬頭めず、あんたには滅んでもらう」

「成し遂げてみせよ!!」


 つちを数回振るい馬頭めずは天に向けて咆哮する。

 こうして、テオ達の最後の戦いがゆっくりと開始された。

 

                     ◇◆◇◆◇◆

 

 標的を押しつぶし、すりつぶさんと限界まで引き上げられた膂力りょりょくによって槌がテオの脳天に向けて振り下ろされる。

 大気を破裂させながらも迫る槌を左拳で打ち付け弾き、右拳を馬頭めずの脇腹へと放つ。

バキボキッと肋骨が何本も砕ける嫌な感触が拳に伝わると同時に右脚を軸に遠心力のたっぷり籠った左回し蹴りを頭部にぶちかます。


「うおおおぉぉっ!!」


 回転し床をバウンドしながらも吹き飛ぶ馬頭めずに数百にも及ぶ黄金の光が断続的に降り注ぐ。

 肉の焼ける匂いが嗅覚を刺激する。

 間髪入れず、テオは地面を蹴り天井付近へと跳躍すると同時に右足を振り上げ、渾身の力で馬頭めずの頭部目掛けて振り下ろした。

 馬頭めずは両腕を掲げてそれを受けようとするが、ゴジャリとも聞こえるおぞましい音とともに、その両腕は弾け、頭部の半分が陥没した。

地響きと共に仰向あおむけに倒れる馬頭めず


「うむ、完膚なきまでの儂の負けじゃ」

 

 吐血とけつしながらも己の敗北を口にするその顔は、妙に晴れ晴れしているようだった。


「あんたは一体……」

あるじと共に修羅しゅらの道を歩くと決めたのだろう? ならば最後までやり遂げよ」

「この命に代えても」


 テオが己の胸に右拳を打ち付けると、となりのカロジェロもそれにならう。


「これは儂に勝利した褒美じゃ。おいテッシン、最後の挨拶あいさつを済ませよ」

「ああ、最後まですまんな。馬頭めず

「よいわ。儂も楽しいいくさじゃった」


 一人芝居のように、くるくる変わる口調。そして顔と身体が懐かしの父のものに戻っていく。


「カロジェロ、テオを頼むぞ」

「総大将……」


 遂に号泣しつつも、大きく頷くカロジェロから、そのなつかしの顔をテオに向けると――。


「テオ、お前はもう大丈夫だ」


 あたたかくも力強い言葉。悲しみや切なさ、その他様々な感情が交じり合い、テオの全身を暴れまわる。


「テオ、愛する自慢の息子よ。自信をもってしっかり進め」

「了解だ。親父殿」


 満足そうに笑みを浮かべながら、父の全身はちりとなって消えていく。

 涙で歪む視界を右袖でふき取り、歯を食いしばる。泣くのはあとだ。今はグレイ様の救出が最優先事項。

 

「いくぞ」


 テオは歩きだし、


「わかってる」


 カロジェロも頷くと涙をぬぐって、その後に続いた。

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