閑話 将としての責任 カイ・ローダス

 カイ・ローダスは補給部隊の護衛に任じられたサルマン兵団とともに、ラドア山脈唯一の山道を上っていた。

 今登っている山道は、両脇が険しいがけで囲まれており、どんなに頑張っても成年男子が7、8人横一列に並べる程度の幅しかない。

 その狭い山道を、大蛇のように蛇行して連なっていく王国遠征軍。


(俺は、一体何をやっているんだろうな……)


 元々、カイは、軍人には向いていない。軍に入ったのも祖父母達に仕送りが送れるほど稼げるのが軍隊だけだったという理由からだ。

 むしろ、幼い頃は王国一の料理人になって、育ててくれた祖父母に楽をさせてやることを夢見ていた。


「おい、ぼさっとするな、さっさと歩け!!」


 騎乗きじょうした状態のマーサの側近の一人から蹴りを入れられつんのめり、地面へ転がる。両手首を縛られている状態だ。当然、まともに受け身も取れず、もんどりうって固い山道の地面に倒れる。


「わかってるよなぁ。お前は醜い裏切り者だ! 本国に帰れば、公開処刑が待っている」


 わかってるさ。平民が臆病な発言をしたというだけで、処罰の対象になるという狂った軍だ。当然、カイは処断されるだろう。

 7年ほど前までは、アムルゼス王国軍ももう少しましだった。少なくとも、将来に希望を見出せるほどには。それが明確に変わったのは、あの勇者と称される異世界人が召喚されてから。

 いや、それも違うか。実際、勇者はこの国の意思をまとめ上げただけ。

 結局のところ、元々その狂気の根源はアムルゼス王国の中に蔓延まんえんしていたのだ。

 この10年、世界を襲った疫病――疱瘡病ほうそうびょうにより、王国は莫大な死者が生じ、生産力が著しく低下し、貧困が生じた。加えて、王国貴族の無法により、国民の間には強烈な憤りや不安が渦巻いていたのだ。

 王国政府は、その蔓延する悲劇に対する国民の不満のはけ口を他国へ向けた。

 結果、富と人員を得、王国民の多くが飢えと不満から免れた一方で、同時に避けがたい格差と差別が生まれる。


「早く立てっ!」


 マーサの部下に剣の柄で数回殴られた後、起き上ろうとするが、丁度進行方向の右手の崖の上に何か動く物が視界に入る。背中を氷柱つららでられたような強烈な悪寒が生じ、


「嫌な予感がする。今すぐ後退するんだ!」


 マーサ達に指示を出した。


「あ!? 貴様、まだそんな世迷言よまいごとを――」


 額に青筋を張らせながら、ヒステリックな声を上げるマーサの頭上の崖が弾け、天井が地響きを上げて落下してきた。


 ……

 ………… 

 ………………


 瞼を開けると、そこはまさにこの世の地獄だった。

 道に散乱する大岩と下敷きになった王国兵。至るところから聞こえる呻き声や泣き声。

 あれほど、圧巻とも思えた長蛇の列を築いていた王国軍は、巨人に踏みつぶされたかのように文字通り壊滅していた。


「うぁ……」


 落馬した状態で、真っ青になって、わなわなと唇を震わせながらも、マーサは涙目で地面に腰を下ろしている。

 無事のようだな。どうやら、お互い、悪運だけは強いらしい。


「これを切れ!」


 両手首の縄を向ける。


「で、でも――」

「早くっ!」


 マーサはビクッと首を竦めると、腰から短剣を抜き、カイの縄を切る。


「行くぞ!」

「どこ……に?」

「まずは、司令官殿を探す!」


 進軍途中のこのタイミングでこの落石。この現象をただの偶然と片付けるほど、カイはおめでたくはない。間違いなく敵の策だ。

 そして、もしカイが奴らの立場なら、このタイミングで大規模な掃討そうとうに出る。直ぐにラドルの強襲があるとみてよい。


「俺の部下達は?」

 

 泣きながらカイにすがるマーサ。

 見た目より、ずっと仲間思いの奴らしい。だが、今はそんな感傷は邪魔なだけだ。


「全員死んだ。これ以上、兵士達を無駄死にさせたくなければ走れ!」

 

 マーサを走るように促す。

 この戦、完膚なきまでに王国軍の負けだ。あとは全軍の降伏の意思をいかにスムーズにラドル側に伝えるか。

 手っ取り早いのが、遠征軍司令官のウィンプに降伏を宣言してもらうことだが、軍の総指揮官の排除は勝利への定石。今頃、奴らは総力を挙げて、ウィンプの殺害に向かっているはず。生存は絶望的だろうさ。

 立ち上がろうとせずに、地面に蹲り震えるマーサの胸倉を掴み持ち上げる。


「いいか、聞け‼ お前と俺は将、即ち、この不毛で残酷な戦を終わらせる権限を持つものなんだ! 俺達が動かなければ、王国軍は一兵残らず皆殺しになる。もちろん、お前も俺もだっ!」


 こんな悪魔のような方法を立案し、実行するような輩だ。奴らに人としての良心のようなものを期待するだけ無駄だ。


 ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 山頂の砦の方角から聞こえてくるいくつもの破裂音。やはりな。

 退路は既に、巨大な大岩により防がれている。どの道、逃げても殺されるのがおち。ならば、精々足掻あがいてやる。


「いくぞ!」


 マーサを地面に放り投げ、音に向かって走り出す。



「カイ参謀!」


 数人の残存兵がカイ達に気付き、駆け寄ってきた。皆の目の中には、例外なく絶望の色がうつろっていた。


「いいか! お前達、今すぐ武器を捨てて、白旗を上げろっ! そうすればおそらく、殺されはしない」


 これにつき、カイは嘘を言っている。殺されるか否かは正直、半々といったところだ。

 しかし、ラドルの人としての慈悲に期待するしか、この死地を乗り切ることはできない。


「いいのか? 司令官の断りもなく、そんな勝手なことして、本国に知られたら――」


 背後のマーサが、消え入りそうな声で頓珍漢とんちんかんな問いを発する。


「この惨状を見たろう? もはや逃げるのは不可能さ。俺達ができる最善は、ラドルの捕虜となること。そして、捕虜となれば、少なくとも俺達二人は、二度と本国に戻れない。考えるだけ無駄というものだよ」

「そ……んな」

「それが将の責任というものだ」


 頭を抱えてうずくまり、泣き出してしまうマーサ。

 マーサが王国軍に入隊したのは一年半前。そもそも、こんな新兵同然の者に、責任を負わせるのは酷というものか。

 大きく息を吐き出し、


「マーサ・サルマン殿、今最も階級が高いのは貴方だ。したがって指揮権は貴方にある」


 そう宣言する。


「い、嫌だ……」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにさせながらも、首を左右に振る。


「わかっている。今すぐ、貴殿の指揮権を自分に移譲いじょうしていただきたい」

「……」


 無言で何度もうなずくマーサ。


「これで、私が王国軍遠征軍の司令官だ。

 では、司令官として命ずる。マーサ・サルマン殿、貴殿は戦場で己の責務に背を向けようとした。許しがたい罪だ。よって、貴殿の階級を一時的に剥奪はくだつする。一般兵とともに、捕虜となれ!」


 これで、マーサも運が良ければ生き延びるだろう。


(ったく、こんな覚悟もない尻の青い餓鬼を戦場に駆り立てたつけがこれか……)


 近くに転がる槍に上着の白色の衣服を破り、先に括り付けると銃声のする方へ走りだす。



 カイは戦場に到着した。いや、戦場というには、あまりに一方的過ぎる。これは虐殺の場だ。

 ラドル兵の両手に持つ細い鉄の棒の先から火が噴き出し、落雷のような轟音が鳴り響く。そして、その音ともに同胞達がバタバタ倒れていく。

 複数の兵士が傷つきながらも、円陣を組み、ラドル人に剣先を向けていた。その中には、勇猛で謳われていた剣士隊長もいた。


「よせっ!」


 カイの叫びも空しく、


「悪魔共めぇっ!!」


 兵士隊長が絶叫を上げて剣を振り上げて疾走するが、顔をザクロの様に真っ赤に弾けさせた。


「ひいいっ!!」


 全身を膠着させ、悲鳴を上げる兵士達。中には地面に蹲り、這いつくばっているものもいる。

 ラドル人の鉄の筒の先が戦意を失った兵士達に向く。

 カイは肺に息を吸い込むと、白旗を掲げ、


「我は遠征軍臨時司令官カイ・ローダス、我ら王国遠征軍はラドル軍に対し無条件降伏する。全軍武器を捨て、直ちに投降せよ!」


 大音声を上げる。

 王国がラドルにしてきたことを鑑みれば、ラドル側が投降を認めないことも十分予想し得る事態だ。

要するに、これは一種の賭けなのだ。だが、此度の彼らの戦略を鑑みれば、分の悪い賭けとも思わない。

 情報を操作し、王国軍に一時退却の道を閉ざした上で、王国軍を道幅の狭い山道という一種の密閉空間へと封じ込める。その上での頭上からの落石。其の後の掃討作戦。

 使用されている策自体は、天然の地形を利用した包囲殲滅ほういせんめつであり、ある意味戦術としては古典的ともいえるもの。落石落下の方法は全く見当もつかないが、その他は全て戦略家なら誰もが思いつきそうな策の結合体に過ぎない。

 その凡庸ぼんような策の集合体から無駄を省き、戦争芸術ともいえるレベルまで昇華する。この効率主義の権化のような思考こそが、敵の最も恐ろしい所以なのだ。

 同時にこれらの策は、無秩序な軍には不可能。まさに、一つの生物のような絶対的な統制が不可欠。

 そして掃討戦は、少なからず自軍に犠牲がでる。避けたいと思うのが兵法家の信条というもの。特に、武器を捨て無条件降伏した敵への追撃などの非生産的な行為を、ラドル軍の指揮官が許容するとも思えない。


 カイから命令という免罪符を受けた兵士達は次々に武器を放り投げ、両手を上げるとしゃがみ込む。

案の定、ピタリと止む攻撃の手。もちろん、あの不思議な武器はこちらに固定したままだ。


「平民の分際で勝手な真似まねをするなっ!!」


 円陣の中心にいる小太りの中年将校が、ヒステリックな声でがなりたてている。

 王国軍で新兵教育があるのは、平民主体の一般兵のみ。マーサのような貴族出身の青年将校は、兵士として最も必要な覚悟のようなものすら教えられず、上級将校へと昇り詰めていく。

 そうして、数十年もの間、軍隊で生活するとこのような現状さえも把握できぬ無能が量産されるのである。

 

「何をしているっ! そこに蛮族がいるのだぞ! 早く切りかからんかっ!」


 誰も立ち上がろうとせずに、震えるのみ。

 当然だ。相手の気持ち次第で、皆殺しになる状況なのだ。この状況を少しでも理解している指揮官ならば、そんな暴言吐けるはずもない。


「そうか、上官の儂の命令を聞けぬ。そういうのだな」


 まずいな。空気が変わった。


「やめ――」


 カイが制止の言葉を紡ぐより先に右手に持つ剣で、今も蹲る王国兵の首を刎ねる。

 まき散らされる血飛沫に、兵士達は一斉に悲鳴を上げて、カイの傍まで転がるように退避してくる。


「貴様、一体、何をしたのか理解しているのか?」


 カイの疑問に答えもせず右の掌を向け、詠唱を開始する中年将校。

 どうやら、ここまでだ。これ以上、こんな無能に引っ掻き回されるのは、御免被る。

 仮にも階級が上の貴族の将校を殺すのだ。もう、二度とカイは王国の地を踏むことはできまい。

 しかし、ここでやらねば7000人もの兵士が死に絶えるという事態になる。それだけは避けなくてはならない。

 右手の柄を強く握り、地面を蹴ろうとすると、シュッという風切り音とともに、カイの左脇を何かが過ぎ去っていく。


「くへっ?」


 中年将校の眉間に深々と刺さる矢。そして、ゆっくりと地面仰向けに倒れていく中年将校。


「ぼ、僕はマーサ・サルマン、階級は上級将校だ。ウィンプ司令官が戦死なされた結果、僕には軍の指揮権がある。それを、先刻全てカイ・ローダスへ移譲した。皆の者、彼に従い直ちに降伏せよっ!」


 安堵の声を上げるもの、泣き出すものまでいた。

 だが、まだ早い。奴らが受け入れるとは限らないのだから。

 もし、ラドルが攻撃を続行するなら、殿しんがりとなり一人でも多くの兵を逃がす必要がある。


「カイ……やってしまったよ」


 マーサのその顔は真っ青に血の気が引いており、その弓を抱える腕は小刻みに震えていた。


「いや、よくやった。あの音が徐々に消えている」


 遠方からの爆発音が次第に小さくなっているのが分かる。少なくとも、王国軍全滅のタイムリミットは延長できたようだ。



 永遠にも感じるような長い時間。あまりの緊張のせいか、肌着は吹き出た脂汗により、ぐっしょりで気持ちが悪い。

 もみあげを刈り上げにした奇抜な髪形の青年が姿を現し――。


「我らは無条件降伏を受け入れ、30分間だけ攻撃を停止する。その間に、全兵士にその旨をそちらの口から伝えて欲しい」

「承った」


 隣のマーサが頷くのを確認し、カイは白旗を上げながらも走り出す。


     ◇◆◇◆◇◆


 残存した捕虜は、砦の巨大な建物に入るよう指示される。建物内は、最低限の生活用品が置いてある空間だった。おそらく、何かの訓練施設だったと思われる。


「カイ、あんたが正しかった。今までの僕らの愚行、許されることではないのはわかっている。だが、あえて謝らせてくれ。本当にすまなかった」


 マーサが頭を下げてきた。


「いや、あの状況を作りだした時点で、俺達のミスだ」


 元々、マーサ達のような新米上級将校を現場に向かわせるのは、教育のためであるはず。それを無駄だと断じて、怠った時点でカイ達にも十分な責任がある。


「……これから僕達、どうなるんだろう?」

「さあな。この作戦を立てた者は恐ろしく冷静だ。ただ冷遇するためだけに捕虜になどすまいよ。まだ望みはあるさ」


 そうは言ったが、今までのラドル民にしたことを鑑みれば、希望は限りなく薄い。


「なるようになるか」


 与えられた布団にゴロンと横になるとマーサは頭から毛布にくるまる。全身を震わせているところからも泣いてでもいるのだろう。

 それは、部下や仲間を失ったことへの悲しみか、それとも今後の幸のない未来への嘆き故か。

 それでもこんな若造が前を向いて進もうとしているのだ。年配のカイがみっともない顔などできない。

 だから――。


「大丈夫だ。きっと全て上手くいくさ!」


 可能な限り力強くそう宣言したのだ。




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