第19話 魔導書契約

 さらに三日が過ぎる。

 マメ科植物については、ソイ(大豆)を用いることにした。実物を見せてもらったところ、いくつか驚くべき発見がある。このソイ、大豆とクローバーの中間の植物のようであるらしく、深くまで根を伸ばさない。これなら、土中の水分もさほど吸い上げず、水分を保てるし、地下に根を残しにくいから、春に土地をたがやせば、連作障害れんさくしょうがいも起こしにくい。しかも、地上に出ている部分の大きさは通常の大豆の半分。根粒菌の総量はかなり豊富ほうふであることを鑑みれば、それだけ全体に蛋白質が濃縮のうしゅくされているということだ。

 これなら、ライ麦、小麦の収穫後に、ソイを植えた上、大豆だけを収穫し、その他の部分を、家畜の餌とすることで、連作障害も防げる。まさに一石二鳥という奴だ。

 早速ジレスに、ソイ(大豆)を多量に発注するよう求めると、北西部の商業ギルドの商人と話をつけてくれた。二週間以内に、確保し得るらしい。

 この帝国での主な家畜は、一角猪いっかくいのししという豚によく似た動物と、にわとりに良く似た生物である走鳥そうちょうである。一角猪は、殺して食べることしか生産性がない。また、走鳥も卵は魅力だが、今回の土壌を肥やすという点では、明らかに不向きだろう。結局、最南東の高山地帯に生息している羊に良く似た動物――ウルを用いることにした。

 このウルの生態まだつかめていないが、羊と同じなら、少なくともその羊毛ようもうは衣服用に売れるし、その乳により、バターやヨーグルトなどの酪農生産物も作ることができる。

 また鶏に似た走鳥も餌さえあれば負担なく飼うことができる。この点、ライ麦や小麦は、その一〇%は、れ葉の混入や虫食い等で税としてカウントされないものが必ずある。今回も一連のゴブリンの襲撃により、廃棄処分はいきしょぶんとなるライ麦が多量にあるから、それを用いて、養鶏ようけいは行うことにする。


「ウルを一〇〇頭、走鳥を一〇〇羽、合せて、一五〇万Gでいかがかな?」

「構いません。『手押しポンプ』の僕の特許料から差し引いてもらえますか?」

「了解だよ。契約書を作らせよう。直ぐに作成してくれたまえ」


 ライナは、部下に契約書作成の指示を出す。


「で? 次は何をするつもりだい?」


 そして、身を乗り出し、尋ねてくる。その気色ばんだ顔は、さしずめ、新しい玩具を見つけた子供だろうか。


「農場経営を少々……」

「どんなことをするんだい?」

「まだ実験段階ですからね。結果が出たら、書面で教えますよ」


 無論、全てを教えるのは阿呆のすることだが、ライナは私の商売の重要なパートナーとなりえる人物だ。無下むげにもできまい。小出しに情報を与えるべきだろうな。


「助かるよ。ところで、あの『時計』は、実に素晴らしい。本当にあの設計図の内容が真実ならば、この世界の生活は一変する。まさに、『手押しポンプ』すら、前菜オードブルの役目すら与えられないほどの大発明。いつ完成するか、知っているかい?」

「今も不眠不休ふみんふきゅうで作っているようですよ。昨日ルロイさんの工房を訪れたら、邪魔だと叩きだされました」


 ¨彼は、相変わらずだね¨と、ライナはカラカラと笑っていたが、表情を真剣なものに変える。


「改めて感謝を。君は、僕らギルドに新たな道を示した。これは、商業ギルド総員のいつわりのない気持ちだ」


 深く頭を下げるライナに、周囲の部下達もそれに習う。


「まだ、完成していませんし、少々、気が早いです」

「完成するさ。他でもない君が考えたものなのだから」


 必要以上に評価されているのは、どうにもこそばゆい。そろそろ話題を変えよう。


たのんでおいた店舗は見つかりそうですか?」

「ああ、いい場所が見つかった。期待しておいてくれたまえよ」

「感謝します」

「それでは、『時計』の具体的な商談の話をしよう。こんなものでどうだろうか?」

「僕が、七〇%、ジレスが一〇%、ギルドが二〇%、これで本当にいいのですか?」

「言ったろ? 『時計』は我らの渇望かつぼうしていたものだと。本来、ギルドとしては独占販売権さえ認めてもらえれば十分なんだよ。あくまで、今回我らが受け取るのは、君にとってその方が、より都合がいいからさ」


 知っていたか。私だけ受け取れば、仮にミラード家に知られた場合、奴らは私の保護者の地位を利用し、その優先権を主張してくるかもしれない。あの強欲の塊の義母ならそうするはず。

 その点、ギルドもその契約者の一人に入るなら、話は別だ。契約とは信頼関係の上に成り立つもの。ギルドが契約したのは私個人であり、ミラード家ではない。仮に、優先権を主張しようものなら、契約を最上位のものとしてかかげるギルドの方針に唾を吐くに等しい。大貴族ならともかく弱小の準男爵程度ならひねり潰される。流石に父もそこまで愚かではあるまい。


「ご配慮、ありがとうございます」

「いいさ。でもジレスを説得するのが面倒だったよ。まったく、あの子は、昔から頑固だからね」

「でしょうね」


 ジレスは、今回自分は何もしていないと、『時計』の特許料の獲得には反対の立場だったのだ。

 実のところ、私もこの時計は、普及が目的であり、金銭など端から度外視している。

 しかし、商業ギルド側の懇願こんがんに近い強烈な要望により、私とジレスは特許料を受けることになった。ギルドからすれば、特許料に関する例外はできる限り作りたくはないのかもしれない。


「それでは僕はこれで」

「もう少しで契約書はできると思うよ」

「あくまで正式な契約としての効力が発生するのは、『時計』が完成してから。ならば、どんな契約もただの紙切れにすぎません。完成の際に渡して頂ければ十分です」

「それもそうだね」

「では」


 立ち上がり、扉へ向かって歩き出すと、


「君の店舗と、商会となる屋敷のクリーニングが済み次第、知らせる」

「ええ、感謝します」


 振り返り、一礼すると、部屋を退出した。

 

 自室へ戻ると、サテラが私のベッドで大の字で爆睡ばくすいしていた。自身の部屋があるのだから、そちらを使ってもらいたいものだ。まあ、夜に怖くて一人で眠れないような児童にそれを言っても仕方ないわけであるが。

椅子に腰を掛け、大きく息を吐き出す。


さびれた村一つの経営でこれほどの金銭と労力が必要なのだ。ある意味、我ら科学者以上に、経営者というものは、有能なのかもしれん。


 ともあれ、急務となるのは、トート村の武力の増強だ。魔物に毎回、無茶苦茶にされたのでは、安定した経営は望めない。村民の防衛を担う者のレベルアップを図る必要がある。

 幸運なことに、この度の事件で、私は一つの推測をすることに至った。

 即ち、それは、ステータスがどのようなタイミングで上昇するのかということ。

 私は、当初、ステータスの各項目と関連する事項につき、使用すればするほど、上昇率が跳ね上がると考えていた。これは、別に誤りではなく、既に証明済みの事実だ。

 しかし、この世界の『使用』という現象を、『疲労』と『回復』という言葉に、少し紐解いてみれば、私が致命的な勘違いをしていたことはおのずと明らかとなる。

 試しに、『耐久力』について考えてみよう。まず、耐久力の疲労とは、傷害である。そして回復とは文字通り、傷の修復。ならば、ステータスが上昇するのは、この一連の『使用』という行為の終了地点である『修復』の際だと考えられる。これは、トートの村で傷を負った三五人全員の耐久力が、Fとなっていたことからも、まず間違いない。

 この現象に法則性を見出すならば、能力値を上昇させたければ、限界ギリギリまで能力値に該当する部分を使用し、それを回復させてやればいい。

 そして、この現象による上昇を最も効率的に行えるのが、魔力やMPの増強だ。

 ここで、魔力自体は消費という概念はないが、十中八九、MPと魔力は密に関連している。

 我々はMPを消費し、魔法を発動する。その際に、燃料として用いられるのが、魔力であり、MPとは切って離せない関係なのである。だから、MPの消費と回復による能力値の上昇の恩恵が、魔力に及ぶと考える方がむしろ自然であろう。

 要するに、マインドゼロ、ギリギリまで、魔法を使用し、回復する。これをすれば、MPと魔力の爆発的な上昇を見込めるはず。

 ここで、魔力やMPを回復する手段は、寝ることであるところ、実際に眠くなるのは、魔力が完全に枯渇したとき。眠くもなく寝られるような特殊技能を持つものなどそうは多くはあるまい。

 だから、次のような魔法を開発した。


――――――――――――――――

〇術名:【強制休止スリープ】――マスタークラス

〇説明: 全身の活動を強制休止する。

〇呪文:詠唱破棄

〇ランク:下位

――――――――――――――――

 

 活動休止とは、即ち、眠るということだ。

 円環領域により、自己のMPの消費を数値化して視認し、【強制休止スリープ】の消費MPを踏まえて、ギリギリまでMPを使用する。そして、一気に【強制休止スリープ】により、MPを1~2にして、眠る。

 唯一の問題点は、この方法により上昇するには、五時間以上の睡眠が必要ということ。つまり、一日一度が限度というわけ。

 今後、私と行動を共にするなら、強さの増強は必須。実証実験が済み次第、トート村の関係者だけではなく、サテラにも、同じ訓練をする予定だ。


            ◇◆◇◆◇◆


 寝ているサテラを起こさぬように、トート村のジュド宅へと転移する。

 せまい部屋の中には、ジュド達一〇人と、小鬼ゴブリン共の襲撃により、傷を負っていた三十五人がいた。

彼らの傷の大部分が回復したせいか、一応、起き上がれる程度にはなっているが、依然、ひたいに張り付く玉のような汗から察するに、まだ、起きているだけでも辛いに違いない。


「まだ、絶対安静ぜったいあんせい厳命げんめいしていたはずだが?」

「私達は貴方に救われました。聖人様、どうか私達もジュド達同様、おそばひかえることをお許しください!」

「傍に控えるとか言われてもな」


 私はジュド達を、サガミ商会の従業員として採用しただけで、下らん主従関係を結んだつもりは微塵もない。


「お願いします」


 リーダーらしき、黒髪の青年が頭を下げると、他も一斉に額を地に付ける。

 カルラの得意げな態度からも、こいつがどういう説明をしたのかなど、予想するに容易い。


「あのな、そこのお調子者が何を口走ったかしらんが、僕がこの地の経営に手を貸しているのは、実験のためであって、お前達のためではない」


 ここの経営は私の将来の大規模農地経営のいしずえとなる。


「それでもいいんです! どうか!」


 私の言葉に動じもせずに、ひたすら懇願こんがんする三十五人の傷を負った者達。

 確かに、このトート村の防衛のためには、一定の常備された戦闘専門職は必須だったのだ。この者達なら、全員耐久力F以上だし、確かに使えるかもしれない。


「わかった。だが、あくまで傷が完全に治ってからだ」


せっかく助けたのに無駄死にされてはかなわぬし。


「ありがたき幸せ!!」


 どこかの時代劇かよ。いいか、もう今更だ。

私も時間がない。とっとと始めよう。


「一々、僕におんぶ抱っこでは、話にならん。自身の身くらい自分で守れるようになってもらう。まず、これを手に取れ」


 下位の魔導書を地面に人数分投げだす。出した魔導書は、【火球ファイアーボール】、【風刃ウインドカッター】、【水弾ウォーターバレッド】、【岩弾ロックバレット】の四種類。大した魔法でもないが、マスタークラスにして、魔力さえ上げれば、十分使えるようになることだろう。

 ジュドが触れると、本が発光し、魔導書に、ジュドの文字が浮かび上がる。

 ジュドの選んだ魔導書は、【火球ファイアーボール】、こんな所でぶっ放せば、火の海だ。

 魔導書を各自持たせると、ジュド達全員を促し、トート村の外の森へと連れて行く。


「あの木に右手の掌を掲げて、¨赤き炎よ、我が手に集いて力となさん¨と唱えろ」

「え? あの……」

「早くしろ。私も暇じゃない!」


戸惑とまどうジュドに、語気を強めて指示を出す。


「は、はい」

「赤き炎よ、我が手に――うぉっ!?」


己の掌の先に炎が生じて、球体を為すと、ジュドは頓狂とんきょうな声を上げる。


「早く唱えろっ!!」

「――集いて力となさん?」


 裏返った声で、唱え切ると、球体は前方の大木まで驀進ばくしんし、弾けて消えた。魔力が弱ければ、こんなものだろう。


「た、た、大将、こ、これ?」


 ドモリまくりながらも、当然の言葉を吐き出すジュド。


「その本は魔導書だ。それにより魔法を獲得し、僕の指示通り、修行をしてもらう」


 一瞬の静寂の後、割れんばかりの獣のような咆哮ほうこうが木霊する。


「馬鹿者共っ! 静かにせんかっ!」


叱咤しったし、ようやく収まったジュド達に、とっとと、契約するように命じる。我先にと契約し、上機嫌に声を弾ませる。


「契約が済んだ以上、その魔導書はお前達にしか扱えぬ。収納ストレージで、それをしまい、取出テークアウトで取り出すことが可能だ」


 この機能は、円環領域で魔導書を精査せいさしていたとき発見したもの。私には、アイテムボックスがあるから無用な長物だったわけだが、こいつらには必須の機能であろう。


収納ストレージ!」


ジュドの言葉に、手に持つ魔導書が跡形もなく消失する。


取出テークアウト


 再度、手に出現する魔導書。

 

「わ、私も――」


 カルラもジュドを真似て、歓喜の声を上げる。


「もし、己の魔導書が燃えれば、魔法も使用できなくなるから、それは考慮しておくように」


 顔を感動に膨らませているジュド達に、今後の方針を伝える。

 まず、傷を負っていた三十五人の代表格である黒髪の青年――モスをリーダーとして、トート村の警備の役目を担ってもらう。

 これで、即時にジュド達の全員をサガミ商会の事業へと動員することが可能となった。

この件を他者に他言したら、即、破門し、魔導書を没収する旨を告げて、トート村に転移し、全員に待機を命じる。


                ◇◆◇◆◇◆


 トート村からストラヘイムへ戻ると、ジレスにより、時計が完成したので、ルロイの工房までくるように告げられる。


「これでどうじゃ?」


 目の下に大きなくまを作りながらも、テーブルに置かれた二つの時計に指をさす。

 振り子時計も腕時計も設計通りにつくってある。設計図があるとはいえ、このレベルを、たった三日で仕上げるとは、ルロイの職人魂には脱帽だつぼうする他ない。


「素晴らしいですね。お疲れさまでした」

「そうか、起きたら話を聞かせろよ」


それだけ告げると、地面に大の字で横になり、大きないびきをかき始める。

 豪快ごうかいな人だ。



 それから約三週間後、商業ギルド会館の一階に、振り子時計が設置される。

 三週間かかったのは、平均太陽時を求めるのにかかった時間だ。平均太陽とは、天の赤道上を等速度で運動する仮想上の太陽のことであり、通常、恒星を基準に変換し求められる。

 こうして、この異世界――アルテリアに時計が導入される。 

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