バリタチの私と生意気な先輩と従順な後輩

@papporopueeee

邂逅

1

「燃焼には酸素が必要って学校の授業では習うでしょ? でも、どうして燃焼には酸素が必要なのか知ってる?」

「えーっと、なんか酸素が化学反応を起こすんじゃなかったでしたっけ?」

「ふふふ、まあキリちゃんレベルだったらその程度の理解よね」

「す、すみません、不勉強で……」

「いいのいいの。じゃあ、酸素が燃焼に不可欠であるという理論って説明できる?」

「そこまではちょっと……。先輩はできるんですか?」

「まさか、その逆よ! そんなことは誰にもできっこないわ! どんな天才でも、どれほど偉大な科学者でもね。それがどうしてかわかる?」

「い、いえ……」

「ふふ、それじゃあ教えてあげる。まずね、物が燃えるっていうのは――」


 また先輩の悪癖が始まってしまった。こうなったらもう先輩が語り終えるまで口を挟む余地は生まれない。

 私にできることは適当に相槌を打って、適当に愛想笑いをして、適当にご機嫌を取ること。先輩が満足するまでそれを続けることしかできない。


 自身で振った話題に対して嬉々として早口で語る先輩は、愚鈍な後輩相手にさぞや優越感に浸っていることだろう。

 それでも今は耐えるしかない。こういうのは全部惚れた方の負けなのだから。


 いつしかベッドで先輩を組み伏せるその時を妄想しながら、今は好感度を稼ぐしかないのだ。




「結局は実験したらそうなったってだけなの。何回も実験したら何回も同じ結果が得られたってだけ。つまり、酸素を遮断した燃焼実験の結果が全て不燃焼だったとしても、次の実験の結果がまた同じになるなんて保証も理論も存在しないんだよ」

「なるほどー。確かにそうですね」

「だからね、結局は全部うそっぱちなんだよ。化学も、物理も、数学も、全部虚構の学問なの! 私たちはそんな無駄なことに時間を浪費させられているんだよ! 世の中の大人たちはそんなことも知らないで、勉強を強いることしかしない。ほんっと頭の悪い人たちだと思わない?」


 先輩の長話はいつも通りの結論にいつも通りに着地した。結局は自分の勉学の成績が悪いことへの言い訳をしたいだけなのだ。


「やっぱり先輩の哲学の話はとても面白いですね。さすが部長です」

「やめてよー。こんな二人しかいない部で部長もなにもないってー」


 先輩の表情は満更でもなさそうだが、まったくもってその言葉通りだ。

 そもそも二人だけの部なんて学校が認めていないのだから、これは部活動ではない。


 したがって先輩に部長なんて肩書きはないのだが、本人が喜ぶのなら部長と呼んであげるのが後輩の務めだろう。

 正直調子の乗り具合が少々むかつくのだが、それも後々の楽しみに変わると思えば苦ではない。ベッドインした日を境に形勢逆転とか燃えるし。


「キリちゃんも哲学の本を読んでみたらどう? 来週に先生の新刊が出るから、これをきっかけに哲学者になってみるのもいいんじゃない?」


 まるで自身が哲学者であるような物言いをしているが、その自信はどこからきているのだろうか。


 先輩が先生と呼んでいるのは学校の教員のことではない。先輩が愛読している本の著者のことだ。

 これだけ聞けば先輩のことを立派な哲学少女だと思う人もいるかもしれないが、それは違う。なぜなら、先輩の愛読書は哲学の入門書だからだ。


 入門書とは幅広い哲学のジャンルから取り上げる内容を絞ったり、もしくは内容を浅くしてわかりやすく解説しているものを指す。決して歴史に名を遺す哲学書そのものではない。入門書の中には作者の解釈が入った新説が混ざっていたりと、オリジナリティが溢れるものもあるらしい。


 私に入門書を貶める意思はない。人は誰しも最初は初心者なのだから。初心者のために書かれたものが貶められる謂れはない。特に先輩の敬愛している先生は哲学の入門書を専門に手掛けており、人が哲学に触れるきっかけを多く作った立派な作家なのだと思っている。


 しかしながら先輩は違う。少なくとも哲学者ではないと私は思う。

 なぜなら、先輩は哲学の入門書しか読んでいないからだ。

 数多くある入門書を日々読み耽ることはするが、歴史に名を遺す哲学書を読むことは決してしないからだ。


 読まない理由は簡単で、難しいから。

 もちろん口ではそんなことは言わないが、態度を見ていればわかる。


「うーん。でも哲学書ってやっぱり難しいイメージがあって、ちょっと手を伸ばしづらいですよね……」

「その気持ちはわかるけど、難しいからって臆してたら何も変えられないよ? 私だってここまで哲学を理解するのには時間がかかったし、キリちゃんが私のところまで来るにはきっと時間がかかると思う。でも、それでも始めないと変われないから……!」


 この言い草である。誰も変わりたいなんて一言も言っていないのに。

 この先輩は性格に難がありすぎる。入門書しか読んでいないのに自身を哲学者だと言い切るその脳内回路はどうなっているのか。本当にその脳は哲学に馴染めているのだろうか。


 しかし顔だけはとても好みだ。いや、顔だけじゃなく容姿もめちゃくちゃ私のストライクゾーンに入ってしまっている。

 つり気味のくり目とか、さらさらのセミロングとか、細っこい肢体とか。胸もお尻も平坦で、とても年上には見えない体躯で好みの要素しか詰まっていない。ここまで好みの女性はこれまで出会った女性たちの中にはいなかった。


 せめて男受けするルックスであれば、この性格と付き合うことなんてせずに諦めていたかもしれない。けれど先輩の競争率はとても低く、同性の私でも押せばヤれそうな雰囲気なために、私はこうして哲学部に足繁く通っている。


 好みの見た目で、男からは狙われなさそうで、私のようなバイセクシュシュアルなんて世間にそう多くはない。ここまで条件が揃っていて先輩を逃す手はないと思ってしまったがために。


 ああ、早くあの生意気な口を謝罪と懇願しか出てこない口にしたい。


「……でも、やっぱり止めておきます。私は先輩から聞く哲学の話が好きなので。とってもわかりやすいし、面白いし、それに先輩がたくさん話してくれるのが嬉しいんです」

「そ、そう? そんなに私の哲学の話って面白い?」

「はい、とっても!」


 知識を披露させるために無知を貫く。優越感を与えるために愚鈍を演じる。あくまで相手を立てるために動く。これが私の培ってきた媚び技術である。

 ただ、先輩が話す哲学の話が面白いのというのが嘘というわけでもない。先輩の知識の源流がプロの書いた入門書なのだから当然と言えば当然なのだが。


 だからと言って私が哲学にのめり込むわけにもいかない。私のミッションは哲学を理解することではなく先輩と一線を越えることなのだ。


「そ、そんなに褒められると照れちゃうなー」


 ポリポリと頭をかきながら全力でニヤける先輩。

 チョロい。これはもう抱けるのではなかろうか。なんならこの場でもイケる気がする。学校でするといつもより感じるって子は結構多かったし、先輩もそっち系の気がしてきた。


 決めた。先輩の哲学話に、というか哲学を利用した高飛車な言い訳とか恨み節にこれから先もずっと付き合うなんて御免被りたいし、今日で先輩をネコにしてしまおう。私じゃなきゃ疼きを抑えられない体にしてしまおう。


 中学時代は手を出しすぎて学級崩壊を起こしかけたけど、今回は先輩一人だけだし。磨き上げたタチ力にも自信あるし大丈夫でしょいけるいける。


「先輩、あの――」

『コンコン』

「ぴっ!?」


 部室の扉を叩くノックの音に先輩が飛び上がる。残念ながら邪魔が入ってしまったらしい。


「……お客さん、みたいですね?」

「あ、えと……キリちゃん?」

「はい、私が対応しますね」

「あ、ありがと……」

「いえ、後輩の私が対応するのは当たり前のことですので」


 先輩の性格に難があるとは言ったが、それだけだと語弊があったかもしれない。

 先ほどまでの自信満々な態度はどこにいったのか。先輩は椅子の上に小さく縮こまってしまっている。

 

 極度な人見知りと根暗体質。友達なんてこの学校内はともかく外にもいない。誰かに害を成すことも、影響を与えることもない。それが普段の先輩なのだ。

 それ故に鬱屈しているものが解き放たれるのか、先輩は私のような親しい仲には図に乗ってしまうらしい。


 普段はおとなしい人間が急に調子づくと癪に障るのが人間というものだ。もしかしたら、先輩はその性格が災いして友達を無くしたのかもしれない。もしもそうだとしたら、少しの同情もある。自分の性格なんて簡単には矯正できないのだから。

 私だって、性欲一直線な自身の性格が褒められたものではないなんてことはわかっている。


 それはそれとして先輩を許すこともしないのだが。苛つくことには変わりないし。

 もしも時が来て先輩がベッドの上で謝罪しても絶対に許さないし、泣き叫んでも止めるつもりはない。むしろ懇願するようになるまで可愛がらないと気が済まない。


「キリちゃん……どうかした?」

「あっ、い、いえ……何でもないです。それじゃあ開けますね?」


 今は先輩よりもこの来訪者を何とかしなければ。私と先輩の蜜の時間を邪魔するなんて、例え教員であろうと許せない。


「どなたですか……っ!?」


 扉を開けると、そこには長身長髪ナイスバディな女性が立っていた。


 ……やばっ、めちゃくちゃ好みなんだけどこの人。

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