第330話 対分体(後編)

 床面の蜘蛛の糸がうねり、まるで触手のように俺に絡み付いていく。そこから逃れようと全身から黒刃を出してもがくも、ネバネバの蜘蛛の糸は余計に絡み付いていき、俺は蜘蛛の巣に捕まった憐れな蝶のように糸にぐるぐる巻きにされてしまった。


「くっ」


 ぐるぐる巻きとなってしまうと、黒刃を振るうにもゼロ距離では威力は低減して何も切れない。俺は立っているのもままならなくなり、無様に床面に倒れ、分体が兜の向こうの暗い瞳でこれを見下す。


「憐れな姿だが、お前がこう言う逆境をバネにして、数々の場面を打開してきた事を、俺が一番良く知っている」


 言って分体が手を振ると、俺は長方形の箱のような物に、頭だけ出して拘束されてしまった。そして中空には俺を狙う黒剣の数々。


「まるで手品イリュージョンの一幕みたいだな」


 これに鷹揚に頷いてみせる分体。


「そうだろう? 何せ俺の本体の最後だからな。はなむけに趣向を凝らしてみたんだ」


 こいつは本当に俺の分体なのだろうか? 性格が違い過ぎて分からなくなる。それとも外から見たら、俺はこう言った人間に見えているのだろうか?


「さて、観客席にはバヨネッタ一人だが、まあ、ここの外ではオルたちがモニターしているんだ。ライブ中継だと思えば気分も上がるだろう?」


「殺人を観覧させる趣味が俺にあったなんて、本気でカウンセリングを考えてしまいそうだよ」


「なあに、人間なんて一皮向けば、中身は他者を見下し、自分だけが得をしたい。他者の不幸を肴に、愉悦の入った盃を呑む事を至上の喜びと思っているような、ドス黒い欲望の塊なんだ。気にするなよ」


「それを理性でコントロールするのが人間なんだよなあ」


 俺が嘆息すると、分体は肩を上下させて首を横に振るう。


「こんな身体になっている時点で、人間辞めているって気付いているだろう?」


「心まで外道に落ちた覚えはねえよ」


「見解の相違だな。まあ、今後は俺がニューハルアキとして新たな人生を歩んでやる。魔王トモノリだって俺が倒してやるよ。だから、安心して死にな」


 そう言って分体は俺に向かって右手を突き出し、その手の平を、何かを握り潰すように握った。同時に俺に襲い来る数多の黒剣。


 ドオオオオオオンンンンッッッ!!!


 剣が箱に突き刺さると同時に、箱が大爆発を起こした。爆発と爆風で剣も箱も壊れて吹き飛び、辺り一帯は煙に覆われる。


「自殺かあ!? そんな訳ねえよなあ!?」


 当然だ。自爆ではあったけどな。身体が身動き取れなかったから、分体と会話をしている間に、箱の中を可燃性の魔力で満たしていたのだ。それが剣が突き刺さる衝撃で爆発した。うん。傍から見たら自殺だね。


 俺的には『闇命の鎧』があるから、もっと爆発の衝撃をやわらげてくれるかと思っていたが、自分の魔力が五倍になっているのを忘れていた。


「最悪だぜ!」


 言って俺は煙の中を分体に向かって飛び掛かり、頭を横に振るい、その頭から伸びる黒刃で斬り掛かる。


 ギインッ!


 が、それは分体も予想の範疇だったのだろう。腕を十字に交差させてこれを防いだ。だがそれは俺も予想の範疇だ。俺は両足からも黒刃を生やし、更に翼も使って連続攻撃を食らわせていく。


 先程までと打って変わって防戦一方になる分体だったが、これでは仕留め切れず、上手くいなされる回数が増えていく毎に、分体が徐々に冷静さを取り戻していくのを感じ、煙が晴れたところで、俺は攻撃を中止して、一旦分体と距離を取った。


「まさか本体が自爆してくるとは予想外だったぜ」


「ああ、俺もまさか両腕が吹き飛ぶ程の威力になるとは思わなかった」


「はっはっはっ! 情けねえ姿だな!」


 俺の両腕は爆発で見事に吹き飛んで、鎧の下には肩から先がない。肩から出ているのは、アニンを思わせる黒い靄だ。


「全く、拘束された人間が、見事に生還するのがショーの醍醐味なのに、これじゃあショーが失敗だな」


「はっ、そんな腕じゃあ俺に対抗するのも難しいだろ?」


「だと思うだろう?」


 俺の挑発的な言動に、何かを感じ取った分体は後退りしようとするが、失敗した。出来なかったのだ。その原因を求めて分体が足元を見遣れば、先程の爆発で飛び散った俺の腕が、分体の足を掴んでいた。


「くっ」


 反射的に俺の腕を振り払おうとする分体だったが、そうはさせない。


 ボンッ!!


 分体が俺の腕を振り払うよりも速く、俺の腕が爆発した。いや、俺が腕を爆発させた。すねから先が吹き飛び、ドサッと床面に落ちる分体。


「良い格好じゃないか。分体にごときにはお似合いだ」


「お前こそ、ウイルス入っていない本体にしては、なかなかトチ狂った攻撃仕掛けてくるじゃないか」


 言いながら分体は足を再生させた。


「いやいやいや、これからだよ分体くん」


 俺は出来る限り穏和な声音で分体に語り掛ける。一方で俺は『闇命の鎧』を浅野たちが着ていたようなボディスーツに変化させた。そして中空に百を超える手を出現させる。


「本体のくせに俺の真似か?」


「爆弾だよ。分かって言っているだろ?」


「…………」


 黙るか。まあ、そうなるよな。


「負ける覚悟は出来たかな?」


「何だと?」


 声に怒気が籠る分体。


「分かっているだろう? 自分の足を吹き飛ばす程の爆弾に対して、自分が有効な対抗策を持ち得ていない事を」


「何を馬鹿な事を!」


 分体が一歩後退る。


「だってお前、『聖結界』使えないだろう?」


「…………」


 黙ったか。否定したかっただろうが、プライドが邪魔して、否定する言葉を飲み込んだか?


『聖結界』があればあの程度の爆発簡単に防げるはずだ。だが分体にはそれが出来ない。分体はウイルスによって悪意が増幅されているからだ。『聖結界』が使えなければ、自身を覆い尽くす盾でも出して隠れるしかないが、それにも限界はある。爆弾も物量で攻められれば、いずれ盾も鎧もその限界値を超えて壊れてしまうのだから。


「…………本体よ」


「悪いが、どんな説得をしてきたところで、お前の死は決定事項だ。俺はそれを覆す事はない」


「…………そうだな。だからと言って、ただ座して死を待つつもりはないぞ。最後まで足掻いてやる!」


 そして分体も『闇命の鎧』をボディスーツに変える。本当に、生に貪欲と言うか、欲望に忠実なやつだ。こう言う事されると、憎み切れないじゃないか。


 しばしの睨み合いの後、俺と分体は真正面からぶつかった。浅野からこのボディスーツがどう言うものか説明を受けていたが、やはり機動力が違う。この状態は『闇命の鎧』を更に圧縮した状態なので、強度も機動力もアップしているのだ。その分魔力消費は激しいが。


 分体との戦闘は五つの坩堝を全開にし、更に闇のボディスーツまで持ち込んでの高機動戦闘へと突入した。


 腕や足に黒刃を生やし、白い茫漠な空間を、互いに縦横無尽に駆け回り、殴り、蹴り、斬りつける。


 こちらの手数、あちらの手数はともに同数ながら、爆弾手を上手く複数体の巨手を巻き込む形で爆発させていった事で、相手は徐々に体力魔力ともに摩耗していき、気付けば分体を守るものは巨手もボディスーツも、何もなくなっていた。俺と同じ顔が俺を睨んでいる。いや、恨んでいた。


 俺の爆弾手が四方から分体を取り囲む。


「…………」


 俺は分体に向かって何か言葉を掛けようとしたが、掛ける言葉が見付からず、何か言ったところで、それが蛇足にしかならない気がして、気分が落ち着いて弱気が顔を覗かせる前に、無言のまま首を刎ねた。


 落ちた首は恐ろしくて見れなかった。なのに何故かずっとその首に睨まれている気がして落ち着かず、分体が消えてなくなるまで、耳元に心臓があるんじゃないか、と言うくらいドキドキが煩かった。

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