第72話 伯爵別邸にて(後編)
怒り心頭のベフメ伯爵に対して、カージッド子爵が頭を床に付けんばかりに謝っている。貴族が貴族にここまで平身低頭する姿を見る事になるとは思わなかった。
別に見たくて見た訳じゃない。ベフメ伯爵がカージッド子爵が食堂に入ってくるのを禁じた為に、扉のところにカージッド子爵が留まる事になり、俺たちが食堂から出られなくなってしまったのだ。なので俺たちは、食堂の中でも両者から少し離れた場所、窓際に立って事の成り行きを観察していた。
「こう言う事って、流石に普通ではないですよね?」
俺はオルさんに耳打ちする。
「そうだね。伯爵は上位貴族で、子爵は下位貴族になるから、首都でなら別邸に呼び付けて、謝らせる事もあるかも知れないけど、ここはカージッド子爵の領地だからね、そこでわざわざ子爵自ら足を運んだのは、ベフメ領の砂糖がそれだけオルドランドの貿易で重要な位置にある事を示している証左だと思う」
貴族社会も大変なんだな。貴族の中にも上位とか下位とか格差があるのか。
「ベフメ伯爵も、後からこんなに文句言うなら、自領の騎士たちに護衛させれば良かったのに」
「それは難しいかな」
「そうなんですか?」
首を傾げる俺に、オルさんが頷いて教えてくれた。
「領地と言うのは国の中の小さな国のようなものだからね。もし、自領の騎士や軍を他領に派遣すれば、それだけで越権行為だ。ともすれば領同士の戦争に発展する事だってあり得る」
成程。確かに日本の警察だって県警やら所轄やらがあって、それを越えて捜査は出来ないって刑事ドラマでやっていた気がする。似たようなものかな。
「それでベフメ伯爵は他領であるカージッド子爵の騎士団に頼らざるを得なかった訳ですか」
「そうなんだけど……」
「だけど?」
オルさんは何か引っ掛かるようだ。
「今回の話は他国であるカッツェルとの友誼の為に、自領の令嬢を送り出したんだ。こう言う場合は事前にベフメ領とカージッド領、更には首都の評議会とも打ち合わせをして、両者から護衛を出すのが普通だ。自領の令嬢の護衛を、他領の騎士だけに任せる事はまずない」
まあ確かに。また刑事ドラマの話になるが、県を跨いでの捜査の場合、合同捜査本部なんてのを立ち上げて、事件に当たっているのを見たことあるもんな。他国が絡んでくるなら尚更だ。
「おかしな話ですね」
「そうだね」
「そう言えば気になっていたんですけど」
「何だい?」
「ベフメ領の領都って、ブークサレから近いんですか?」
俺の質問の意図が分からなかったのか、オルさんは首を傾げて俺の顔を覗き込んできた。
「カージッド領とベフメ領は隣り合わせの領ではあるが、それでもベフメ領の領都からここブークサレまでは、車でも何日か掛かる……」
そこでオルさんは俺の質問の意図を理解してくれたらしい。サーミア嬢はベフメ伯爵が領都にいると思っていたが、本当に領にいたのなら、昨日の今日でこの場にいるのはおかしいのだ。いや待て。バヨネッタさんの転移扉みたいな魔道具があれば別か。と俺はバヨネッタさんをちらりと見遣る。
「
とのお言葉。やっぱり珍しい物なのか。でも伯爵がそう言うスキルやギフトを持っている可能性だってある。いや、それなら昨日のうちにここに着いているか。
やっぱり伯爵は領都にいなかったと考えるのがしっくりくる。まるで自分の娘が襲われるのが分かっていたかのように。
俺の視線は自然とオレンジ髪の家令に向いていた。と、その家令と目が合った。
「何だ貴様ら、まだそんなところにいたのか! これは見世物じゃない。とっとと失せろ!」
いやいやいや、あんたらの問答のせいで俺らここから出られなくなっていたんだけど? などとは口が裂けても言えない訳で。俺たちは一礼だけすると、カージッド子爵の横を通って食堂を後にしたのだった。
「おお!」
ムカムカしながら玄関から外に出た俺だったが、玄関前に置かれていた物を見て、すっかりテンションが上がってしまった。
それは、見た目は馬車のように黒塗りのボックス型の乗り物だが、それを牽く馬の姿は見当たらない。そして御者台にはハンドルが付けられ、足元にはペダル。これは……!
「これって自走車ですか?」
バヨネッタさんとオルさんを振り返ると、俺のテンションの高さにやや引きながら、肯定するように頷いてくれた。
おお! やはりこれが自走車か! 話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。側面にベフメ伯爵家の紋章が描かれている事から、これがベフメ伯爵家の所有物であることが分かる。流石金持ち領主。他が持っていない物を持っていらっしゃる。
そして俺たちが来た時にはなかった自走車がここにある。と言う事は、ベフメ伯爵がこれに乗ってここにやって来たと言う事だろう。
俺が興奮を隠し切れずに、前から横からベフメ家の自走車を眺めていると、テヤンとジールに牽かれた我らの馬車がやって来た。
う〜ん。まあ、馬車は馬車で悪くないかな。と自分を納得させ、俺は後部のドアを開ける。バヨネッタさんとオルさんが乗り込んだところでドアを閉めると、自らはアンリさんが座る御者台の横へ。なんだかここが定位置になって落ち着くようになってきたな。
そう思いながらも、俺は遠ざかっていく自走車に後ろ髪引かれるのを自覚していた。
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