幻の白い牙

冷門 風之助 

牙の1

 ◎初めに・・・・この物語にはいささか動物虐待に関する描写が出てきます。もし犬や猫、或いはそれ以外の動物を愛して止まない動物愛護家の方々がいらっしゃいましたら、直ちにお読みなる事を中止されるのをお勧め致します。◎

 

俺は古びた社のきざはしに腰を降ろしていた。

 腕時計に目を落とすと、LEDに照らされた青白い明かりが、『01:00』という数字を照らし出す。

 耳に聞こえてくるのは風が樹々を揺らす音、それだけだ。

 

 山道を滑らぬようにふもとからざっと2時間かかって登り、この人気のまったくない、古びた社について、更に2時間が経過したことになる。

 腰に下げていた水筒を取り、水を飲む。

 それからまた腰に手を伸ばし、ウエストポーチからシナモンスティックの包みを取り出して一本咥える。

 これでもう一袋を空にした。

 残りはあと一袋だ。

”節約しなくちゃならんな”

 心の内でそんなことを呟きながら、スティックを口の端で揺らした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 その男が俺の事務所オフィスを訪れたのは、今から三年ほど前の、四月手前のまだ肌寒い土曜日の事だった。

 彼は妙にぎこちなくノックし、俺が声を掛けるとドアを開け、一旦立ち止まって最敬礼をし、右足を引きずりながら室内なかへと入ってくると、勧められるままにソファに座った。

”コーヒー、それもブラックしかありませんが構いませんか?”俺の問いかけに彼は黙って頷き、キッチンから盆に乗せたカップを持ってくると、彼は傍らに提げていた黒い鞄を脇に置いて、背広の内ポケットから名刺を出した。

 カップを前に置いてやり、改めて観察をする。

 七三に分けた髪、

 黒縁の眼鏡。

 少しばかり面長の顔立ちは生真面目そうな印象を受ける。

 気になったのは顔のところどころに青あざや切り傷がある事だった。

 俺は彼の出した名刺を手に取り、目の高さまで持って行った。

”城北大学理学部野生動物研究学科准教授、理学博士・奥田洋平”

 名刺にはそうあった。

 城北大学といえば、私立だが、理科系の学部が有名な、一流大学といってもいいところだった。

『法学部の松平教授はご存知ですね。弁護士でもある』奥田准教授はコーヒーを一口飲んでから、真面目そうな口調でそう言った。

 松平教授というのは、懇意というほどでもないが、何度か顔を合わせている。

 ご存じの通り、俺は小、中、高校から大学に至るまで、教師とか教授とかいう

先生センコウの類とは昔からあまり相いれない関係である。

 その理由についてはもうくどいほど書いてきたから、ここでは省略させて貰うが、松平氏の事はそれほど嫌いではなかった。

 大学教授らしからぬ、ふんぞり返ったところがあまりないし、弁護士資格を持っていても、さほど法律を盾に嫌味を言うタイプでもないから、その点だけはこっちも安心して、時折仕事を回して貰ったりしている。

 今日もその一環という訳だ。

『松平氏(なんて、絶対に呼んでやるものか)から電話は貰ってますし、私の噂は聞いておられるでしょう。法に反しておらず、筋が通っていて、尚且なおかつ結婚と離婚に無関係な依頼であれば、大抵はお引き受けします』

 俺はコーヒーを口に運び、シナモンスティックを齧った。

 彼は大きく頷いて、傍らに置いてあった鞄を開き、中からホチキスで綴じた書類を一冊と、それからクリアケースに入れた幾枚かの写真を取り出し、卓子テーブルの上に並べた。

『これをご覧になってください。』

 随分勿体ぶった口調で言う。

 書類の表紙にはゴシック体の活字で、

”和歌山県o山系におけるニホンオオカミ生存説の実態について”

 とある。

 次にクリアケースを手に取り、中にある写真を見ると、そこにはおそらく定点監視カメラで写したものだろう。

 写真の前を横切る、数頭の”犬”に似た動物の姿が捉えられていた。

『貴方へのお願いというのは、このO山系の一部である神代山・・・・この写真が撮られた場所です・・・・に出かけて、是非ともこの”二ホンオオカミ”の存在を確かめて来て貰いたいのです』

 

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