ビトウィーン・ワールズ

@yumarse

プレ・ファースト・コンタクト

大崎1尉は船外活動服の左腕に取り付けられた端末に目をやり、酸素残量、与圧状態、ジェットパックの持続時間などを確認した。管理庁から保安隊へ出向して半年。10回目の船外活動を終えるころにはもう、使いまわしの船外活動服の汗臭さには慣れた。バディとなる天野2曹は大崎よりもいくらか年下の20代前半。階級も下だが、高卒で保安隊に入ったからベテランだ。大崎がやっと活動服の上半身の装着に取り掛かるころには、自分の装着は終えてヘルメットを小脇に抱えて大崎を手伝いに来る。


「あかつき105からOCオーシー

『OCです、どうぞ』

「これからあかつき102と2名で、第3発電翼のスライムよう物体の調査回収に向かいます、どうぞ」

『OC了解。よろしく頼みます、どうぞ』

「以上、あかつき105」


オペレーションセンターとの無線を終了すると、大崎と天野はバイザー越しに目を合わせうなずきあった。エアロックでの減圧が完了すると、無重力の中、駐機場に並んだ全長2メートルのスピーダーのもとへ体を飛ばす。スピーダーの尾部には運搬用コンテナがアタッチされている。大崎はスピーダーを操縦するのが好きだった。コロニー生まれなので実際に乗ったことはないが、地球に生まれていたらオートバイも好きだっただろうと思う。大崎は先にスピーダーの前側にまたがり、ハンドルを握った。

「今日も、俺が運転するよ」

「了解です。好きですね」

本来は下位者が運転し、上位者である大崎は後ろに乗って指揮と通信を担当するのが決まりだが、天野は大崎が運転好きなのを知っていた。大崎はあと1年半もしたら、管理庁で背広を着て勤務する毎日に戻るだろう。今のうちに第一線でないとできない経験をさせてくれと普段から言われていることもあって、天野は素直に譲った。大崎がエンジンを指導させた。スピーダーは駐機場を出ると、滑らかにコロニーの外壁を走る。外壁の近くでは、噴射剤ではなく磁力を使い、埋め込まれたレールに沿って進む。目的地の第3発電翼までは約5分。顔を上げると、左上方に青いビー玉がぼんやりとした光を放ちながら浮かんでいた。地球だ。


スペースコロニー"あさひ"は、当代最新鋭のスペースコロニーだった。あさひに6枚ある薄い発電翼は偏向シールドでスペースデブリから保護されている。しかしシールドには不具合も多かった。たびたび防ぎきれない隕石が衝突し、修理を要した。修理は通常なら保守局のドローンの仕事であって保安隊の出る幕ではない。今回事情が違ったのは、デブリの衝突箇所を撮影したドローンの映像に、異様なモノが映っていたのだった。

「大崎係長。映像のアレ、一体何だと思います?」

近接系の無線で、背中から天野が問いかける。

「地球外生命体」

大崎は前方に見えてきた発電翼に目をやりながらニヤりと答える。

「半分冗談、半分本気って感じですね」

「生命体は言い過ぎだとしても、有機体の可能性がある。そうなら世界初の大発見だ。出向前は研究室で太陽系外からの飛来物をたくさん見たけど、あんなものは見たことがない」

大崎が幾分か、いやかなり興奮していることが、天野には分かった。


ドローンが撮影した破損個所の映像は、午前4時の当直室をざわつかせた。隕石が貫通した穴の横に、スライムのようなブヨブヨした茶色の物体が映っていたのだ。ドローンが撮影する角度を変えると、その直径20センチメートルほどのスライムのような物体はつるりとした表面から光を反射した。発電翼の揺れにあわせて物体は震えた。低温の宇宙空間でこのような物体が存在することは稀だ。若い隊員は「エイリアンのクソかな」などと軽口を叩いたが、幹部陣はこの物体の科学的重要性を見出していた。

「大崎係長、コレなんだい?」

この日の当直長は、いつもとぼけた雰囲気をしている湯浅3佐だった。仮眠から叩き起こされた大崎は、寝ぼけまなこをこらし、メインディスプレイに映ったドローン映像を見た。

(宇宙人のウンコですかね)

起き抜けに聞いた若い隊員の軽口を復唱しかけて、上官の前であることを思いだした大崎は「分かりません」と一言答えた。

「このスライムみたいな物体、どうも一定の電気的パターンを出してます」

別の当直幹部の一人は大崎にそう言って、コンソール画面を指で示した。大崎がその指先を見る。

「・・・周期的ですね。人工的なものみたいだ」

大崎の眠気はだんだんと飛んで行った。管理庁の役人であると同時に科学者である大崎にとって、地球外生命体は長年追っているテーマだった。

「ドローンをもっと近づかせてみたんですが、どうもこの電気的パターンは強い電波みたいなんです」

当直幹部が腕組みをしながら言う。

「物体から5、6メートルくらいまで近づくと、ドローンとの通信が切れちゃうんですよ。映像も止まる。ドローンがそれに気づいて自律行動で物体から離れると、通信が復活するんです。スライムが妨害電波を出してるって感じですね」

そういうと幹部は、大崎の顔を見た。この日の第3オペレーションセンターの当直メンバーで、宇宙科学に詳しいのは大崎だけだ。当直室の全員が自分に耳を澄ませていると、大崎は感じた。とはいえこんなものは大崎にとっても、見たことも聞いたこともない。

「これだけではなんとも分かりません。回収したいですね。今の話だと調査ドローンでの回収は無理ですね。保守局への連絡は?」

大崎の問いに、湯浅当直長がやれやれといった調子で答えた。

「今日はデブリが多くてネ。こっちと同じころ、居住区近くのシールド発生装置がヤられちゃったんだヨ。自律動作が可能な作業ドローンはそっちにかかりきりだから、あと4時間は寄こせないってサ」

「4時間も待ってたら、別のデブリがスライムを吹き飛ばしてしまいますよ」

大崎が愕然と答える。

「だよネ。・・・大崎係長でもコレ、見たことないってことだよネ。ってことは貴重なモノだよネ?」

「ノーベル賞ものです」

「じゃあ、拾いに行こう」

湯浅当直長が大崎の肩に手を置いた。


スピーダーはスライムのある破損個所へ向け、コロニーの外壁を走る。

「もしこれがスゴイ発見だったら、大崎係長は管理庁に戻っちゃいます?」

タンデム席から、天野が無線で問いかける。

「いや、そうはならないと思う。出向は2年間って決まってるからね。残念だけど研究は管理庁に任せるよ。だけどブツに、俺たちの名前が付くかもしれないな・・・そろそろだ。レール走行解除」

大崎はスピーダーの操作盤に触れ、磁力を解除した。自由飛行だ。飛び立つが早いが、オペレーションセンターから気色ばんだ声が飛び込んできた。

『至急、至急。OCからあかつき105』

「あかつき105です、どうぞ」

船外活動中の至急報は大崎にとって初めてだ。つかえるようなゾッとしたものが一瞬、胸を襲った。

『ロングレンジセンサーが追加のデブリを検知。あかつき105の現在地までの想定到達時間、30分後』

それを聞き大崎はスピーダーのサイドミラー越しに天野の顔を伺う。暗くて顔までは見えない。

『中止か続行か、当直長は大崎係長の考えを聞きたいと言ってます。どうぞ』

5秒ほど、大崎は考えた。

「あかつき105了解。衝突箇所まで往復8分、回収作業に5分。ですから13分ほどで外壁に戻れます。間に合うと思いますがどうですか、どうぞ」

『追加デブリの到達予測地点は、発電翼先端付近。よって13分で外壁まで戻れればおそらく安全です。ただ、センサーは小さいデブリは見逃がします。保証はできませんよ。どうぞ』

また5秒ほど、大崎は考えた。後ろの天野は黙っている。彼は肝が据わっている。沈黙に背中を押されるように、大崎は答えた。

「発電翼先端部分にデブリが来るということなら、スライム様物体が破壊される可能性も高いです。回収できなくなると困ります。作業継続しますと当直長にお伝えください、どうぞ」

今度はオペレーションセンターが10秒ほど黙った。無線係は裏で、湯浅当直長と話しているのだろう。

『OC了解。危険を感じたらすぐ戻ってください、どうぞ』

「了解。以上、あかつき105」

無線を近接系に切り替えて、大崎は天野に話しかけた。

「わるいけど、つきあってくれるかな」

「わかってますよ、大丈夫です」

半年の付き合いでしかないが、年の割に落ち着いていて如才ない現場人である天野を、大崎は信頼していた。大崎と天野はバディとして特に多くの時間を過ごしていたため、近ごろは少ない言葉でも互いの考えることが分かるようになっていた。


発電翼の先端部分が見えてきた。発電翼から20メートルほど上空に浮遊する調査用ドローンのパイロットランプが見える。

「あかつき105からOC」

『OCです、どうぞ』

「まもなく現着、どうぞ」

『了解。該当箇所付近の偏向シールドは解除するよう保守局に連絡済み、どうぞ』

「ありがとうございます。物体の影響でしばらく通信が途絶えます。以上、あかつき105」

スピーダーは穴の開いた破損個所とスライムの真横に到着した。大崎はスピーダーを停車させると、天野に問いかけた。

「天野、聞こえる?」

「はい。近接系無線は生きてますね。遠距離無線は確かに使えないみたいですが」

天野は答えながら、既にスピーダーから降り、コンテナから電動カッターを取り出し始めていた。作業はカッターで該当付着部分約30センチメートル四方を発電翼ごと切り出し、隔離容器内に収容するというものだ。こういった飛来物体に直接触れることは、行動規範で固く禁止されている。活動服や船体の損傷、予期せぬ事故、疫病などの可能性があるからだ。上空のドローンが作業者である大崎たちを検知して、作業箇所に対してヘッドライトを照らしてくれた。茶色い物体が怪しく光る。

「・・・ヘンですよね」

天野がつぶやいた。

「デブリの穴は30センチほど。その横に、一塊ひとかたまりだけスライムがひっついてる」

「何がヘンなんだ?」

「スライムはどうやってここにくっついたんですかね?隕石が高速で衝突して貫通したなら、スライムも貫通してどこかへ飛んでいくはず」

天野は穴を見つめながら続けた。

「それか、もし隕石全体にスライムが付着していて衝突の時にスライムが飛散したのなら、スライムは穴の周りにいくらか付いてるはずでしょ。でもスライムは、この小さな一塊だけです」

大崎は直径20センチほどの茶色いスライムと、その横に開いた直径30センチほどの穴を見比べた。穴の向こうに黒い宇宙が見える。たしかにこれでは、誰かがおあつらえ向きにスライムを穴の横に置いたかのようだ。映像を見たときは気が付かなかった。

「たしかに・・・ヘンだね。とりあえず今は回収を急ごう。ドローンが映像を撮ってるから後で調べられるさ」

天野が切断を開始した。火花が散る。発電翼が少しずつ切断される。スライムの周りが四角くカットされていく。


突然、視界の端で別の火花が散った。大崎が上空に顔を向ける。ドローンが、火花と共にバラバラになっていた。ドローンのライトが消え、大崎と天野の船外活動服のヘッドライトだけがあたりを照らした。

「・・・まずいぞ」

ドローンの方向を見た大崎のヘッドライトが照らしたのは、無数の小さい石ころが帯状になって飛ぶ様子だった。秒速数キロメートルの石ころの大群だ。想定より20分以上も早い。これほど密集したデブリ群を、ロングレンジセンサーが検知できなかったのか?

「戻りましょう」

天野がカッターを止める。スライムの周りはもう8割がた、切断されていた。

「あと少しじゃないか、終わらせよう」

「デブリが来てます。中止しましょう」

「しかし・・・」

大崎はスライム様物体に目をやった。ヘッドライトが物体を照らす。世紀の大発見。人類が宇宙で孤独でないことを示す証拠。かもしれないもの。


次の瞬間、天野の体がわずかに回転し、バイザー越しの顔が歪んだ。船外活動服の左の上腕を、右手で押さえている。デブリが船外活動服をかすめたのだ。活動服の端末に赤い警告文字が点滅しているのが見えた。ほどなく大崎と天野の周囲に、次々に小さい隕石が衝突し始めた。天野の負傷を目にして、大崎の腹は決まった。

「作業中止。戻ろう」

大崎は、天野がスピーダーのタンデム席にまたがるのを助け、次に自分が操縦席にまたがった。カッターは置き去りだ。スライム様物体に目をやった。茶色のはずの物体は、緑色に光っていた。デブリが発電翼にぶつかり表面が震えると、スライムもぷるぷると光って震えた。ルールを破って手づかみで物体を持ち帰りたい衝動に抗い、大崎はスピーダーを起動し、外壁目指して最大噴射で離脱した。スピーダーのサイドミラーで後ろを見やる。つい15秒前まで自分たちがいた場所の発電翼が崩壊した。スライムはもう見えなかった。


「すみません。俺が迷ったせいで、作業が終わりませんでした」

「あそこでやめてなかったら死んでたよ。俺こそすまなかった。腕はどう?」

「痛いです」

大崎はバイザーの中で小さくため息をついた。命は助かった。しかし、新しい世界の幕開けが遠のいたのかもしれない。次の扉が開くのは、明日か5年後か100年後か。スピーダーは発電翼の根元に到着し、外壁レールでの磁力走行に切り替えた。大崎はそれきり黙っている。気落ちした大崎の小さくなった背中を見て、天野は言った。

「大崎係長。俺の左足のつま先、見えますか?」

「つま先?」

大崎が振り返り、背中越しに天野の足先を見た。船外活動服のつま先に、茶色の粘着質な物体がわずかに付着していた。

「・・・行動規範違反だ。足を切断することになるかもしれない。変な病気にかかるかもしれない。クビになるかもしれないぞ」

「わざとじゃないです。気づかないうちについちゃったから、事故なんです。あと、嬉しそうにいうことじゃないですよ」

オペレーションセンターに無線を入れることも忘れて、大崎はスピーダーを駐機場へ走らせた。

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