第二十七章 初バイトin異世界(5)
「……ナタリーア、起きてたの?」
腹の奥から絞り出す声。
声に震えが伴わなかったのが救いだろうか(少し声質が低くなったのはいただけないが)。
そう、まだ寝ているだろうと思っていたナタリーアがぼんやりとした暗い表情で、扉を開けて暗がりからこちらを覗いていたのだ。
これには正直驚いた。
驚いて持っていた盆を落とさなかった僕を褒めてあげたいくらいだ。
ナタリーアは僕の顔を金と銀のオッドアイで見つめると、
「ーーーーーどうぞ、部屋に入って」
徐に入室を許可してくれて、フワフワの少し寝癖のついた白い髪と垂れ兎耳を翻して再び暗闇が支配する自室へと引っ込む。
彼女に促される形で僕は部屋の中に足を踏み入れる。
ナタリーアはベットの縁に腰を掛けており、枕元に置いてあるナイトテーブル上に設置された燭台に火を灯していた。
(こんなに暗いのにスムーズにベットまで行けたんだな)
案外夜目が効くのかな?
ナタリーアが燭台に火を灯したことにより部屋に多少の明かりがもたらされたことで僕の視界にほんのわずかだが家具の位置が映し出される。
暗闇の中を進まなくて良かったことに安堵しつつ本来の目的を思い出した僕は部屋の中央に置かれたテーブルへと歩み寄って机上にお粥入りの器が載った盆を置く。
少しは冷えてしまったかもしれないが、まだ湯気は出ているのでセーフかな、と僕は粥を食べるようにナタリーアに声をかける。
「お腹、空いてるでしょう? ほら、せっかくフレイヤが作ってくれたんだし、少しでも良いから食べようよ」
口に合うかどうかは分からない。
だけど空腹にこの匂いは堪えるはずだ。
元皇女だったナタリーアにはすごく質素な食べ物かもしれない。
だけど奴隷に身を窶した敗戦国の彼女には温かな食事はどんなごちそうにも勝る馳走に他ならない。
その証拠にナタリーアは、お粥入りの器が載ったテーブルをチラチラとオッドアイだけを動かして見てきてる。
本能が食べたい、と訴えているのだろう。
だけど、心が、理性があと一歩を踏み止まらせているのだ。
警戒、してるのかな?
いや、きっと怖いのだろう。
錯乱した自分を、我に返ったナタリーアが恥て恐れて、そして自分ですら恥じ入る失態を僕を含めた第三者がどう受け入れるのかが怖いのだろう。
恐怖に支配された心は臆病になる。
彼女は皇女である前に一人の女の子なのだ。
心に受けた傷は深く、それを容易に受け入れられるほど成熟していない。
そんな彼女に僕が出来ることとは?
きっと何もないだろう。
だけど、なにも出来ないからといって彼女を放って部屋を出る選択肢はない。
僕は彼女が落ち着くまで傍で見守る役だけに徹した。
さながら気分は警戒心マシマシな野良猫を保護した人間の気持ちか。
下手に構うと余計に心を閉ざしてしまう。
奴隷とかご主人様の関係は無しにして、僕は彼女とーーーーーー、ナタリーアと対等な関係になりたい。
こんな言い回しは難しいか。
簡単に言えば友達になりたいのだ。
もっと単純に言えば、そう。
話し相手が欲しい。
一人ぼっちでこの世界に迷い込んでしまった僕にとって話し相手を得られるだけでも貴重なのだ。
そんな僕の思いを汲んでか知らずか、部屋の隅で震えていたナタリーアはようやく落ち着いてきたのか、そろりそろりとした足取りで粥を置いたテーブルへと歩み寄ってきた。
やはり空腹には勝てないよな。皇女といえど彼女も一人の人間と何も変わらない。
とはいえ彼女は皇女であり、年頃の女性でもある。
情緒が不安定でも一定の気恥ずかしさやプライドはあるようで。
気恥ずかしそうに雪のように白い全身を赤く染めて、それでも毅然とした態度でテーブルにつく。
そして優雅さを感じさせる品の良い動作でホカホカと湯気が上るお粥を掬い、形の良い唇を僅かに開けて粥が申し訳程度に載った木匙を咥える。
モグモグと味わうように麦粥を咀嚼していたナタリーア。
彼女は目を見開けてポツリと一言。
「ーーーーーー美味しい」
心の奥底から捻りだした、嘘偽りない彼女の本心から出た言葉だ。
フレイヤが心を込めて作った素朴な麦粥が、ナタリーアの心を覆った氷をほんの少しだけ溶かしたのだろうか。
僕は黙々とナタリーアが麦粥を食べる光景をこれまた無言で見守りつつ、彼女の食事が終わるのをしばらく待つことにした。
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