2021/01/29

 今日は酒を飲んでいる。ほら金曜だし、あんまり強い酒でもないし、たかだかレモンサワーだから許してほしい。しかし、僕は誰に許しを請うているのだろう。僕は神様がいるなんて信じていない。元々、信仰心などと呼べるものは無かったのだが、明確に無宗教になるきっかけはあった。

 あれは僕が小学2年生ぐらいの時のことだ。小学校から家に帰る途中、正体不明の胡散臭い、ニコニコしたおっさんとおばさん達(当時の僕にはそう見えたが、今、思い返すと大学生ぐらいだったような気もする)が、通学路で待ち受けており、タダで紙芝居を見せてくれた。しかし、残念なことに、この紙芝居がひどく退屈であった。

 大昔、どっかのイエスとかいうヒゲモジャな人が、どっかの誰かに裏切られ、その裏切りを許し、僕らの罪を背負って死んだとか、あげく僕らを救うためによみがえるとか、概ね、そんな不可解な話だった。あれなら僕の小説の方がマシだっただろう。もしくはモーセがエジプトからランナウェイする話の方が、空手家の瓦割りみたいでビジュアル的に派手だし、小学生には受けるかもしれない。 

 この出来事は30年ぐらい前のことだが、時間の経過によって記憶が失われたというわけではなく、あの紙芝居自体の内容があやふやで、当時から何がなんだか分からなかったというのが正直なところだ。しかし、家に帰って母にそのことを話すと、母はメロスのように激怒し、王城ではなく小学校へと「学校の近くに変な連中をうろつかせるな」と抗議の電話をかけた。子供ながらに学校に言ってもしょうがないだろうという気はしたが、あの人達を学校の周りで見たのは一度っきりだったから、学校側も、あの人達に文句を言ったのかもしれない。宗教活動を妨害するのは、憲法的にどうなのかというアレは田舎には通用しないからね。

 そういうわけで僕は神を信じないことにした。僕は実家にはろくに連絡もしないし、どう考えてもマザコンという感じじゃないが、神よりも母の方が重要なんだろう。母がいるなら神はいらないのだ。じゃあ、禁酒を破り、酒を飲んでしまった時、謝る対象は母なのかって言ったら、それもないだろう。僕はちゃんとはしてないが、一応は堅気だし、前科もない。なぜ母に懺悔する必要があるのか。ここはカノッサか?

 酒を飲むと、色々とつまらない事を思い出すが、まとまりには欠ける。今日はそんな日だ。以上、終わり。

 

 

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