色彩

煙草の煙が私の姿を優しく包んだ。

それを追うように汗と生理的な生臭さが部屋を満たす。

私は下着にぐしゃぐしゃに挟まれた紙幣を財布に詰めて制服を着た。

「・・・もう行ってしまうのか」

低い声が後ろから聞こえる。

「もう、夢は終わり。これ以上は追加料金も効かないからね」

「そうか。また連絡するよ」

男の声を置き去りにするように私は部屋を出た。

ネオンが煌めく街の中でブランド物の腕時計を見る。

一時過ぎを指す文字盤を見て私は一つだけため息をついた。

とりあえずシャワーだけでも浴びなければといつもの銭湯に向かう。

この街では結構有名な銭湯で、かなり遅い時間にも営業しているため私と同じような人間がよく利用している。

扉を開けると店番の中年女性と私と同じ臭いのする女性が斑にいた。

「いらっしゃい」

喉になにかひっかかっているかのような声で女性は言った。

私は黙ってその横を過ぎて女風呂ののれんをくぐった。

この時間にしては珍しく、人はあまりいなかった。

好都合ではあるが慣れない光景というのはいつでも人を不安にさせる。

鞄から化粧関係のポーチを取り出す。

そのままロッカーに他の荷物にを投げ入れた。

服を脱いでかごの中に一度入れる。これは後で洗う。

私は汚れていない予備の制服を取り出して荷物と同じロッカーに入れた。

下着も脱いでかごの中へ投げ捨てる。

そしてかごの中身をフリーのコイン洗濯機に入れた。

身軽になった体を動かして浴場へ向かう。

昔ながらの引き戸を開けると案の定、外と同じように人はいなかった。

ロビーにはいたからきっとタイミングがよかったのだろう。

私は頭から湯をかぶり髪も含めて擦るように洗う。

気持ち悪い臭いから嗅ぎなれた石鹸の臭いになって安心感が心を満たす。

洗い終えた体を湯船につけて一息した後に私は浴場をでる。

髪を乾かして先ほど出しておいた制服に着替えた。

先ほど洗っていた洗濯物を少し待ち、乾燥が終わったと同時に取り出す。それをまとめてかばんの中に詰めてロビーに出る。

腕時計を見ると三時半を過ぎた辺りだ。

思った以上に長居をしていたらしい。

私はこれから学校までどう時間を潰したものかと考える。

ネカフェでもとって寝てもいいがこの時間だと起きれる自信はあまりなかった。

結局行く宛てなどなく、私は街をさまようことにした。

どのくらい歩いただろうかともう一度時計を確認する。

歩き始めて三十分ほどが経っていた。

ちょっと疲れたので休もうと公園を見つけてそこのベンチに腰を下ろした。

「・・・ねえ、こんな時間にどうしたの」

ベンチに体を預けたとたん、後ろから声をかけられ咄嗟に振り向く。

「どちら様ですか?」

そこには見た目私と変わらないくらいの女性がいた。

「あはは、そんなに警戒しないで。別に君を補導するとか注意するとかじゃないから」

そう冗談めいて笑う女性。私の不信感は増すばかりだ。

「んー、信用してくれないね。まあいいよ、別に信用してくれたところでどうこうって話でもないしね」

そう言ってさも当然のように私の隣に座った。

「なんなんですか、放っておいてください」

どうせこんな時間に出歩く女子高生への同情かなにかだろうと私は女性を突っぱねる。

「まあまあ、そう言わないでよ。どうせ学校が始まるまで暇なんでしょ?、だったら私とお話ししていかない?。ジュースぐらいなら奢るからさ」

軽い口調で言う女性を私はどうも掴めず、警戒心が解けない。

「なにがいい?」

財布を取り出しそう言った。どうやら本当に奢る気のようだ。

「・・・アイスティー」

「わかった」

彼女は立ち上がり、近くの自販機で飲み物を二つ買って戻ってくる。

右手には無糖のアイスティー、もう片方には自分で飲むためだと思う微糖の缶コーヒーが握られていた。

「・・・ありがとうございます」

「どういたしまして」

もう一度私の隣に座りながらそう言って缶をあけて中身を呷った。

私ももらったアイスティーのペットボトルをあけて少しだけ口に含んだ。

喉が渇いていたのか滲みるような感覚がした。

「それで?、あなたはどうしてこんなところでボーッとしてるの?、今の時間、あなたのような可愛い女の子はお家で寝ている時間だと思うけど」

びっくりするくらい皮肉めいた口調で言う女性に私は苛立ちに近い感情を覚える。

そうして、まるで小学生の喧嘩のように皮肉で返したくなってしまう。

「違います、寝てきたんですよ」

「へぇ、なるほど、そのあと家に帰らずにここでボーッととしてたわけだ・・・」

どうやら自分が皮肉を使う分、相手の皮肉への察しもいいらしい。私がどういう人間かも察した様子だ。

「・・・学校にはちゃんと行ってるんだね」

「不良少女だと思いました?」

「まあねぇ、普通はそう思うでしょ?」

「制服着てるのに?」

「制服はステータスだもの」

そう言ってもう一度缶を呷る。

私も、この人がどんな人なのか少しずつわかってきた。

「ねぇ、お金は貰ってるの?」

「ずいぶん無遠慮に掘り下げるんですね」

「いいじゃない。修学旅行の猥談だとでも思えば、そう思うと楽しいでしょ?」

「楽しかないです。嫌ですよ、友達とこんな話するの」

「友達、いるんだ」

「ほんとに失礼ですね・・・」

「あはは、ごめんごめん」

全く詫びる様子もなく口だけで私の批難をいなす。

「・・・貰ってます」

「へぇ、教えてくれるんだね」

この人のどこかフラフラとした感じが私を油断させる。

一度出したら止まらず、私は半場やけくそのように喋ることにした。

「常連みたいなおじさんがいて、その人の紹介で来た人とか、そう言う人にやることと時間で貰ってます」

「なるほど、慣れてるんだね」

「いえ、半分おじさんの入れ知恵ですよ。最初に私を食べたのはおじさんだったから・・・」

ほんとに、こんなことになってしまうなんて思ってなかったんだ。そう心の奥で付け足す。

「今私がなにもなく、こうしていられるのは奇跡ですよ。こうして体を売っていればそのうち客に足をとられて引きずり込まれます」

そうして人間として死んだ同職の人間を何人か知っている。

「・・・そうだねぇ、私も不思議だったんだ。あなたがまだ生きていられる理由」

「ほんと、びっくりするくらい言いますね」

「あなたが言うところの元同職、だからかなぁ」

驚きと同時に納得もする。この歳で飲み込みの早さ。同じ世界を見ていなきゃできない。

「案外驚かないんだねぇ・・・察してた?」

「えぇ、まあ・・・」

「やっぱり、私たちみたいなのは仲間を見分けるのが上手いね。私もあなたのこと、見つけたときからわかったもん」

そう言いながら乾いた笑みを作る。目は、やっぱり鏡に映る私と同じだった。

「私は高校生三年生の時になんとか足を洗った人間なんだよね。まあ、ほんとにギリギリだったし、苦労もかなりしたんだけど」

「・・・お前もやめろって警告ですか?」

「そんなことはないよ。夜は居場所がほしくなるからね。足を洗って何年もたつ私でも、たまにフラッシュバックして、夜の居場所を探してしまいそうになる」

深まってきた星を見ながら彼女はそう言う。

「お金がほしいのは事実だけど、寂しいのも本当なんだよね」

そう、彼女は本当に寂しげな顔で笑った。

・・・そういえば、私がおじさんと関係を持ったのも、確か最初はそんな理由だった。

あの時間だけは、私を世界にとどめてくれているような、そんな気がした。

気がつけば知らない世界に縛りつけられていたわけだけど。

「・・・どうやって、抜け出したんですか?」

「お?、やっぱり気になる?」

「いえ、言いたくないなら良いんです」

「・・・いいよ。別に特別なことじゃないし」

残りのコーヒーを飲み干して下を向く。

私も渇いてきた喉をもう冷えてるとは言えなくなってきたアイスティーで濡らした。

「私にもね、贔屓にしてくれる男の人がいたんだ。その人に全部やってもらったの。この仕事に関してのこと全部、私がいなかったように」

その言葉にはどこか自傷のような口調も混じる。しかし、目は安堵していた。

「あの人、クスリもやってたし私の口止め料のつもりで動いたんだと思うけど、そこには確かにほんの一瞬、ほんの少しだけ、親子のような愛があった。私はそれに救われたの」

「親子、ですか・・・」

「意外?、そういうプレイなわけじゃないわよ。あの時あの人との間にあったのは、確かに親愛だったと思う」

そんな話しをする彼女の目には、濁りの中に優しさが滲んでいて

「本当のお父さんってきっとこんな感じなのかなって、そう思った」

鮮やかな色が写っていた。

「・・・私は、手に入れることができるでしょうか」

「さぁ?、私はただ運が良かっただけだもの。もしかしたら逆手にとられて一生人間としての尊厳を失うかもしれない」

彼女は包み隠すことなく真剣にそう言った。

「容赦ないですね」

「自分の体を簡単に人に売るような親不孝者のクソガキにはちょうど良いでしょ」

「・・・言えてますね」

それは、きっと過去の自分へも言っている。

この人は、運よく抜けられても未だ縛られ続け、後悔は今も続き、そしてこれから何年も、何十年も続いていくのだろう。

「それで?、これからどうするつもりなの?」

「・・・普通に学校いきますよ」

「そっかそっか。それは良いことだ」

彼女はわざとらしく首を縦に振ってそう言った。

「それで、おじさんに相談してみます。私はもう一度私を取り戻したいので」

「・・・そっか」

今度は優しげな笑顔で微笑んでくれる。

「あ、そうだ。少しだけ待ってよ」

そう言った彼女は胸ポケットからメモ帳を取り出してなにかを書き始める。

少しして書き終えたのかそのページを破り、丁寧に山折にして私に差し出す。

「これは?」

「私の携帯の番号。今度電話してよ。またお話ししたいから」

私はなぜか恐る恐る受けとる。

「そんな知らない人から餌をもらう小動物みたいに受け取らないでよ」

そう言って笑った。

「・・・そういえば私、あなたの名前聞いてないです。私は」

そこで彼女は私の言葉を遮って立ち上がった。

「私の名前が知りたかったら電話して?、あなたの名前もそこで聞くわ」

そう言い残して彼女は手を振りながら「じゃあね」と言ってスタスタと歩いて言ってしまった。

ずいぶん唐突に逃げるもんだから少しだけ呆気にとられる。

腕時計を見ると五時を少し過ぎた辺りだった。今からゆっくりいけば余裕で始業に間に合うくらいだ。

「・・・行こっかな。学校」

そう呟いて私は立ち上がる。

歩き始めて少し、私は歩きながら鞄から携帯電話を取り出す。

慣れた手つきで数字を押し、耳に宛てる。

数回のコール音

「もしもし?、おはようございます。私の名前は・・・」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る