42.住人(4)

 対策をどうするか、そう考えを戻す。紫黒は現地住人達と睨み合ったままで、積極的に危害を加えたりはしていない。かなり重要な選択のような気がするので、慎重に選ぶべきだ――

 が、結果的に言えば心配は杞憂となりそうだった。

 というのも、手に刃物を持っていた住人達が急に苦しみ始めたからだ。呻きながら地面に倒れ込み、持っていた刃物を放り捨てる。


「え、だ、大丈夫ですか?」


 狼狽した花実は思わずそう声を掛けるが、大丈夫でない事は見れば分かる。

 これも群れで生きる人間という生き物の性なのだろうか。どうしたら良いのか分からないなりにも、思わず苦しんでいる彼等に駆け寄ろうとする。

 駆け寄ろうとして、そして背後から烏羽に阻まれた。大きな手ががっちりと肩を掴み、全然身体が動かせない。


「落ち着いて下さい、召喚士殿。ええ、ええ、時には様子を見る事も必要でしょう。ほら、よく見て下さいませ」


 くすくすと嗤いながら耳元でそう言われ、男性達に視線を戻した。

 ――と、事態が急変する。

 水が混じっているような咳をする音。ゴボゴボとまるで溺れているような奇妙な音に眉根を寄せる。明らかに普通の咳ではないし、多分すぐにでも病院へ行かなければならないような音の出方だ。


 しかし、この世界に立派な病院はあるのか? 見た感じ、そういった類いの施設はないが。

 一瞬だけ現実逃避したが、それもすぐに終了と相成った。一際大きく咳き込んだ男の口から、どろりとした粘性のあるそれが溢れ出したからだ。

 もう何度も見たそれを見間違える事などあり得ない。


「汚泥!」

「ええ、そうですね。学習されたようで何よりです、召喚士殿。ふふふ……」


 体内から溢れ出した汚泥はしかし、溢れ出すだけに留まらなかった。

 一般人男性の、その姿がぐにゃりと揺らぐ。粘土のように姿を変え、泥のように流れ出し、やがて人の形をしていたそれは完全に汚泥へと変化した。

 また、それは進行の差こそあれどどの男達もそうだ。やがて、複数人いた成人男性が全てただの汚泥へと変わる。


「どういう事なの……? えーっと、戦闘です!」


 汚泥が人の形をして、プレイヤーの前に現れるというイベント?

 ――もしくは、汚泥が人を食い破って質量を増やし襲い掛かってきたというイベント?

 答えは分からない。分からないが、汚泥になったそれを見た紫黒は一も二もなく戦闘態勢に入る。先程までの住人を相手にしていた時とは圧倒的に違う、フットワークの軽さだ。


「何かもしかして、ダークファンタジー感あるの? このゲーム――」


 独り言をぽつりと漏らした刹那。

 花実の肩に置かれていた、烏羽の手がパッと勢いよく離れる。それとほぼ同時に薄群青から思わぬ怪力で腕を引かれた。一連の出来事、その僅か1秒後程遅れて、花実が先程まで立っていた場所に青白く輝く丸い円と、その中に文字が浮かび上がった。

 それはガチャを回す際によく見る、魔法陣のようなそれ。正式名称があるのかもしれないが、少なくとも聞いた事はない。


 そんな事よりも、現れたそれは現れた瞬間に強い光を発する。思わぬ光が網膜を焼くも、薄群青が片手で顔の辺りに影を作ってくれたので、大したダメージにはならなかった。

 まさか直接、プレイヤーを狙って攻撃して来るとは。薄群青がいなかったらどうなっていたか分からない。

 頭の中でグルグルと考えつつ、光が収まってきたので目を開ける。少しだけ視界がチカチカしていたが、それもすぐに回復した――


「ん!? ちょっと待って、烏羽は? 烏羽いなくない!?」


 正直、今日一番驚いたと思う。花実がそう叫ぶと、背後に立っていた薄群青がひっそりと溜息を吐く。


「今、主サンの足下に現れた術式は移動術式ッス。術式から術式へ、対象を移動させる事が出来るっていう便利な術ですね」

「私、誘拐される所だった?」

「さあ、どうでしょう……。狙いは主サンじゃなくて――」


 それは考察的なニュアンスだった。そして、プレイヤーを騙そうとする嘘の気配もない。本当に思い付いた仮説を語っているようなので、花実は大人しく耳を傾けた。


「狙いは、烏羽サンだったのかもしれないッスね」

「ははーん、アタッカーは烏羽しかいないから滅茶苦茶有効な作戦じゃん。私に現在進行形でかなり効いてる」

「ああいや、俺が言いたいのはそういう事じゃなくて……。烏羽サンなら、避けられたんじゃね? 普通に」


 ――確かにそうだ。

 つまり薄群青は、烏羽のあらゆる行動について疑心を持っているという事に他ならない。


 不意に花実の耳に、大量の水が暴れるような音が届く。烏羽が戻ってきたのかと思って顔を上げると、紫黒が汚泥を討伐する為に使った術の音だった。彼女も水属性みたいな術が得意なのだろうか。

 そんな彼女は汚泥を文字通り押し流すと、早足で戻ってくる。顔には険しい表情を浮かべていた。


「主様、汚泥を討伐したわ。ところで、大兄様はどうする? その、捜す?」


 問いに対し、少しだけ悩んだ花実はやがて小さく溜息を吐いた。


「捜すよ。前にも言ったけど、うちのアタッカーは烏羽しかいないからね。行方不明は普通に困るよ」

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