第5話 母との訣別
夕食の準備をしながら、恋人役の仕事について考える。
「アルオニア王子って、冷たそうだよね。素っ気ないし。顔はかっこいいけれど、だからこそ直視できないというか、見つめられると恥ずかしくなっちゃう。男性とお付き合いしたことがないのに、わたしに恋人役なんて務まるのかな……」
台所の右隣にある子供部屋に、誰かが入った。
ジュニーとトビンは外で遊んでいる。
わたしは足音を立てずに、こっそりと子供部屋に近づいた。中の様子を伺うと、母がわたしの机の引き出しを開けながらぶつぶつ言っている。
「アーロンにオーディション用の新しい服を買ってあげないと。ええと、お金、お金……。あの子のことだから、隠しているはず……。ん?」
机の引き出しから、母は本を取り出した。
「なにこれ? 教科書? こんなものどっから拾ってきたのよ。まだ諦めていないわけ?」
「勝手に机を開けないでっ!!」
教科書を取り返そうと、母に飛びかかる。
学校に退学届を提出した日。再び学校に通える日が来るかもしれないという夢を捨てるために、教科書を全部売った。
けれどどうしても勉強は続けたくて、ゴミ捨て場にあった教科書を拾ってしまった。汚れているし傷の多い教科書だけれど、わたしにとっては消えてしまった夢に繋がる大切なもの。
教科書を奪い返そうと揉み合ううちに、教科書に挟んであった封筒が落ちた。
すぐさま拾おうとしたが、それよりも早く、母が封筒を踏んづけた。
「あんたねぇ! アーロンはチャンスに恵まれないだけで、才能ある男なの。アーロンの成功のために協力しなさい!!」
「勝手なことを言わないで!!」
「ったく、強情な子なんだから。勉強なんかしていないで、もっと稼いできなさいよ!」
母は舌打ちすると、窓を開け、教科書を乱暴に外に放り投げた。
「ひどい……ひどいよ……」
「子供のくせに反抗するんじゃないよ! いくら勉強して頭が良くなったって、甲斐性のない男と結婚したら人生終わりなんだ。死んだ父さんを見たらわかるだろう! 賢いっていうのは、勉強ができることじゃない。将来性のある男と付き合うってことなんだよ!」
「アーロンは……」
舞台俳優として成功するとは思えない。乱れた生活をしていることが風貌に出ている。俳優として上手くいっても、せいぜい悪役の子分といった端役なのではないかと思う。
「アーロンは、なんだよ。言ってみな!」
「アーロンは……機嫌が悪いと八つ当たりするし、手を上げる。お母さんが借金をしていることを知っているのに、平気な顔してお金をせびる。そんな人が将来性があるとは思えない」
「生意気言うんじゃないよっ!!」
母の顔が怒りで歪み、平手打ちが飛んだ。短く鋭い音が、周囲に響く。
わたしはジンジンと痛む頬を押さえると、涙ながらに訴えた。
「お父さんが生きていた頃の、優しかったお母さんに戻って!」
「無理なんだよ、もう!!」
「なにが無理なの? お母さんは……わたしたちと恋人と、どっちが大切なの?」
母は黙り込むと、派手な化粧をした顔に苦痛の色を滲ませた。心をどこか遠いところに置いてきたかのように、ぽつりと言った。
「あの人にはあたしが必要なんだ……」
「お母さん……」
「アーロンのところに行く。リルエ、頭を冷やしな」
母は足下にある封筒を拾うと、中身を見た。
封筒にはこっそりと貯めてきたお金が入っている。そのお金を取られては、わたしたちは食べるのにも困ることになる。
すがりつく目で見ると、母は視線を逸らし、封筒をポケットにねじ込んだ。
そして——家を出ていった。
頭を冷やさないといけないのは、わたしなのだろうか?
母とお金を失い、わたしたちはこれからどうやって生きていけばいいのだろう?
恐怖と絶望に沈み込んでしまい、ジュニーとトビンの前で号泣してしまった。
「ごめん……明日には元気になるから……ごめん……」
「お姉ちゃん、謝らないで」
ジュニーがぎゅっと抱きしめてくれて、頭を撫でてくれた。トビンが背中をポンポンと叩いてくれた。
失ったものは大きいけれど、わたしにはジュニーとトビンがいる。
だから大丈夫。
きっと、大丈夫——。
翌朝。わたしの机の上に、一枚の画用紙が置いてあった。クレヨンで女の子が描いてある。
トビンが朝早く起きて、描いてくれたのだ。
栗色の長い髪からするに、わたしの似顔絵だろう。女の子は満面の笑顔をしている。わたしも鏡を見て、口角を上げる。
『いつもありがとう。だいすき』
似顔絵と一緒に書いてある言葉を、胸にしまう。
トビンが描いてくれた似顔絵と言葉をお守りにしたくて、仕事着のポケットにしまった。
悲しいとき、つらいとき、寂しいとき。
この似顔絵を見て、元気をだそう。
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