第3話 あのときすれ違ったのは……

 視線に気づいた彼が、わたしをチラリと見た。

 アメシスト色をした怜悧れいりな瞳に、心臓がドクンと跳ねる。

 慌てて視線を逸らし、そして、大切なことを思い出す。


「あ、そうだっ! 面接に行かないと!!」

「面接?」


 急いで立ち上がると、シャツの裾を絞って水分を取る。束ねていた髪を解いて、手櫛で整え、また一つに結える。

 スカートについた川砂を払っていると、呆れたように彼が言った。


「まさか、その格好で面接に行くわけじゃないよね?」

「面接の時間まで、あと十五分しかないんです。家に戻る余裕はないです」

「そんななりじゃ、面接してもらえるとは思えないけれど……。服が乾くまで、付き合おうか?」

「でも、約束の時間は守らないと!」

「そこまでして面接を受けなくてもいいんじゃないか? 他の仕事を探せばいいんだし。まぁ、君の事情に関わる気はないから、好きにすればいいと思うが……」

「うちは貧しいし、学歴もないです。仕事が簡単に見つかる立場じゃないんです。これから面接を受けるところは、すごくお金がいいんです。なりふり構ってなんていられません。お金が必要なんです!」

「お金ねぇ……」


 見ず知らずの男性に余計なことを話してしまった恥ずかしさから、早口になる。

 

「あの丘の上にあるお屋敷で、面接なんです。これで失礼します!」

「丘の上?」


 川から上がる際に、手のひらや膝に土がついてしまった。泣きたくなるけれど、そんな暇はない。

 走り出してすぐに、男性に大切なことを言い忘れていたことに気づき、慌てて戻る。

 

 男性はまだ川の中にいた。ぼんやりと川面を見つめ、なにか考え事をしているようだった。

 それでも「あの!」と声をかけると、男性はすぐにわたしを見上げた。


「あの……乾くまで付き合うと言ってくださって嬉しかったです。ありがとうございました!」


 男性はキョトンとした顔をしたのち、フッと口元だけで少し笑った。


「時間がないという割には、ご丁寧にどうも」

「すみません。でも、あの、ちゃんとお礼は言わないといけないと思って……。ではこれで本当に失礼します!」


 頭を深々と下げると、全速力で駆けだす。


 情けないほどに、わたしにはいいところがない。

 頭が悪いし、不器用だし、人見知りだし、話下手だし、ドジだし、そそっかしい。変に真面目で融通が利かないところもある。

 けれど、そんなわたしでも誇れるものがあるとしたら、風邪を引かない体の丈夫さと、妹と弟を守りたいと思う心。

 わたしを慕ってくれる妹と弟のために、働きたい熱意を面接で訴えよう。

 服が濡れているけれど、事情を話せばきっとわかってくれる。


 そう、思っていた。けれど——。



「え? もう決まったんですか⁉︎」

「はい。メイド経験の豊富な方がいたので、採用することにしました。申し訳ありませんが、お引き取りください」


 丘の上にある大邸宅。

 お金持ちの家だと一目で分かる立派なお屋敷の玄関で、わたしは青ざめてしまった。

 面接の時間より三分遅れで到着した末に、メイドが決まったからと、面接担当の執事に断られてしまったのだ。

 働きたい熱意も服が濡れている事情も話さないうちに、門前払いされようとしている。


「でも、あの、面接の約束をしてくださったのでは……」

「はい。約束をしましたので、面接をすることは可能です。ですが、その格好では屋敷に入れることはできません」


 温和な顔をした執事の後ろで、使用人たちがわたしをチラチラと見ている。


「なんて身なりの悪い娘だ」

「選ばれるわけがないのに」


 事情を話せば分かってもらえるなんて、どうして思ってしまったのだろう。

 人は見た目が大事なのに……。

 着替えてくればよかった? でもそれでは面接の時間に大幅に遅れて、面接をしてもらえなかったと思う。

 男性が川に飛び込むだなんて勘違いをしたから、いけないのだ。すべてはわたしの愚かさが招いたこと。

 いつもなら諦めて、運のなさを嘆いて一人でひっそりと泣くところだけれど、借金が増えていく恐怖がわたしらしくもない言動をとらせる。

 拒絶されているにも関わらず、わたしは頭を下げ、声を張りあげた。

 

「雇ってください! お願いします。どんな仕事でもやります! メイドじゃなくてもいいです。一生懸命やりますから、どうかチャンスをください! どんな仕事でもいいんです。雇ってもらえませんか!」

「そう言われましても……」

「お願いします! どんな仕事でもかまいません。一生懸命に頑張ります。だから、わたしを雇ってください!」

「困りま……」

「本当にどんな仕事でもやるの?」


 執事の声に被るようにして、背後から若い男性の声がした。

 執事の困惑顔が一転して、明るい表情になる。


「おかえりなさいませ。アルオニア様」


 振り向くと、一緒に川に落ちた青年が立っていた。

 服はまだ濡れているが、銀髪は乾いていて、風にさらさらとなびいている。

 呆然としているわたしに気づいた執事が、青年を紹介してくれた。


「エルニシア国の第二王子、アルオニア様です。ここはアルオニア様の邸宅です。留学でサイリス国に来ていらっしゃるのです」

「あ……。お名前だけは聞いたことあります。大学で……」


 牧歌的なサイリス国とは違って、エルニシア国は世界の中枢となる経済大国。その国の第二王子が、わたしが清掃員として働く大学に留学してきていることは知っていた。

 容姿端麗。学業優秀。品行方正。なんでも完璧にこなす王子様。そう、噂で聞いている。

 大学でアルオニア王子を見かけたことはないはずなのに、襟足のすっきりとした銀髪と、堂々とした立ち姿に妙な既視感を覚える。

 

 もしかして——。


 シェリア様にいじめられたとき。すれ違った銀髪の男子生徒は、アルオニア王子——?


 王子のアメシスト色の瞳がスッと細まる。


「君。どんな仕事でもやるって言ったね」

「あ、はい。なんでも頑張ります」

「それじゃあ……、僕の彼女になってよ」


 

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