「共に来い」part.15(エピソード3 了)
少女の細い左腕が上がり、タケキの手首を掴んだ。生気のない体温が伝わると同時に、掌の刃が喪失した。
光のない瞳がこちらを見つめている。リザの体は、タケキに何かを伝えようとしていた。
タ、ケ、キ
青白い唇は、そう動いて見えた。
『リザ、これは?』
『わからない、意識は私のはずなのに』
リザは頭を抱え硬直する。
刃の消えたタケキの掌は、その首筋に優しく触れるだけだ。
リザの肉体は、カムイのリザに向けて手を伸ばした。筋肉が萎みきったその腕は、細かく震えている。
『いや、私、失敗……』
タケキはリザを構成しているカムイが流れるのを感じた。それだけではない。リザの肉体を中心にして、カムイが集まっている。
『おい、リザ』
リザに呼び掛ける。声も、意思すらも感じられない。
カムイの濃度は上がり続けている。戦場にばら蒔かれた、カミガカリ用の圧縮カムイと同等以上の濃度だ。まるで、世界中のカムイがここに集中しているような感覚さえも受けてしまう。
嵐のようなカムイの奔流に呑み込まれるようにして、笑顔が眩しい少女の幻影は、タケキの前から姿を消した。
「リザ?」
カムイでの会話もできず、呟くことしかできなかった。
掴んでいたタケキの手首を放し、リザの肉体が宙に浮かび上がる。細く痩せていた身体がカムイで補填される様子を、タケキは呆然と見上げていた。
幻影のリザと同じ姿になったそれは、優しげな眼差しでタケキを見つめた。
それが両手を広げると、さらにカムイが集中する。その濃度は空気を動かし、実験場の中に風が吹いた。
吹き荒れる風は、兵士たちが流した血の臭いを混ぜ合わせる。馴染みの臭いと共に、それの意思がカムイを通してタケキへ流れ込んできた。
『タケキ……ごめん……私ね……失敗……しちゃっ……た』
いつものリザの声が届いた。ただ、雑音のようなものが混ざっていようにも感じる。
『死に……たくない……と思っ……』
そんなか細い声も次第に、かき消えてしまう。
「リザ……」
その後、タケキの意思に流れ込んできたのはリザの記憶だった。
故郷での穏やかな生活。
雪深い山の麓にある小さな町だ。
些細なことで笑い合う、貧しくも幸せな家庭だった。
一人で出歩ける程度に成長したリザは、共和国政府の人間に連れられ故郷を離れた。
収容された施設では、様々な実験が行われた。投薬、思考実験、肉体検査、外科的な手術。
日常的に行われる非情な行いに、リザは心を閉ざしていった。
タケキの知るくらいの年齢になると、リザはカムイを集め圧縮し、行使できるような力を身につけていた。職員を欺き、実験結果を操ることも覚えた。
ある日、施設に軍の上層部が視察に来た。大人の男ばかりだったが、リザに歳が近いような少女も混ざっていた。興味本位で思考の探知をかけると、リザは自身がこの場所にいる理由を知ることになる。
クレイ王国軍の使う特別な力を解析し、軍事利用する。
力を集めることのできる少女を、その中枢設備に組み込む。
それを知ったリザはすぐに施設を飛び出した。
自分は死ななければならないと思って。
その後はリザから聞いた通りだった。
リザの体を共和国が回収した経緯は不明だが、それ以外は辻褄が合っている。
この記憶は真実だろう。
タケキ達と過ごした幸せな記憶も、タケキへの淡い想いも。
「くそ、言えよ」
タケキは吐き捨てるように呟いた。
見上げたリザは微笑んでいるように見えた。右手をタケキに向ける。
『にげて』
次の瞬間、タケキは王都の上空にいた。中心部から外縁へ向かって飛翔している。
タケキは状況を理解していた。リザがタケキを逃がしたのだ。
「ばかやろう」
地表が近くなる。落下が予想される場所には、数台の軍用輸送車が停車していた。
その一台の荷台から、聞き慣れた声が聞こえる。
「タケ君!」
その盾は優しくタケキを包み込んだ。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
着地し倒れ込んだタケキを、ホトミが抱き締める。柔らかく温かな感触は、とても懐かしいものに思えた。
「よう、久しぶりだな」
その声に、タケキはホトミから離れる。
座り込んだままのタケキを、レイジが見下ろしていた。
「撤収だ。援護しろ」
レイジが周囲に指示を出すと、轟音が空気を激しく揺らす。王都の外縁に設置された、移動式の砲台からの砲撃音だ。
「さあ、タケキ」
戦場と化した王都を背に、かつての戦友が手を伸ばす。血と塵埃にまみれ、赤黒く染まったタケキはその顔を見上げた。
「共に来い」
その瞳は一点の曇りもなくタケキを見つめていた。
タケキはその手を取る前に意識を失った。
エピソード3 「共に来い」 了
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