「私だって」part.14(エピソード2 了)
八日目もこれまでと大きく変わらずに過ごしていた。これを日常と呼んでも差し支えないような気にさえなってくる。出頭日は三日後に迫っているのを忘れたいという無意識があるのかもしれない。
そんなことはできるはずもなく、緊張感と安心感の間という、奇妙な精神状態がタケキを支配していた。恐らくは、ホトミやリザも近しい感覚なのではないかと思う。
その日の夕飯が終わった頃、リザの姿はほぼ可視化されていた。
服はリザが想起し、顔や手足をタケキが想起するという、前日のタケキの思い付きが功を奏したようだ。リザの姿は次第に鮮明になり、ただの光る輪郭だった頭部も、髪らしきものや目鼻立ちが少しずつ見て取れるようになってきている。
それはカムイを感じるのではなく、光を反射し視覚として捉えられるものであるため、鏡にも映った。
「おおー、私が見える」
「リザちゃん髪長かったんだね」
事務所に置かれた鏡の前でリザがくるくると回り、傍でホトミが手を叩く。タケキは机を挟んだ反対側でソファーに座り、それを見つめていた。自分という存在が空虚なものでないと理解できることが嬉しいのだろう。カムイを通じてタケキにもその感情が流れ込んでくるようだ。そして、うっすらと見える淡い気持ちもタケキは感じつつあった。
「よく見ると君は、お人形さんみたいな美人だよ」
「いやいやいやいや、ホトミ姉さんの可愛さには勝てませぬ」
女性同士の褒め合いができる程度にはリザの顔立ちがはっきり見えるようにもなった。リザの姿を把握するという点ではもう充分すぎるだろう。
「タケキー、もっと私を見て」
「ちょっとリザちゃん、近いよ」
リザが近寄って来た。タケキの首に手を回し、抱き着くように周囲を飛び回る。「見て」というのは、もっと自分を見て鮮明に想起しろという意図だ。
「リザちゃんって、タケ君困ってるよ」
ホトミが静止するもリザは気分が高揚しているのか止まらなかった。タケキの眼前にリザの顔が近づく。
その時、事務所に乾いた音が響いた。リザは驚いたのかタケキから少し離れる。
音の主は机を両手で叩いたホトミだった。
「リザちゃん、待って」
ホトミの低い声に、リザは無言で頷いた。
怯むタケキに向かって、ホトミは紅潮し涙ぐんだ顔を近づける。
「私だって……タケ君に見てほしい」
「ホトミ?」
「あっ、ごめん。お風呂先に入るね」
ホトミは目を伏せると、逃げるように浴室に向かった。
「あー、悪いことしちゃったな。後で謝らなくちゃ」
「俺、見てなかったのかな」
その後、リザがホトミに謝罪していたようだった。タケキとホトミは言葉を交わすことなく時間は過ぎ、そのまま就寝の体勢になってしまった。タケキは気まずい思いをしていたが、どう声をかけていいのかわからなかった。ホトミがあんなにも感情を露わにしたことは、タケキの記憶にはなかった。
「ねぇ、タケ君」
「なんだ?」
寝袋の中からホトミが小さく声をかけた。
「そっち、行っていい?」
「え、ああ、いいよ」
戸惑いながらもタケキは、ベッドの左端に移動しホトミを迎える。寝袋から這い出したホトミはタケキの横に収まった。
同じ石鹸を使っているはずなのに、妙に甘い香りがタケキの鼻をくすぐる。動悸が激しくなり身動きが取れず、妙な緊張がタケキを襲った。
「タケ君、恥ずかしいから向こう向いてくれる?」
「おう」
タケキは言われるがまま、体を九十度回転させホトミに背を向けた。
「ごめんね」
謝罪の言葉と共に、タケキの背中に温かい感触が伝わる。特に柔らかいものがふたつ押し付けられているのが、薄手の寝間着からはっきりとわかった。
「リザちゃんにも聞こえちゃうけど、今しか言えないから聞いて。返事しなくていいから」
囁くような声でホトミは語り始めた。
タケキを意識し始めた時のこと、勝手に守ろうと思ったこと。
「実はね、タケ君だけちょっと盾をぶ厚くしてたんだよ。ずるいでしょ」
戦争の際もタケキを意識し続けていたこと。
「退役した後も、付きまといたくてね、家事やお料理がんばって覚えたんだよ。呼び方をサガミ君からタケ君に変えた時、すごい緊張したの知ってる?」
戦後もタケキの心を守りたかったこと。
「レイジ君の手伝いするって話も、タケ君ならやるだろうなと思ってた。だから私も必死に首を突っ込んだんだ」
それら含めて、タケキと一緒にいたいと思うこと。
「出頭日の事もあるし、リザちゃんの事もあるから返事しなくてもいいよ。ただし、私はどんな形でも、どんな関係性でもいいから、タケ君の傍にいる。逃がしません」
「わかったよ。ありがとう」
タケキは背中で震える戦友に礼を言った。今抱えている問題が全て片付いたら、戦友ではない間柄になりたいと願った。
リザはそんな二人を黙って見つめていた。
エピソード2 「私だって」 了
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