「私だって」part.6
朝日が夜の闇を切り裂き、同居二日目の朝を迎える。
真っ当な人間である二人が眠っている間、リザは窓から外を眺めていた。住人の多い王都は、その営みごとに生活する時間も異なっているようだ。生活は苦しかったが穏やかな故郷、狭い部屋に閉じ込められていた共和国軍の施設、声が届く相手を探していた日々、そのどれとも違う景色だ。常に動き続ける人々の様子はリザを退屈させなかった。
寝室の天井近くに漂いながら、リザは昨晩聞こえてきた言葉を反芻する。温かい言葉だった。涙は流せずとも、自分にそんな気持ちになれる機能があったのだと嬉しい発見もできた。
「んーっ」
リザの眼下では、寝袋から這い出したホトミが体を伸ばしていた。タケキはまだ眠りを貪っている。
『タケキめ、そういうところだぞ』
寝ているので聞こえないのはわかっていても、文句のひとつも言いたくなってしまう。頭をはたいて叩き起こしてやりたいがそれも叶わないだろう。その間にホトミは寝室から静かに出て行った。恐らく寝間着から着替えるのだろう、ホトミが自室とした部屋の方から小さく扉の音がした。リザはホトミを益々好きになった。
リザの行動範囲はタケキが中心になっているようだ。そのため、寝室の隣にある食卓兼事務所へは、扉を経由せずとも壁をすり抜けて移動できる。ホトミの自室には少し届かなかった。リザとしてはホトミの体形がとても気になる。特に胸のあたりが。さすがに女同士とはいえ、無断で着替えを覗くことは良くないだろう。
程なくして事務所にホトミが入って来た。七分丈の白いブラウスに、こちらも七分丈のデニムパンツ。髪は後ろで小さくひとつにまとめている。モウヤ風の簡単な装いではあるが、ホトミの小柄ながらもメリハリのある体型には酷く似合っていた。桜色のエプロンを巻き付け、小さく鼻歌を口ずさみながら、冷蔵庫から卵を取り出す。
『可愛いなぁ』
リザは思わず感想を口にする。
「ん? リザちゃんいるの?」
ホトミが左上を見上げ声をかけた。姿は見えないがカムイがあることを感じたのだろう。リザは覗き見していたことに、少しの気まずさを感じた。
「まー私には見えないし聞こえないから、独り言ね」
卵を割り、撹拌しながらホトミは言葉を続ける。頻繁に料理をしているのだろう、鮮やかな手つきをしている。
「夜の話聞いていたでしょ? あれは私の本心。最初から最後までね。タケ君があんなこと言うなんて、信用するしかなくなるじゃない。ほんとに、妬いちゃう」
目分量で数種類の調味料を入れ再び撹拌。四角いフライパンを火にかける。
「だからね、やっぱりあなたと直接お話したいと思うよ。タケ君経由だと、疲れさせちゃうし、なにより気を遣うでしょ? あの人」
ホトミは、冷蔵庫から茶色に濁る液体の入った小鍋を取り出した。確か、クレイの伝統的なスープだ。フライパンと同じくこちらも火にかける。
「なにか方法があるといいんだけどね」
ホトミの困ったような笑顔を見て、リザは感情があふれ出しそうになった。タケキ以上に自分の事を得体の知れない存在だと思うはずだ。それなのに、言葉を投げかけてくれる。タケキと言いホトミと言い、なんだこの人たちは。十日後の事も、廃工場に忍び込んでいた目的もあるだろう。そんな自分達の問題と同等に、得体の知れない存在の事を扱ってくれている。それは異常なことだと思う。その異常さに感謝が止まらない。
四角いフライパンの中では、薄く焼いた卵が幾重にも巻かれていた。
「さて、そろそろタケ君を起こしてくるね」
ホトミはエプロンを外すと事務所から出て行く。
『よし、ホトミ姉さんって呼ぼう』
「タケくーん、朝だぞー」
「おー」
ホトミの明るい声が響き、それに反応するようにタケキの間抜けな声が聞こえた。
「リザはここにいたのか」
タケキは寝ぐせに無精髭のまま事務所に入り、食卓へ座る。
『身だしなみ、しっかりしなさいよ。ホトミ姉さんに失礼でしょ』
「は? 姉さん?」
先ほど決めたホトミの呼び名にタケキが反応する。温めたスープを椀に注いでいたホトミが、タケキを見やる。
「はい、オミソシル。何? 姉さんって」
「いや、リザがホトミ姉さんっていうから」
「えっ」
タケキの言葉に驚いたのか、ホトミが椀を手から滑らせた。慌てて受け止めようとするが、タケキの手は届かない。咄嗟にリザも手を伸ばす。触れられないことはその後に思い出した。三人とも、椀が落下し中身が飛び散るのを覚悟した。
「え」
「えっ」
『えええ』
スープの椀は落下することなく、リザの両掌の上に収まっていた。
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