屋外ASMRで悶絶
土曜日、サライはタケルとお出かけすることに。
白いシャツに黄色いパーカーを羽織った男性が、待ち合わせ場所にいる。タケルだ。
「お待たせ」
サライはピンクのカーディガンに、チェックの膝丈スカートである。
「私服のサライ会長、カワイイです」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
「妹のコーデなんです。普段はフリースのジャージなんですよ。スーパー行くのも駅前の本屋に行くのも。クツだってこんな革製じゃなくて、スニーカーです」
今日の目的は落語の取材と、サライの喫茶店で出すお菓子の下見だ。
ASMRを外で体感なんてしたら、どうなってしまうのだろう?
その機会は、すぐに訪れた。
「行きましょう」
履き慣れない革靴を、タケルは窮屈そうに鳴らす。
『はああああっ』
外でも、タケルはゾクゾクさせてくれた。靴音だけで、卒倒しそうになる。
食事音だけじゃないのか。この快感製造機は!
他の人だと、歩行音なんて気にも留めない。しかし、タケルは歩く音すら魅力的だ。急かさず、かといってトロくもない。こちらの歩幅に合わせてエスコートしてくれる気遣いさえ感じ取れた。
「まずはお昼ですね」
温かいうどんをズルズルと喰らい、いなりを黙々と頬張る。それだけのことなのに、隣にいた子連れが、タケルと同じモノを頼めと子どもにせがまれていた。
本当なら屋台のうどんなのだが、食べるものが同じだから構わない。
『幸せすぎる』
サライに至っては、恍惚のまま倒れそうになる。腹ではなく、心が満たされそうになった。こんな痴態、とてもではないが学校内では見せられない。生徒会によく隠し通せたものだ。
座って本を読める書店に行き、腹を落ち着かせる。
タケルは、落語の本を読んでいた。ときどき動作を加えながら。
その様子を見ながら、サライは料理本をめくる。
「落語をするのは、あなただけなの?」
「あと二人います。女子と男子ひとりずつ」
題目は『時うどん』、『寿限無』、『まんじゅうこわい』だそうで。
「無難ね」
うん、順調に会話できている。
志摩からは「クール系黒髪ロング美少女と、タヌキ顔のプリティ美少年、誰もがうらやむカップルと見えるに違いない」とはやしたてれらた。
実際はどうだ。普通に自分たちは、ショッピングモールに溶け込んでいるではないか。どの女性も、サライより魅力的に見える。外見だけでなく中身も。何ひとつ、気負うことはない。
「次は、どこへ行きましょう?」
「焼き菓子売り場に行きましょう」
今度は、サライの用事に付き合ってもらう。
「このクッキーなんか、おいしそうだわ。作れないかしら?」
やはり、出すなら定番のクッキーか。
クレープは生クリームやフルーツを用意する必要がある。いくら秋とはいえ、保存が大変そうだ。
クッキーなら、そうそう傷まない。食べきれなければ、包んで持って帰らせる手もある。
「クッキーだけ売るカウンターもあると、うれしいかも? それにお店の名刺も差し込んでおくんです」
「それを持ち帰ってもらい、サンプルとして分け合うのね? ナイスよ。お店の宣伝にもなるわ」
的確なアイデアを、タケルが提案してくれた。
となれば、お菓子はクッキーで決まりだ。さっそくメッセアプリなどでクラスにメールしておく。
「おっ、試食できるみたいです。あーん。サクッ」
「ひゃうん!」
思わず、大声が出てしまった。
いきなりASMRなんて反則すぎる!
まだ心の準備もできていないのに。
何事かと、店の客たちがこちらに振り向いた。
とっさに、サライは口を塞ぐ。変な風に思われていないだろうか。自分たちは地味な二人組で通そうと思っていたのに! こんな失態を晒してしまうとは。
当のタケルは、こちらの興奮度合いなんて気にも留めず、サンプルのクッキーを口へ運ぼうとする。
「まままままま待って!」
サライは思わず、タケルの手首を掴んでしまった。
「ん? どうしたんれふ、サライ会長?」
ボリボリといい音を立てながら、タケルが食べる手を止める。
「あっちに、喫茶コーナーがあるわ。代金は私が持つから、休憩しましょ」
口内のクッキーを歯で砕きながら、タケルは考える素振りをした。ゆっくりと飲み込んでから、コクリとうなずく。
「そうですね。ドリンクに合わせる必要もありますから」
どうやら、理解してくれたようだ。
タケルがコーヒーを。サライは紅茶を頼んだ。
「チョコチップだ。ボク大好きなんですよ」
お茶請けで運ばれたチョコチップクッキーを、タケルはバリッと口へ放り込む。プレーンとは違うゴリゴリとした食感が、また耳に幸せを運ぶ。
『くうううう! 来てよかったあああああ!』
身体のムズムズが押さえられない。押さえたくなかった。このままずっと身もだえていたい。
「スニーカーをヤメロって言われた意味が、やっとわかりましたよ」
急に、関係のない話をタケルが始めた。
なんだ? ASMR趣味がバレたか? バレても構わないけれど。
「だって、今日のサライ会長、ヒールだから。疲れたから休もうと言ったんでしょ? 気づかなくてごめんなさい」
言われてようやく、自分がハイヒールで足がパンパンだと気づく。そういえば、今日は歩き回るのだ。注意していたはずなのに、カッコつけて。しかも、なぜカッコつける必要があった? 自分の行動原理がわからない。
「ボクも履き慣れないクツを履いて、女性って歩くの大変なんだなーって思いました。勉強になりますね。やっぱり女の子のことは女の子に聞かないと」
これは、妹さんに感謝しよう。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
「ボクもです、サライ会長」
モールを出て、あいさつをかわす。
「また……来ましょう」
何を言ってるんだ? 用事が済んだのだから、ここに二人で来る意味なんてない。
「そ、そうですね。また誘ってください」
タケルまで。
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