場違いナナキの異世界人事
九黎 星犬
第一章
1
七旗丈助(ナナキジョウスケ)は、特技も夢も野心も何もない、ごく平凡な成人男性だ。
物事の流れるままに身を任せ、面倒ごとはスルーで逃げ切る。友人に紹介されてバイトしていたアダルトグッズ専門通販店にて正社員としてそのまま採用され、今に至る。仕事内容は、注文品の梱包作業と、最近では空いた時間にWebサイトのコーディング手伝いをしている。給料はかなり安い。しかし、あまりお金を使わないので、ずっとこのままで構わないと思っている。ナナキは人生を死ぬまでの暇潰しと考え、ダラダラと時間が過ぎ行くのを待つ日々を送っている。そして、これからも変わらぬ日々が続いていく……はずだった。
この日も、ナナキはいつものようにスマホで注文内容を確認しながら、注文された商品の梱包作業をしていた。段ボールに“新時代の膜あけ~A Hole New World~(張り替え用)”を詰めていると、ふと耳鳴りが視野の外から頭の裏を通り過ぎ、目の前が白濁して、自我がホワイトアウトするような感覚に襲われた。自分が世界から急速に隔離され、時間感覚がなくなる。身体感覚が霧散し、意識が遠のいていく……
――そして、次第に遠くから薄い喧騒が迫って……
「おい!聞いてるのか!」
突然の大声がして、いつの間にか夢から醒めたように意識が戻る。顔を上げると、そこは見たことのない、本当に見たことのないオフィスだった。日本のオフィスではない。他の国、という感じも何か違う。とにかく“オフィス”という雰囲気だけはある、そんな景色が目の前に広がった。
「なにボーッとしている!もうすぐ面接の時間だろう!」
右手側を見上げると、見ず知らずのサラリーマンっぽい怒れるおっさんが、こちらを見下ろしている。
「誰?」
ナナキはボーッとしながら、怒れるおっさんに問い掛ける。
「誰って、お前の面接者のことなど、私が知るか!さっさと行け!」
「行くって、どこにです?」
「お前の面接室は2番だろ!そこを出て右だ!未だに部屋配置も覚えられんのか!」
怒れるおっさんは、正面右の方向を指差した。何が何だかわからんが、とりあえずこの怒れるおっさんに何かを聞くのは、喋りかけると意味不明なことを言うオモチャにお悩み相談するのと同じくらい、不適切に思えた。こういうときは流れに身を任せ、水面が落ち着くのを待つが吉だ。
ナナキはその場を離れるべく、座っていたワーキングチェアから立ち上がった。そこで始めて、自分がワーキングチェアに座っていたことに気がつき、その場を振り返る。そして改めて周りを見渡してみた。白を基調にした未来ちっくな見知らぬオフィス、スーツっぽいが見慣れない格好をした見たことない人々、嗅いだことのないニオイ、聞いたことのない声の群れ、感じたことのない感覚。――そう、感覚。身体感覚も何だかおかしい。見たことない手、知らない服、違和感のある体格、いつもより高い視点。
「もっとキビキビ動けんのか!!」
そう怒鳴ると同時に、怒りのボルテージが上がったおっさんは、ナナキの背中をバシンと叩いた。
(うーん、自分の痛覚ってこんなんだったっけか…?)
ナナキは顎先に人差し指の背を当てて考えながら、言われるがまま、怒れおっさんが指差した方へと向かった。
そのまま歩いて壁際まで行くと、壁に掌大の緑に光る何かしらのマークが浮かび上がった。コンパスに馬の尻尾がついたようなシンボルだ。それを眺めているとマーク周辺にスリットが入ってカッコ良く裂け、SFちっくに扉がシューンと開く。その先は真っ白な廊下になっていた。その光景にアニメや映画っぽさを感じたナナキは、ちょっと興奮した。
そう考えた瞬間、ナナキはハッとした。慌てて目の周りを触ってみるが、どうやらVRゴーグルは付けていない。その代わりに、触ったことのない頭蓋骨の形状と皮膚の触感があった。これは本格的にオカシイ。多分、この体は他人だ。もしくは、脳がバグってフィードバックが狂ったか。
……これは夢か?夢なら現実か。所詮、世界は体が受けた刺激を脳が再構成して創り出す世界だ。そういう意味では夢もまた現実。ナナキは暇潰しに読んだSF小説や漫画の影響で、そんな価値観を持っていた。
それならそれ。前の自分がどこへ行ったか、どんな状況かは一切わからん。追求すべきかもしれない。とはいえ、まずはこの状況の区切りを見つけなくては、落ち着いて自分を顧みることもできない。
ナナキはまず、今流されているこの波に身を委ねることにした。
壁を眺めながら右手に沿って歩くと、やはり緑に光るマークが現れ、カッコ良く壁が開いて入り口になった。
再び感動しつつ中に入ると、そこは白い無機質な部屋だった。向こう側は一面ガラス張りで、その外に青っぽい景色が見える。部屋の中央右手には、平面模様が浮いて見える机と椅子があり、そこに面接官らしき女性が座っていた。いかにも仕事ができそうな雰囲気だ。その机の正面にも椅子があるが、こちらは面接者用だろう。面接官は手元の端末かなんかを見ていて、こちらを見向きもしない。
ナナキは面接官の前まで歩いて行き、とりあえず挨拶をしてみた。
「え~…、本日は、よろしくお願いします。」
面接官はナナキを上目でチラッと見ると、うつむいて端末を置き、両肘をついて指を組みつつ、重々しげにナナキを見た。
「君ねぇ…わざわざ冗談を言いに寄ったの?暇な…というより、悠長っていうか。」
どうやら部屋を間違えたようだ。
「えーと、面接ってどうしたらいいかわからなくて……。」
とりあえず、出たとこ勝負で様子を見る。
「どうって、自分が今後面倒見なきゃいけなくなるんだから、問題なさそうな人たちを慎重に選ぶしかないでしょ。」
……よくわからん、という顔をしてみる。
「君…さては、説明会でろくに話聞いてなかったな?相変わらずノンキだなぁ~。これから選ぶ人たちと、飛空艇って密室で結構長ぁいこと一緒に生活しなきゃいけないんだよ?考えるだけで大変だよねぇ~。…あ!もうこんな時間じゃん!さっさと行きなって!」
彼女はなかなかの姉御肌で面倒見のいい女性のようだ。
「了解です。…そうだ、2番面接室って…?」
「ここの正面。面接では資料も見ながら気になることを訊くんだよ?あと、メモを取るのを忘れないように!」
言って、女性はナナキの左手を指差した。見ると、スマホを持っていたはずの左手に、一本で満足できそうなチョコバーを薄くしたサイズの、吸い込まれそうなほど黒い謎の物体を持っていた。その表面を軽く親指でスライドしてみると、物体の表面に不思議な文字が現れた。見覚えは無い言語なのに、不思議と読める。
「ありがとうございました~」などと言いつつ部屋を出て、正面の部屋へ向かう。
そういえば、今までの会話も改めて思い返すと、知らない言語で自然に会話している。どうも、意識が知らなくても、無意識がこの世界を知っているようだ。意識すればする程、意味不明な感覚だ。手元の謎端末も、仕組みも動力源もまったくわからんが、指で何も考えず操作すると、直感通りに見たい情報が現れた。体はずっとこの世界にいたのだろうか?
それと、さっきの面倒見の良い女性のことは覚えておくことにした。名前はわからないから、頭の中で“キャリアの姉御”というコードネームを付けておく。
正面の2番面接室に入ると、そこも先程の部屋と同じようなインテリアになっていた。ナナキは面接官席に腰掛ける。これから何のこっちゃわからない面接ミッションが始まるらしい。
とりあえず座って落ち着いたナナキは、なんとなく未知の中古ソフトを買って、他人の途中セーブデータからゲームをプレイし始めるような心境になっていた。物語の設定も世界観も、目的もクリア条件も、自分のスキンやステータスすらわからない。とどのつまり、なにこれワケワカラン&適当でいいや、な投げやり感を抱きつつあった。
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