第9話 右手で握手を。左手に剣を。

 僕が「幸運丸」にこだわった理由。それは、夏の間に出来るだけ「幸運丸」の「冷やしラーメン」を食べておきたかったからだ。どうせ振り回されているのだから、これぐらい我を通してもバチは当たらないだろう。

 金属製のどんぶり状の容器に盛られた飾り付けを堪能。そこから一気にひっくり返すカタルシス……なんてことを味わう余裕は無かった。

「キムチじゃ無くてメンマの方が良いんですか?」

「ローテーションだよ。単純に旨さだけを追求するなら、君が注文した柚子風味の方が好みだ」

「ローテーション? ああ、順番に……うん?」

 運良く、と言うべきかカウンター席の左隣には、いぶきが腰掛けている。もしかしたらバラバラになるかな? と薄い希望を抱いたが二名ぐらい、いくらでも融通は利くのだろう。

 座敷席は今回もスルー。この店の座敷席は実はVIP専用なのではないかと僕は疑っている。

 今回は「冷やしラーメン」を食べに来たんだから、その薦めに素直に従って、いぶきは柚子風味の「冷やしラーメン」を食べていた。この「幸運丸」の普通のラーメンは旨いけれど、他店と差別化出来ていない印象がある。だけど「幸運丸」はネギと刻みニンニクが入れ放題になるんだよね。冬場は冬場でありがたい店だ。

 ……ニンニクの入れすぎで、調子を崩したのはキッパリと僕のせいだし。

「それで、どういうわけか父さんのファンじゃなくて、僕のファンだと……そういう風に主張したいんだ」

 僕は丼の中をかき混ぜながら、改めて確認する。

「そう。主張も何もそれが事実だし。最初は“アンドレア”のファンで、それとそっくりな人が描いてるって叔父さんに教えてもらったの」

 まるで鑑定でもするかのように、いぶきが麺を持ち上げながら応じる。こちらも敬語に関しては、適当に使ったり使わなかったりするつもりらしい。そのうちに距離感、のようなものも出来上がるだろう。

 そんな言葉遣いよりも今は――

「確かに“アンドレア”のキャラ造形に関しては、ほとんど僕が考えるままに作られてはいる。高校生だったし小細工のしようも無かった。だけど基本的には、父さん担当の“ファビオ”に対して否定的な意見を、みたいなキャラクターだよ。何処にファンになる要素が……」

 自分の分身だと認めておいてなんだが、アンドレアは嫌われるだろうな、というのが僕の客観的な判断だ。ところが僕の言葉に対して、いぶきは麺をたぐりながら、実にえらそうに首を振った。

「わかってない! わかってないけど……」

 そこでピタリと、手の動きが止まる。

「朋葉さんに、その辺りを説明するのも多分やっちゃいけない事だと思う。やすはら先生は何か言っていたわけじゃないんでしょ?」

「それはまぁ……」

 確かに父さんは……どちらかというと、煽っていた気もするな。アンドレアの“在り方”を。

「アンドレアは、そのままで良いんです! 朋葉さんもそのままで良いんです! だから、私もラーメンに興味があるわけです!」

「理屈が整っているような、そうでもないような……」

 僕は澄んだスープをレンゲで掬いながら、思わず呟いていた。それは、いぶきの勢いに圧されたせいなのかも知れない。何しろ続けて、こう呟いてしまったからだ。

「……それなら『麺鉄』に連れて行く手もあったかも」

「それは何処?」

「何処って……そもそも、場所を知ってどうするつもりだ? それで思い出した。何で『黒獅子』に行こうとしてたんだ?」

「それは、その……先生の、じゃなかった、朋葉さんのことを知っておきたいという、ファン心理でしょ? 叔父さんから話も聞いてたし」

 ああ「黒獅子」が開店したのは、割と最近だ。となると小谷さんの記憶も新しくて……

「いや、ファンだって言うなら僕を使い倒せば済む話だろ? せっかく会えるんだし、小谷さんを挟めばいいわけだし……何だって一人で行こうとしてたんだ?」

 豊中駅で会った事も何かしら作為を感じるが。

「えっと、それはですね……」

 ほとんど初めて、いぶきが言い淀んだ。その間に、麺を一啜り。

「……“実は知っていた”みたいな状態を作りたくて」

「つまりは僕に対して勝ち誇りたかったと。……ファンで良いんだよね?」

「それはもちろんです! でも、負けっ放しが性に合わないというか……」

 そもそも勝負してないし、何処をどうすれば勝負の形になるのか。そうやって無理矢理、勝負の形にした上で、勝ちにこだわる。……どういう風に解釈しても「小谷いぶきは危険人物」という結論にならないだろうか?

 さらに僕を発見したところで、いきなり方針転換したわけで――

「それで、一緒に描いてくれるんですよね?」

 形勢の不利を悟ったのか、いぶきはいきなり踏み込んできた。

 それに対する答えはもう決まっているし、恐らくはいぶきも察していたのだろう。それでも言質を取ることに意味はあると――マウントをとる意味でも確かに意味はある。

 僕はずっと前に決めていた覚悟のままに、

「ああ」

 と短く返事をした。途端に喜色を浮かべるいぶき。だが当然、僕としてもこのまま唯々諾々と従うわけにはいかない。笑顔のいぶきを斜めに観ながら僕はこう続けた。

「――このまま無視していても、母さんに直接ねじ込まれるだけだしな。それに話しをしてみてわかった」

「え?」

「“こんなに続きを描きたいのに、何で私の邪魔をするの!?”……まぁ、こんな感じネームが浮かんでくる。君のキャラクターを描くとするならこんな感じだ」

 そうだなぁ。

 別に大ゴマは要らないか。かと言ってアップにするのも芸がない……俯瞰で描くキャラクター達の中で突然吠える。いや……どうにも鈍ってるなぁ。

 その反省は後回しにして現実の“ネーム”の続きだ。いぶきは表情の選択に迷っているのか、何とも説明しづらい表情を浮かべている。

 ――上手く行きそうだ。

「だからこそ“漫画家向き”と言えるかも知れない。基本的に漫画家は我を押しつける部分が無いと、どうにもならない。そして漫画はネームだけじゃ無くて、作りも必要だからな。だからこそ『海と風の王国』にこだわるのは――」

「それは絶対だから!」

 出し抜けに復活した。何とも我の強いことで。

 ……いぶきが妙に笑顔なんだけど。

「何?」

 思わず尋ねてしまった。

「いえ、朋葉さんって本当に“アンドレア”なんですね。ほとんどそのままです。この場合は朋葉さんが元ネタになるんだろうけど」

「元ネタって……」

 思わず苦笑が浮かんでしまう。そう自覚できる。

「その人を徹底的に馬鹿にしたような物言い。それでいて相手が怒る直前で、話を逸らすやり方。健在ですね!」

 ……そんな評価なのか。

 でも、それならそれでやり様はある。

「ファンから健在と言われて嬉しい限りだよ。でも“描くこと”についても健在かどうか確かめないと。我を通して、それに説得力を持たせるためには画力、構成、そんなものが必要になる」

 なんて、父さんの受け売りだけど。

「それは君についても同じだ。君の実力ちからがどうしようも無かったら、この話は無しだ。別に厳しくするつもりも無いけど、全てを“なぁなぁ”で済ますつもりは無い」

「それは……はい」

 ある種の覚悟が窺える眼差し。もっとも小谷さんが話を持ってきた時点で、ある程度の見込みはあるのだろうと推測はしている。よって、この一連の“ネーム”は主導権争いの一手だ。

 だからこそ告げておかねばならない言葉ネームがある。

「そしてこれだけは覚えておいて欲しい。確かに君の企みには乗る。乗るがしかし、基本的に僕は、やりたくない、ってことを」

 いぶきの動きが止まる。しかし反論は出来ないだろう。何故なら……

「やること全てを、自分が好きだから行ってるなんて、そんな都合の良い世界無いだろ? そして、そういう世界の認識こそが“アンドレア”が到達しそうな境地だ」

 いぶきはすぐにそれを察して反論を控えたわけだから――こういう方面でも見込みはあるのか。

「そ、それなら……」

 そして、ここで黙り込まない事も、確かに有望さがあるな。

「私は絶対“アンドレア”を動かしてみせる。“ファビオ”がそうしたみたいに!」

 大きく出たな。

 だが、それがいぶきの思い描いている“続き”であるなら――なかなか難しそうだ。いやになるほどには。だがそれよりもまず……

「とにかく、君の腕を確認してからだな」

「はい。まずはアドレスを……」


 と言うわけで「幸運丸」において、僕といぶきの間にある種の同盟が結ばれた。互いに譲らぬままに。けれど同盟とは、そもそもそんなものだろう。

 それでも「冷やしラーメン」は旨い、と言うことでお互いに完食に至ったわけだし、それなりに共通点も見出せたのだろう。


 ――何の慰めにもならない気もするけど。

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