第56話

 私たちは、ユイナを中心に集まり始めた人の輪からそっと抜け出した。そのうち衛兵の応援も駆けつけるだろうから、面倒なことになる前にこの場を離れることにする。


「死ぬほど寒いんだー!誰か早くなんとかしてくれー!」


 頭だけ無事だった小男は、情けない声で助けを求めてくる。散々他人を傷付けてきたんだから、そのくらい自業自得だ!


 小男の喚き声を背後に聞きながら、人集りを避け静かな路地を選んで進む。


「ん…、あれ…?」


 ケータの腕の中でサトコが目を覚ました。気がついたなら、早くそこから降りろ!


「サトコ、気がつい…ムグッ」


 ケータが胸元のサトコに視線を下ろした瞬間、サトコがケータの首元に自分の腕を回し、自分の唇をケータの唇に押し付けた。


「サ、サトコ!」

「サトコさんっ!」


 私と共にルーまで一緒に叫んだ。コイツ、自分のこと棚に上げやがって!


 私たちはふたりでケータに駆け寄ると、無理矢理サトコを引きずり下ろした。


 強引に引き剥がされたサトコの口から「プハッ」と吐息がもれ、唾液の糸がツーッと延びる。ま、まさか、ウソでしょ?


 満足そうなサトコの表情とは裏腹に、ケータは耳まで真っ赤に染めて放心状態だ。脳天から幽体が抜け出そうになってる。


「ちょ、ちょっとケータ!」


 私はケータの肩を揺さぶった。ソッチに行っちゃダメ!


「あ、あれ?今一瞬、お花畑が見えたような…?」


 ケータはハッと意識を取り戻す。


「サトコさん、強引なのも結構ですが、一歩遅かったですね」


 ルーが「フフン」と高みから笑う。


「ルーのアレは『治療行為』なんでしょう?自分で言ってたよね?だからケータくんの『ファーストキス』の相手は私」


 サトコはケータの腕を掴むと、自分の方に抱きよせた。ケータは自分の身に降りかかった出来事を思い出したかのように、顔が一瞬で上気した。


「な……」


 ルーは絶句する。そしてプルプルと握った拳を震わせる。ルーの悔しがる姿って珍しい……て、そんな場合じゃない!こんな一大事に、私、完全に蚊帳の外だ!


「ちょっと、ケータ!私にもキスさせなさいよ!」


 私はケータの胸ぐらを掴むと、思わずどストレートに懇願してしまった。


「おま…、何言ってんだっ!」


 ケータは真っ赤な顔をしたまま、口元を押さえて後退る。さすがに三度目ともなると、警戒心が強い。


「ヤダ、何あれ?ムードもへったくれもない」

「盛っちゃって、みっともないです」


 さっきまでいがみ合っていたクセに、サトコとルーが息を合わせて私を非難してきた。コイツらホント、いっぺん死んでほしい…


 とはいえ、このままじゃダメだ…


 たかがキス、されどキス。私だけが大きく後退してしまう!


「ケータの言いたいことは、充分に分かる!だけど、私の気持ちも分かって!」


 私は半泣きで、顔を真っ赤にして訴えた。こんな同情を誘うようなキスで、私は本当に後悔しないのだろうか?


 だけど私だけが取り残されるのは、やっぱり我慢が出来ない!


「うー…」


 本泣きするつもりはなかったのに、思わず涙が一粒零れた。私は咄嗟に目を閉じて顔を伏せた。


 その時「ジャリ」とケータの足が、私の方に一歩進みでる気配がした。次の瞬間、私のおデコに柔らかな感触が伝わる。


 ビックリして顔を上げると、真っ赤な顔で口元を押さえたケータの横顔があった。私と目線を合わせないようにしているみたい。


 でも、おデコ…だった。私が妹だから?やっぱり私じゃダメなの?溢れる涙を我慢出来そうにない。


「ボ、ボクからするのはハルカが初めてだから、今はそれで勘弁してほしい…」


 ケータが消え入りそうな声で、そう言った。


「え…?」


 私は一瞬ポカンとした。だけど、ケータの言葉の意味がゆっくりと身体に染み渡っていく。


「うん、うん、ありがとう、ケータ…」


 嬉しい、ホントに嬉しい…


 私は結局、我慢出来ずに涙が溢れた。


「ケータお兄ちゃん、ハルカさんだけズルイです」

「ケータくん、おデコでもいいから、私にもしてよ!」


 私の余韻をかき消すように、害虫たちが騒ぎ始めた。お前らにそんなこと言う権利なんて、ある訳ないでしょーがっ!


 私はケータに詰め寄るサトコとルーを、コンサートの警備員よろしく押し留めると、声を限りに叫んだ。


「お前らいっぺん死ねーーー!」

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