第36話 負け犬だけが言い訳できる
カリラという名を得た女が最初にしたことは、体の具合を確かめることである。
とりあえずは剣が入用となり、カリラは数打ちで良いと伝えたが、なかなかの業物が届けられた。
今の主である齊天后の前で、剣を振る。
『服の前に剣とは……。なんと野蛮な』
さしもの齊天后マフも、裸身のまま剣を振る女に呆れ声であった。
「生き方は、黄泉帰っても変えられぬものです」
動く。
思いの外に、動く。
青褪めた月の下で死したあの日、どれほど体が重かったことか。
女は自らを阿修羅であると知る。
自らの内なるで悟りを開く。いわゆる独覚を果たし、そこから先へ至れぬ阿修羅。
弟子を得たことは幸いであった。
体は動かぬとも、あの時、長らく越えられなかった壁を踏破した実感があった。
死に瀕してなお、力を求める阿修羅である。
苦界である現世に引き戻されて、その時の感触が微塵も薄れていないことは、望外の喜びに他ならない。
カリラにとって刃が大気を切り裂く音は、歓喜と悦びの調べである。
◆
肉を得たカリラは帝都の街をそぞろ歩く。
騎士礼服をまとい、腰には業物の剣。しかし、どうにもこの業物は好きになれない。かといって、神具の魔剣は嫌だ。
あれは斬れすぎて、剣ではない。別の何かだ。
鉄を鉄で断てる者にとって、剣は体の一部である。故に、斬れすぎる神具は邪魔になる。手があるというのに、義手を得る必要は無い。
腰に佩いた剣が、かたかたと音を鳴らす。
「ふむ、妙な剣を渡してくれる」
目をこらせば、ねっとりとした血潮の気配がする。何やら恨みの篭る剣であるらしい。人を斬りたがっている。
死人が持つに相応しいと言えないでもない。
鍛冶屋で鋳つぶそうと思っていたが、なんとも忍びない気持ちになった。こういうものは、一度愛着が湧いてしまうとダメだ。
「ま、いいか」
そうと決まれば、鍛冶屋へは行かずにマーケットへ向かう。
帝都には幾度か来たことはあるが、新たらしい主のおかげで大いに様変わりしていた。特に、齊天后どの治世で拡大した露天商は面白い。
辺境でしか食べられないものがふんだんにある。
好物の干した
「美味いな」
久方ぶりの味に、笑みが漏れた。
弟子のことを思う。あの子はいつも、大きな都市にくると珍しいものを食べたそうにしていた。実に美味そうに食うので、路銀に余裕があれば買ってやったものだ。
我ながら甘いことをしたと思う。しかし、つられて食べることで、食べ歩きというものを愉しめるようになった。
色々なことを弟子から教わった。
思えば、人に立ち返ることこそが、自らの限界を破る契機であったのかも知れない。
竹虫の屋台を見かけて、野営の最中に食べた時に、あの子は泣いて嫌がったと思い出す。あれから成長していれば、これくらい食えるようになっているだろう。
剣が哭く。
いい子だから、もう少し待てよ。
後ろの気配は五つ。そして、その後ろ。さらに一つ。いや、二つか。
露天商のひしめく通りを抜けて、墓地のある方向へ歩く。
おや、気が早いな。
「待たれい待たれい」
自らの周りを囲むのは五人の武者だ。
ご丁寧にも、鎧を着た騎士が一人に槍兵が四人という囲い殺しの布陣である。
「うむ、何用かっ」
堂々とした大声で返せば、五人もまたその身に気合を入れた。すくたれ者ではない。中身も武者か。
「皇帝陛下に取り入る魔道の徒であると聞き及んでおるが、相違ないか」
騎士の相貌は兜に隠されていて分からない。しかし、声からすると若くは無い。
「そのとおり、我こそが齊天后様の懐刀であるカリラと申す者」
「堂々とした名乗り、ひとかどの武人であるとお見受けする。しかし、帝国のため、見せしめとなって頂く」
この後に、腹を切るつもりであろう。敵の命と自らの命をもって皇帝陛下を御諫めせんとする心意気、まさしく見事である。
「よかろう、来い」
剣を抜けば、目前に槍が迫るところだ。前に二人、後ろに二人。戦い慣れた歴戦の兵か。槍兵も歳のいった男たちである。
繰り出される鋭い一撃を舞うように跳んでかわし、まず一人目の首筋を斬る。
剣に宿る魔は、深く深く、カリラの考えるよりも深く肉を抉ろうとする。
よせよせ、それでは私が死んでしまうではないか。
いや、もう死人か。
着地と同時に剣を投げれば、背後から突きかかっていた一人の顔面に剣は吸い込まれていく。
「なんと」
頭目である騎士の驚愕の声。
剣を手放す程度で驚かれては、カリ=ラの名が泣くではないか。
残る二人の槍兵は、仲間の死に怯むことなく槍を突き出す。
帝国にも、未だ武者はいる。惜しいという思いを感じる前に、体が動く。
正中線を正しく狙う必殺に対して、カリラは恐るべき柔軟性でくぐるようにして槍を避け、使い手の目に貫手をさしこみ、脳を掻きだした。そして、すぐさま槍を奪い、最後の一人が繰り出した穂先に石突をぶつけた。
「ぐうぅぅ」
槍使いの唸りは虎のものに似ていた。
カリラが神速で槍を回せば、最後の槍使いは喉を切り裂かれて崩れ落ちる。
槍を捨てたカリラは、自らの剣を死体から引き抜く。
「恐るべき手練れか。最期の相手に不足無し」
騎士は大剣を抜いた。
「なぜ、待っておられた」
「貴公ほどの武人に向かい合いたいと望まずして、なにが男か」
「戦いとは勝つことのみが華よ」
勝つためには何をしてもよい。
「もとより、この命は捨てておる。使い所は選びたいではないか」
なるほど、雅を取ったか。
粋な男は嫌いではない。その不器用さは、正しくなくとも好ましい。
「そうか、その気持ちは分かるよ」
私もまた、同じことをした。
リリーよ、お前はどれほど強くなった。会いたいなと、そのように思った。
「リヒャルト・ドレスタル準子爵と申す。死出の決闘にいざ、参る」
「おう、来やれ」
騎士は剣を担ぎ上げる奇異な構えを取った。
二の太刀などいらぬという構えである。しかし、その体勢は後の先。つまりは、いかなる形で打ち込まれても捨て身で斬り伏せる心積もりか。
いや、そう見せかけているだけかもしれない。老練の魅せる妙技であった。
鎧を纏うが故に、片手剣ではその隙間か喉元などの急所に打ち込むしかない。そうするためには懐に入り込む必要がある。そうなると、必然的に騎士の剣を避けられない。
剣が哭く。妖剣に宿る鬼は、使い手と対手を死に誘う。
カリラは無防備に距離を詰めた。
騎士の瞳が輝き、捨て身の一撃が走る。
カリラは走り抜けるようにして一閃、鉄と鉄のぶつかる音は鎧を打った音である。
血の華が咲く。
「斬鉄の剣、見事なり」
騎士の兜、その中で顔を隠していた面頬の隙間から血が漏れた。
鎧ごと腹を切り裂かれ、口にまで登った血を吐いたのだ。
「その命、無駄にはせん。安心して逝かれよ」
異国の祈り捧げたカレラは、袖口を破いて懐紙代わりにして剣についた血糊を拭い鞘に納めた。
弟子の到着を待つつもりでいたが、どうにもそうはいかなくなった。
士官することが夢ではあった。しかし、上手くいったらいったで背負うものが増えてしまう。
五対一の決闘に勝利し、斬鉄を為したことでカリラの名は一躍帝都に轟くこととなる。
◆
シャルロッテがその人を見たのは、薔薇園でのことである。
物珍しいといった様子で薔薇を眺めているその人は、場違いだと自分自身で思っているのが外に出ているようで、なんとなく親近感を覚える。
アメリと共に先帝陛下のために薔薇を手折りに来たのだけれど、つい、その人を見入ってしまった。
「シャルロッテ、どうしたの」
見ていると、アメリがそのようにシャルロッテに声をかけた。
「あ、ううん。何でもない。初めて見る人がいたから、ね」
「あれは、近衛の女騎士でカリラじゃ」
「ふうん、強そうだね」
じろじろ見るのも失礼にある。その場は立ち去ることになった。
手折った薔薇を花瓶に入れていると、不意にアメリが真剣な声を出す。
「なあ、シャルロッテ」
「なに、アメリちゃん」
「これから戦争が始まろう。長い長い戦争じゃ」
突然凄いことを言いだす。
シャルロッテとて、アメリを普通の女子だとは思っていない。きっと、凄腕の魔術師かなにかなのだと、そう思っている。
「……怖いね」
「この戦争は人を引き上げる戦争じゃ。人間の歴史は戦いを繰り返すことにある。幾多の命と争いで文明は発展し、いつか月にも、その先の宇宙にも、世界さえも超える日が、いつか来る。妾は、その未来のために」
「難しいことは分からないけど、それが正しいことなの?」
「……正しいなどというのは、後の者が決めるであろうよ。妾は、何があっても、帰る」
「そっか。怖いけど、そう進んでるんなら、仕方ないよ。アメリちゃん、大丈夫、怖いことしてても嫌いにならないよ」
花瓶を小脇に抱えて、シャルロッテはアメリの手を握った。
「そ、そうか。そう言うてくれるか」
あまりにもその声は弱弱しくて、シャルロッテの胸にちくりと痛みが走る。
「でも、アメリちゃん、イヤイヤやっちゃだめだよ。強くないと、負けちゃうから」
「えっ」
「なんでもそうだけど、人を叩く時は思いっきりしないとね、後で自分が痛くなるし敵ばっかりになっちゃうでしょ。だから、グッとね、ゴワーンって感じで力いっぱい全力で、頑張らないとね。わたしは役に立てないけど、応援するよ」
シャルロッテはさも当たり前のように言う。
「そうか、その通りじゃ」
胸には苦しみがある。
訳の分からぬ力をどれほどふるえば、この罪悪感から逃れられるのか。
魔人としてこの世界に落とされた時から、ずっと戦い続けてきた。最も痛みを伴ったのが同朋を手にかけた時である。
力を振りかざす者を力で排除した。勝ったからこそ、アメントリルとその仲間たちは正義であることになった。
「シャルロッテ、ありがとう。妾はこれで前に進める。お前に出会えてよかった」
手の温もりは胸に染み入るようで、アメリはうっとりとその感触に陶酔した。
「え、ちょっと大げさじゃない? あと、なんか女色っぽくて怖いから、顔を赤らめるのやめようよ」
「ふふ、そうじゃな」
「聞いてないでしょ、それ。女同士とかちょっと無理だから」
困ったなあ、といった様子でシャルロッテは言う。
シャルロッテは後になって、この時間が最も幸せで、それでいて残酷なものであったと知る。
嵐の前の静けさのようなひと時であった。
この嵐をより大きくする女は、シャルロッテとアメリの様子を遠くからじっと見ていた。
次にシャルロッテがその人を見かけたのは、侍女の住まう一画にほど近い庭園でのことである。
庭園の庭石の上で、座禅を組んでいた。
仕事終わりにたまたま見かけたのだが、その様はシャルロッテの記憶と一致する。
生誕祭の直前、最後にリリーと言葉を交わした時に見た鍛錬の姿だ。
「リリーさん……」
見た目は全く違うというのに言葉にしていた。
瞳を閉じて自然と合一していた女の、カリラの瞳が開かれる。
「弟子の知り合い、いや友人かな」
座禅を解いて庭石から飛び降りた女は、シャルロッテに問う。
「えっと、あの、リリーさんのお師匠様、ですか」
ほんの少しだけ聞いた話と特徴が一致する。少し若い気はするが、あんなことをする女性が他にいるとは思えない。
「ああ、私はカリラという。よければアレのことを聞かせてほしいんだけど」
「ええ、喜んで。あ、シャルロッテ・ヴィレアムと申します」
ああ、そうか、あの時、リリーに似ていると思ったのか。薔薇園で佇む様は、困らせた時の姿によく似ていた。
侍女のための休憩室へ赴き、シャルロッテが茶を入れた。
ようやく先帝陛下とディートリンデ様は、シャルロッテの茶を飲んでも
「ん?」ぐらいの違和感ですませてくれるようになった。
「ここの茶は落ち着かんな。色と匂いがついているだけの茶で良いんだけど」
「分かります。お茶一つでも、下々とは違うんですよね」
階級社会において、身分違いというものは互いに苦しいものだ。玉の輿というものに庶民の娘は憧れるものだが、実際は気苦労のほうが大きいだろう。
「あれは、侯爵家の長女だというのに変わっていたよ」
思い出を慈しむ目であった。
ああ、とても大切にしていたのだな、とシャルロッテにも知れる。
「最初はすごく大人な人と思ってたんですよ。でも、面倒くさがりだし、すぐ勉強は投げ出すし、なのに食べ方とかはお嬢様なんですよね」
リリーと付き合い始めて最初に感じたのは、食事時のマナーの良さへの感嘆だ。一緒にいると、自分のマナーの悪さに恥ずかしくなる。それがあって、猛勉強した。友達に置いていかれるというのは寂しいものだからだ。
「そうだったね、リリーはそういうところがあったよ。ふふ、私と別れた後も、元気でやっていたということか」
「会っていないんですか?」
「あれが十四の時に放り出した。もう十分に剣は遣えていたからね」
「じゃあ、帝都にきてからのことは知らないんですか」
「こっちに来たのは最近だからね。あれは学院ではいい子にできてたかな」
それから、シャルロッテはリリーのことを話した。
決闘の騒ぎや、授業を気分が優れないと言ってサボること、それにリリーの叔父であるというヴィクトールとの掛け合いなど、カリラもすぐに想像できる話ばかりだ。
話し終えて、三杯目の茶を入れた所で、カリラはぽつりとつぶやく。
「リリーは私のマネをしているのかもしれないな」
「マネっていうか、大分違いますよ。多分、お手本にしてるんでしょうけど」
「自分に自信がないからマネなんてするのさ」
シャルロッテは苦笑した。
妙なところで頑固そうなところが、よく似ていたからだ。
「変なことを言ったかな」
「まさか。よく似てるって思ったんです。自信っていうか、多分、カリラさんのことが好きだから、同じようになりたいって思ってるんですよ」
「そういう弱い考え方は好きじゃない」
「憧れた人みたいにしたいって、思うじゃないですか。強いとか弱いじゃないですよ」
はたと、虚を突かれた思いであった。
カリラは個人の力というものに異常なまでの想い入れを持つ。だからこそ、自分の頑迷さに気付けることは稀なことだ。
「そんなに単純なものかな」
「リリーさんはそうだと思います。わたしも似たようなものですし」
「シャルロッテは強い女(ひと)だね」
「弱いですよ。流されて、何もできなくて、泣き言ばっかり言ってます」
「……泣き言はかまわないよ。負けたのなら、言い訳してもいい。勝ってるのに言い訳さえしなかったらそれでいい」
カリラは自らの主と同僚である騎士の姿を思い浮かべた。
「あ、そろそろ時間ですか」
「長々とすまなかったね。また、話そう」
「ええ、喜んで」
この後、このように話す機会は訪れなかった。
◆
離世の間では、いつもの悪だくみ会合が開かれている。
死神は片腕を失い敗北。リリーを倒すまで戻らぬと言付けをして何処かへ消えた。
神具を失い舞い戻ったユリアンは、平伏して震えている。
齊天后マフが怒るということはなかった。元より、カグツチを倒してしまう相手に対して、少しばかり強化しただけの蚊人間が対抗しうるとは思っていない。
『ふむ、どうしたものか。この妾は帝都を守護せねばならぬ』
マフは抑えきれぬ喜びを得ていた。
カグツチを倒したことも偶然ではない。魔人を正面から倒してしまうというのは、人間の進化の証だ。それこそ、目的の一つは達成されたようものだ。
「私が行きましょうか」
ジーンが言う。不確定要素にはもううんざりだ。
『ならん。妖精を抑えるには邪妖精の力がいる』
「齊天后様の御力があれば、私の不在など、どうとでもなりましょう」
笑い声が響いた。
この場に相応しくない笑い声に、皆の視線が集まる。
笑っているのはカリラであった。
黒髪に平たい顔をした女の笑い声は大きくなり、目を見開いて笑う様には一種独特の狂気すら漂う。
「皆様方、何をせせこましいことを考えていらっしゃる」
『ほお、なんぞ考えでもあるというか』
「齊天后様、あなた様には言い訳が多すぎる」
『……土くれが何を言うか』
カリラの口元に刻まれた笑みが消えた。
「裏切らぬ臣であるからこそ辣言を申し上げましょう。真に力あり、勝利者というのならば、その力を振るう言い訳など必要では無い。主殿、その力を振るわれよ。御自身が帝位につけばよい。それこそ、海を隔てた魔国の魔王のように」
「馬鹿な。そのようなことをすれば、大義なき内戦となるぞ」
ジーンが怒鳴りつけた。内線の一歩手前ではあるが、今は正当な皇帝陛下がいる。だからこそ、帝国は帝国の姿を保っている。
「それは貴様の都合でしかないわっ。主殿、簒奪をなされれば良い。陰から操るなど、弱きの考えよ。そうすれば、あなた様が真に欲するものを全て手に入れられる」
『真に、欲するもの?』
「主殿の温もりもまた、薄氷の上にあるとご存じでしょう」
そうであった。
シャルロッテは妖精に付け狙われ、物語の舞台が崩壊した今ではその命すら危うい。
人は、自分に都合の良いものしか見ない。孤独に生きた者ほど、その判断力は子供と変わらないものだ。
聞こえの良い言葉に、疑問を持っていることを自ら否定して飛びついてしまう。
「主殿、王となり、全てを手に入れなさるとよい」
「それ以上は許さぬ」
ジーンは剣を抜いていた。
光り輝く神具の剣である。その剣に隠された神秘とは『この世にあらざる者を土に還す』であった。
「甘いわっ」
神具の剣を、鋼の剣で受ける。
「小童っ、私を斬りたいのならば、政ではなく剣を磨けいっ」
カリラは鍔迫り合いを強引に弾き、恐るべき速さで剣を繰り出す。甲殻戦鬼の視力でも追うのがやっとである。だが、後の先は取れぬが、受けることは容易い。
重たい音が響き、ジーンは金縛りにあったように動けなくなった。
「は、馬鹿な」
「神具であっても、腕前が伴わねば
クア・キンの神具の剣は、真っ二つに斬られていた。
ジーンの用意した剣は、多少曰く付きなだけの業物である。神具に敵うはずが無い代物であるというのに、この女は斬鉄を為したのだ。
『カリラよ、剣を納めよ』
齊天后マフの眼窩に宿る炎に、危険な色がある。狂気ではない、覇気である。
「主殿、ご決断なされたか」
『そうじゃ。妾はいつも後ろにおった。だから、手に入らぬのじゃ。アメントリルの後ろに、今は皇帝の後ろに、そのような迂遠なことをする必要は、なかったのう。ジーンよ、今更の裏切りは許さぬ。妾は皇帝を象徴として生かすと認めよう。そして政の権利も与えよう。だが、頂点は妾じゃ』
狂ったか、齊天后。
魔物でしかないお前が君臨して何をするというのか。人も亜人も、魔を利用することはあっても、頂きに添えるなどということはない。
『アメントリルがやったように、妾も謳おう。自由と、平等と、博愛をっ。帝国を神の国としようではないか』
「齊天后殿、どういうおつもりか」
『ジーンよ。帝国の経済は近く破綻するのであろう? 戦でもなければ、増えすぎた貴族の食い扶持も
「は、それに間違いはありませぬ」
『なれば、今がその時よ。無能者は排除し、優れたる者を中枢に添えるに内戦は丁度良い』
ジーンは片膝をつき、齊天后に頭を垂れた。
「感服仕りました。その覇業、まさしく帝国の未来にございます」
今は、殺されてはやれん。泥を呑んででも、帝国の危機に立ち向かわねばならない。そうでもせねば、ここまでやった意味がなくなる。
心にも無い言葉を吐いて命を繋げる。
『ひひひ、ジーンよ、お前は墓から妾を出したという功績がある。故に、不敬は許してやる』
「齊天后様、我らの世が来るというのですか」
ユリアンが言う。
『直言を許そう、蚊人間や。力ある者であれば、この齊天后が時代の光を当ててみせよう。我が故郷の英雄がそうしたように、優れた者を集めて一大の強き国を造ろう』
アメントリルも、最初はそれをやろうとした。
確かギだかゴだかいう国のやり方だとか言っていた記憶がある。どうせ、なんぞのゲームの話だろう。
失敗することを恐れていた。
色々なものを失いすぎて、隠れて何かを為そうとする弱い考えに支配されていた。
欲しいものを手に入れるには、戦わねばならない。
ずっと忘れていた、当たり前のことである。
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