インド映画撮影中に象にはねられ、気がつくと異世界にいた。

朝活四時

一話 暴走する象、伝説の始まり。

(俺は所詮偽物だ。本当の自分が何者か、未だ分かってない。

 ある時は凄腕のドライバー、ある時は人気者の歌手、またある時は大国の王子……自分が何者なのかなんて、とうに忘れてしまったな……)

「――アニクさん、聞いてましたか?」

「ああ。俺は大丈夫だが、象の方にも危険はないんだな?」

「もちろんですよ。飼育員も近くで待機しています。距離もとってありますから怪我の心配もありません。

 それでは準備して下さい」

 アニクと呼ばれた青年は日の照った場所に立つと、後ろに車のついた巨大な荷車を引く準備をした。

 彼はアニク・ラディーニ。今インドで一番熱い俳優だ。

 彼は今、一年後に封が切られる映画『ジャヴァコップ』の撮影を国内の郊外で行っていた。

「よーい、アクション!」

 その声とともに彼は後ろから車の助けを借りながら、荷車を引く。

 そして前からは映画完成時には暴れ象CGが登場するはず……が、そこには実際に暴れている巨象の姿があった。

「まずい……止まらないぞ!」

「アニクさん!逃げて!」

 まともな人間ならば逃げ出すところだが、彼は役に入り込みすぎたせいでこう思ってしまった。

 “止められる”と。

 青年は象の前に立ち塞がり、牙を掴もうと手を前に出した瞬間、象の前足にはね飛ばされ頭を強く打って意識を失った。


 一方、別世界に位置するカムパウ大陸のジャラグッド王国では、大聖堂で宮廷魔術師と修道女達が今まさに勇者を召喚しようとしていた。

「偉大なる神、シパ様。どうか邪神を封じることのできる勇気ある者をこの地にお喚び下さい……」

 雲一つない青空の下、突如として大聖堂の避雷針に雷が落ちる。

 勇者がこの地に召喚された証の音を聞き、宮廷魔術師は期待と共に祈る顔を上げた。

 しかし、そこには誰にもいなかった。

 すぐに周りで供に祈っていた修道女達がざわつき始める。

「どういうこと? 勇者様がいらっしゃらないわ」

「でもシパ神様からの御返事がありましたわ。落雷の音が確かに……」

 そんな騒めきを止めるように宮廷魔術師は声を上げた。

「皆、落ち着きなさい。数えること実に七十六年ほど前にも似たようなことがあったと聞きます。

 その際はカーティス川を流れてきたと伝え聞きました。手分けして川岸から探しましょう」

 そう言って宮廷魔術師は上着を羽織って先陣を切り大聖堂を出ると、この雨季は流れの激しいカーティス川へと早足で向かった。

 もし、召喚した勇者が溺死していたとあれば自分の命が危ういからだ。

 川岸から流れてくるであろう勇者を目を凝らして探していると、修道女の一人が声を上げた。

「ファラス様見てください! 誰かが川の中を歩いてきます!」

 宮廷魔術師はそれを聞いて耳を疑った。

「馬鹿な、この時期のカーティス川は立って歩けるような水流ではないぞ! そんなはずが……」

 宮廷魔術師はそう言いながら川下の方を見て言葉を失った。

 川の中を、半裸の浅黒い色をした肌の青年が歩いて激流の中を遡って来る。

「あれが……此度の勇者……?」

 彼はそう言わずにはいられなかった。

 それもそのはずだ。今まで宮廷魔術師の前に現れた勇者“もどき”達は皆ひょろひょろとしたキノコ髪の血色の悪い不健康そうな、奴隷の如き青年達ばかりであったからだ。

 だが、目の前に見える男は何だ?

 川の流れに逆らうほどの逞しい肉体、木々の枝のようにうねる髪の毛、ギラギラと生気を感じさせる眼差し。まるで——

「——まるで吟遊詩人の歌う詩曲の勇者のようだ……」

 宮廷魔術師は、またしても自然とそう呟いていた。


 ——起きなさい。

 アニク・ラディーニはそう誰かに声をかけられ、目が覚めた時川に浮いていた。

 反射的に起き上がる。

 目の前の少し離れたところに、周囲に蒼き羽をはばたかせる蝶々を引き連れた、美しく風に靡く白い羽衣を着た天女の姿が見えた。

 川の流れは急で、立つのがやっとだったが、それでも一歩前へ進んだ。

 そしてまた一歩前へ。さらに一歩前へ。

 ——前へ進み続けなさい。貴方の救う世界は、ここにあります。

 ラディーニはそれがシヴァ神の遣わした天女の導きであると確信した。

「勇者様! このロープにおつかまり下さい!」

 川岸にいる西洋の服を着た男性がそう言って縄を投げようと構えていたが、ラディーニは必要ない、と呟いて手振りでそれを制すると、その場を流れていた直径五、六センチほどの真っすぐな木の枝を掴み、それを使って棒高跳びのように川の中央から川岸まで跳んでみせた。

「今回の自分が何者なのか、今よく分かった気がする。

 俺は……ナーヤク勇者だ」

 そう呟くとラディーニは宮廷魔術師の方を向いた。

「俺の助けが必要か? 俺はアニク・ラディーニ。ラディーニと呼んでくれ」

「え、ええ。ではラディーニさんと。私は宮廷魔術師のファラスと言います。

 何かお召し物を用意させましょう。貴方もニホンという国からいらっしゃったのですか?」

「日本? いいや、俺はインディアからやって来た」

「インディア……ですか。聞いたことのない地名ですね。

 とりあえずお体を拭きましょうか」

 そう言ってファラスは修道女達に合図を送ると彼女達が布でラディーニを吹き始めた。

「おいおい、よせ。体ぐらい自分で拭ける」

 そう言うとラディーニは修道女から布を受け取ると自分で体を拭く。

「では、こちらにお着替え下さい。その間に鑑定板の準備をしますので」

「鑑定板っていうのは何だ? 今は知らないことばかりだ。

 ここの場所も点で見当がつかない。何処なんだいったい?」

「そうでした。それを言うのが先でしたね。

 ここはジャラグッド王国と言います。貴方のいた世界とは別の世界の国、と理解して頂けると幸いです。

 私達は別の世界で命を落とした、中でも勇敢な方の魂の原石をそのままこの地へ転送すると同時に蘇生する魔法を作り出しました。それが今から百三十年前になります」

 ファラスは多少の嘘を交えながらそう返す。

「何でそこまでして別の世界の人間を喚び出そうとするんだ? 技術力や知識が欲しいならもっといい方法がある気がするが」

 ラディーニが受け取った服を着ながらファラスに聞いた。

「神託が下ったのです。今から百五十年前に。

 邪神を封印できる可能性のある者はこの世界の外にいる、と。

 ですから私達は毎年、月の一番大きな日の翌日、太陽が一番高くまで登った時に召喚の儀式を行ってきたのです」

「なるほどな。それで、今までの勇者はみんな失敗してきた。そうだな?」

「……ええ、残念ながら。

 さ、鑑定板の準備が整いました。この石板に貴方の血を捧げれば貴方の強さが分かります。

 ご協力を」

 ファラスは小刀をラディーニに渡した。

 ラディーニは手の平を研がれた石の小刀で浅く切ると、その手を石板に押し付けた。

 すると、空中にさまざまな数字や文字が浮かび上がる。

 この世界には自分の知らない力があることに、ラディーニは驚きを隠せなかった。

「……なるほど。体力等基礎五項目はほとんど平均以上ですね……魔力がないのはいつものことですが。そして特殊技能があるようです。

 『複数射』『シヴァ神の加護』『天女の導き』ですか。なにかこういった言葉に心当たりは?」

「シヴァ様は俺の世界で信仰している神様だ。天女は川で目が覚めた時に見えた女性が、そうだったのかもしれないな。

 救う世界がここにある、とか言ってた気がするな」

「貴方には勇者としての素質が十分にあるように感じます。

 これから国王にお会いする場を設けます。供に城の方へ向かってもらいたいのですが、よろしいですか?」

「ああ、国王に早速お会いできるなんて光栄だ。粗相は起こさないと約束するよ。それにまだ重要なことを聞いてないからな」

「積もる疑問はそこで解消いたします。では、参りましょう」

 ファラスは先導して歩き、ラディーニに城下町を軽く説明した。

「——こちらが武器屋になります。後でお世話になるでしょう。

 ——あちらは我が国一番の味と話題のパン屋です。

 ——そこはサンタルトクメーネ大聖堂です。貴方は本来ならここで目覚めるはずでした」

 ラディーニの街を見た感想は奴隷がいるな、というものだった。

 インドでもカーストによる立場の差には明確な違いはあったが、こちらの世界も似たようなものがあるように感じられた。

「——そして、此方が王の御座すツァーバーミント城になります」

 宮廷魔術師であるファラスの姿を見た兵士が城門を開けるよう奴隷に合図を送る。

「中で既に国王がお待ちです、宮廷魔術師殿。お急ぎ下さい」

 こうしてラディーニは巨大な城門を潜り城へと足を踏み入れた。

 しかし、ラディーニが国王を怒らせることになるとは誰も想像だにしなかった。

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