第3話 真・家系ラーメン

 「……ああ、ついに念願のマイホームだ……!」

 苦節20年。

 僕は夢にまで見た一軒家をようやく手に入れることができた。

 和風で、昭和の屋台の香ばしくも懐かしい匂いがしそうな一軒家。

 表札に赤い雷門が施されているのが、また味わい深い。


 「よし……。お邪魔しまーす!」


 と、心地よい音がする黒塗りのドアを開け僕は中に入った。


 ――――――――。


 努や明子らが通う品切ぴんきり高校沿いの交差点で、信号待ちをしているベンツから、おじさんたちの楽しげな会話が聞こえてきた。


 「いやぁ、にしてもあの社長さんえらい楽しそうだったなぁ。なあ! 熊沢!」


 後部座席に大股を開いて座っているこの男。

 株式会社有印善品うじるしぜんぴんの社長、景山明かげやまあきら46歳。

 中年だが肉体は引き締まっており、オールバックに決めた髪型が漢らしさと渋さを演出していた。


 「ええ、全くですね。私も調子に乗って100万個納品しちゃいましょう! なんて言ってしまいましたし。ここまで新商品が受け入れられるとは思いませんでしたよ。」


 助手席に座っている銀縁の眼鏡をかけたこの男。

 同じく弊社の人事・採用部部長、熊沢猛男くまざわたけお46歳。

 冷徹な鋭い眼光で、表情を一切変えず淡々と新卒生を追い詰めることから、就職氷河期の申し子と呼ばれている。


 「だよなー。まさか「指サック」が大型百貨店に受け入れられるとはな。銀行ならまだしも、なんでだろうな」

 「ですねぇ。従業員も多くて千人ですから。足の指にはめても98万個余ってしまいますよ」

 「確かに! あっはっはっは!」

 「…………単純にレジ袋を取りやすくするためじゃないですか?」

 「は……」


 気分よく大笑いしている社長に水を差すような発言をしたのが、この僕。

 大平正樹おおだいらまさき46歳。

 この二人とは中学からの親友だったのだが、3年前に転職した際、最終面接で現れたのが、まさかのこの二人だった。

 これにはダンテ・カーヴァーも予想外の一言。

 だって一人は他社の人事部のコンサルをも受け持つエリートだし、一人は東証一部上場の社長になってるし。

 もう非現実すぎて面接後三週間は胃潰瘍で入院したもんね。


 「俺、正樹のそういうとこ嫌い。根はいいやつなんだけどさ。急に正論投げてくるときあるじゃん。雰囲気ぶち壊してる時点で暴投だからな! なあ熊沢!」

 「おっしゃる通りです。大平君は昔から親切だったけどさ、時々空気読まないときあったよね。場の雰囲気ってあるじゃん? もっと感じよ、空気」

 「はぁ……」


 僕はまたぎゃーぎゃー愚痴をこぼされる展開にしてしまったと諦め、快晴の空を仰いだ。


 「ほんと、まだ俺の翠とかそれこそ努君のほうがよっぽどユーモアセンスに長けてるぞ! 少しは学んだらどうなんだ! なあ、熊沢!」

 「社長の言う通りですよ。大平君はもう少しお笑いとか見てを勉強したほうがいい」


 余計なお世話だ!

 むしろ努よりかは笑いのツボを知っているはずだが……。

 

 「はぁ……ガキのころはいっつもバカしてたのに、いつからこんな格差が生まれてしまったのだろう。あの頃に戻りたい」

 「あ? 正樹なんか言ったか?」

 「いえ? 何も言っておりません!」


 僕は明にへこっと会釈をし、また空を眺めた。

 すると、会社の方へ飛んでいく一機のヘリコプターを見つけた。


 (あのヘリが墜落して会社ぶっつぶれねえかな……)


 遠くを見るような目でヘリを凝視していたのだが、そのヘリに登場している人影を見て、驚きのあまり猫のようにカッと目を見開いた!

 

 (え、なんで翠ちゃんと明子ちゃんがヘリコプターに乗ってるの?)


 そう、まさに今僕が「墜落したらいいな~」と思っていたヘリコプターに、この同級生上司二人の娘が乗っていたのだ!

 もし僕が涼宮ナントカみたいな能力を持っていたとしたら、危うく閉鎖空間が出てきて世界の終わりを告げることになっていたに違いない!


 (いや、でも違うか。俺の視力が30.5あるからと言って、さすがに女子高校生がヘリコプターに乗ってるなんてありえなさすぎる。それに変なおじいちゃんもいたし。もしこのことをこの二人に言ったら、「今すぐ追えー!」って言われて、利尻島までサービス残業まっしぐらだ。)


 見て見ぬふりをしようという言葉を、「ふぅ」というため息に込めて吐き出した。


 ――――。

 「運転ご苦労さん。今日の業務はこれで終わりだから、直帰してもいいし残ってもいいぞ」

 「お疲れさまでした社長。私は次回のアポイントとスケジュールをまとめるので残っていきます。大平君は?」

 「僕は……、あっちょうどお車のガソリンも切れてきたのでガソリンスタンドに行ってまいります」

 「え、もうそんなに減ってたかな? どれどれ」


 明がいぶかしそうに顔をのぞかせたので、僕はすぐさま彼を制止した。


 「あーー! はい! 減ってましたよ。たぶん社長たちの熱量に乗じてエンジンもフル稼働してしまったんだと思います」

 「そうか……。まあいいや。お願いするよ」

 「かしこまりました。慎重に優しくゆっくりと入れてまいります」

 「お、おう。なんか妙に生生しいけど……よろしく」

 「はい!」


 二人の姿が消えるまでベンツの横で最敬礼し続けた。

 やっとのことで体を戻すとちょっと腰が固まってしまったので、左右に骨を鳴らした。


 「ったく。ガソリンなんて減ってるわけねえじゃん。意識高い系ムキムキオールバックのくせに愛車の燃費も把握してねえのかよ。まあ把握してないから社員の給料も低月給なんだろうけどな」


 この会社に半分コネで入ったはいいものの、不動産で働いていた時よりも給料はむしろ低かった。

 僕は所謂シングルファザーだから、息子の努のためにも少しはいいものを食わしてやりたかったし、できることなら親友たちと成功して、夢の一軒家を建てたかった。

 が、現実はそう甘くないそうだ。


 「はぁ、落ち込んでたってしょうがない。腹減ってきたし飯屋でも探すか。……と、その前に。ベンツ《こいつ》を使ってちょっと遊ばせてもらいますか!」


 僕は明の愛車を如何にも自家用車の如く見せびらかしながら市内を回った。

 回らないお寿司屋の前で、降りもしないのに5分ごとに停車したり、一度サングラスを取りに家に帰った後、三ツ星ホテルの前でタバコを吸いながらハリウッド俳優さながらにベンツにもたれ掛かり、女性を待つようなしぐさを思う存分して冷やかしたりした。


 「虎の威を借る狐ってこんなに気持ちいいのか、HUUUUU!」


 結局市内を2、3周して決めたのは、どこにでもあるような汚いラーメン屋だった。

 外見は築20年以上はしてそうな雑居ビルの一階の貸店舗。

 そのまま輪切りしましたよっていう感じの丸太の断面に、大きく。


 『家系ラーメン道浩』


 と書かれた看板が飾られていた。


 「家系ラーメン……みち、ひろし? どうこく? まあいいや、こういう一見汚そうな店が旨かったりするんだ。むしろラーメン屋は作ったスープの分、汚くちゃいけないよねぇ」


 客の手垢のせいだろうか、分け目が異様に汚れている暖簾のれんをくぐり店内に入った。

 内装はいたってシンプル。

 カウンター席が12席あり、席と席の間に調味料と箸とティッシュが置かれている。

 そして客に見えるように厨房があり、大鍋が3つ、ぐつぐつとスープを煮込んでいた。

 ちょっと動物臭いのが食欲をそそる。

 ただ、今の時間は18時。夕飯時の客でにぎわってもいい時間帯なのだが、客は僕一人しかいない。つい今開店だったのだろう。

 それと、あれはなんだ?


 「構成室?」


 厨房の奥に「構成室」と書かれたプレートが貼ってある鉄扉があった。


 「いらっしゃーせー! お客様一名で! 食券買ってからお好きな席にどうぞ!」


威勢よく出てきたのは、「横溝道浩よこみぞどうこう」と書かれた名札を付けた恰幅のいい店長だった。


 「あ、はい。……まあいいか。とりあえず、チャーシュ……ん?」


 またもや謎が目の前に現れた。

 券売機には、チャーシュー麺やつけめんと並んで「真・家系ラーメン」というボタンがあった。

 その値段1000

 もう一度言おう、1000ではない、1000だ。


 「いっせんま……? 聞いたことがないぞ。ラーメンに1000万円なんてつける店。……ははーん。さてはこれネタだな。「円」という表記が一切ない。おそらくウォンとかルピーとかだろう」

 「違いますよお客さん。正真正銘「円」です」

 「なんですと! しょ、正気ですか、大将?」

 「ええ、もちろん! でもその様子だとお客さんうちの店初めてですね」

 「ええそうですが」

 「それならよく見てくださいボタンの下」

 「え?」


 ボタンの下には小さなポップ広告がついていた。


 「初めての方には無料お試しで「真・家系ラーメン」をお出しします?! 本気で言ってるんですか?」

 「ええもちろん」

 「1000万円をタダにするって言ってるんですよね?」

 「はぁい」

 「価値が支離滅裂だぁ!?」

 「でも気に入ってくれた方にはちゃんとした正規品をお出しいたしますよ。その時は絶対にご満足いただけると思います」

 「そ、そんなに自信があるんですね?」

 「もちろんですとも。うちの家系こそが本物ですから!」

 「……まあそこまでいうなら、無料お試しの「真・家系ラーメン」作ってもらいましょう!」

 「まいど! 「真・家系」お試し一丁ぉぉお!」

 「「お試し一丁!!」」


 大将が活気良く注文を言うと、構成室と書かれた鉄扉から注文を繰り返し読みあげ、若い連中が6、7人出てきた。


 「では初めにメニューの方からモデルを決めてください!」

 「モデル?」

 「はい! うちは、『和風』、『洋風』、『中華風』がベースです」

 「わ、和風……。醤油とかじゃなく?」

 「ええ、それは後ほど。……他にもこだわりのある方には『西欧風』や『モンゴル風』もご用意してます。まずは、メニューをご覧ください」

 「こ、これは……!」

 

 メニューに目を落とすと、そこには麺性の柱とはりで出来た「円」の字型の骨組みに、メンマやチャーシューといった具材が張り付けられた「」の写真が添付されていた。



 「ラーメンって、そういうことぉお?!」

 「正真正銘、ラーメンです!」


 

 「偽物だよ!」

 「それで、どのモデルにしますか?」

 「えぇ……。まあ無料だし、せっかくだから和風にしようかな?」

 「かぁしこまりました! 和風一丁!」

 「「「「「「和風一丁ぉ!」」」」」」

 「うっさいなぁ!」

 「次は香りづけなんですけど」

 「香りづけぇ……?」

 「はい。お部屋の芳香剤と同じです」

 「芳香剤ね。ラベンダーとか?」

 「いえ、醤油、味噌、塩がございます」

 「しょ、醤油ぅ?! えぇなんか臭そうでやだなぁ」

 「そんなことないですよ、昭和の懐かしい屋台の香りがして大変好評です」

 「古臭いのは変わりないんだな」

 「どうします?」

 「まあ、僕もチャルメラとか食べてたし、醤油でいいかな」

 「はい、醤油ぅ!」

 「「「「「「「醤油一丁!」」」」」」

 「あ、あのー、すいません」

 「はい?」

 「その大声出すのやめてもらえます?」

 「いやでもこれないとやってらんないんすよ。やっぱラーメン屋は活気が命なんで」

 「いや分かるけどさぁ。ちょっとボリューム落としてもらえると助かるかなぁ」

 「かしこまりました。声少なめ!」

 「いや油少なめ見たいに言うな!」

 「麺の硬さは、硬め、普通、柔めのどれにしますか?」

 「え、え、え? どういうこと?」

 「いやだから、麺のこだわりですよー」

 「麺って、これでいう骨組みだよね?」

 「ええそうですよ。硬めはその通りハリガネくらいの硬さです」

 「え、金属の?」

 「いえ、ラーメンの」

 「どっちも脆いわ! ややこしい!」

 「ハリガネは台風に強いですよ! がっしりしてますからね」

 「ああ、そうなんだ」

 「でも地震には弱いんですよね。耐えられなくてポキッと逝っちゃうんです」

 「えーそっかぁ。日本は地震多いしな。やっぱ地震に強いのがいいな」

 「だったら柔めがおすすめですよ!」

 「柔め?」

 「はい。柳のように揺れるので地震が来てもそのエネルギーを分散してくれるんです!」

 「おお、それいいじゃん!」

 「でも柔らかいんで、二時間くらいで麺が伸びて家が潰れちゃいます」

 「意味ないじゃん!」

 「はぁい」

 「はぁいじゃないよ。どっちもだめじゃん」

 「でもご安心ください。災害にも強く、麺も伸びにくいのが、『普通』です」

 「そうなの? 本当に大丈夫、普通で?」

 「大丈夫です! 一週間くらい持ちます」

 「結局伸びるのね!」

 「おっきゃっくっさん、ふふ」

 「何、どうしたの?」

 「伸ーびるにきまってるじゃないですかぁ! ラーメンなんだからぁ!」

 「お前が笑うなよ! 一番笑っちゃいけないやつだぞあんた!」

 「すみません。じゃあ普通でいいですか?」

 「ああ、普通でいいよ」

 「フツーでいいですね……」

 「言い方! あんたが勧めたんだろ!」

 「じゃあ次なんですけど、トッピングどうします?」

 「トッピングぅ?!」

 「はい! 基本、壁や床はメンマ製で」

 「うん」

 「チャーシューが屋根の瓦に」

 「ほう」

 「インターホンを煮卵」

 「はい」

 「海苔を玄関のドアにできます」

 「適役じゃん! え、すごっ! お菓子の家並みに適役じゃん!」

 「これが全部乗せですね。お好みでニンニクもマシマシに出来ますよ」

 「え、どこにどこに? あ、ちょっと待って……分かった! 漆喰しっくいみたいに、すりおろしニンニクをチャーシューとチャーシューの間に塗るんでしょ!」

 「違います。つなげて玄関に飾るんです!」

 「しめ縄かい! じゃあ真ん中にはだいだいつけるの?」

 「いえ、ほうれん草を丸めたやつを」

 「マリモにしか見えんわ!」

 「どうしますか?」

 「いやいいわ、なんかもっと臭くなりそうだし……」

 「じゃあニンニクなしで。あ、あとご飯はお代わり自由なのでジャンジャン使ってください!」

 「何に?」

 「メンマとか剥がれてきたらご飯を延ばしてつけて貼り直すんです!」

 「あっ糊の役割ね! にしても一切、家系の無駄がないねぇ……逆に感心しちゃったわ」

 「それが「真・家系ラーメン」ですから」

 「なるほどねぇ……。なんか納得させられちゃったわ」

 「ありがとうございます。それでは注文は以上でよろしいですか?」

 「はい。大丈夫です」

 「それでは注文繰り返させていただきます! 真・家系お試し、醤油、麺普通、味普通、油少なめ、全部乗せ一丁!」

 「「「「「「醤油お試し、普通、普通、少なめ、全部乗せ一丁!」」」」」」

 「だから声少なめ!!」


 こうしてバイトの若者たちは注文を繰り返すと一斉に構成室に戻っていった。

 そして2時間後――――。


 「ほんとに出来上がってるー……」


 目の前にはちゃんと注文した通り、チャーシュー瓦の屋根に、メンマ製の壁、インターホンが半分に切られた煮卵で、黄身の部分を押すと「ピヨピヨ」と音がする。

 そして玄関には寒さも考慮した10層の海苔のドア。

 極めつけはきっちりとしたラーメン構造の麺が大黒柱の如く壁の四隅を支えていた。


 「これはすごい。ちゃっかり二階建てだし」

 「ええ、お子さんもいるとのことでしたので、専用のお部屋もご用意いたしました」

 「大将……口調変わってる」

 「おっといけない。つい前職の口癖が出てきちまいました。しかしいかがですか、ご自身のお宅を見て」

 「いやぁ……ここまで壮観だと星4.8くらい満足しちゃうわ」

 「あざまーーーっす! じゃんじゃんレビューつけちゃってください!」

 「はい! ……ああ、ついに念願のマイホームかぁ……。入っていいですか?」

 「もちろんです! 是非上がってください!」

 「では遠慮なく、よし……。お邪魔しまーす!」


 和風で、チャルメラの香ばしくも懐かしい匂いがする一軒家。

 表札に赤い雷門が施されているのが、また味わい深い。

 パリパリパリと、心地よい音がする海苔のドアを開け僕は中に入った。

 内装はヒノキの家の如く艶やかですべすべしている。メンマが冷たいのか中は案外ヒヤッとしていて気持ちいい。

 天井も吹き抜けになっており、二階の踊り場から下が見渡せる最高の作りになっていた。

 ただ――――。


 「くぅっさぁぁぁあああああああああああ!!!!」


 想像を遥かに超える異臭に耐え切れず入った瞬間に、眼からは涙、鼻からは血、耳からは水、口からは胃液、肛門からは尿が噴き出して意識を失ってしまった。

 

 そして見えてきたのは――――。

 爆竹を道路にぶちまけて破裂音を楽しんだあの日々。

 防災訓練の炊き出しでご飯が出るからと言って、みんなでインスタント味噌汁を持ち寄った9月1日。

 中学生のころの思い出が、走馬灯のようによみがえった。


 「はっ! 何だったの、このナマものを一年中腐らせたみたいな匂……おぼろろろろろろろろろろろろろ!!」

 「あ、言うの忘れてましたね。うち、スープのベースが魚介の干物なんです」

 「ぜんっぶ……戻ったわ……」



 

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