シロガネ⇔ストラグル
バール
『かそけき彼の地のエリクシル』
フィン・インペトゥスは主人公である。
しかし、その自覚はない。
カイン人の軍勢は、すでに第三アルコロジーの中枢にまで迫っていた。
鋭い刃が斬り込むように、彼らの襲撃が始まってからわずか三時間で防衛網に穴が開き、中枢への最短ルートを確立されてしまったのだ。
カイン人が最も得意とする電撃的強襲戦術。
彼らが通ったあとに残るのは、土塁のように折り重なる欠損死体の山である。
――だというのに。
フィン・インペトゥスは、気を抜けば軋りそうになっている歯の動きを、努めて抑えた。
今この瞬間も、戦う力を持たぬ人々がカイン人らの凶刃にかかり、理不尽に死んでいる。
だというのに、自分たちは中枢制御室前に陣取って、何もせず彼らを待っている。
「准尉。気持ちはわかるが、冷静さを失うな。奴らを捕捉するにはこれしかない」
セツ防衛機構第八防疫軍第五十八師団第二連隊長アバツ・インペトゥス中佐は、古傷の残る眉間を険しくしかめながらフィンをたしなめた。
「……理解、しているであります」
フィンは、幼い顔に不相応な苦悩を浮かべた。
実際、理解しているのだ。
カイン人が駆る腫瘍艦の機動力は圧倒的だ。地べたを這いずる無骨な鉄塊しか作れぬセツ人から見れば、まさしく次元が違う。
加えてカイン人そのものも、末端の歩兵ですら吹き抜ける風のように俊敏な身のこなしを誇る。
彼らを追いかけまわすなど徒労の極みだ。
であるならば、確実に来るとわかっているポイントで待ち伏せをするしかない。
それはわかる。わかるのだが――
「連隊長どのは、納得しているでありますか」
「……納得など、しているわけがない。そして、してはならない」
厳めしい顔の中に、哀しみが混じる。
「我らが今しているのは、軍事目的のために民間人の虐殺を看過する外道の所業だ。割り切ってはならない。割り切れば、我らはカイン人と同じ存在に堕する」
フィンの栗色の頭に、大きな手が置かれる。
「割り切らず、胸に溜め、苦しむのだ。その苦しみだけが、我らを人にとどめるよすがだ。苦しんだところで、今まさに殺されている牙持たぬ人々にしてみれば何の慰めにもならぬが、それでも苦しまねばならない」
「うぅ……」
「それに耐えきれぬのなら、母さんのところへ戻れ」
その言葉に、フィンは目を見開く。
「……っ」
アバツの手を振り払い、睨む。
「小官は子供ではないであります! お心遣いは不要であります!」
「これを侮辱ではなく心遣いと受け取ってしまうようでは、まだまだ母離れができていない証拠だな」
頬が赤らむのを感じる。さらに何か言い返そうと口を開きかけた瞬間――
脳幹にインプラントされた受容体が、偵察行動中の戦術妖精〈グラッドニィ〉より送信された報告を受け取った。
――敵勢力、ポイントBを通過。虐殺級腫瘍艦四隻。絶滅級腫瘍艦一隻。
淡々と流れ込んでくる情報に、全身が泡立つ。
「〈グラッドニィ〉くんがカイン人を確認したであります!」
「数は。いつ来る」
「虐殺級が四隻。絶滅級が一隻。約一時間後にここに来るであります」
アバツは苦しげに呻いた。
「絶滅級だと? アルコロジーひとつ落とすのに過剰戦力すぎる……」
そう呟いてから一瞬で声色を切り替え、無線機に怒鳴りつける。
「総員、戦闘配備! パーティーは一時間後だ! 今回は少しばかり獲物がでかいが、やることはいつもと変わらん! 包囲殲滅! 狩り尽くすぞ!」
即座に各隊から了解の応えがあった。
『サー! やっと撃てるんですかひゃっほう! サー!』
『サー! 終わったら酒入れていいでありますか! サー!』
言葉とは裏腹に、周囲の空気が張り詰めている。
畏怖を含む緊張が、連隊の兵士たちを包み込んでいた。
誇張でも何でもなく、これから死にに行くのだ。アバツ・インペトゥス率いる第二連隊の作戦目標は、表向きカイン人の撃退であるが、それが不可能であることなどこの場の全員がわかっていた。
がちゃがちゃと鳴る銃器。続々と設置される指向性地雷。しわぶきひとつ立てず整然と配置につく防疫軍兵士たち。万事滞りなく、戦闘準備は完了する。泣き叫ぶ者も、恐怖に震える者もいない。
死ぬ覚悟、などという高尚なものではない。
ただ、取り乱したところでどこにも逃げ場などないことを理解しているに過ぎない。
フィン・インペトゥスは。
この場にいるただひとりの子供は。
彼ら大人たちの諦念が理解できなかった。
自分はいい。カイン人の接近を許しても、ある程度は渡り合える力を持つ。
だが彼らは違う。何の改造も受けていない、ただの人間である。
にもかかわらず、どうやってあそこまで平静を保てているのだろう。
――長く生きていると、何かそういう秘訣のようなものを会得できるに違いない。
ごく素朴に、フィンは大人を尊敬していた。確かに自分は鍛えた大人を遥かに上回る戦闘能力を持つが、しかしこの力を与えてくれたのもまた大人である。
与えられたものを享受するだけの自分よりも、その技術を作り上げた人のほうがずっとすごい。
大人たちは、何の取り柄もなかった自分に、大切なものを守るための力をくれた。
ならば、その恩に報いるのだ。
フィンは自らの顔の横に手の甲を差し上げると、そこにインプラントされた〈哲学者の卵〉を起動させる。
「――〈太陽はその父にして月はその母、風はそを己が胎内に宿し、大地はその乳母。万象の
手の甲に浮かび上がる半球体に火が灯り、古の錬成文字が浮かび上がる。
「
瞬間、フィンの手から銀の閃光が放射状に解き放たれた。
かと思えた直後、光は消える。
否――消えたのではない。見えなくなったのだ。
銀の流体が、肉眼では見えないほど細い糸となって、全方位に伸びていったのだ。
切断・偵察用錬金兵装、
フィンの武器であり、命綱であり――そして触覚を宿した神経でもある。
自在に動く不可視の糸が、どこまでも伸びて触れた者を探知し、時に捕え、時に切り裂く。
フィンの周囲は、もはやフィンの体内も同然であった。何があっても即座に対応できる。
――いつでも来い!
ごくりと唾を飲み下し、フィンはカイン人らを待った。
●
カイン人。
学名「ホモ・テネブレ」。
この、麗しき人型の災厄が現れたのは、今よりわずか五十年前のことである。
――下賤なるセツの継嗣どもよ、この世界の正当なる主が帰還せり。頭を垂れ、服従せよ。さすれば我らは寛大に遇するであろう。
いずこからともなく現れた、美しくも禍々しい腫瘍艦の群れが空を覆いつくし、あらゆる電波帯をジャックしてそのような声明を発したのだ。
これが、人類の零落の始まりであった。
腫瘍艦から次々と地面に降り立ったのは、青白い肌と凍りつくような美貌を湛えた人々であった。全員が金属ともプラスチックともつかぬ材質の甲冑に身を固めており、拷問具じみて奇怪に歪んだ武具類を携えていた。
ともかく対話しようと近づいて行った者は、何が起こったのかもわからずバラバラに解体された。
抜く手も見せぬ抜剣斬撃。一瞬の早業であった。
――無礼な。誰の許しを得てその臭い息を我らに吐きかけたのか。おぉ、臭や臭や。この世界はセツの悪臭に満ちておるわ。
心底不快げに鼻元を覆い、カイン人らは秀麗な眉をしかめた。
――これは掃除が必要であることよ。
――然り然り。徹底的に焼き清めるより他にあるまい。
そもそも最初から、投降を呼びかけるつもりも、支配するつもりもなかったのだ。
ただ殺すために、彼らは来たのだ。
●
アルコロジーの巨大な回廊に、黒い染みのようにして、五つの船影が現れた。
遠近感の狂う巨大さだ。
そのおぞましくも荘厳な姿を見た者は、歴戦の兵士でさえ、一瞬だけ恐慌に囚われてしまう。
腐敗し奇形化したクジラに、装甲を付けたものに近い。
五対の糜爛したヒレが緩やかに動き、空中を滑るように移動していた。
粘液が、したたり落ちる。
それが床に落ちた瞬間、瘴気が吹き上がり、黒い染みとなって残った。
この世界そのものが、カイン人らを拒絶しているのだ。
扼殺される女の呻きじみた鳴き声を上げ、異形のクジラたちは血走った巨大な眼球をぎょろつかせた。はっきりとこちらを向いている。
不快な戦慄がフィンの全身を駆け抜けた。
「連隊長どの、気づかれているでありますっ」
「あぁ、どうやらカイン人にも敵将の位置を気にするだけの知恵はあるようだな」
口の端に笑みを乗せて、アバツは答える。
「奴らにひとつ戦争のやり方を教えてやるとしよう。連隊長より第一火砲中隊に告ぐ。そこから敵のケツが見えるな?」
『サー! 丸見えであります! サー!
「あぁ、スッキリしてこい」
『イエッサー!』
アバツが無線を切った瞬間、黒い光が腫瘍艦の下部で瞬いた。
何かが亜音速で接近してくる。
「っ!」
フィンは即応した。
光の反射加減によって一瞬だけ可視化された
開花する蕾のような輪郭が現れたかに見えた瞬間、飛来物がばらばらに切断されて地面に転がった。
それは、巨大な銛じみた鉄塊である。禍々しい逆棘がびっしりと生え、カイン人の残虐なる性を物語っている。
腫瘍艦の筋肉の収縮によって撃ち出されたものだ。
立て続けに二度、三度。
そのたびに、フィンの手から伸びる極細の銀線がのたうち、銛を幾度も斬断。
なめらかな断面を見せて欠片が転がってゆく。
「ごくろう、准尉」
アバツは眉一つ動かさずにフィンをねぎらった。
直後、腫瘍艦の左下の地面で砲火が瞬き、遅れて砲声が響き渡った。
第一火砲中隊がアバツの命令通り、対艦砲の一撃を叩き込んだのだ。
装甲が砕け散り、血膿が大量に迸り出る。ガラスを引っ掻くような腫瘍艦の絶叫が轟いた。
補正もなしに一撃命中。精鋭中の精鋭たる第一火砲中隊にしてみれば、別段誇るほどのことではない。
「連隊長より全火砲中隊へ。動きが鈍った腫瘍艦を撃破せよ」
『サー! ブチかますであります! サー!』
さらに奇形クジラを囲むようにあらゆる方向から砲火が幾度も瞬いた。
身をうねらせ苦しむ腫瘍艦に、榴弾が次々と着弾。血煙とともに炸裂する。
二、三度大きく痙攣したのち、腫瘍艦はゆっくりと落下していった。
床に衝突し、地響きと噴煙をまき散らす。
一斉に男たちの歓声が上がった。
本格的な交戦前に一隻潰せたのは大きい。
「貴様ら、気を抜くな。メインディッシュはこれからだ」
『サーイエッサー!』
残る四隻の腫瘍艦は、慌てた風もなく近づいてくる。
その航行は優美で、ゆったりとした印象すら受けるが、巨体ゆえの錯覚でしかない。実際にはこれに追い付ける移動手段などセツ人はもっていない。
視界が、陰る。
ついに真上に陣取られた。
心臓を締め上げるような沈黙。
腫瘍艦の両側面にびっしりと生えるフジツボめいた突起から、ずぬるっと湿った音を立てて、何かが這い出てきた。
それは――手、だ。
金属ともプラスチックともつかぬ材質の籠手に包まれた、ほっそりとした手。
それが肉をかき分けながら、徐々に姿を現しはじめた。手首、腕、肘と外気に晒してゆき――
白い貌が、現れた。水中から顔を出したかのように赤紫の髪を振り乱し、ゆっくりと眼を開く。
――にたぁ、と。
漆黒の眼球に紅い瞳を浮かべた禍々しい視線が、地べたを這いずるセツ人らを見下ろして、怖気の走るような笑みに歪んだ。
他のフジツボからも、一斉にカイン人らが這い出てくる。
不可解なことだが、彼らは腫瘍艦の中に「居た」わけではない。
かつて、撃墜した奇形クジラを解剖する試みが幾度となく行われ、恐ろしい数の犠牲者を出しつつもなんとか成功していたが、その内部構造に人間大の生物が潜んでいられるような空間などなかったのだ。
では、彼らはどこにいたのか?
どこにもいないのだ。カイン人は、今まさにこの瞬間、この世界に「受肉」しているのだ。
腫瘍艦とは輸送手段などではなく、カイン人の
惨麗なる人影が、一斉にフジツボを蹴って、宙に身を躍らせた。
「
そしてこの瞬間が、カイン人と相対して有利に戦闘を展開できる唯一の好機であった。
槍衾のように掲げられた無数の小銃から、一斉にマズルフラッシュが瞬いた。
空中に、ドス黒い血の花が咲いた。幾輪も、幾輪も。
全身に銃弾を浴びて、悪鬼らは次々と絶命してゆく。
さしもの彼らとて、空中を自在に移動できるわけではないのだ。
しかし――その青白い美貌には、恐怖や苦痛の色など微塵もない。これより始まる虐殺への期待と、すぐ隣で死にゆく同族への嘲笑。それだけである。
さらに、上空に向けられた指向性地雷も一斉に火を噴く。第一陣のカイン人らはほとんどが全身をバラバラに引き裂かれ果てた。
だが、腫瘍艦があとからあとから黒き人影を出産しつづける。到底すべては落としきれない。
黒い血の雨とともに。大量の死骸とともに。――彼らは、地上に、舞い降りた。
片膝立ちで着地の衝撃を逃すと、その甲冑が硬い音を立てて変形。全身から禍々しい刃や棘を生やした戦闘形態にシフトする。
そのまま麗貌をこちらに向け――
――次の瞬間、掻き消えた。
一瞬遅れて、兵士らの手足や首が、大量の血飛沫と共に乱れ飛ぶ。
斬撃の軌跡だけが空中に灼き付いていた。防疫軍の制式戦闘服は錬成強化繊維の防刃仕様だが、単分子の刃を壮絶な速度で振るうカイン人の前では気休め程度の効果しかない。
虐殺が、始まった。
あっと言う間に陣中に切り込んだ殺戮の申し子らは、奇怪にねじくれた刀剣やポールウェポン、びっしりと棘の生えた鎖などを存分に振るった。
その動きは流れる水よりもなめらかで、吹き抜ける風よりも俊敏。関節の可動範囲がセツ人より明らかに広く、常識外れの軌道で斬撃を叩き込んでくる。そのたびに、血煙が大気を穢した。
彼らの甲冑は、防具というよりは武器の一種のようだ。びっしりと邪悪な秘文字が刻み込まれており、見る者を惑乱する。どうも規格品ではないようで、個体ごとに意匠や形状が微妙に違っていた。中には女のカイン人もいて、豊かな乳房と陰部だけを露出させた扇情的な鎧を着装していた。しかしそれに見惚れる男などここにはいない。かつて野蛮な兵士がカイン人の女を捕えて組み敷いたことがあったが、彼は数時間後全身が腐り溶けて悶え苦しみながら死んだ。この世界の生物がカイン人の体液に触れるというのはそういうことなのだ。
ある者は、バースト射撃された銃弾を、こともなげに首を傾けてかわした。
彼らは、銃弾が見える。軌道予測ですらなく、見てから反応して回避方法を選んでいる。セツ人とは動体視力と反射神経が根本から異なっていた。
ただし――
「おぉっ!」
銀の流線が瞬きながらのたうち、禍々しい甲冑に絡み付いたかに思えた瞬間、細切れに分解されてどす黒い体液を撒き散らした。
フィンは即座にカイン人の黒き血で汚染された
視認しづらく、曲線的かつ不規則な軌道で襲いくるこの錬金兵装だけは、彼らにとっても読み難い攻撃であった。
フィンは腕を薙ぎ払う。銀糸が生き物のようにくねり、周囲に拡散してゆく。
――戦況は、予想通りであった。
つまり絶望的ということである。
カイン人の接近を許した時点でセツ人側にできることなどそう多くはない。どれだけ多くの敵を道連れにできるか。これはそういう戦いなのである。
「それでもっ!」
アバツ連隊はフィンの居場所で、帰る家だ。共に生き、共に戦い、共に死ぬ。その誓いが規律を生み、献身を生む。
銀閃を指揮者のごとく駆り、次々と悪鬼を血祭りにあげてゆく。
だが――
「っ!」
斬糸が、いくつか切断された。
フィンは戦慄する。
――近くに戦士長格がいる!
極細の
戦士長――セツの軍制に置き換えると分隊長以上小隊長以下程度の権限を持つ指揮官個体だ。
糸が斬断される位置がどんどん近づいてくる。
やがて、血散と苦鳴の地獄をかきわけて、その者は現れた。
他のカイン人と比べて明らかに大柄で、豪奢かつ凄惨な意匠の甲冑を纏っている。悪魔のような角が生えた兜の狭間から、熾火のごとき眼光が覗いていた。
裏地に鮮血のような赤をあしらった黒いマントをなびかせ、その者は悠然とした足取りで近づいてくる。
肩から伸びた刃に、ついさっき刈り取ったのであろう兵士の生首を突き刺して誇示していた。
気怠そうに首を傾げ、鉤爪の生えた籠手に包まれた四指をくいくいと動かした。
さっさとかかってこい――そう言っているのだ。
「このっ!」
フィンは両腕を翼のように広げた。両手から大量の
直後、自らを抱きしめるように勢いよく腕を閉じた。
銀糸の網が、幾重にも幾重にも絡み合いのたうちながら戦士長へ殺到する。
異形の魔戦士は、肘を天に突き上げた腕で佩剣の柄を掴み――抜き放つ。
世界を縦に斬割する一閃。
白銀の網はそれだけでバラバラに千切れ去った。
――かかった!
切断された
「遅い」
――かに見えた時には、すでに彼我の間合いはゼロになっていた。
雷速の踏み込み。まるでコマ落としの映像のように、魔戦士の動作には前後の脈絡がなかった。
「うあっ!」
とっさに銀糸を大量により合わせて一本の縄を錬成し、凶暴な唸りを上げて叩き込まれる処刑の一撃を受け止めた。
「セツの餓鬼。妙な
兜ごしにくぐもった声が降ってくる。
眼光が強まると同時に斬りおろす圧力が高まった。
「ぐ……ぎ……」
銀縄を保持する両腕が軋む。フィンは通常の十歳児とは比較にならない腕力をも与えられていたが、体勢が悪すぎた。体重の乗った斬圧に耐えきれず、片膝をついてしまう。
ぷつ、ぷつ、と銀糸が千切れてゆく。
周囲では、断続的な銃声と、大好きな人たちの断末魔の悲鳴が、幾重にも折り重なって耳を塞ぎたくなる交響を紡いでいた。
「どうして……ッ」
思わず、口走っていた。まったく欠片も意味がない言葉を。
「どうして……? 逆に問いたいのだが、どうして貴様らは
言葉は通じるのに、話が通じない。
計り知れないほど隔たった価値観。
歯が、軋る。
その瞬間。
乾いた銃声が至近で鳴り響いた。
ぐらり、と戦士長の頭が傾ぎ、やがて力なく崩れ落ちていった。
兜の側頭部から逆側までに、弾痕が貫通している。
「フィン坊。ガキが体張るんじゃねえ」
「カシア小隊長どの!」
無精ひげの青年が、小銃に弾倉を叩き込んでいる。
「それから、ここはもういいから、お前は下がれ」
「別の場所に支援が必要でありますか!」
「ちげーよ、逃げろっつってんの」
一瞬、意味が理解できなかった。
「何を……ッ」
「親父さんにはもう許可とってある。潮時だ。今ならおめーだけなら逃げられる」
それは確かに事実だ。フィンの身体能力と錬金兵装をもってすれば、激戦中の混乱に乗じて逃げ切れる可能性はある。
「そんなの!」
「ウダウダ言ってねえでとっとと行――」
カシア小隊長の首に、赤い線が走った。
ほろりと首級が落下し、血飛沫があがった。
フィンの顔が、引き歪んだ。
「うぅ……あああ……!」
銀の流閃が乱舞し、背後から小隊長を斬首したカイン人を細切れに解体。
黒き血を冷静に避けると、突き動かされるままに、流血と硝煙の渦へと飛び込んで行った。
――普通の人々からは、距離を置かれていた。
駆ける。腕を打ち振るう。
――受精卵の時点で、フィンが生涯を兵器として過ごすことは宿命づけられていたために。
銀の光が閃き、闇色の飛沫が吹き上がる。
――孤独には、慣れていた。ちちうえとははうえがいたから、へっちゃらだった。
「なのに……!」
異相圧縮された筋肉が瞬間的に漲り、悪鬼の腹に拳が叩き込まれる。
鈍い音とともに、カイン人はくの字になって吹き飛ばされる。
そのまま殺戮の閃光が優美な弧を描き、斬断。
「はじめて、さびしさを、もらった……さよならの日が、こわくなった……」
はじめて、ありがとうと言ってもらった。はじめて、ははうえ以外の人に頭を撫でてもらった。
はじめて、一方通行ではない尊敬を交換できた。
だから。
あぁ、だから。
さよならの日まで、彼らに胸を張れるように、肩を並べて、
――戦うんだ!
たまらない想いを胸に、その日が今日ではないということだけを信じて。
フィンは戦哮を上げ、〈哲学者の卵〉の出力限界を踏み超えた。
幼く細い指先から桁違いに大量の糸が射出され、巨大な花のごとく広がる。
「っ! ぁぁぁぁぁあああああああ!!」
まるで頭の中に鋭い棘が大量に伸びたような苦痛が爆発した。目尻や鼻から、生暖かい液体が伝う。
銀の奔流はそのまま兵士たちを巧みに避けながら、カイン人たちを次々と血祭りにあげた。
フィンの全周囲で、黒い血が吹き上がる。視界に映る範囲の敵は、今の一瞬で一掃された。
だが――
頭の中で何かの線が切れたように苦痛が弾け、フィンの意識は闇に飲み込まれていった。
●
どれくらいの時が経ったのだろうか。
フィンは、誰かの小脇に抱えられている自分を発見する。
「うぅ……」
眼を瞬かせ、現状の把握に努める。
体が揺れている。どうやらフィンを抱えている人物は全力で走っているようだ。
どこか遠くで、銃声が瞬いている。
そこで急速に意識が覚醒する。
「いかないと……みんな……」
「准尉。気が付いたか、大馬鹿者め」
聞き慣れた声。アバツの声だ。
「い、いかないと……まだみんな戦ってるであります!」
「許可できない。准尉は撤退しろ」
「い、いやであります! 小官も戦うであります!」
「貴様も軍人なら上官の命令に従え。こんな初歩的なことを今更言わせるな」
「うぅ……」
それを言われると反論できなくなる。
「絶滅級が出張ってきた以上、准尉がいようといなかろうと、連隊の消滅は確定している。ならばお前だけは生かす。これは連隊の総意だ」
「どうして……どうしてそんなこと言うでありますか! 小官も連隊の一員であります! 生きるも死ぬも一緒だと、いつも言ってたのに……」
アバツは走り続ける。背後の銃声が、徐々に散発的になってゆく。
「セツを取り巻く情勢は厳しさを増し、軍人として、指揮官として、意に沿わぬ決断を山ほど強いられてきた。守るべき人々を見捨て、部下ごと敵を爆殺し、お前のような子供を戦場に立たせる。何一つ納得などしていない。だが俺はそれを決断した。俺が、決断したのだ」
巨大な手が伸びてきて、フィンの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「我らセツ人は、功利主義より説得力のある正義をついに発明できなかった。そして恐らくは、このまま滅ぼされてゆく」
足が、止まった。いつのまにか、銃声は止んでいる。
両脇に手を差し込まれ、抱き上げられた。
正面から見合う。顔傷の入った厳めしい顔が、ふと、父親の表情を浮かべた。
「だからこそ。フィン、お前は……お前だけは、滅びゆく良き人々のそばに寄り添え。手を握り、最期まで一人ではないのだと囁きかけられる、優しき戦士となれ。軍規や、理屈や、しがらみに囚われず、牙なき人の明日のため、最後の希望でありつづけろ」
そして、狭い排水口の中に、フィンを押し込んだ。
「あ……」
そこは子供一人がようやく通れるだけの、狭い管であった。
「カイン人は潔癖症だ。よほどの理由がない限り、セツの下水路には近づかんだろう。そこからどうにかして脱出しろ」
フィンは手足を突っ張らせて、滑り落ちそうになる体を支えた。
「そ、それなら、連隊長どのも一緒に……」
ずちゅ、と音がして。
凶悪な逆棘を備えた剣が、アバツの胸板から生えてきた。
口から、鮮血が溢れ出る。
「い……け……フィン……」
掌が伸びてきてフィンの体を突き飛ばした。
「あ……あぁ……っ」
闇の中へと、滑落してゆく。
大きな眼から、涙が溢れ出てきた。
「いやだ……やだやだやだ……連隊長……ちちうえーーっ!!」
急速に遠ざかってゆく光に向かって、声を嗄らし叫ぶ。
体を包む浮遊感。
フィンは歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じた。
熱い塊が喉を塞ぎ、体がバラバラになりそうな気がした。
両腕で顔を覆い、体を丸め、泣きじゃくった。
何も考えたくなかった。何も見たくなかった。このまま消えてしまいたいと思った。
しばらく浮遊感に身を任せたのち――
――どういうわけか、全身が光に包み込まれているのを、まぶた越しに感じた。
「え……」
何ごとかと泣き腫らした目を開けようとした瞬間。
フィンの体は硬い地面の上に投げ出された。
「い……っ、つ……」
てっきり下水の中に落ちるものと思っていたので、着地に失敗。背中を打ってしまった。
呻きながら、地面に手を突く。
「え……」
掌に、苔の感触。
見ると、辺り一面に緑の絨毯が広がっている。
「人工バイオーム……?」
カインの汚染が進む世界で、草や樹木が生き残っているのは、人工的に環境が整えられた屋内庭園のみである。
だけど、妙だ。排水口から庭園に繋がるなんてありうるんだろうか?
立ち上がって、周囲を見渡す。
「っ!?」
そこは、あまりにも、あまりにも巨大な樹木によって形成された、深い森の中であった。
樹木のひとつひとつが、フィンの知るいかなる建造物よりも高い。
どこか青みがかった静謐な空気が、フィンの小さな体をひんやりと包んでいる。ぼんやりと緑に発光する粒子が、魚の群れのように漂っていた。
広い。というか、広すぎる。天井が見えない。
周囲を見渡し、全方位がことごとく自然に満たされていることに驚愕する。
「ここは……!?」
これほど巨大な人工バイオームなど聞いたこともない。こんなものを造る余裕などセツ人にあるとは思えない。
何がどうなっているのか、まるでわからない。
頭がぐるぐる無意味に回転し、葉の薫る風と、小鳥のさえずりと、わずかに降り注ぐ太陽と、眩い新緑の煌めきを前に、へなへなと腰の力が抜け、崩れ落ちた。
「一体、どうなってるでありますか……」
呆然と、つぶやく。
応えてくれそうな者など、そこにはいなかった。
システムメッセージ:主人公名鑑が更新されました。
◆銀◆主人公名鑑#1【フィン・インペトゥス】◆戦◆
十歳 男 戦闘能力評価:B+
少年軍人。生真面目。仔犬系男子。「であります」口調で喋る。
ファンタジー戦記ノベル『かそけき彼の地のエリクシル』の主人公。錬金術の粋を結集して作り上げられた改造人間。五種類の錬成登録兵装と七体の戦術妖精を運用し、中距離での戦域支配や火力支援に長ける。しかし単独での戦闘能力は主人公としては低め。誰かと組むことで初めて真価を発揮するタイプ。原作では世界も自国も詰んでおり、滅亡待ったなしの状況である。いち分隊長として極めて過酷かつ展望のない戦いを強いられていたが、亡き父より受け継いだ「牙なき人々の明日のため、身命を使い果たすべし」との信念に基づき、涙をぬぐいながら擦り切れるまで戦い続けるさだめ……だった(過去形)。
所持補正
・『逆境系主人公』 因果干渉系 影響度:B
生涯を過酷な戦いに捧げるさだめの主人公補正。フィンの人生は常に苦闘の連続である。楽な戦いは一度としてなく、敵は基本的に格上である。しかし彼は決して心折れることなく、圧倒的な悪に立ち向かう。自分より戦闘能力評価の高い敵との戦闘において、勝率と生存率にプラス補正がつく。しかし必勝を約束するほどのものではない。
・『■■を■に■■■』 因果干渉系 影響度:■
■■な■いの■で■われた■に■する■■。フィンと■■■な■■をもったキャラクター■■に■■の■い■■■■■が■つ。■ち■り■■では■■■を■■■ることも■■だが、ほとんどの■■■■できない。■を■ててでも■■たかった■■■■■を■■■■■■■さだめ。■■■■ごとに■■■■で■たな■■に■■し、■を■した■を■ち■す。■んでいたはずの■は、■■で■ってゆく。
・『■■■■■■』 世界変革系 影響度:■
■■■に■■である『かそけき彼の地のエリクシル』の■■■■としてのさだめ。フィンは■■に■■を■き■すが、いかなる■■での■■も■に■れられず、■■■■■として■われることはない。■の■■にあるのは■と■■の■のみ。
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