10・二人の人物と「現実味」
さて唐突ですが。
ある二人の登場人物がいます。
一人は、戦いの巧さで有名な名司令官の家に生まれた男。
父譲りの軍学の知識で、小さいころから合戦の議論においては負けることがない。軍事の知識は非常に豊富で、ついには名将たる父をすら論破する、まさに戦の賢者。
……しかし。
実戦の才能と仕えるべき国王には恵まれませんでした。敵の計略もあり、父の交替要員として、家族や重臣の反対を振り切った国王によって、実際の戦場へ出されたところ、敵の名将に散々に打ち破られ、その不名誉が広く世に伝わりました。
もう一人は、のちの世で不死身とうたわれた軍人。
単身で敵地に乗り込み、重傷を負いつつも敵の領域で大暴れ。普通の人間なら動けないレベルの負傷をしても、数日で回復。ボロボロになりながら戦い続け、昏倒後、敵の野戦病院に運ばれた後も、目を覚ますとまた暴れました。通常のフィジカルならどう考えても何度も死んでいる中で、驚異のタフネスを発揮したその兵士は、多数の記録に残っています。
実はこの二人、どちらも実在の人物です。つまり「現実」という場に登場した人物です。
一人目は趙括。古代中国の、……ちょっと、いや、だいぶ残念な武将です。
二人目は舩坂弘。いま記述した通り、常人離れしたフィジカルとタフネスを持った軍人です。
で、何が言いたいのかというと。
趙括のようなキャラクターを物語に出すとしたら、噛ませの小物という立ち位置が最も適していると思います。……が、現実にいた人物にもかかわらず、それを忠実に再現した「噛ませの小物」を出したところで、「素晴らしくリアリティのある小説だ!」とは、きっとならないでしょう。
むしろ、軍事学の論戦で無敵なのに実戦で結果を出せないという「設定」に、これは不自然ではないかと指摘する読者まで想定できます。
舩坂氏も同じで、類似した設定のキャラを出そうとしても、そのあまりにも人間の域を超えたフィジカルに理由を言い添えないと、かえって読者の批判を浴びかねないでしょう。なお現実の舩坂氏が、なぜ重傷のなか暴れ回れるほどの頑健さを有していたかは、結局よく分からないままです。
で、つまり、「現実」と「現実味のある小説の描写・キャラクター」は、かなり別のものであるということです。
……これだけだと百万回聞いた結論なので、何点か言い添えると、
・現実を引き写しても、「小説としての現実味」は得られないことがある
・それゆえ逆に、「小説としての現実味」は、むしろ現実より堅い論理で支えられていることもある
・現実のほうが小説よりも、矛盾とご都合主義に満ちている
こうなると私は考えます。
現実と「小説としての現実味」は基本的に切り分けて考えるのが、小説を書く際には求められるのでしょう。
現実を投げ捨てた現実味でいこうぜ!
今回はマーケティングが関係ない……どうしよう。
そうだ!
読者の求めるもの、つまり「ベネフィット」は「現実そのもの」ではなく、「『現実味』のある面白い空想」であるということですね!
いやーよかったよかった、強引にマーケティングを絡めた!
無事にまとまったところでまたな!
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