第18話 マルダレス山 麓の村

 青と黒を混ぜ合わせた空に、ほんの少しだけ欠けた月が浮かぶ。


 「もう満月が近いなあ」


 それを見上げる俺がいるのは、この町唯一の宿屋。


その中庭にある石造りの小屋の中。明取りに切り取られた窓から、ちょうど月が見えていた。

夜の冷たい空気も入って来るので、濡れた肌には少々寒い。


 中から鍵が掛けられるようになっているここは、安心して旅の疲れを流してくださいという、つまりは風呂場だ。


 風呂桶の代わりに、ぬるま湯を張った大きな盥が一つ。

 他には、その盥から水を汲むための手桶と服や荷物を置いておく棚がある。


 村に近いような小さな町にこんな施設があるのも、もともとは聖女神殿へ向かう巡礼が身を清められるように、なんだそうだ。

 聖女神殿が破壊されてからも、この丈夫な石造りの小屋は旅人の汚れを洗い流す場所として機能してきた。

 この季節に外で水浴びじゃないだけ、十分ありがたい。


 「間に合うか?」

 背をガシガシと布で擦りながら、クロムが呟く。

 さすがに昨日の安香水の匂いは消えているが、背中には刺青だけじゃなく、細い爪痕まで見えた。まあ、いいけどね。


 「大丈夫だと思う。思ったより道がありそうだ。聖女神殿までも、想像より近かったしさ」

 「本当にそこに満月花があるのか?」

 「絶対に、とは言えないな。満月花の開花にはムームーの木が必須だけど、ムームーの木があるからと言って、必ず満月花も咲いているわけじゃない」


 編み込んだ髪をほどきながら答えると、クロムは口をへの字に曲げた。


 「そこはもう少しなんとかならないのか?俺としてはさっさと花摘みして帰りたいんだが」


 気持ちはわかるが、それは俺がどうこうしてどうにかできる問題じゃないからなあ。


 髪と一緒に編み込んでいた飾り紐を三本纏めてキュッと縛り、服を置いてある棚に放る。

 シャラン、と小さな音がして、紐は見事服の上に乗った。

 うんうん。こういう小さな成功は嬉しいな。


 わざとらしく溜め息をつきながら、クロムは手桶にぬるま湯…というか、温かい水、と言う方がより正確だ…を汲んだ。

 最初は火傷するくらいだった桶の湯は、水で薄められたのと気温の低さで、ほんのわずかに湯気をくゆらせる程度になっている。


 「頭」

 「ん」


 目を閉じて頭を出すと、水を注がれた。

 それに合わせて頭皮をガシガシと洗う。


 石鹸を使っていないから脂臭いのは落ち切らないけれど、埃くらいは流せるだろう。

 こっちで買うと石鹸高いんだよな。実家帰ったら、大目に買い込んでおこう。


 「ありがと。お前にも掛けるから、頭出せ」

 「主に世話させる守護者がいてたまるか。夢枕に代々の紅鴉の守護者ナランハルスレンが化けて出てきたらどうする」

 「俺の主は変わり者だって愚痴ってやれ」


 クロムの手から手桶をひったくると、諦めたように目を閉じた。

 洗いやすいようにゆっくりと水を注ぐ。


 歴代のナランハルスレンの皆さん。クロムは幽霊とか苦手なので、説教しに来るなら俺にお願いします。


 まあ、歴代のスレンの嘆きより、考えなきゃいけないことはある。


 「明日の昼前には村につくとして、いつ山に入るかな」


 昼食をとってから登山を開始すれば、山中で一泊して翌日の満月を待つことになるけれど、探索の時間も伸びる。

 ただし、夜間の下山は避けたいから、もう一泊必要。


 村で一泊、翌朝から登山なら、野宿は一泊で済むけれど探索の時間が短い。

 狙っている場所になければ空振りに終わってしまう。


 「山ン中で寝るなんざ、一回で十分だ。朝から山に入った方が良いんじゃないか?」


 顔の水を拭い去り、髪を後ろに撫でつけながら、クロムは予想していた答えを述べた。


 「そうなんだよなあ」


 ただ、先行しているエルディーンさんらが気になる。

 もし、彼女たちと『何か』が遭遇エンカウントしてしまったら。


 この半日の遅れが、致命的になるかもしれない。


 だが、『何か』が夜行性であるなら、夜を複数山中で過ごすことになるのは危険だ。


 最も優先すべきは、うちの一党パーティの安全だ。


 クロムも、ユーシンも、ヤクモも、誰一人死なせるわけにはいかない。

 それは、俺の頭目リーダーとしての責任。それを疎かにしていいはずはない。


 だけど。もう一つの可能性。


 『何か』が昼行性だったら。

 俺の考えている可能性の一つが当たっていたら。


 「余計なことを考えるな」

 とん、と左胸を拳で叩かれた。


 「村で聞いて、なんとかなりそうだったらあの小娘と騎士様のケツを拭きに早めに行きゃあいい。

 逆に、本気でヤバそうなら、俺はお前を殴って縛ってでも止めるぞ。…もっとも」


 にやり、とクロムは口の端を持ち上げた。


 「俺たちになんともならん敵の方が少ないがな。人間相手ならなおさらだ」


 「…そうだな。ありがとう」

 「さて、さっさと身体を拭いて服を着ろ。風邪ひかれたらかなわん」


 風邪ひきやすいのはクロムの方なんだけどなあ。


 高山地帯で暮らすクトラやキリクの人々は、病に弱い。

 クロムも割と風邪をひきやすく、そうなると必ず熱を出す。


 同じ条件どころか、10年前からアスランで暮らしているクロムと違って、ずっとキリク育ちのユーシンは何故かまったく風邪ひかないんだけどな。

 あいつの恐怖心を持たないっていう生存上の欠点を補うために、ウルカが特別な加護を与えているのかもしれない。


 もっと子供のころ、虫歯ができて飯を食えなかったときは世界の終わりみたいな顔になっていたけど。乳歯でよかったな。ホントに。


 頭と体をふいて服を着て、小屋を出た。

 まだ少し濡れている身体に夜風が冷たい。クロムがこらえきれずに小さくクシャミをする。


 宿の母屋に戻ると、ありがたいことに談話室の暖炉に火が入っていた。

 さすがに冬と違って赤々と、とはいかず、小さな火が揺れているだけだったけれど、おかげで部屋は暖かい。


 部屋の中央には大きな木のテーブルと、クッションが置かれた椅子が八脚。そのうち半分が埋まっていた。


 「ユーシン、ヤクモ、風呂いってこい」


 中央に置かれたテーブルで、何故か小石を積んでいたヤクモが立ち上がる。

 そのとたん、四段まで積んであった小石は崩れて散らばった。


 「あ、うん。あー…崩れちゃった~。もいっこくらいいけそーだったのに」

 「俺は五個だ!俺の勝ちだな!」

 「むー、いーもーん」


 どうやら小石をどちらが多く積めるか、という遊びをしていたらしい。


 「はい、ファン。預かってたお財布返すねぃ」

 「おう。ありがとな。お湯は台所の女将さんに言えばくれるから」

 「はーい!」


 「居眠りで作った涎の跡を洗っておけよ。サボり」


 「悪かったってば!でも、サボってたんじゃないもん!」

 「サボってただろうが。まあいい。次は身を粉にして働けよ」

 「クロムがぼくにさん付けして呼びたくなるくらい活躍しちゃうからね!」


 吠えるヤクモに、クロムはしっしと手を振った。

 それ以上二人とも何も言わず、話が終わる。


 二人がドアから出ていくのを見て、クロムに視線を向けた。

 「ありがとな、クロム」

 「何の話だ」


 戦闘中寝ていたことについて、もちろんヤクモから謝罪は受けた。


 その後、どうにもしょんぼりしているヤクモにユーシンがいろいろと構い、ずいぶん立ち直ってきてはいたけれど、あれで完全に吹っ切れただろう。


 たぶん、寝ていて戦闘に気付かなかったこともだけれど、自分が抜けていても何の影響もなかったことで、ヤクモは落ち込んでいた。


 もともと、俺たち三人は幼馴染で、良く知っている者同士だ。距離感も信頼も出来上がっている。


 そこに入ってくるのは、それなりに気づまりだっただろう。


 初めのころ、ヤクモはとにかく戦闘中に前に出ようとしていた。

 それでクロムに毎回怒鳴られ、泣かされていた。


 ヤクモとしては、なんとか役に立ちたいと思っての行動だったと思う。


 だが、残念ながらヤクモは戦闘に慣れていない。

 集団戦では自分が攻撃するよりも、味方の動線を妨げないようにすることが大事だとわかっていなかった。


 どうにかしなきゃなと、全体の動きを把握できるようになるまで、俺の隣でただ観察させた。

 自分も混ざると、どうしても許容量を超えてしまうからな。


 弓兵の位置は全体を把握する位置だ。


 二人の動きもそうだけれど、俺の位置取りに常についてこられるようにと指示を出し、五、六回は剣を抜かせずに観察だけさせた。


 その甲斐あって、今ではヤクモは二人の邪魔をせずに動けるようになっている。


 元々、ヤクモはちゃんと戦士としての才能がある。

 動きを見切る、避けきる、と言うことに関しては、三人の中で一番かもしれない。


 回避に専念すると攻撃する余裕がなくなるけれど、なんて言ってもまだ若い。

 あと何年かしたら、名だたる戦士として知られるようになるかもしれない。


 今では、オオトカゲ相手なら、ヤクモが初撃を引き受けて、クロムが一撃を入れて体勢を崩し、ユーシンがとどめを刺すという戦法が碇石になっている。


 うん、俺は、なんていうか、矢を射って威嚇したり?元々、俺たちの中で戦士としての才能がないのは、断トツで俺だしね?


 そうやって役割を持つことで、ヤクモは一党ここにいて良いという安心感を得ていったんだろう。


 それが今回、いなくても問題なかったという事実が目の前に突きつけられた。へこむのも、不安になるのも無理はない。


 だけれど、クロムの身を粉にして働けって言う一言は、放り出すつもりはないって言う事だ。


 ヤクモが加わってうまく動けなかったころ、面と向かってクロムは「失せろ」と言い放った事もある。

 役立たずだと思っていれば、クロムは遠慮せずにそう言う。


 だからこそ、「次は」の言葉に、ヤクモは安心しただろう。


 「クロムがヤクモにさん付けかあ。実際やったら、逆に警戒しそうだな」

 「それは面白いかもな。今度やってやるか」

 くつくつと人の悪い笑みを浮かべてはいるが、なんだかんだでクロムは面倒見がいい。


 まあ、俺の守護者は良い守護者だっていう話だ。


 「ヤクモ、元気にナッタな!良かっタ!」

 「心配させたか?コルム」

 「マーな!」


 ヤクモが崩したままの小石を集め、積み上げながらエディさんとこの斥候スカウト、コルムは顔全体で笑った。


 褐色の肌に白に近い灰色の髪は、この少年がクトラの血を引いていることを教えている。


 コルムは、アスランのクトラ自治区の出身だ。


 クトラ王国が崩壊したのち、全土で発生した難民を一手に引き受けたのはアスランだった。

 両国の関係はアスランの姫君を嫁がせるくらい良かったし、大陸交易路の盟主と言う立場的にも、そうするのは当然だったろう。


 アーナプルナ山の北側の、アスランの領土としては最もクトラ寄りの町を中心に、避難所は作られた。

 今ではクトラ自治区として、クトラ王国の旗をアスラン王国旗と並んで掲揚することが許されている。


 アスランは自主的に避難してきた人たちだけではなく、何度も軍を派遣し、避難できなかった人たちの救出にもあたった。


 それを可能にしたのは、アスランに多く出稼ぎに来ていたクトラ傭兵団の存在が大きい。


 もともと、僅か五百人程度の兵でクトラの王都が陥落させられたのは、毒の小麦の為だけじゃない。


 アーナプルナ山地の気候では、三年に一度は不作の年がやって来る。


 まともに作物が採れない年が来ることが当たり前。

 ただ、数年連続は滅多にない。まともに作物が穫れた年に貯蓄し、不作の年にそれを分け合って乗り切る。それを繰り返してクトラの人々は生活していた。


 そんな気候のクトラの主要産業は、蕎麦の栽培と毛長牛の飼育、そして傭兵だ。


 もともと、厳しい環境と高地で生まれ育つクトラ人、キリク人は身体能力が高い。


 クロムは手が届けば自分の体を引き上げられ、その高さから飛び降りてもぐらりともしないが、クトラの戦士としてはそれくらいできて当然ですらある。


 その能力を金に換える手っ取り早い手段が、傭兵だ。


 アスランでは開祖のころからクトラ人だけ、キリク人だけで構成された傭兵団が編成されていた。

 その戦闘能力の高さと、決して裏切らない誠心はとても名高い。


 不作の年は、こうして傭兵として出稼ぎに出る若者が増える。

 まして30年前のあの年は、記録に残るような連続した不作だ。

 一家につき、一人、あるいはそれ以上の男たちが、傭兵としてアーナプルナ山を下った。


 そんな時に同盟国のアスランでは西方国境に緊張が高まり、傭兵の需要が増していた。


 アスラン王国からクトラ王へ直接、傭兵の大量雇用の打診すらあったらしい。

 それは、施しを恥ととらえる誇り高いクトラ人への間接的な援助でもある。


 働ける男を大量にアスラン軍として養い、飢えで弱らせることなく金や食料をもたせて帰す。

 クトラ国内は一時的に人口を減らし、残り少ない貯蓄を分け合って乗り切る。


 そうした狙いもあっての打診だ。


 クトラは立地上、他国からは攻めにくい位置にある。

 南にはメルハ亜大陸と国境を接している地域があるが、キリクのように海に面していることもなく、何よりアーナプルナ山を越えて、大軍が進軍するのが不可能に近い。


 その立地も、この時は災いしたと言えるかもしれない。

 クトラ王は最低限の守備兵を残し、将軍すら傭兵として派遣した。それが、完全に裏目に出た。


 もっとも、当時のクトラ王のことを責めることはできないだろう。


 どこの誰も、大した付き合いも敵対もしていなかった山道一本だけ繋がっている隣国が、自国の王族を捨て石にしてまで毒を運び込み、攻めてくるなんて予想できるはずもない。


 何年も綿密に寝られた計画なら、諜報が感知できただろう。

 だが、思い付きの行き当たりばったり過ぎて、アスランの密偵ですら掴めなかったのだから。


 アスランでクトラ陥落の報を聞いた将軍は、全員で五名。

 うち、最年長であり、クトラ全軍の副司令だった人は、その日のうちに自害。

 残り四人のうち二人は、クトラの民の救出が終わった後、カイラス僧院に出家した。


 残る将軍二人はクトラ自治区においてクトラ傭兵軍を纏め、今でも求めに応じて傭兵団を派遣している。


 コルムのお父さんは、そのクトラ傭兵の一人だ。

 物見の仕方や罠の張り方、解除の方法、野宿の仕方など、コルムの技術の多くは、そのお父さん仕込みらしい。


 なんでそんな奴がアステリアで冒険者をやっているのかと言えば、本人曰く、「完全な成り行き」。

 傭兵になるのが嫌で家を出て、アステリアとの国境の町でぶらぶらしていてエディさんと知り合い、そのままついて行ったのだとか。


 「ファンせんせー、珍しく大活躍だったんダッて?」


 コルムの西方語は微妙にアクセントが違う。

 それでも、こっちにきてから二年ちょっとでここまで話せるようになっているんだから、元々頭のいい子だ。


 「まあ、馬に乗って弱くなったら、二度とアスランに帰れないしなあ。ご先祖様に顔向けできない」

 「そりゃソーだ」


 けらけらと笑うコルムの額を、クロムがびしりと弾いた。


 「寝こけて接敵に気付かなかった役立たずが偉そうな口を叩くな」

 「イッてー!だって、クロムアニィ、オレタチの護衛だロー!」

 「ほう?だから寝こけて接敵に気付かない斥候が許されると?」


 あー、もう…とりあえず、クロムの肩を叩いてストップをかける。ほっとくと泣くまでやりそうだし。


 「クロムちゃん、うちのチビ助いじめないでやってくれや」

 まだ攻撃する気満々のクロムの前に、ことん、とコップが置かれた。


 中には、湯気を立てる赤い酒。ホットワインだ。


 酒を見て、クロムが大人しくなる。ぐずってたら口に飴を突っ込まれた子供みたいな反応だなあ。


 「ありがとうございます。マクロイさん」

 「お前さんも飲むかい?」

 「一杯だけ」


 真鍮製らしい水差しを傾けると、湯気と芳香を連れてホットワインが素焼きのカップに満ちていく。


 「保温の魔法、便利だぜぇ?おまいさんも習得してみちゃどうさね?」

 「火の精霊は相性が悪いんですよねえ。雷と風ならなんとかなるんですが」

 「まあ、アスラン人だもんなあ、旦那は」


 カップをこちらに押し出しながら、エディさん一党の魔導士、マクロイさんはにんまりと笑った。


 エディさんと同年輩のこの人は、冒険者と言うより商家の番頭と言った方がしっくりくるくらい愛想がよく、世馴れている。

 俺の知っている魔導士がアレな人ばかりで比較対象が悪いってのもあると思うけど。


 クロムと並んで椅子に腰かけ、ホットワインを口に運ぶ。

 生姜と蜂蜜の味が仄かにした。


 「ウィル坊やが蜂蜜漬けの生姜をもって来ててさ、ちょいっとね。分けてもらったのよ」

 「そういや、ウィルさんたちは?」

 「ちょっト前までいたンだけどナー。眠気に負けて部屋引き上ゲってたゼ」

 「馬車って乗ってるだけでも結構疲れるしな~。あたしも腰がやばいわ」

 「うちのタイショーは、部屋ニいるヨ。オル兄ィも一緒」


 オルにい、というのはエディさん一党の最後の一人、戦士のオルソンさんのことだ。

 寡黙で強面、筋骨隆々の大男で、大剣を木の枝のように振り回す。

 けど、動物…特に猫が大好きで、子猫を見るとフニャンフニャンになる。

 普段の低い声と同じ場所から出てきたと思えないような「ねっこたぁあん」は彼の内面の優しさの塊なんだ…と思っておこう。


 「んで、どうよ。旦那。昼間の襲撃は、神殿の嫌がらせだと思うかい?」

 「それにしちゃ、手配が手慣れているように思うんですよね」


 右方も人を出すと決めたのが、一昨日。

 破落戸ごろつきを雇うにしても、その日の夜には動いている必要がある。

 神官を痛めつけろと言われたということは、アニスさんたちが狙いなのは間違いない。


 だけど、左方(右方もだけれど)にそんなすぐ破落戸を雇って武装させられるような伝手があるんだろうか。


 弩弓と言う、こういう場合には最適な武器の選択と良い、十三人と言う手配人数の多さと言い、何というか手慣れている。


 この町に衛兵の詰め所と冒険者ギルドの主張所があったので、襲撃については報告済だ。

 明日、衛兵隊が現場を見に行くと言っていた。残党の捕縛は難しいだろうけれど、とりあえずは安心だ。

 もし、ゴブリンによる襲撃が確認できれば、すぐに冒険者ギルドへ依頼を出すらしい。


 「それな」

 ホットワインを口に運びつつ、マクロイさんは眉を寄せた。


 「なんつぅかよぉ、荒事に慣れてやがるよな」

 「そのくらい腐った神官はいるもんじゃないのか?」

 お前は本当に大神殿を信用しないなあ。クロム。


 「腐り方が違うわな。貧乏人の娘っ子を手籠めにしてもみ消すにゃあ馴れてても、破落戸雇って襲わせるのに手慣れてるやつはいねぇと思うぜ。あたしが聞く範囲じゃな」


 「タイショーなら、もっと詳しク知ってるかモな!」

 確かにエディさんなら、大神殿の内情にも詳しいかもしれない。

 しかし、この期に及んで妨害や嫌がらせをすることに意味はあるんだろうか。


 その疑問を口に出すと、マクロイさんは渋い顔で頷いた。


 「まあ、神官を痛めつけろ、だが、それができるころにゃあ護衛は死んでらぁね。お前さんたちが狙われたって可能性はある」


 マクロイさんの言葉に、クロムの顔から表情が消えた。

 たぶん、アイツの差し金説が頭をよぎっているんだろう。


 それはないと思うけどな。それにしては…杜撰バカすぎる。


 「バレルノ大司祭に雇われたアスラン人だっつぅだけで、左方からしてみりゃ目障りだぁな」

 「けどサー、そいつら、アスランの商人とお近ヅきになれんなら、腹どころか尻の穴だっテ見せルゼ」


 アスラン育ちのコルムは、アスラン商人がどれだけ裕福か知っている。

 中には王家より金持っている商会もあるからなあ。


 そこの当主は服は一度着たら燃やすのだとか。

 さすがに嘘だとは思うけれど、本当なら絶対に仲良くなれないな。


 「ちげえねえ。ホレ、クロム。そんな怖ぇ顔すんない。あくまで可能性の話よ」


 「左方でも、アスランを敵視していない人もいるんですかね?」

 「そりゃあいるだろ。

 つかな、バレルノ大司祭がうまーく敵対派を煽って、アスランに近付けないようにしてるのよ。

 イシリスでアスランと商いがしたい商人は、大抵バレルノ大司祭の伝手を頼るからな。見返りにお布施もがっぽり、と」


 親指と人差し指で丸をつくり、マクロイさんは口の端を持ち上げた。


 「ま、あの爺様のすげぇとこは、腹はまっくろくろの煤だらけなのに、肥やさんとこだわな。

 右方の運営に稼いだ裏金もまわしてらァ。結果、左方と右方で大きく差がついてるわけさね。右方は貴族様からのお恵みがなくてもやってけるから、お貴族かねづる様の顔色を伺うような真似をしねぇ」


 「あの爺が死んだあとは継げる人間はいるのか」


 「ジョーンズ司祭ともう一人、直弟子がいるぜ。そっちの弟子は今、大都にいってる。ほれ、アスラン王の周囲でアステリアがきな臭いって言われ出したら、火消しできるようにさ」


 「ぬかりないなあ。まあ、アスランは何も言ってこないと思いますけど」

 「そうけぇ?」

 「万が一、アステリアが反アスランを言い出したとしても、即座に鎮圧できますからねえ。あれだけ街道が整備されちゃっていると」


 戦後、交易のためにと、アスランはせっせとアステリアの街道を整備した。

 主要都市三ヶ所はいずれも街道で結ばれ、途中には宿場町も開かれている。


 言い換えれば、主要な都市まで補給地点も備えた進軍路が整備されているということだ。


 それに、王都はともかく交易で潤う東西の都市は、大陸交易の富を捨ててまで王家に忠誠を尽くすかと言うと、怪しい。


 よほどアスランが無理難題を言ってきたり、一方的に侵略を開始しない限りは降伏を選ぶ可能性が高い。

 贅沢は、馴れるまで早く、離れるのは難しいってことだ。


 「アスランとしても、今、アステリアをどうこうする意味はありません。

 聖女王の戴冠を禁ずる、とかだって、割とその場の勢いで言い放っただけって聞いてますし」


 それでも、いざと言う時のために腹心を向かわせると言うのは、流石としか言いようがない。

 やっぱり、英雄とか傑物と言われる人は違うなあ。

 その腹心さんにも会ってみたいもんだ。確か、5年前にアスランで大司祭と会った時には、一緒にいなかったと思う。


 「まあ、ドンパチやられちゃこっちは商売あがったりさね。無しにしてほしいね」

 「そうですねえ。俺も冬至には実家帰らなきゃなんで、国境封鎖は困りますね」

 「ファンせんせー、大都いくのカ!護衛雇わナイ?!」


 ひょいと身を乗り出したコルムのおでこを、またクロムの指が弾いた。


 「なんでガキのお守りを金払ってしなきゃならん」

 「クロム兄ぃとオレ、三つしかちがわねーダロー!」

 「それだけ違えば十分だ」


 クロムが16歳のころ、もっと落ち着いてたっけ?ちょうど学校の卒業試験に向けて猛特訓してた頃か。懐かしいなあ。


 まあ、コルムが子供かどうかは置いておいて、実家に帰るのに護衛は雇わないだろ。


 「コルムは大都に行ったことないのか?」

 「ないンだヨ。大都の風呂屋は、おネーちゃンがお胸デ体洗ってくれるンだロ!?ちょー興味ありまス!」

 なんだその偏ってて間違った知識は。


 「旦那はええとこのボンなんだから、やっぱり五人くらいは着くのけ?」


 「いや、風呂場に俺入れて六人も入ったら、狭いですよね?!

 大体、前後左右に一人ずつとしても残り一人は何してるんですか?!応援でもしてるんですか!」


 「そういう店はあるが、こいつがそんな店に行けるような奴か。ねーちゃん一人増量ごとに金額が倍になるんだぞ」

 「ほぉ~。そういうシステムなんかい」

 「風呂場以外の場所に連れて行くならさらに倍だ。その場でやるなら掃除料金込みで三倍だな」

 「いくらくらイ!?」


 なんで風俗店の話で盛り上がっちゃってるかなあ…。というか、大都のイメージってそんなのなの?

 もっと、大図書館とか王立動植物園とか、注目するところはあると思うんだけど。


 「わかってねぇなあ。旦那」

 ちっちと指を振りながら、マクロイさんがダメ出しをしてくる。


 「文化風習と夜の方面は、切っても切れねぇ関係よ。学者を名乗るなら抑えておかねぇとな」

 「博物学に関係ありますかね?」

 「どっかの部族じゃ、性的興奮を高めるのにある虫の体液を使うとかさ」


 文化風習は、確かに博物学と切り離せないけど、それと夜の店に何の関係があるのかと聞きたい。


 「そーいやサ、クバンダの蜜が、イシリスで出回ってるらしーゼ」


 マクロイさんの言葉に、よくやく夜の店から離れた話題をコルムが口にした。

 ただ、出てきた単語は夜の店よりももっといかがわしい。


 「ほう、良く買う金があるな」

 「チャンと調合シてなイ、粗悪品らしーヨ。金持ちがイイ夢見るノに使うンじゃなクて、三下がぶッ飛ブのにキメるみたイな」


 「クバンダの蜜?なんじゃいな、それ…」


 「麻薬の一種です。さっきマクロイさんが言ってた、虫の体液で性的興奮を高めるっていう、そのまんまな薬ですね。メルハ亜大陸のもので、元々は宗教儀式に使われていたのだとか」

 「キメてヤると天国が見えるらしいぞ。そのままあの世に行くやつも多いが」


 この手の薬にしては珍しく、常用しても幻覚が見えたりとか幻聴が聞こえたりとかはあまりなく、ただ体が蝕まれていく。


 脳と心臓の血管に負荷がかかり続け、ある時、限界を迎えて破裂するんだ。


 いつもと変わらなく生活していた常用者が、ある日突然死して、調べてみると中毒になっていたことが発覚する薬で、勿論禁制品。


 その分値段が高く、小瓶一つで同じ高さに積み上げた金貨が必要になる。


 コルムの言う粗悪品は、アスランでも良く摘発されるものだろう。

 きちんと調合された高い薬と違い、いきなり興奮が高まり、心臓か脳が耐えらえずに破壊されて死に至るケースが多い。

 ほぼ原液なら、致死量は僅か三滴ほど。

 高い薬も粗悪品も、目薬として、眼に垂らして摂取する。


 「クバンダっていうのは、メルハ亜大陸で語られる悪霊の一種です。夢魔の類で、性的な夢を見させて、生気を吸い取る」


 「そんなもんが出回ってんのけ?」

 「らしーゼ。ちゃんト作られたモンじゃねーかラ、結構死んでルってヨ。マーせんせー、手ェ出すナよ」

 「出さねーよ」


 「アスランじゃ、手を出したやつは処刑場に引き出されて、見物人の前で粗悪品をぶち込まれるがな」

 「うゲー、マジ?」

 「大抵、自分の服を破り捨てて、猿のごとくふけりながら死ぬ。生き延びれば無罪放免だが、まあ、社会的に死ぬな」


 一時期大都アスクで流行りまくり、それがまた、敵国の資金源になっていたもんだから、そんな公開処刑が導入されたらしい。


 今から100年前、五代大王、ジルチ王の時代のことだ。

 それから散発的にこの麻薬は流行し、撲滅には至っていない。


 「原材料の作成はそこまで難しくはないけど…どこで作られてるんだろう」

 「さっきの話からすると、虫なんだよな」

 「厳密に言えば虫とはちょっと違いますが…その幼生が分泌する毒の一種です」

 マクロイさんは盛大に顔をしかめた。


 「あたしゃあ、虫って苦手なんだよ。幼虫とかそういうのは特に」


 「ジャイアントワームとか出てキタら、どーすんノ?」

 「速やかに退散する。そんなモンの体液飲むくらいなら天国見なくていいわ」


 「出回っているならメルハ亜大陸から持ち込まれた可能性が高いです。

 メルハにしか棲息していないので。ただ、クトラルートが使えない今、アスランを経由しないと持ち込めないんですよね」


 つまり、アスランでまた、クバンダの蜜が流行しだしているかもしれない。

 まあ、今それを気にしてもしょうがないしな。

 実家に帰ったら親父と兄貴に言ってみよう。


 「そんなモン使わなクても、天国くらイいけらァ!クロム兄ィ、大都のいい店教えテくれヨ!」

 「なんで大都へ行く前提なんだ?」

 「行きたいカラ!」


 遊びに行くならどんどん行ってほしいけどね。やっぱり故郷を知ってもらえるのは嬉しい。

 だけど、夜の店以外もちゃんと見てくれよ?


***


 行軍二日目。

 悩んだ末、やっぱり登山を開始するのは、明日の早朝にすることにした。


 野宿の回数を極力減らしたいのと、移動して小休憩を入れただけで登山開始と言うのは、体力的にも不安だからだ。


 天気は微妙に雲が出てきている。

 もし雨が降れば、山中では命取りになりかねない。

 しっかりと体力を回復してから取り掛かるべきだろう。


 すぐ近くに見えてきたマルダレス山は、それほど険しい山には見えない。


 ドノヴァン大司祭が毎月通っているなら、道もちゃんとあるはずだ。

 麓の村から聖女神殿跡地まで、一気に登れば半日ほどの行程らしい。


 エルディーンさんら一行は、昨日宿泊した町にはいなかった。

 出発が半日ずれていることだし、おそらく一昨日の夕方、もっと王都に近い町で宿泊し、昨日の昼過ぎから夕方に、これから向かう麓の村に辿り着いたはずだ。


 それなら、村で出発準備中の一行に追いつける可能性もある。


 昨日の町のギルドで、更に気になる話を聞いた。


 聖女神殿には、巡礼の神官一行が月に一度は訪れる。

 跡地を訪れて祈りを捧げた後戻ってくるのだけれど、先月やってきた一行が行ったきりなんだそうだ。


 馬車まで仕立てた一行で、護衛も連れていたらしい。


 そうなると、未帰還者の数は一気に倍近くになる。

 今までの未帰還者は、駆け出しの冒険者だ。

 けれど、護衛に雇われるような腕前かつ、護衛を雇うような人数が襲われて帰ってこれなくなったとすると、『何か』の脅威度もあがる。


 老人と女の子が踏み込んでいい場所ではなくなっている可能性が高くなっているんだ。


 こちらには大神官のお二人もいるし、今回は儀式を諦めるよう説得してもらった方が良いかもしれない。


 ドノヴァン大司祭にどれだけ話が通じるかにもよるけれど。


 「あの村か」


 道は、石壁でぐるりと囲われた村に通じていた。


 農夫らしい老人二人が、こちらを見て手を振っている。

 大神殿の紋章入りの旗が、さっそく効力を顕しているみたいだ。


 これが俺たちだけだったら、老人たちは門を閉めて男衆を集めていたかもしれない。冒険者は支持されていると言っても、初対面なら武器を持った得体のしれない連中だ。

 俺がアスラン人でなくとも、同じような反応をされるだろう。


 馬丁が手綱を引き、馬車がゆっくりと止まる。

 俺たちも馬車の斜め後ろくらいで馬を降りた。


 すっかり懐いてくれた流星栗毛ヘールハルザンは、もう降りちゃうの?と物足りなさげだ。あとで遠乗りに出てあげよう。

 替え馬をしても驚かないか見てみたいし。


 「まあまあまあ!着きましたのね!あらあら、お出迎えありがとうございますわ!」

 馬丁がドアを開くと、ひょっこりとアニスさんが顔を出した。


 「待ってらして!今、おります!」


 くるりと後ろを向いて、アニスさんはそろそろと片足を突き出した。

 慌てて御者台のロットさんが駆けより、踏み台をその突き出た片足の下に置く。


 「先生、前を向いた方が降りやすいのでは?」

 「ええ、そうね!でも、もうお腹がつかえちゃって、前を向けないの!」


 爆発した笑い声に、クロムが嫌そうに顔を顰めた。

 このくらいの女性って、笑い上戸の人は異常に沸点低いからなあ。

 むっすーっとされているより良いと思うけど。


 「お尻痛い!」

 もう一台の馬車からは、ヤクモが飛び出してきた。


 「ヤクモ、マーせんせー降ろスの手伝エ!腰いわしてル!」

 「うん!僕足持つから!」

 「そーっと、そーっと頼むぜ…?はぅぅっ!」


 ヤクモが足を、オルソンさんが上半身を持ったマクロイさんが、馬車から搬送されてきた。

 地面に横たわって腰を摩っている。昨日と今日で腰に来ちゃったらしい。


 「担ぐか!」

 「わー、ユーシン駄目だよ!絶対ダメなことになるよ!」


 えらい騒ぎになってきた。門の中から、村人たちが何事かとのぞき込んでいる。


 「で、今日はどうするんだ?」

 「まずは馬たちの汗を拭いて、それから情報収集だな」


 破片でも情報があれば、それが生存に繋がる。


 アスラン大祖より伝わる格言。人を知り己を知れば百度戦おうとも危険はない。

 情報収集は全ての基本だ。


 「まあ、そんなところか」

 「時間はあまりない。さっさと取り掛かろう」

 日は中天までもう間もなく。

 明るい日差しに照らされて、マルダレス山は穏やかに梢を風に揺らしていた。



 「え?来てない?」

 「はい…大司祭様方、ですよね?」

 困惑した様子で、まだ若い村長は目を瞬かせた。

 

 情報収集の第一歩として、まずは村長に話を聞こうということになり、アニスさんらとエディさんも一緒に、村長さんの家にお邪魔している。


 木と煉瓦で作られた家は広く、質素だが家具も揃っている。

 この村は小さいけれど貧しくはないらしく、村人たちも暮らしに疲弊している様子はない。

 麦と野菜を育て、牛と豚を飼う典型的な農村だが、マルダレス山で採れるドングリを食べさせている豚はよく肥えて、高い値で売れるらしい。


 「本当に、いらしていないんです」

 村長の隣で困った顔をしているのは、バレルノ大司祭が先触れとして派遣した神官さんだ。


 「神官様から、大神殿が冒険者を雇ってくれて、こちらに向かっていると聞いて皆ホッとしてましたし、ずっと門の前で待ってた人もいましたから…気付かないということはないと思うのですけれど」


 「ホッとしている?えっと、村の人も山から戻ってこないんですか?」

 村長さんは首を振った。どうやら、まだ村人に被害はないようだ。


 「薬草採りの冒険者の方が…月に一度は来られていましたし、顔馴染みでしたからね」

 「そうでしたか…」


 初対面の冒険者は警戒される。

 だけれど、顔馴染みとなるほど親しくなった冒険者なら別だ。


 危ない仕事をしているのは分かっているから、無事に顔を見せてくれれば嬉しいし、こうした村ではあまり入ってこない外の話をしてくれる貴重な存在でもある。

 それに、村に来なくなることは想定していても、村に戻ってこれなくなることは考えてもいなかったのかもしれない。


 「最初の方は、一人で登って戻らなくて…次は、三人組の子たちで。そのことを伝えたら、怪我して動けないかもしれないから、探してくると言っていたのに…」

 「女の子三人組だったんです」

 俺たちの前にカップを置きながら、村長の奥さんが顔を曇らせた。


 「まだ、本当に子どもで…気を付けてと何度も言ったのに」


 「それまで、特に危ないモンはいなかったんだよな?」

 「猪が薪拾いに出た村人を襲ったことはありましたが、それももう、五年以上前の話です」

 「まあ、その方はご無事でしたの?」


 「恥ずかしながら、うちの祖父のだったのですが、鉈で頭をたたき割って、引き摺って戻ってきました。一緒に行った犬が何もしていないのに、ものすごく得意げでしたわ」

 ふふっと、少しだけ奥さんは笑った。すぐにその笑顔は消えてしまったけれど。


 「次の冒険者さんたちも三人組で、四人戻っていないことを告げてやめておくように言ったのですが…満月花は今、値上がりしていて金になるからと。その方たちは初めて来られた人でした」


 そして未帰還、か。


 最後の一党はともかく、先の四人は何度も顔馴染みになるほど訪れていたようだし、やっぱり単純に遭難したとかは考えにくいだろう。


 それにしても、大司祭一行が来てないって…まさか、俺達を襲った連中、まったく違う勢力が雇っていて、大司祭たちはなにがしかの被害を受けているとか?


 「あの、大司祭は毎月聖女神殿に足を運ばれるらしいのですが、いつもはここで宿泊を?」

 「いえ、その、一度も訪れていただいたことはありません。きっと、旧参道を行かれているのだと思います」


 「旧参道?」


 「はい。うちの村から登る参道は、うちや聖女神殿の神官様が整備していますが、徒歩でしか通れない道なんです。

 ですが、少し山を回ったところに、かつての参道がありまして…そこは、馬車で上がれるほど広い道なんです。ただ、誰も整備をしていないので荒れていますが」


 あの痩せた体で毎回山道を登るのは厳しいだろう。そうなると、馬車で往復している可能性は高い。

 第一、普通、大司祭なんて偉い人は徒歩で移動しないもんなあ。


 「その旧参道を一年前くらいから直しているという噂もありまして…。

 あの辺りはもう村もありませんが隣村は豚の放牧で、その近くまで行くものもいます。その時、工夫らしい集団を見たとか」


 「左方で、聖女神殿を建て直そうという話が出てたわね」

 そう呟いてから、シャーリーさんは奥さんが注いでくれた麦酒をグイっと呷った。


 「あらまあ。よくそんなお金がありましたわねぇ」

 「そりゃ、坊やたちにまともなご飯も食べさせずに貯めているんだもの!」


 俺の分の麦酒は一口だけもらって、後ろで不動無言で立っているクロムにあげよう。

 奥さんも立っているだけのクロムを気にしてるし。


 「聖女神殿の整備について、お二人は何も?」

 「左方がこそこそしてたら、あたしたちの耳にははいらないわねぇ。ロットは何か聞いていて?」

 「いいえ、何も…ただ、ドノヴァン大司祭が毎月聖女神殿を訪れているというのは聞いています。半年ほど前からでしょうか」


 道の整備が終わったから、馬車で気軽に訪れるようになったってところかな。


 「何しに行ってんだろうなア。聖女神殿自体廃墟だろ?」

 「それはその…もしかしたら、なんですが」


 ちらりと、村長さんは俺を見た。

 これ以上言っていいのか、と言う顔だ。ということは、30年前の絡みだろうか。


 「俺がアスラン人だからって言う遠慮なら、お気になさらず。情報があれば、少しでも知りたいですから」


 「そうですか…その、ですね」

 村長さんはしばし言いよどんだ後、口を開いた。


 「聖女神殿には、その、アスラン軍に殺された神官たちの亡霊がでると、噂されていまして…」


 亡霊、と言う単語に、ピクリとクロムが反応した。

 ここにヤクモとコルムがいたら、大盛り上がりになったんだろうけれど、流石に皆、口をつぐんで村長な話の続きを待つ。


 ちなみにユーシンとヤクモ、ウィルさんとコルムは馬車の整備と馬の手入れを手伝っている。

 アスラン馬達は汗を拭いて放牧場に離しておけばいいけれど、馬車馬は蹄鉄の確認やらいろいろあるからなあ。


 「女神の御力が最も強い神殿で、亡霊なんて…僕も信じてはいないんですがね」


 ああ、そっちもあるか。

 女神アスターの加護は夜の住人アンデッドを退ける。

 その神官が化けて出た、なんてのは女神への冒涜に取られても仕方ない。


 「ただ、聖女神殿の近くまで行った猟師が、笑い声や許しを請う女性の泣き声を聞いたと…」


 「そらあ、普通に山賊がどっかの娘さんを攫ってきてたんじゃあ?」

 「僕もそう判断しまして、冒険者さんを雇ったんですが…何の痕跡もなかったんです」


 「痕跡がない?」


 「はい。見つからなかった、と。その、山賊が綺麗に片付けていくなんてことはないでしょう?火も焚くだろうし、食べ物も食べるでしょう。

 そんな痕跡が全くない、と…」


 確かに、そんな几帳面な山賊はいない。

 見付かることを恐れているなら、女性に声をあげさせるような真似はしないだろうし、そもそも人里離れた山奥でそこまで警戒するほど慎重な賊なら、住処まで引っ張って行ってからお楽しみを始めるだろう。


 「それからも何度も、そんな声が聞いたというものが出まして…」

 「で、亡霊か。ありえねぇ話じゃないな」


 「まあ、エディ。女神の信徒が迷うだなんて、ありえませんわ」

 ぺし、とエディさんの腕をアニスさんが叩く。ぽよよん、と彼女の手の甲が揺れた。

 「違うわよ、アニス。あの頃聖女神殿に立てこもったのは、女神の使徒を騙る連中だもの!闇に惑っていても仕方がないわ!」


 シャーリーさんの言葉に、アニスさんも村長さんも、ああ、と言う顔をして頷いた。


 「もし、亡霊説が濃厚なら、未帰還者が出た事にも説明がつくわな」

 「そうですね…」


 その可能性は全く考えていなかった。

 亡霊、死霊…つまり、恨みを残して死んだ人の魂は、この世に留まることがある。


 ただ留まっているならいいんだけれど、生者を自分と同じようにしたいとか、命の熱を奪いたいとか、そんな理由で襲ってくるのもいる。


 駆け出しの冒険者じゃ、到底倒せないだろうし、対抗手段すらないだろう。


 「あー、でも、駄目だ。不整合がある」


 「ん?」

 「さっき、村長さんが言いかけた、ドノヴァン大司祭が聖女神殿を訪れる理由は、その鎮魂の為ではないか、ですよね?」

 「はい、そうです」


 うん、そこまではいい。整合性がつく。


 何かでドノヴァン大司祭が、聖女神殿の廃墟に彷徨うかつての神官たちの亡霊の噂を耳にする。

 それを放っておけないと、道を整備し、鎮魂のために毎月聖女神殿を訪れ、祈りを捧げる。そこまではいいんだ。


 「大司祭の鎮魂ターンアンデッドを受けてなお、冒険者を襲うほど亡霊が活性化するでしょうか」

 大司祭クラスの鎮魂を捧げられれば、よっぽどの悪霊でない限りあっさりとあの世に行くだろう。


 それが何故が凶暴化して、聖女神殿跡地を抜け出して冒険者を襲うとは考えにくい。


 「まあ、そりゃそうか。うちは祓魔エクソシズムじゃなくて鎮魂だもんなあ」

 「ええと、あの、どう違うんでしょうか?」


 「簡単に言やあ、追っ払うのとあの世に叩き込む、もしくは消滅させる差かね。

 女神アスターの御業は鎮魂なんだわ。

 追っ払うんなら逃げて縄張りを変える可能性もあるけど、鎮魂されたら強制的にあの世逝きってことだ」


 そう言っちゃうと身も蓋もないけれど、女神アスターはアンデッドに対して強い。

 その大司祭なら、鎮魂の御業は授かっているだろう。


 「失敗している可能性は?」

 「半年前から月に一度なら、もう5、6回試みているわけですよね。それほど手強い相手なら、流石に話題に上るか、ドノヴァン大司祭のお付きの人に被害があると思います」


 亡霊は自分の縄張りと言うか、執着している周辺にしか基本的には現れない。


 村に被害がないのはそれが理由だとしても、現地に乗り込むドノヴァン大司祭たちは危険なはずだ。


 「まあ、そらそうだ。じゃあ、亡霊はもういないって見るかい?」

 「そう願いたいですね。そんなもん出てきたら、俺達じゃ手も足も出ない」


 そういうのは、神官と魔導士がいるエディさんとこの出番だろう。

 戦士四人で何ができるというのか。


 「冒険者さんたちが帰ってこなくなってからは、村人には山に登るのを禁止していますから、今はどうなっているのかわからないんですが…。

 最後に『亡霊の声』を聞いたのは、夏の初めだったと思います。反対側から聖女神殿を訪れた巡礼の方が、真っ青になって下山してこられて…」


 「反対側?」

 「ええ。村から延びる参道は、山の東側から神殿を通って北西に抜けているんです。西にあるオーリルの町の神殿から、聖女神殿を通って山を抜け、大神殿に向かわれる方も多いんですよ」


 そりゃあ、まあ、こっち側からの一歩通行なわけはないか。

 かつては大神殿に次ぐ規模を誇っていたわけだし。


 そうすると、聖女神殿へ至る道は、東西と南からの三ルートあるわけだな。


 「逆に、この村からオーリルへ抜ける方も大勢います。

 オーリルからさらに北へ抜けて、フェリニス王国の女神神殿へ参拝される巡礼の方も定期的にいらっしゃいますね。

 なんでも、南フェリニスから北フェリニスへ移動するには、アステリアを一度経由しないといけないのだとか」


 その人たちがどうなったのかは、当然わからない。

 未帰還と言うのは帰ってこないから判明するわけで、通過点の一つであるこの村からは無事辿り着いたのかそうではないのか、判断のしようがない。


 「もう秋ですから、最近はいらっしゃいませんけどね。そこだけはホッとしています」

 「ええ。春や夏なら、十日に一度はいらっしゃいますもの」


 巡礼さんたちに被害がないのは何よりだ。

 もし、生きていて要救助であったとして、俺達が担いで下山できるのは精々三人。


 未帰還者が増えれば、残酷な選択を迫られる可能性もある。


 昨日の町では一月に一組と言っていたけれど、もっと多くの巡礼がこの村を訪れていたらしいし、登山ルートも想定より多い。


 馬車で来ていたという戻らない巡礼一行は、おそらく旧参道を通ったんだろう。

 左方では知られているルートだったんだろうか。


 誰かを助けるために、誰かを諦める。

 そんな局面が来ないことを、今日は女神アスターに祈ろう。


 きっと、そんな場面になったら、俺は…選ばない。

 全員助けると決断して、依頼の難易度を跳ね上げるのが目に見えている。


 成功報酬が馬になった件も併せて、そうなったら流石に皆に合わせる顔がないからなあ。


 とにかく、今日は情報収集に徹しよう。村長さんからも貴重な情報が聞けた。


 「さて、皆さん、お昼はまだ召し上がっていませんよね?」

 「ええ、朝ご飯はいただきましたし、馬車でお菓子は食べましたけれど。お外で食べるお菓子は格別ですわよね~」


 アニスさんがおっとりと答える。「だからここがまた立派になるのよ!」とシャーリーさんが笑いながらそのお腹をつついた。


 「よろしければ、わが村自慢の豚肉料理を召し上がってください!大神殿の方々がいらっしゃると聞いて、昨日から一番いい豚をつぶして待っていたんです」


 「一番いい豚…」


 無言不動を貫いていたクロムが反応した。

 あ、よかった。これで大神殿に対するクロムの評価がちょっと上がりそうだ。


 きっとこの歓待は、「大神殿が派遣した冒険者」へのものだろうし。


 「うちの豚はドングリを食べさせて放牧しますからね。大評判なんですよ。脂が甘いって」

 「まあ素敵!ご馳走になりますわ!」

 アニスさんの弾んだ声に、村長さんと奥さんは顔を綻ばせた。


 「…まあ、豚肉の報酬として」

 ぽそり、とクロムが呟く。


 「その、顔馴染みの冒険者がどうなったかくらいは見てきてやってもいいだろう」

 「そうだな。最悪の事態になっていたとしても、遺品くらいは」


 クロムの呟きが、豚肉につられたせいか、俺の内心を考慮してくれたのかは深く考えない。


 ともかく、方針は決まった。

 あとは食って調べて寝て。


 挑むだけだ。

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