第16話 ナランハルの太陽選び
※唐突ですが、世界観掘り下げの短文です。本編に全く関係ありません。
読み飛ばしても問題なしです。※
昔、昔。この世界にまだ、神々がお住まいだったころのことです。
太陽は東の海の涯にそびえる巨大な樹の枝で休み、その樹の枝を
その日も、ナランハルはいつものように大樹の枝を開き、太陽を起こしに来ました。
すると、何ということでしょう。
確かに昨日の夜に眠らせた太陽はひとつ。
なのに、まったく同じ太陽が全部でみっつもあるのです!
世界に太陽は必要ですが、みっつもあっては水は干上がり、大地はひび割れ、やっと増え始めた生き物たちは暑さで死んでしまうでしょう。
それになにより、太陽が大混乱しています。目が覚めた太陽は、自分がたくさんいることにびっくり仰天。めらめらと炎の衣を燃やしながら、うろたえました。
「「「ナランハル、どうして私がたくさんいるの!?」」」
まったく同じ声。うろたえる様子もそっくりです。
「「「ナランハル!このにせもの、私の真似をする!」」」
三つの重なった声が響き、興奮したせいかぐんぐんと熱くなっていきます。
ナランハルは太陽の炎では焦がされませんが、大樹がしんなりしてきました。
「ちょっと落ち着こうか。太陽どん。これはきっと夢さ。もう一度眠って起きたら、解決しているさ」
「「「なるほど。さすがはナランハル!じゃあ、もう一度寝るね!」」」
素直な太陽たちは、ナランハルの言葉に喜び、再び眠りにつきました。
さて、困った。
太陽たちはそっくりすぎて、ナランハルにも見分けがつきません。
太陽にも贋物が誰だかは分からないようです。
今は大人しく眠ってくれた太陽も、二度目は言う事を聞かないでしょう。
太陽同士がけんかを始めたら、世界は大変なことになってしまいます。
「おはよう、ナランハル」
ナランハルが首をかしげていると、お客さんがやってきました。
「これはこれは、
恭しくお辞儀をしながら、ナランハルはこんなことをしたのは誰だか知りました。
創造神の弟神は、とても悪戯好きで、神々を困らせるのが大好きなのです。
今までも何度かナランハルも悪戯されましたが、悉く見破ってきました。
それでこんな、突拍子もないことを思いついたのでしょう。
「太陽があまりにも素敵だから、増やしておいたよ」
にやにやと笑う弟神は、とても意地の悪い神ですが、とてもすごい力を持っているのです。
弟神なら、太陽を増やすくらいどうっていうこともないでしょう。
「弟神。太陽が困っています。元に戻してください」
「ええ、せっかく増やしたのに?仕方がないな」
おや、案外素直に弟神は了承しました。
さすがにこれは、悪戯にしても性質が悪すぎます。
この神にも反省と言う常識があったのかと、ナランハルは胸をなでおろしました。
「じゃあ、君が残すのを選んで。ナランハル。残った太陽は僕が貰うから」
にんまりと、弟神は笑いました。
「ただし、僕が増やしたのは太陽の影。お兄様が作ったのと違って、三度ほど天を渡れば消えてしまうだろう」
つまり、本物を当てなければ、太陽は弟神に取られてしまいます。
そうなったら、きっと返してくれないでしょう。
けれど、太陽たちは見分けがつきません。色も大きさも声も熱さもそっくりです。
やはり、弟神は意地の悪い神でした。
「なるほど。了解いたしました。けれど、弟神様。驚いて時間を食ってしまったので、今日はもう、選べません。今日は太陽を渡らせずにおきましょう」
「おや、そうなのか。なら、明日の朝選ぶと良い。なあに、太陽は僕が見ておいてあげよう。うちに帰っていいよ、ナランハル」
「それはありがたい。実は炎公レイファ様にお呼ばれしておりまして、もう行かねばならないところだったのです」
翼を広げ、ナランハルは返事を待たずに飛び立ちました。
弟神は、きっとナランハルがこっそり戻ってきて太陽を調べようとするに違いないと、目を見張っているでしょう。
ですが、それは好都合。
弟神の目がナランハルを追わないうちに、ことを済ませなくてはなりません。
ナランハルは夜のままの世界をひとっ飛び。炎公レイファの住まう火山へやってきました。
火山の宮殿で、炎公レイファはナランハルを自ら迎えに飛び出してきました。
世界が夜のままなので、誰も彼もが戸惑っています。
「おお、ナランハル。どうして今日は夜のままなのじゃ?」
「じつは、弟神様の悪戯で…」
「なんという…知恵はあるのか?ナランハルよ」
困った顔の炎公に、ナランハルは翼で胸を叩いて見せました。
「もちろん。しかしそれには、炎公様のお力添えがいるのです」
「ふむ。もうしてみよ、ナランハル」
「
真の鋼は、地の底奥深く、消えぬ炎で鍛えられ、火山の地響きで打たれた鋼です。
とても硬く、しなやかで、ナランハルの羽根のように軽く、黒く、真の炎でしか溶けません。
とても貴重なものなので、炎公だけが持っている宝物です。
「真の鋼を?しかし、真の鋼で出来た剣であっても、弟神は斬れぬぞ」
「いえいえ。そんな恐ろしいことは致しません。まして、剣ではなく、ほんの少し、この爪に摘まめるほどだけでよいのです」
ひょいと片足を上げ、ナランハルは自分の爪を見せました。
ナランハルは太陽の目印になる頭の一房の飾り毛だけは真紅ですが、後は全て真っ黒です。爪も先っぽまで真っ黒です。
「ふむ。それはもちろん、好きなだけ持っていくがよいが、どうするのだ?」
「ここで話して、弟神の耳に入れば一巻の終わり。うまく行ったら必ず真の鋼を返しに来ますから」
「あい、わかった。首尾よくこなせよ、ナランハル」
「ええ、もちろん」
無事に真の鋼を借り受けたナランハルは、大慌てで東の涯に取って返しました。
意地の悪い弟神は、体中の目を見開いて太陽を見張っています。
弟神の目は全部で百と八つもあるので、こっそりナランハルが近寄ってもすぐに見つかってしまっていたでしょう。
ナランハルは急いで塩を使って真の鋼を爪にくっつけると、何食わぬ顔で太陽の寝所に入ってきました。
「やあやあ、弟神様。太陽のお守りご苦労様です」
「やあやあ、おかえり、ナランハル。さあ、太陽を選ぶと良い」
「ええ、そうしましょう」
とことことナランハルはみっつの太陽に近付きます。
東から、西へ。右から左へ。とことこと。
昨日、いえ、一昨日太陽が寝たのは真ん中の位置です。
そこでナランハルが止まると、弟神はにっこりと笑いました。
「その太陽だね?」
「いいえ。弟神。この太陽です」
ナランハルが翼で示したのは、一番西側の太陽でした。
とたんに、弟神の百と八つの目が怒りに光り出します。
「何故、わかった。ナランハル」
「長年一緒に過ごした友ですから」
ぷしゅーと、弟神の百と八つの目が煙を吐き出すと、残るふたつの太陽は消えてしまいました。
「ふん!」
弟神も煙に紛れ、消えてしまいました。
やれやれ、今回も何とかなったと、ナランハルは胸をなでおろします。
「さてさて。朝だよ、太陽どん」
「おはようナランハル。とても変な夢を見たんだ。私がみっつもいたの」
「ああ実はね、夢じゃなかったんだ」
「ええ?」
驚く太陽に、何があったかをナランハルは語って聞かせました。
「そうなの。ねえ、ナランハル。どうやって私を見分けたの?」
「それはね、これを…やや?」
足をひょいと上げて、ナランハルは驚きの声をあげました。
右足の真ん中の爪。真の鋼を張り付けた爪だけが、他の爪よりずっと大きくなっています。
「これはこまった。しくじった。炎公にお返しする真の鋼が、爪にくっついてしまった」
「真の鋼?」
「真の鋼は、真の炎でしか溶けない。つまり、溶かせるのは炎公のランタンの火か、太陽の衣だけだよ。前を歩いて、真の鋼が溶けた太陽を選んだのさ」
影の衣は、真の炎ではありません。同じだけ熱くても、影は影なのです。
「けれど、こいつはどうしたものか。まあ、しかたがない。炎公には訳を話してみよう」
「もう一度溶かせばいいのではなくて?」
「わたしの爪も溶けてしまうよ。どうやら完全にくっついてしまったんだ。
欠片なら削れるだろうけれど。千年かければ外せるかな」
とりあえず二人は天を渡り、心配する太陽を寝かしつけると、ナランハルは再び炎公の住まう火山にやってきました。
「炎公よ、もうしわけない。しくじってしまった」
大きくなった爪を見せると、炎公はこれは困ったと顔をしかめました。
「これは溶かしたらナランハルの爪も溶けてしまうなあ」
「その通り。どうしてもと言うならこの爪を切り落とすので、それから溶かしてほしい」
「しかし、ナランハルの知恵がなければ太陽が消えてしまうところであったし、それはあまりにもお主に悪い。しかし、真の鋼を見返りなく賜るわけにもいかぬ」
とても貴重な品なので、同等の対価がなければ譲ることはできません。
それは神々が決めた規則です。炎公の都合だけで譲るわけにはいかないのです。
「ううむ、そうだナランハル。時折でよい、僅かな時間、太陽を連れて我が宮に参れ」
「炎公様の宮に?」
「うむ。わしのランタンもたまに火が弱くなる。そうしたらば、太陽の衣より火を別けてもらえばよい。真の鋼と真の炎ならば同等であろう」
「なるほど。その間、ほんの少しだけ世界は夜になりますが、ずっと夜よりははるかに良い」
こうして、太陽は今日も天をナランハルと渡っています。
時折炎公の宮殿へ立ち寄るので、その間だけは少しだけ夜になりますが、用事が住めばまた天を渡るので、世界はまた太陽に照らされます。
めでたし、めでたし。
***
この昔話、『紅鴉の太陽選び』は、日食の理由を説明する説話である。
創造神の弟神は、多くの説話でナランハルと対立し、その悪だくみを見破られる神として登場する。
とは言え、タタル地方以外でナランハル信仰はないため、別の地域ではその地域の知恵者とされる神によってやり込められることになる。
面白いのは、やり込めることになる神は皆、太陽に関わる神だということだ。
つまり、タタル地方では「ナランハル」とされる神が、別の地方では違う名で呼ばれているだけで、同一の存在と見做すことができるだろう。
神殿があり、御業を授ける神と違い、「ナランハル」は地上に生きる我々と意思をかわすことはない。
つまり、実在が証明できない神である。
何故、ナランハルが我々の祈りに答えないのか。
それは、「ナランハル」こそが別名であり、真名は別にあり、その名では信仰されているのではないか。
では、その真名とは?当てはまる神の名を並べ、吾々もナランハルに倣い、真の姿を当ててみようではないか。
***
『ナランハル考 序文』作者不明 大都王立大図書館蔵
アスラン王国歴162年に上梓された論文 本文は散逸し、残っていない。
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