第6話 初めての告白

二月二十九日の金曜日。

天気は快晴。


大袈裟かもしれないが僕の人生の天王山となるかもしれない。


ペントハウスの上が鍵を掛けられて入れなくなったあとは、僕は昼休みを屋上の片隅で過ごすようになった。

生徒が多いので以前のように小説は書けなくなっていた。

まあ、もう書く気持ちもなかったのだが・・・・・。


麻生さんは僕とは反対側の屋上の片隅に座って、以前と同じようにひとりで文庫本を読んでいた。


ペントハウスの上にいる時と違うのは、やはり人が多いということだ。

でも、この日はなぜかしら人が異様に少なかった。

まるで僕の告白を応援するように。


これはいけるかもしれない。

そう思いながら僕は生唾をゴクリと飲み込んだ。


体中の血管が音を立てるように脈打ち始める。


『僕と友達になってくれませんか?』


そう、まずはこれでいい。

たったこれだけで言えばいいんだ。

気楽に。落ち着け・・・・・。


ひたすら自分に言い聞かせるが、激しく脈打った心臓は全く収まる気配を見せない。

そもそも僕は人と話すこと自体が苦手なんだ。


まして女の子に話しかけるなんてことはハードルが高いどころか、棒を持たずに高跳びをするようなものだ。

・・・・・なんてウダウダと考えているうちにどんどんと時間だけが過ぎていく。


 ――よし、行くぞ!


心の中で大声で叫んで立ち上がる。

しかし、そう力んだ次の瞬間に僕の体は氷のように固まった。


僕が立ち上がるのと同じタイミングで麻生さんも立ち上がってしまったのだ。


僕の頭は一瞬にして真っ白になる。

どうやら今日は早めに帰るらしい。


麻生さんはこちらのほうに向かってくるが、すっかり意表を突かれた僕は凍りついたまま動けない。


麻生さんは僕の前をそのまま素通りして下へ向かう外階段の前まで行ってしまった。


ダメだ。

麻生さんが帰っちゃう。


今日は神聖なるうるう日だ。運命の日なんだ。

今、今、今!

今、声を掛けなきゃダメなんだ!


「あのお!」


僕は体中の勇気をかき集めて叫んだ。

予想を遥かに超えた大きな声が発せられた。


麻生さんはびっくりした顔でこちらに振り向いた。


その顔は想定していたより遥かに驚いている。

大きく見開いた瞳がそれを物語っている。

いや、驚いたというより、もはや怯えているようだ。


まずい。ちょっと声が大きすぎたかな?


まわりにいた生徒も一斉にこちらを見ていた。

僕達は注目の的になっていた。


ああ、ダメだあ・・・・・。


僕の心は風船が一瞬にして萎むが如く急速に萎縮した。


「あ・・・すいません。何でも・・・ないです」


俯きながら絞り出された言葉は何とも情けないものだった。


ああ、情けない! 

僕は心の中で叫んだ。


麻生さんは軽く会釈をすると、逃げるように外階段へと向かった。


ああ、行っちゃった・・・・・。

ダメなやつだ、僕は。


ガックリと肩を落としていたその瞬間だ。

背後から別の女の子の声が響いた。


「ちょっと待って! 言いたいことあるならハッキリ言いなよ!」


背後で知らない声が響いた。


 ―え? 何?


振り向くと、少し長めのボブの髪をした女の子が立っていた。


僕は一瞬、何が起きているのか理解ができず、その場に立ちすくんだ。



何? 

何が起きた?


この子はいったい誰だ?


「ほら、言いたいことがあるんでしょ!」


その女の子は僕のほうを見ながらイライラした口調でさらにけしかける。


知ってる子だっけ? 

どこかで見たことあるような気がするが、知らない子だ。

でも、どうしてそんなことを僕に言うんだ?


僕は言葉に詰まった。

麻生さんも何が起きているのか分からない様子で戸惑っていた。


しかし彼女の言葉に追い込まれた僕は、開き直って覚悟を決めることができた。


 ――よし、行け!


「あの、麻生さん、僕、冴木って言います。と、と、友達に・・・・・なってもらえませんか?」


言った。

ついに言った。


しかし自分が想定していたのとは違い、何かぎこちなく無茶苦茶カッコ悪い感じになってしまった。


麻生さんはまだ黙ったまま固まっていた。

かなり引いているようにも見える。


僕みたいな冴えないヤツが告白なんておこがましい、と呆れているのだろうか。


そのまま返事は無かった。

どうやら僕の生まれて初めての告白はダメだったようだ。


「ごめんね。わかった」


ショックを受けながら諦めて帰ろうとした時だ。


「あ、待って!」


麻生さんが慌てたように叫んだ。

僕はその声にびっくりして振り返る。


 ――え?


「あ、あの、私で・・・・・よければ」

「え、本当?」


「友達から・・・・・でよければ・・・・・」

「もちろん!」


 ――やった!


心の中でガッツポーズをした。

まるで青春漫画のシーンを見ているようだった。


僕にこんな勇気があるなんて思わなかった。


やっぱりうるう日は奇跡が起こる日だったんだ。

勇気を出してよかった。


あれ? 

そう言えばさっき声を掛けてくれた女の子は誰だ? 


そう思い後ろを振り向いた。

しかし、さっきのポニーテールの女の子の姿はなかった。


「あの、さっき後ろで叫んでた女の子、知ってる?」

「え? あの・・・・・スズメちゃんのこと?」

「スズメ・・・・・ちゃん?」

「うん。あおいさん。私のクラスメイトだよ。みんなはスズメちゃんって呼んでるけど」


 ――葵すずめ?


「いつもあんな感じの元気な明るい子だよ」


そうだ。最近ここによくいる男女四人グループのうちの女の子だ。

どおりで見たことあるはずだ。


でも、彼女はどうして僕の告白を手伝ってくれたのだろうか? 

僕には思い当たるフシが全くなかった。


「冴木君は確かB組だよね」

「え? 僕のこと知ってるの?」


名前を知っていたことにびっくりする。


「選択の美術の授業、A組わたしと一緒・・・・・でしょ?」


自分のことを知っていてくれたことに素直に喜んだ。


「さっきの葵さんとはいつも一緒なの?」

「私はひとりが多いんだ。スズメちゃんはクラスでも友達が多いし、明るくて賑やかで羨ましい」


麻生さんは喋り方がぎこちなく声も遠慮がちに小さい。


他人ひとと話すのがあまり得意ではないのが分かる。

僕はそんな麻生さんに自分と同じ空気を感じた。



学校には大きく分けて二つのタイプの生徒がいる。


僕のように内気でよくひとりでいるタイプ。

そして性格が活発で遊びにも積極的な明るいタイプ。

僕はそれを“アクティブタイプ”と呼んでいる。


麻生さんは僕と同じ内気なタイプのようだ。

葵さんのような子がいわゆるアクティブタイプになるだろう。


僕も麻生さんも内気なタイプなので予想通りに会話が滞ってしまった。

僕は共通の必死に話題を模索する。


麻生さんは絵を観るのが好きらしい。

その中でもフェルメールがお気に入りとのことだった。


何を隠そう、僕もフェルメールは大好きな画家だったので、話は自然に盛り上がる。


そのころ、ちょうど渋谷でフェルメール展が開催されていた。

そこで僕たちは日曜日にそこへ一緒に行くことになった。


この展開に、本来なら喜ぶところなのかもしれないが、僕の心は困惑していた。


女の子と二人だけで出掛けるなんて初めてのことだった。


自慢にもならないが、僕は今まで母親以外の女の子とまともに話すらしたことないのだ。

それなのに、いきなりデートだなんて・・・・・。

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