第56話
「あっちゃんお疲れ様」
「あぁ、奈々お疲れ」
個室に案内された奈々は笑顔で私の隣に座ると首に抱きついてきた。奈々は会った時にハグするようになってきていてちょっと緊張する。
「あっちゃん会いたかった~」
「ついこないだ会ったじゃん。私も会いたかったけど。奈々なに飲む?」
「私ビールでいい」
「はいよ。あとはなに食べる?とりあえず呼ぶから見て?」
離れた奈々に笑いかけてメニューを渡す。それから適当に注文をして先に飲み物が来たところで乾杯した。
肩に凭れてくる奈々は距離が近いけど今のとこ順調だ。いつもと変わらないいつもの空気。
これからそれなりに食べて飲んでから私はこの空気を壊さなきゃならないが奈々が嬉しそうで和んでしまう。
「あっちゃん今日うちに来て?」
「うん、いいけど…うちでもいいよ?」
「うちがいい。うちの方が近いし、早くくっついてたい」
「今もくっついてるじゃん」
「あっちゃんの膝にも乗れないしキスもできないのに?私は子供じゃないんだからそういう事できないと嫌なの」
奈々は相変わらず羊の皮を被った狼で肉食そのものだった。こりゃ、またいろいろやらされそうだぜ……。
私は笑いながら酒を一口飲んだ。
「はいはい。もう好きにしてください女王陛下」
「うん。好きにする。今日はお風呂も一緒に入ろう?」
「え…?私でかいから狭いよ?」
「洗ってくれないと殴るよ?」
「え?脅し?いつからそんな事言うようになったの?」
「今。私女王陛下だし」
冗談も巧みに使う奈々は笑顔で困る。自分で操られに行ってる私はバカじゃん。私はすぐに折れてしまった。
「はいはい。分かりましたよ」
「やった。じゃあ、私あっちゃんの髪洗ってあげるね?」
「え、いいよ自分でやるから」
「なんで?」
「なんでも。自分でやらせてくれないと一緒に寝ないよ?」
「……じゃあ、それで手を打つ」
「ありがと」
やっと制御から逃れられた私もたまにはやるじゃんと自分を誉めた。こんなの滅多にないだろう、真顔の女神のおかげで奇跡が起きたのかと思って笑っていたら奈々は笑いながら身を寄せてきた。
「ねぇ、あっちゃん」
「ん?なに?」
「…………」
「奈々?」
呼んだくせに黙る奈々はこないだと似ている。まだそんなに飲んでないのにもうかなり酔ってしまったのだろうか?酔いが回る前に話そうと思っていたのに。私は心配になって奈々の顔を覗き込むと図ったかのようにキスをされた。
「……ちょっと奈々?今日は個室だけど…」
「ごめんねあっちゃん。私あっちゃんに話したい事あるの」
「……うん。どうしたの?」
奈々は笑顔だったけどちょっと困ったような顔をする。いきなりどうしたんだろう。予想もつかなかったそれに私は動揺した。
「本当はもう少し前に言おうと思ったんだけど……中々言えなくて」
「うん……」
なんだか雲行きが怪しい。奈々は言いにくそうだし、これはもしかして別れ話?私の決意も虚しく指輪渡す前にフラれる?…………マジかよ、頑張って生きてただけなのに人生うまくいかねぇ…。冷静に顔には出さずに絶望していたら奈々は少し黙ってから言った。
「あのね、私この前の出張行ってから契約を取ったのが認められてカナダで働いてみないかって言われてるの」
「…………じゃあ、転勤?」
「そう……かな。ちょうど新しい部署を立ち上げるからそこでとりあえず三年働いてみないかって」
「……そっかぁ。……そうなんだ…」
思っていた内容とは百八十度違い私は唖然としていた。……そんな仕事できてたの奈々?…いや、でも、その前に転勤だからフラれる?だって私は邪魔って事…………なのでは?私はとりあえず聞いてみた。
「じゃあ、別れる?」
「ううん!そうじゃなくて、どうしたらいいかなって思って……。せっかくの機会だけど断ってもいいって言われてるし、あっちゃんがいるから……離れたくなくて…」
「……でも、行ってきたら?それ凄いチャンスなんじゃないの?」
私は迷わず言っていた。聞く限りキャリアにしたら逃したくない案件だろう。恋愛も大事だけど仕事は基盤だし。
「三年もカナダに行くんだよ?それに、三年経ってもそのままカナダで働き続けるかもしれないし」
「いいじゃんそれでも。奈々は行きたくないの?」
「行きたいけど……あっちゃんと別れたくない」
「じゃあ、別れなきゃいいじゃん?別れないとダメなの?」
「ダメじゃないけど、そんなに離れてたら気持ちが離れてもおかしくないし、私は女だから…………時間が無駄になるかもしれないよ?私とじゃ、結婚も、子供も無理だから……あっちゃんがもしそういうの望んだとしても私はしてあげられない。それに、そうやって別れるなら……今がいいの。今なら、折り合いもつけられるし、我が儘も何も言わないから」
「……奈々」
先を考えた話しに私は一瞬戸惑ってしまった。
奈々も真剣に考えている。お互いに信用がない訳ではないけれど先の事なんて分からないのだ。
私は配慮が足りなかったと後悔した。行きなよと言ったけどそれで即答できるほど簡単じゃない。
私達の違いが溝になっているのだ。
だったら今は言葉にして誠意を伝えるべきだと思った。今まで積み上げた信頼が今試されるけど私は遊びだったんじゃないのをはっきり言った。
「私は奈々と別れる気とかないよ。確かに遠距離になるから気持ちが離れるかもしれないけどだからって始める前に別れたくない。可能性の話しなんかしたら切りがないけど一緒に頑張ってきたじゃん?いろいろ話して一緒に頑張って行こうって話したじゃん。だから私は奈々と離れても奈々と頑張りたいよ。奈々と一緒に幸せになるために頑張りたいと思う。でも、奈々が頑張れないなら別れてもいいよ?別れたくないけど一人で頑張っても恋愛は意味ないし」
「うん……私も頑張りたいけどずっと会えないんだよ?それに私といたって……マイナスじゃないかな?なにか怪我してもすぐに駆けつけてあげられないし、辛い時も落ち込んだ時もそばにいてあげられない。重要な時にいられないのに精々携帯の画面越しに話せるだけだよ?そんなの……そんなの意味あるかな?」
「意味あるよ。好きだから話せるだけでも嬉しいし、会おうと思えば会えるじゃん?すぐに会えなくても会いに行けばいいだけだし、奈々も定期的には帰ってくるでしょ?」
「……うん。帰るよ。夏休みと冬休みは絶対帰ってくる」
それだけ答えてくれればもう充分だと思った。
マイナス面は目立つが私達なら補える。お互いに気持ちがあればできるから。
「よかった。じゃあ、私も奈々に会いに行くね?たまにだけどカナダにサプライズで行くよ。会えないのは正直辛いけど、会えない時間が長いと会えた時凄く嬉しいと思うから悪いとこばっかりじゃないし」
「……うん」
「それとさ………その、私奈々に改めて言いたい事あるの」
今日は元々そういうつもりだったが今が頃合いだと思った。私は鞄から指輪が入ったケースを取り出して奈々に向き直った。
「奈々、あの、いきなりごめんね?驚くかもしれないけど……私あの、奈々の転勤の話しと合わせたんじゃなくて前から考えてたの。でも、転勤と被っちゃってるから奈々がどう思うか分からないけど私は本当に本気だから。奈々との将来を本気で考えてる。奈々が私といてくれるなら他はどうでもいいし諦められる。未練もない。そう思うくらい奈々が好きなの。人生のパートナーとして一緒に生きていきたい。だから、これ買ったの」
驚いている奈々に私は指輪のケースを開けて見せた。
もう緊張で喉は乾いて仕方ないし指が若干震えるが私は真面目にはっきりと伝えた。
「ちゃんと指のサイズ計ったからはまるから安心して。デザインが気に入らなかったらごめんけど………私は本気だから。私は奈々と付き合う前は男と付き合ってたから信用できないかもしれないけど、こんなに好きになったのは奈々だけなの。だから、その気持ちを伝えたくて形にした。でも、私の気持ちだけの問題じゃないから考えてほしいんだ。受け入れられないなら断っていいし、すぐに答えなくていいから。こういうの渡すにしても少し早いし…」
少し早口になってしまった。奈々はなんて言うだろうか。奈々は困った顔で指輪をケースごと受け取ってくれた。
「……あっちゃんありがとう。嬉しい」
「うん……よかったよ」
「……わざわざ計ってくれてたんだね?気づかなかった」
「うん。寝てる時に…」
「……あっちゃんが将来まで考えてくれてたのに自分の事ばっかり考えててごめんね?」
「いや、そんな海外に行くんじゃ考えて当たり前だよ。ていうか、私タイミング悪くてごめん。いろいろ考えさせちゃって……」
奈々は指輪を見つめていて不安になる。
もう言う事を言ったので頭が完全燃焼している。人生の大事な瞬間はあっという間に終わってしまった。何て言ったか一部忘れたがどうなるんだろう。
ここまで自分なりに頑張ったけどやる事が終わったし、予測がつかない。
奈々は私に顔を向けると嬉しそうに笑った。
「あっちゃん浮気しない?」
その質問がこないだ甘えていた奈々を連想させる。
そうか、あれは全部本音で奈々は悩んでいた訳だ。また気付かなくて情けないがあの時と同じように笑って伝えた。
「しないよ。この前言ったじゃん」
「うん。……やっぱり私じゃやだってならない?私こんなもの渡されたら絶対別れないよ?」
「別れようとしたら私が断固拒否するよ。逃げたらどこまでも追いかけるしぶん殴られてもやめない。いいって言うまで言い寄る」
「うん……。じゃあ、指輪はめて?絶対返さないから」
「……本当に奈々?」
「うん。あっちゃんがくれるのに断れないよ。それに、返したくないし、私以外に渡してほしくない」
「うん…!分かった」
まさかのオーケーに信じられない喜びを感じた。
当日に返事をもらえるなんて思ってもみなかった。
私は奈々から指輪ケースを貰うと指輪を出して奈々の指にはめた。努力して計ったおかげで指輪はぴったりはまって私は思わず笑ってしまった。
「奈々本当の本当にいいの?」
「うん。いいって言ってるじゃん。すごく嬉しいし、あっちゃんがくれるなら欲しいから」
「うん。ありがとう奈々。私嬉しすぎてどうにかなりそう。テキーラ浴びる程飲みたい」
「それは吐くからダメ」
笑って注意する奈々は喜びで跳び跳ねそうな私の手を握った。
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