名もなき朝のアカウント《篠田の日課、いいね》
市來 茉莉
1.秀星先輩が死んだ……?
毎日、一日に一回、そのアカウントにアクセスする。
北海道
写真が美しいことはもちろんだったが、そこで尊敬する先輩の日常がわかる。
篠田がずっと目指していたメートル・ドテルという地位を、あっさりと譲って北海道へ移住してしまった人なのだ。
そのアカウントをフォローしているし、フォローバックももらっているので、ダイレクトメールでときたま先輩と連絡を取り合っていた。
この先輩からメートル・ドテルを引き継いで四年。やっと自分の判断でレストランが回るようになってきたとキャリアに自信がでてきたころだった。
だがやはりそれまでは、いきなり去って行った先輩によく相談をしていたのだった。
ほぼ毎日、先輩は写真をアップしている。仕事より写真を続けることが、この人のいちばんの情熱。
いいねを押すのは後輩の篠田だけ。たまに、どこかから流れてきた人がいいねを押すが、先輩のアカウントに居着くことはなかった。
そこは先輩の淡々とした日常の記録と、篠田が通う『いいね』があるだけ。
なのに。もうすぐ春になろうかというころ、先輩のアカウントが十日以上なんの更新もなかったのだ。
もちろんダイレクトメールも送信した。『なにかありましたか? 先輩が写真をアップしていないなんてよほどですよね?』――と。返信はなかった。
なにか、動けないようなことでも遭ったのだろうか?
あの人がこのアカウントを開設してから更新しない日があっても、こんなに写真をアップしないなんて初めてのことだったのだ。
それとも。誰も写真を見てくれないアカウントに飽き飽きしたのだろうか?
それならそれで、律儀で真面目な先輩は篠田のダイレクトメールには返信をしてくれるはずなのだ。
奇妙な気持ちになっていた。
そして、嫌な予感も襲ってくる。
明日も更新されなかったら、あちらのレストランに連絡をしてみよう。そう決意した日のこと。
レストランのオーナ、矢嶋社長が部屋に来るようにと篠田を呼んだ。
ディナータイムを終え閉店。その時に社長室へ赴くと、矢嶋社長がデスクに項垂れていた。
心なしか社長が泣いているようにも見えた。彼が沈痛な面持ちで、篠田を迎え入れる。
「桐生があちらで働いていた大沼のレストランオーナーから連絡があったのだが……。秀星……が、亡くなったそうだ」
一瞬。なにも聞こえなかったに等しい、なにかの音のようなものが耳に入ってきた感覚だった。言葉の意味を捉えきれなかった。
「篠田はなにか聞いていないか? あちらのオーナーから、秀星の親族がどこにいるのか教えて欲しいと尋ねてきたんだが」
「い、いいえ……。ですが、その、……毎日写真をアップしていたSNSは知っておりまして、その……十日ぐらい更新がなくて……」
「その十日ほど前に。吹雪が止んだ湖畔で、カメラと一緒に……そこで、凍死していたそうだ」
もう、なにも言葉もでないし、表情もどんな顔をしているのか篠田にはわからなくなった。
「そうか。篠田もなにも聞いていないのか。こうなる前に秀星がなにか言っていたとか」
「いいえ、なにも。あちらのオーナーシェフは……」
「あちらも突然だったようで、取り乱していた。途中からもう、どうしようもない泣き声で話されて、どうにかして縁者を探したいと言っている。私も、秀星とは縁があったから力になりたいと思っている。それで、葬儀はあちらのオーナーシェフが執り行ってくれ既に荼毘にふされたが、秀星の弔問に行こうと考えているんだ。あちらのシェフからもいろいろ聞いてくる。明日、皆にも周知しようと思っているが、篠田はどう思う?」
荼毘に付されたのひとことで、篠田の目からどっと涙が溢れてきた。
「も、申し訳ありません……。失礼いたします……」
話も途中で社長室を出てしまった。
社長も呼び止めない。
ロッカールームへと駆け込もうとしたが、仕事を終えたギャルソンに他スタッフがわいわいと帰り支度をしている。
給仕長としてこの有様をまだ見られたくはなく、篠田は厨房へ向かい、シェフたちの目を盗んで店の裏口、路地裏へと飛び出した。
そこで泣き崩れる。
「嘘だ!! なんで、なんで……秀星、さん……」
地面へとへたり込む。嗚咽を抑えているそこは、瀬戸内のやさしい風が吹き込んでくる。
こんな柔らかな春になっているのに。吹雪で凍死するなんて、神戸にいる篠田には別世界のような出来事に思えてしかたがない。
まだそこにいる気がする。でも荼毘に付されたということは、もう……。そのまま涙が流れるまま空を仰いだ。
ちいさな星だけが見える都市の夜空。
あの人の写真には無数の星が湖面に映るものもあった。
星の名がつくその人のアカウント名は『北星秀』
北海道も星の名がつく地名が多いんだ――と教えてくれた。
でも。もうどこにもいないんだと篠田に心をかきむしるような哀しみが襲ってきた。
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