第2話 新緑の町
五人囃子のような少女は、自分の名札を見せながら『五ツ木』と名乗った。下の名前は無いらしい。『あちらがわ』に生まれた人間はそういうものなのだと言う。
「ええと、四月七日朝6時、自宅アパートから徒歩2分の所にある歩道橋から故意に転落。車通りが少なかったから主な身体の損傷は右腕とその他数箇所の骨折のみ。わりかし軽傷でよかったですね。ただ、連日の過剰労働で栄養失調と疲労が重なって、落ちた衝撃で一発でこちらに来てしまった様ですね。」
「じゃあ、連日残業して疲れてなかったら、こっちに来られてなかったっていう事ですか?」
「そうです。」
「そうですか……。」
私はきっと安堵した表情をしていたのだと思う。五ツ木は私の顔を見て、「まあ、お気持ちはお察ししますけど。」とつぶやいた。
「それでは、『あちらがわ』に来られた方に、簡単にここの説明をさせていただきますね。まず、ここは『あちらがわのびょういん』。『あちらがわ』で最も大きな病院です。あなた方の世界でお亡くなりになった際の病気や怪我を治療し、この世界で生活できる身体に回復させることが主な役割です。」
「生活……?」
「あ、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。こっちに来た人々にも、一定数、もう一般社会の中での生活なんてしたくない、と思われている方もいらっしゃいます。」
五ツ木はバインダーの紙をめくり、三枚目に書かれているイラストを指差した。
「そういう方は、この様に冷凍睡眠の機械で眠っていただきます。」イラストには、柩のような四角い木箱に横たわる女性が描かれている。「次の輪廻転生までの間ですね。まあ、生前の行いが悪いと、輪廻転生はどんどん後回しになるか、もしくは輪廻転生の資格自体剥奪されてしまうんですけどね。自殺した人もまあ、輪廻転生までの期間は長くなります。せっかくこちらが与えた肉体を、また短期間で壊されたんじゃ正直こちらも困ってしまうので……はい。あ、別に湊川さんを責めているわけでは無いですよ。そういうルールである、というだけです。」
生まれ変わりなどしたくない、と言いかけたのだが、その言葉は飲み込んだ。なぜだかはわからなかった。
「そしてここに運ばれた人は、治療を施している間、裁判にかけられています。湊川さんの裁判ももう終わっていて、次の輪廻転生の時期とそれまでの待ち時間も決定しています。なので、その期間、基本的には湊川さんはこっちの町で暮らしてもらうことになります。ええと湊川さんの場合は……あった。」
五ツ木はバインダーに書かれている文字の羅列から、一行をトントンと指差した。
「『新緑の町』ですね。一年中、桜が咲いて散ったあとの、新緑の季節が繰り返す町です。住みやすくて良い所ですよ。」
五ツ木は、ポケットから液晶画面がついた小さな箱を取り出して、私に差し出した。
液晶の画面には、鮮やかな緑色に日の光が反射し、葉の擦れる音が川の音の様に流れる、よく整備された美しい歩道が写っていた。
その画像を見た瞬間、私の頭の中から、一瞬冷凍睡眠という選択肢が消えた。本当に一瞬だったが、その瞬間は、確かに消えていた。
「綺麗な町ですね……。」
「そうなんですよ。」
五ツ木は相変わらず淡々とした表情で、液晶画面をスライドさせ、町の様子を説明してきた。
歩道の途中には小さな人工的な小川があり、水車がゆったりと流れている。車道に車はほとんど走っておらず、透明な澄んだ空気が画面の中からこちら側に流れて来るかのようだった。
「あの」
思わず声を出した私に、五ツ木は驚いた様子もなく淡々と答えた。
「なんでしょうか。湊川さん。」
「最初の画像、見せてもらっても良いですか?」
五ツ木は快く画面に指を滑らせスライドし、液晶の小箱を私の左手に乗せた。
一番初めに見た画像を数秒間、あるいは数分間だったのだろうか。見つめた後、自分でも予期せぬことばが口元からこぼれた。
「ここを、歩いてみたいです……。」
自分がそう言ったことに驚いていると、五ツ木は淡々とした表情のまま、小箱を受け取って言った。
「じゃあ、冷凍睡眠はしないということで。まあ、あとで変更もできますから。」
五ツ木はバインダーになにやら書き込み、私の顔を見た。
「最初に冷凍睡眠を選ばなかった自分に驚かれてますか?でも大体皆そうなんですよ。自殺してこっちに来られた方って、意外と皆、最初に冷凍睡眠は選ばないんです。不思議なんですけどね。」
五ツ木の口元は、なぜか少しだけ微笑んでいる様に見えた。
それはこの世界に来て始めて見た、人間くさい、どこか懐かしさを覚える表情だった。
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