二十六歩目 追憶

「やった! 戻ってる!」


 砂埃が舞うダンジョン内に、シズクの弾むような声が響く。それと同時に、シズクは勢いよく俺に飛びつく。あぁありがとうございますぅ!


「えー、簡易攻撃魔法 ! 蒼いの見たかった」

「これから戦うかもしれないのに魔力の無駄遣い出来ないよ」


 シズクは俺から離れ、杖を五層ボスに向ける。身を引き、臨戦態勢だ。


「戦う? 別にお前と戦うつもりはないぞ? 俺が戦いたいのはそこの勇者。お前は勇者を引き連れてくるだけでよかったんだ」


 杖を構えるシズクを不思議そうに見ながら、五層ボスは杖を下げろと言わんばかりに手を横に振り、シズクに対しての闘志は無いことを示す。


「おい、それはどういう事だ?」

「俺は自分の思った通りに事を動かすことができるんだよ。限界はあるけどな」


 この状況はこいつが仕組んだ事って訳か……?

 シエルを倒し、シズクを孤立させ俺に会わせたのもこいつの仕業か? いや、そこまで上手く行くものなのか? 


 何が真実かは分からない。ただ、こいつがした事は多分、極悪非道だ。


「つまり、俺と戦う為だけにシズクを不安にさせたり、関係ない街にモンスター召喚したりしたって事か?」

「そう! その通りだ! 俺はお前の怒りが見たいんだ! 召喚者が力を引き出すには怒りが必要なんだよ」


 怒りだと? そんな事の為だけに? 


「ふざっけんな!」

「そうだ、怒れ! 自我を忘れるほどにな」


 こいつはもう許せねぇ。弁解の余地なんて与えない。ぶった斬ってやるよクソ野郎!


「なっ……なんだ? 視界が霞む?」


 腰に差した刀へ、手を伸ばす。だがその手は、刀へ触れる事なく空を切る。


「頃合いか」

「俺に何かしたのか?」


 意味ありげな笑みを浮かべる五層ボス。その間も段々と視界が阻まれていく。今見える情報は、五層ボスが長い黒髪を一つに括っている事だ。邪魔そうな髪を纏めたって事は戦う気か……?


「お前に、じゃない。お前たちに、だ。仲間が危険に晒されたら怒るよな?」

「まじで、いい加減に、しろ――」


 膝から崩れ落ち、地面に横たわる。そして頭に浮かぶのは、この世界に来る前の記憶。



 ***



「おい! 田辺! また定時上がりか!? 俺がまだ残ってるのにか!?」


 入社して三ヶ月、俺は既に現代社会の奴隷と化していた。俺を率先して罵るこの人は、楠木という上司だ。

 ガマガエルのような見た目だが、一応偉い人らしい。この人に目の敵にされているのは恐らく俺が、この人に納得のいかない事を抗議したのが原因だ。


「楠木さん、そう言われましても俺にも予定がありますし、僕の仕事は終わっていますが?」

「お前、また俺に歯向かうのか? こいつまだ懲りて無いらしい。なぁ? 久住」


 俺の肩を強く握り、久住と言う細身の男に話題を振る。


「ほんとバカですねこいつ。おい田辺! いい加減諦めろや! お前は下っ端なんだよ! 自分の仕事が終わっても定時で帰れると思うなよ!」


 上司に気に入られてるからって、いい気になるなよ。俺はお前みたいに媚びるのなんてお断りだ。



「お前は人としてのマナーを知らんのか! 人間のクズめ!」

「急いでるのでこれで失礼しますね」


 俺はこの場から一刻も早く去りたい。止める久住と楠木を無視して、古びた扉に手を掛ける。

 照明の暗い階段を降り終え、視界に映るのは疲弊しきったサラリーマン。そして、そのサラリーマンたちが行き交うビル群。そのビルの一つから俺は颯爽と出る。


 存在理由がわからない小さな信号が赤に変わる。そのタイミングでスマホを取り出し、通知を確認する。


『もう退社できた?』

「うん、今出た。本屋に寄ってから行く」

『分かった。待ってるね』


 俺が今日急いでいた理由。それは、姉からの呼び出しがあったからだ。要件は分からないが、姉には逆らえない。


 姉との連絡を終えて、本屋に向かう。労基法を学ぼう。


「法律関係の本って高いな……」


 一人、言葉をこぼし本屋を立ち去る。サクッと目当ての本を手に入れ、姉の待つカフェへと向かう。人の密集したスクランブル交差点。そこで俺は目撃する。腐り切ったクズの所業を。


「邪魔なんだよガキが! お前母親だろ!?しっかりガキ見とけよ!」

「最近の親ってどうなってるんですかねぇ楠木さん」

「全くだ!」


 車道に弾き出された子供、止まる気配のない車、その光景に絶望して立ち尽くす母親。その側には、楠木と久住がいた。

 イライラとした面立ちの楠木が子供を突き飛ばした事で、この混沌とした状況が作り出された。


「俺のせいだ……俺が……」

 

 俺のせいだ! 俺があいつに歯向かったからイライラしてるんだ。助けないと!


「ママ! ママ!」

「もっと手伸ばして!」


 自分に降り掛かる危険を察知したのか、母親を呼ぶ声が段々と大きくなっていく。


 近くにいて良かった。なんとか手が届く! ママじゃなくてごめんな。


 泣きじゃくる子供の手を掴み、一気に引き寄せる。子供の体は宙を浮き、俺の胸に飛び込む。


「怖かったな。大丈夫?」

「う……ん、こわかった」

「恵美子! ごめんね! ママがしっかり見てなかったから……」


 我が子の無事に、涙を流し喜ぶ母親。助けられてよかった。ほんと危ないな、あのクズども。

 母親にものすごく頭を下げられすこし照れた。でも俺が原因なんだよな。


「おい、定時で帰ったんじゃないのか? まさかしょうもない用事のために帰ったんじゃ無いだろうな!?」


 親子の温もりを見てほっこりしていたところ、不快な音が耳を裂く。


「しょうもないかは俺が決めるんで、あんたが決める事じゃないよ」


 怖い怖い怖い。無理帰りたい。なんなのこいつ、職場以外でも絡んでくるシステムなのか? でも、一言文句は言ってやりたい。


「なんだ? 喧嘩腰だな?」

「まずはこの子に謝ってください」

「どうして俺が謝らないといけない! このガキが俺の前にいたのが悪い!」


 こいつよくも堂々とこんな発言できるな。虫唾が走る。体全体が熱くなっていく、はらわたが煮え繰り返るってやつだろうか。


「あんたは人としてのマナーを知らないんですか? 生物のカースト下位ですね」


 先程言われた言葉を、リメイクしてぶつける。


「なんだと?」

「未来ある子供の命を奪うところだったんですよ? 少しは反省してください」


 俺に反論された楠木は、拳を強く握り、悔しさを堪えている。それとも怒りか? 頼むこのまま見逃してくれ。

 俺の後ろで、不安そうに眺める親子をこれ以上不安にさせたく無い。


「生意気なんだよ! いいか!? あれはたまたま車道に出ただけだ! 事故なんだよ!」


 自分の無罪を主張する哀れなクズを、交差点にいる人々が面白おかしく見物している。その様子に気付いたのか、楠木は顔が赤くなるほど怒り狂う。きっと恥ずかしさも混ざっているだろう。そして言葉を漏らす。


「命を奪うっていうのはこういう事を言うんだ」

「え?」


 背中に、強い衝撃を感じる。体勢が反転し、車道へ侵入する。背中と地面との距離が短くなっていく。久住!?


「覚えておけ、俺に歯向かうとどうなるかを――」


 手を汚すのはあくまで他人ってか。どこまでも腐ったガマガエルだ! 


 楠木の声が、大型トラックに遮られる。その直後、そのトラックは俺の体を激しく吹き飛ばす。体に力が入らない。もう俺はダメなのか……? もう既にサイレンが聞こえる。恐らく誰かが呼んで、近くの消防署から来たのだろう。


 俺が助けた少女と母親が、涙を浮かべこちらに手を差し伸べている。


「危ないから離れて!」


 これが俺の最後の言葉なんだろうか。でも悔いはない。だから、そんな顔しないで。せっかく助けたんだからさ、笑っていて欲しいな。


 俺が死ぬ事で、この親子にトラウマが残ったらどうしよう。そんな不安をよそに野次馬の声が広がっていく。


「おい! 救急車まだか!」


 そろそろ来るだろう。グロいよな。見たくないよな。ごめんな。


「え? 何? 事故?」


 違うよ、事件だよ。犯人はそこにいるよ。


「あいつ遂に人生からも逃げましたね」

「ほんとすぐ逃げるからな、最近の若いやつは」


 逃げたんじゃない、強制退場だ。お前らのせいでな。というかなぜ平然とそこに居座れる。逃げないと捕まるぞ。いや、捕まれ。そこにいろ。


 聞こえる声に、茶々を入れ痛みを凌いでいたが、意識が遠のく。最後に視界に入ったのは、ガマガエルどもの顔だった。

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