第005話 強敵
今可能な最大速度で馬車の位置まで辿り着いた俺と、ほぼ同じタイミング。
馬車後方の森から地図上では金色の光点――ボス
――デカい!
金色の光点が強敵を示していることは俺の予想通りだったようだ。
かなりの荷物を積み込むことを想定しているであろう大型の馬車の、約半分にも及ぶほどの体躯を誇っている。
俺の要らん――いやこの状況において実は結構有用かもしれないが――ゲーム知識のボス
そして速い。
俺が半包囲を展開していた13体の『影狼』をすべて狩り尽くすまでの間に、最後の個体はかなり馬車に近い距離まで近づいてきていた。
まだ充分に余裕はあったとはいえ、表示されている地図の端からすれば半分以上距離を詰められた位置だったのだ。
俺がそこから全速力で戻ってきたにもかかわらず、地図の端から顕れたこのボス級とほぼ同着だった時点で、速度においては相手の方が上であることは明白である。
『影狼王:レベル31』
俺の視界にはその巨躯に重なって名称とレベル、例によってH.PとM.Pのバーが表示されている。
はははこやつめ。チュートリアルのレベルじゃねえ。
いやレベル31て。
彼我のレベル差が28って、冗談じゃないぞ。
これは速度だけではなく攻撃力、防御力共に文字通り桁違いとみて間違いない。
上がったとはいえ、まだレベル3でしかない俺の攻撃が
逆に一撃でも相手の攻撃を喰らえば、俺のH.Pはまず間違いなくすべて消し飛ぶとみておいた方がいいだろう。
さてどうしたモノか。
加速された思考でそう考えたと同時、馬車の後方で黒い光が真円形に迸った。
そのまま黒い雷光を周囲に走らせるその威に反応し、一直線に馬車へ突進しようとしていた『影狼王』がその巨躯を横方向へすっ飛ばして距離を取る。
ボス級の
それが突然この場に満ちたのだ。
理由など一つしかない。
リィンだ。
漆黒のボディ・スーツに無数の魔力線を走らせながら、半透明の球状フィールドに包まれて中空に浮かんでいる。
碧眼に浮かぶ三重の金円が強い光を放ち、輝く金髪は無重力下のようにふわふわと浮いている。
いや実際、可視化されている球状フィールドの中は無重力状態なのかもしれない。
「リィン!」
「にゃーぅ!」
「マサオミ!?」
クロと共に呼びかけたら、こちらを向いて反応したので意識は保てているようだ。
魔法の存在する異世界を前提としてもあまりにも想定の斜め上というか異質な状況なので、意識を失っているかもしれないと思ったが杞憂だったらしい。
俺はそのまま宙に浮かんだリィンの横をすり抜けて、警戒態勢を取っている『影狼王』へ速度を落とすことなく突っかける。
俺の想定よりリィンは遥かに強いっぽいが、複数展開されている非接触型の浮遊系魔導器や、背後に複数展開されている大型の積層立体魔法陣からして魔法使い系とみてまず間違いないはずだ。
だが即座にぶっ放していないということは攻撃系魔法にせよ召喚系術式にせよ、発動までにそれなりの時間――詠唱なり
その時間を俺が稼ぐ。
「だめ!」
本気で慌てたリィンの声が後ろから俺の耳に届くが、もはや止まれない。
かなりの速度で突っ込んだため、一瞬で俺と『影狼王』は互いの攻撃圏に互いを捉えている。
そう判断した瞬間、少なくとも俺の攻撃圏からは外れるほどの距離を右側へと跳躍する。
クロも間髪入れずにその動きについてきている。
どうやらクロへは反射レベルで俺の意志が伝わっているのは確かなようである。
速度で上を行かれている以上、相手――『影狼王』にしてみれば思考の上でも迎撃の構えであるはずだと判断したのだ。
であれば攻撃圏に俺が踏み入れた瞬間、速度で勝る向こうが先手で攻撃を合わせてくる――迎撃されるのはまず間違いない。
果たしてほぼ直角に横に跳ね跳んだ直後、俺のいた位置を『影狼王』の巨躯が生み出す影から発された無数の影の槍が貫いた。
こっわ!
予想通り! とか、ビンゴ! などと考える余裕など欠片もなく、加速された意識が最初に感じたのは隠しようのない恐怖だった。
喰らったらただでは済まないことが、見ただけで充分に伝わってくる。
とはいえ今更ビビッて止まったところで問題はなにも解決しない。
思考が加速されている分怖気づく余裕があるのが皮肉だが、なんとか恐怖をねじ伏せてかっ跳んだ右側へ着地した瞬間、全力で大地を蹴っ飛ばし、地面を爆発させて跳ね返るように『影狼王』の側面へと飛び込む。
クロも同じように跳ね返りつつ、俺の左肩に飛びついたような姿勢になっている。
『影狼王』にとってさっきのは小技に過ぎないのかもしれないが、武技ではない通常攻撃であっても、繰り出せば必ずある程度の『硬直』は発生する。
そしてそこに付け込むには俺に一定以上の速度があればそれでよく、その状況下においては彼我の速度差、反応差は意味を成さない。
技を振らせて、その硬直を取るというやつだ。
つまり必ず当たる!
出し惜しみはなしだ。
金色の光点を認識して以降、『ためる』を
『ためる』の効果が
祈るような気持ちで硬直中の『影狼王』に対して『累瞬撃』を発動する。
武技を発動させてから以降、俺の身体は俺の意思に依らず全自動で駆動される。
飛び込んでゆく姿勢から両腕を深く腰横へと引きたたみ、そこから一瞬で無数の拳撃を『影狼王』の巨躯へと叩き込む。
その拳速は『累瞬撃』を放っている俺自身の眼でも捉えることはできず、空気の壁を貫く際、衝撃波のようなエフェクトが前方に無数に発生する。
全撃直撃。
だが『影狼王』のH.Pバーは1ミリたりとも減少しない。
レベル3に過ぎない俺のステータスでは、
くっそ!
ただしH.Pを削ることはできなくても、『累瞬撃』により発生した衝撃で『影狼王』の巨躯がある程度の距離すっ飛ばされる。
このあたりがゲーム的というか、攻撃力と防御力によって
いや面白がっている場合ではないが。
当然の帰結として、今度は大技を放った俺にかなりでかい『硬直』が発生している。
『累瞬撃』を放つ前にした
思考加速されているだけに、俎板の上の鯉状態が長く続くのが地味に罰ゲームである。
すっ飛んだ『影狼王』がその巨躯をしなやかに捻り、着地と同時に四足で地を蹴り俺へと体当たりを敢行してきた。
硬直がなくとも宙を飛んでいる状態では躱す手段があるはずもなく、実戦慣れしていない
カウンター気味に喰らった巨躯によるぶちかましに、高く澄んだ破砕音を連ねて俺の視界に表示されているH.Pバーが恐ろしい勢いで減少してゆく。
このバーが尽きたらこの世界において死ぬのだと思うともちろん恐怖も感じるが、どこか冗談ごとのようなおかしみも感じる。
武技ですらないただの物理の一撃で、俺のH.Pバーは危険域まで一気に減少し、危機的状況であることを伝えるべく赤く染まって明滅を繰り返し始めている。
さすがはボス
が、幸いにして削りきられてはおらず、数ドット分――わずかとはいえ命を繋いでいる。
今なら複雑なコマンドを入れれば超必殺技を撃てるかもしれない。
「マサオミ!」
「わるい、下手打った」
彼我の体格差のせいか攻撃力の差のせいか、おそらくはその双方か。
『影狼王』に比べれば信じられないほどの距離をぶっ飛ばされた俺に、リィンが悲鳴のような声で俺の名を呼んでいる。
左肩に摑まっていたクロも一緒に四肢と尻尾を伸ばしたような体勢で吹っ飛ばされていたが、さすがは御猫様、苦も無く着地には成功している。
しかしリィン、実は心配しているのは俺ではなくてクロなのではなかろうか。
どうも視線が常に俺の足元に行っているような気がしないでもないのだが。
とりあえずは無事なので返事を返すが、手詰まり感半端ない。
今の俺の最大攻撃が通らないとなれば、時間稼ぎもへったくれもあったものではないからだ。
この状況下でもリィンがぶっ放さないということは、まだ時間は必要なのだろうし。
「……平気、なの?」
「さすがに平気じゃないな、H.Pを九割方持っていかれた。次なにか攻撃を喰らったらさすがにもたないと思う」
俺が答えたことに対して、驚愕と茫然をないまぜにしたような表情と声にリィンが陥っている。
確かにまあ、あの巨躯による体当たりをもろに喰らってこれだけすっ飛ばされた状況で、ごく普通に会話ができるというのは驚愕に値すると言ってもいいだろう。
いわばダンプに轢かれて吹っ飛んだようなもので、生きているばかりか痛みすら感じていない様子となれば、
さっきリィンが俺の名を呼んだのは無事の確認ではなく、避け得ぬ死を確信したが故の絶望の叫びのようなものだったのだろう。
だがこのゲームめいた異世界において、『H.P』とは攻撃無効化可能値――数値化、可視化された多段防御結界のような代物であるらしい。
最初に『影狼』を斃した時にもなんとなくそうだとは思っていたが、我が身に攻撃を受けることでその予想は確信に変わった。
おそらくは防御値に関わる俺のステータスと敵から喰らった攻撃力との彼我関係で、H.P1に相当する防御結界が相当枚数砕ける仕組み。
つまりHPが0にならない限り肉体的には無傷を保てるし、痛みもなければそれに伴う行動不全も発生しないということなのだろう。
ゲームでよくあるH.Pが残り1でバーが真紅に染まっているにもかかわらず、元気いっぱいに動き回れるプレイヤーや
つまりH.Pが尽きた後になんらかの攻撃を喰らえば、いかに鍛えられ引き締まった身体であろうともあっさりと致命傷をうけるのだと考えて間違いないだろう。
盾や鎧といった防具系魔導武装による攻撃無効化も、このH.P理論と軸を同じくしているとみてよさそうか。
「……H.P?」
だがこの世界の住人であるはずのリィンには俺の要らんゲーム知識に基づく『H.P』なる文言に対する理解はまるでないらしい。
『影狼王』の体当たりをもろに喰らってなぜ俺が無事なのかも、その俺が口にした『H.P』なるものがなんなのかも、まるでピンと来ている様子はない。
とはいえ今そんな問答をしている余裕もまたまるでない。
幸いなことに『影狼王』はリィンに対して警戒を続けつつ、なんの
ゲーム知識に基づけば通らない攻撃を放ってくるだけの相手など無視してもなんの問題もない雑魚に過ぎないが、現実に即して考えればそうもいかないのは当然か。
これは別に『影狼王』が
そしてその野生の正しい判断は、要警戒と判断した相手には出し惜しみなどせず己の持つ最大かつ安全を確保した攻撃手段の行使を選択する。
つまりは長距離攻撃だ。
それが通じなければ逃走を選択するだろう。
狩る側としての知恵は充分あるらしく、静止しているリィンはもとより俺の機動力を遥かに上回る速度で理想的な位置取り――つまりは俺とリィン、馬車を射線に重ねられるように瞬時で移動してから長距離攻撃の発動準備に入った。
己の影から膨大な魔力を吸い上げ、帯電するように身に纏って喉を逸らしてからの大咆哮。
巨躯に相応しい広範囲直線型の中長距離攻撃が放たれることを止める時間はすでにない。
「逃げて、マサオミ!」
俺と同じく『影狼王』の行動を予測できているらしいリィンが大声で叫ぶ。
確かに俺だけなら、今からでも射線外に退避することは可能だ。
だが行商人のおっちゃんの馬車は絶対に間に合わないし、リィンが避けられるのか、あるいはリィンを守るように浮遊している魔導武装らしきものがこの一撃を弾けるのかどうかもわからない。
ゲームであれば開始直後のプレイヤーがどうしても敵わない敵が現れる場合、それを処理するのは物語の骨子に関わる重要N.P.Cであることがお約束だ。
状況から考えて、リィンがこの絶望的な状況を打破するキーパーソンとみてまず間違いないだろう。
だがこれはゲームではない。
限りなくゲームのようでありながら、少なくとも今の俺にとっては現実としか感じられない状況だ。
そしてそれはリィンにとっても、行商人のおっちゃんにとっても同じこと。
俺がゲームのお約束を妄信して逃げた後、リィンとおっちゃんが消し飛ばされる可能性を完全に否定することなどできはしない。
現実には取り返しのつかないことばかりで溢れかえっている。
いやゲームでもN.P.Cの死が不可逆なことはあるけれども。
とはいえ手持ちの最強技ですらまったく通らない現状、俺に成す術がないのも事実だ。
普通であれば。
ここまで異常な状況が重なっていてなにが普通だという話もあるが、こっちの世界における俺にはプレイヤー特権とでもいうべき優遇された能力以上に、とんでもない能力が備わっている。
けして今まで忘れていたわけではない。
いやホントに。
もはや避けようもない、刹那の後に撃ち放たれる『影狼王』の攻撃を前にして、俺はその能力を発動させる。
世界を支配する物語に定められた、必敗を強いる運命ともいうべき敵。
ゲーム的に言うならば、シナリオ展開上絶対に勝てない設定をされている敵。
使い方如何によってはそれすら屠り得る、いわばシステムから逸脱した力。
まさに世界の
『時間停止』
俺が持つ二つの
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